第76話 幕間(ブローリ公爵)
カッツー王国には二つの公爵家があった。一つは、ミレーヌが治めるグラッセ公爵家。王国の東側を守護する貴族として広大な領土を持つ。もう一方は北側を守護する貴族であるブローリ公爵家。建国時は、カッツー王国の両盾となるべく配置されたが、その精神は子孫には伝わらなかった。長い歴史の中で、二つの公爵家は互いに反目し、一方が王家と協調すれば、一方が反目するなど水面下で権力争いが度々起こった。また、王家も公爵家両家が邪魔だと考えると両公爵家は手を結び対抗するなど、傍から見ると複雑怪奇な変遷を辿っていた。
現在のブローリ家の当主は、ティボー・ブローリ、五十四歳。白髪が目立ち始めた平凡な中年貴族の風貌であるが、国王ですら、直接命令するのに憚られる大貴族であった。
そんなブローリ公爵は、自身の執務室で、家令からの報告を苦々しく聞いていた。部屋の暖炉で燃える薪の爆ぜる音だけが、家令の言葉の合間に虚しく響く。
「本当か?」
「はい、摂政である王太子殿下様より勅命が発せられました。グラッセ公爵家を討伐せよ、とのことで」
ブローリ公爵は、その報告に眉ひとつ動かさなかった。彼は、勅命の内容そのものよりも、なぜこの勅命が、王太子という若者の口から発せられたのか、その背景に思考を巡らせていた。
(ミレーヌが受け入れるはずの無い婚約を斡旋するなど馬鹿な事をするなと思っていたが、やはりうまくいかなかったか。それにしても、拒否したら討伐とはな。若すぎるな、あの王太子は。ミレーヌが当主となってから公爵家がどう変わったのか知ってはおるまい)
「それだけか? 何か他にも書簡は届いておらぬのか?」
「はい、それ以外は特に王宮からなにも伝え聞いてきません」
普通、戦争となれば、事前に相談があってしかるべきことである。さらに、全ての貴族に通達される勅命以外に、国王自ら書いた依頼文章のほか、王家の書記官などから詳しい情報が記載された書面が公爵家に届くものであった。
このように、最大貴族であるブローリ公爵には王家とはいえ、遠慮はあり、命じるというよりは依頼するような低姿勢でする慣例である。
(王宮も混乱しているということか……。やはり、王太子の独断専行。陛下がお元気であればこんな愚行は命じられまい)
ブローリ公爵は、家令から受け取った簡素な勅命書を、まるで汚物でも見るかのように眺め、静かに息を吐いた。詳細な情報も、政治的な配慮もない。これは、王宮の機能が麻痺している証拠だ。
「情報を集めろ。あとジュノイーにどうなっているのかすぐ確認しろ」
「承知しました」
家令が一礼して退室すると、ブローリ公爵は椅子に深く座り直し溜息をついた。
(王家とミレーヌの争いにのこのこと出ていき、なにか重要なことでも任命されたら目も当てられぬな。ここは共倒れを画策すべきか……。いや、陛下の病床も思わしくないと聞く。次の王があの王太子では、王家の命運も短いかもしれないな。ここは、密かにミレーヌに助力すべきか。まあ、良い。こちらは火の粉を浴びているわけではない。対岸から見物して、有利な方に肩入れするのが良いかもしれぬな。この好機を生かせれば最終的には……)
ブローリ公爵は、その思考の結論に辿り着くと、静かに椅子から立ち上がった。窓の外の雲一つない空を、彼は無表情で見つめていた。まるで、この国の未来を、遠い場所から見下ろしているかのように。
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