第99話 二十歳のミレーヌ
七月になり、ミレーヌは二十歳の誕生日を迎えた。領主の生誕に対する領民たちの喜びは昨年以上だった。元々、ミレーヌの統治に代わってから生活は安定していたが、今年は、王家との戦いに勝利したことで、領内全域が祝賀ムード一色に染まっていた。
今年は、新しくミレーヌに隷属した百家を超える貴族たちが、その権威に服従を示すためこぞって参加することとなった。事務方が悩んだのは、その参加人数の多さであったが、レベッカの的確な指示により、準備は万全であった。しかし、最大の難関はミレーヌの説得だった。彼女は、形式的な儀礼を心底嫌い、「隷属した貴族たちなど挨拶は不要」と言い放った。窮したレベッカは、姉のミレーヌを敬愛する公爵家当主のシリルという心強い援軍を仰ぎ、彼女を説得することで、当初の案のとおり開催にこぎつけた。
祝賀の喧噪も終わり、レベッカはミレーヌの執務室で主人と相対していた。いつものようにユリの香りが室内に満ちる。レベッカは、新たに接収した領土の運営方針と、それに伴う書記官の増員を銀髪の公爵家摂政に具申する。ミレーヌは、目を閉じたままその報告を聞いていた。
「……以上でございます。いかがでしょうか?」
「いいわよ」
レベッカの運営方針案と書記官増員を黙って聞いていたミレーヌは、徐に目を開け、少し微笑んで了承した。
「あと、一つ忘れているわよ。新たな領地の税率は公爵家と統一して」
公爵家の税率は、あらゆる収入に対して三割を銀貨で支払うことが定められている。これは王家や他の貴族が、収穫の五割以上を物納で、かつ二週間の無償賦役を課している中で、公爵家の領民は、税率が安いうえに、賦役に対しても給金を支払うことから戦争終結以降他の領民の移住が見受けられていた。
「よろしいのでしょうか? 収入と支出のバランスが悪化しますが」
「貴族も領民も私の傘下になればメリットがあると感じさせることが今は大事。お金はそういう時に使うのよ。それに……」
ミレーヌは、意図的に言葉を溜めた。レベッカは、笑みを浮かべた主人に問いかけた。
「それに?」
「すぐに回収できるから」
レベッカは、主人が途方もないことを考えていることに改めて戦慄した。自分では想像もつかない手段でこの問題を解決しようとしている。
「わかりました。あと、軍事の話ですが、財政問題にも絡みますので、ご判断いただきたい点がございます」
「何?」
「隷属した貴族たちの騎士とその従者たちの雇用問題です。合計三万二千人程度ですが、いかがいたしましょうか?」
貴族は、自衛や領内の治安維持のため、武力として騎士団を有している。その騎士も地位に応じて数名から十名以上の従者を雇う構造だ。古来のしきたりに従い、彼らは自らの従者を伴って戦に参陣していた。
隷属した騎士の給金は、隷属した貴族たちへの年金よりも少額ではあるが、その人数ゆえに公爵家の財政負担は極めて重い。しかし、騎士をすべて解雇すれば、軍事力が大幅に低下するだけでなく、職を失い不満を抱いた騎士たちが反乱を起こす火種となりかねなかった。
「騎士は、三千二百名くらいかしら?」
「三千二百五十七名です」
ミレーヌは、右手の人差し指で机を数回叩いた。その静かな音が止んだ瞬間、彼女の頭の中での計算も完了した。
「実験するにはちょうどいいわ。ジャックとゲオルクを呼んで頂戴」
レベッカは一礼して、ミレーヌの執務室を後にした。書記官たちにジャックを呼び出す手配をしたのち、自分の執務室へ戻る最中、ふと立ち止まった。
(実験? お嬢様は、何をするつもりかしら?)
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