第65話 舞踏会
王宮での厳かな結婚式が終わり、日も暮れた頃、広間では舞踏会が始まっていた。
広間には千を優に超える燭台の光で昼のように明るく、壁には色鮮やかなタペストリーが飾られている。天井からは、磨き抜かれた巨大なシャンデリアが幾つも吊るされ、その光は、集まった貴族たちの豪華なドレスや、宝石で飾られたアクセサリーをきらめかせていた。
男たちは、色とりどりの派手な装いを身につけ、女性たちは、流行の最先端を行くコルセットで締め上げられたドレスをまとい、その優雅な所作でホールを舞っている。誰もが、幸せな新郎新婦を祝福する笑顔を浮かべていたが、その瞳の奥には、嫉妬や、羨望、そして権力への欲望といった、貴族社会に渦巻く様々な感情が読み取れた。
セリアは、二歳年下の妹のアントワーヌを見る。姉の赤紫色の髪の毛とは違い、彼女はオレンジブラウンの髪色である。彼女は姉の視線に気が付き頷いた。
アントワーヌは、少年貴族を見つけ、歩み寄った。
「失礼ですが、シリル・グラッセ公爵様ですか。初めまして。私、アントワーヌ・ジュイノーと申します」
「は、はじめまして、シリルと申します」
「この度は公爵位を叙爵されましたこと本当におめでとうございます。もしよろしければ、次の曲で私と踊っていただけないでしょうか? 公爵様と踊ることができれば、大変光栄なことですし」
アントワーヌが声を掛けた少年は、突然の申し出に目を見開いた。たぶん、心臓が高鳴っているのかもしれない。自分のことを少し見とれているようだと彼女は思った。すると、少年の隣にいた銀髪の公爵令嬢はシリルの腕を強く握った。思わずシリルは姉の顔を見た。ミレーヌの表情は険しかった。
「失礼します。アントワーヌ嬢、私、ミレーヌ・グラッセと申します」
「ミレーヌ様ですか。お会いできて嬉しゅうございます」
「アントワーヌ嬢、申し訳ございません。弟のシリルはまだこういう場にまったく慣れておりませんし、ダンスも上手ではございません。たぶん足手まといになるかと思います」
アントワーヌは、その言葉を聞き、自分とダンスをさせたくないから出しゃばったと察した。姉からの依頼は絶対であり、彼女は、引き下がるわけにはいかなかった。
「大丈夫です。私、慣れておりますから」
「お姉さま……」
姉を見上げて、か細い声を振り絞ったシリル。それを見てここは強く出るべきだとアントワーヌは思った。
「失礼かとは思いますが、こういうのは経験が必要です。女性ではありますが、ぜひシリル公爵閣下をエスコートさせてください」
「アントワーヌ様、ご厚意に感謝します。弟に事前にダンスの練習を徹底させなかったのは私のミスです。このように沢山のお客様の前で、何かありましたら、シリルはもちろん、アントワーヌ様も笑いものになるかもしれません」
この程度の断りで引いてはいけないと思ったアントワーヌはミレーヌに懇願した。
「いえいえ、是非とも」
「困りましたね……あ、そうですわ。私がお相手させていただきます」
「ミレーヌ様がですか?」
アントワーヌは、ミレーヌの言葉に一瞬たじろいだ。彼女は、姉から「シリル公爵にアプローチしろ」と命じられていた。しかし、まさかミレーヌ自身が自分と踊ると言うとは予想外だった。
「ジュイノー侯爵家令嬢のアントワーヌ様のお申し出を断るのも非礼ですし、私と一緒に踊る姿をシリルに見せれば、勉強になると思いますの。もしかして、私と踊るのは嫌でしたか?」
「い、いえ。喜んで」
もはや断ることはできないと思ったアントワーヌは承諾した。ミレーヌは、優雅な仕草で彼女の手を取った。そして、二人の女性は、きらめく人々の輪を割って、ホールの中心へと歩みを進めた。まるで、何もかもを見透かしたようなミレーヌの冷たい笑みと、困惑したようなアントワーヌの表情が、周囲のざわめきの中で、奇妙な対比をなしていた。
ホールにいた貴族たちは、その異様な光景にざわめき始めた。「公爵令嬢が女性と踊るなど……」「いくらなんでも非常識では……」といった囁き声が、ホール全体に広がっていく。
音楽が始まると、ミレーヌは流れるような優雅なステップを踏み出した。その動きは完璧で、彼女のリードに、アントワーヌは必死に追随するのがやっとだった。ミレーヌのダンスは、ただ美しいだけでなく、一挙手一投足に、相手を支配するような圧倒的な力が宿っていた。彼女は知らなかった。ミレーヌは剣技を習ったおかげで相手の察知する能力が自分よりも数段長けていたことを。
ホール全体が、静寂に包まれた。女性同士のダンスという異様な光景は、ミレーヌが放つ圧倒的な存在感の前には、もはや些細なことだった。彼女の舞は、貴族たちの常識を打ち破り、新たな価値観を提示するかのような、衝撃的なものだった。曲が終わり、ミレーヌは息も乱さず一礼した。そして、アントワーヌに向かって言う。
「本当にお上手ですね。私も大変勉強になりました。それでは失礼します」
そしてミレーヌはシリルの元へ向かう。シリルはミレーヌを恍惚の表情で迎え入れた。アントワーヌは、周りの貴族達の喝采や賞賛の声は全く聞こえなかった。ミレーヌは完璧に踊り上げ、それも自分よりも数段技量が高かった。彼女は、ただ呆然と二人の姉弟を見るしかなかった。
彼女たちのダンスに見入った王太子は、妻に話しかけた。
「素晴らしいダンスだった。ミレーヌは昔から上手だったが、息も乱れない完璧なダンスだった。そうは思わないか?」
「はい、エドワード様」
王太子の妻は、シリルを篭絡するための第一歩の策が逆手に取られ心中穏やかではなかった。しかし、彼女はおくびにも出さずエドワードにほほえみかけて答えた。
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