51 冬の到来
それから数日。
早朝、頬に触れるひんやりとした空気に、ハンスは目を覚ました。
(…この感じは…)
毛布を頭から被りたい衝動を何とか堪えてベッドから抜け出す。
カーテンを閉め、さらにガラス窓の外の鎧戸もきっちり閉めた窓からは、外の光はほとんど差し込まないが、カーテンの隙間から冷気が流れ落ちていた。頬を冷やしていたのは、ベッドわきの窓からのその冷気だ。
その冷たさが、昨日までとは格段に違う。
ハンスは即座に厚手の靴下を履いてブーツに足を突っ込み、厚手の上着を着込んでから手近な窓のカーテンを開けた。
途端、雪崩落ちるように冷気が溢れ出る。室内も相当寒いが、外から伝わるこの冷たさは別格だ。
鎧戸の隙間から漏れる光が、この時期の日の出前にしては妙に明るい。
それだけで大方の状況を察しつつ、ハンスは気合いを入れてガラス窓を開け、さらに鎧戸も少しだけ開けて──
「……うわ」
目に飛び込んで来た白さに、思わず呻く。
家の周辺の畑も、牧草地も、休耕地も、地面が剥き出しのはずの道も、全て白い雪に埋まっていた。
『埋まっていた』というのは比喩ではなく文字通りの意味だ。牧草地を申し訳程度に囲う木の柵の、下から3分の1程度が見えなくなっている。目算で、積雪量はハンスの膝くらいの高さか。
今シーズンは既に2回ほど雪が降っていたが、ちょっと白くなる程度で日なたではすぐに融けていた。
が、今回は一晩でこれである。
ああそうだ、そうだった──とハンスは遠い目になる。
下エーギル村の冬は、徐々にではなく、ある日突然全力でやって来るのだ。
「…はー……」
速やかに鎧戸と窓とカーテンを閉め、ハンスは溜息をつく。
ほんの少し窓を開けていただけなのに、部屋の温度がぐっと下がった気がした。実際、吐く息が白い。
これだけ積雪したら、あとは多少増減しつつも積もるだけだ。春まで完全に融けることはないだろう。
ハンスは死んだ魚のような目で着替えを済ませ、部屋を出た。
「おやハンス、おはよう」
リビングに降りると、スージーが暖炉に薪をくべているところだった。昨夜の残り火──熾火はあるが、まだ燃え上がってはいない。
「おはよう」
「今日は早いじゃないか」
「寒くて目が覚めた」
ハンスが肩を竦めると、ああ降ったからね、とスージーが苦笑する。
雪が降って喜ぶのは、この村では幼い子どもたちくらいだ。
大人はこれから始まる長い冬と重労働に思いを馳せて遠い目になるし、少し年嵩の子どもたちはそれに動員されることを予想して嫌な顔をする。ハンスも正直なところ、溜息しか出ない。
が、溜息をついたところでやるべきことが減るわけではない。
「キッチンにスープとパンがあるから、先に軽く食べておいで。ポールはもう外に出てるよ」
「おう、ありがとよ」
キッチンでは、魔法道具のコンロの上でスープの入った鍋が湯気を立てていた。火を起こさないと温かいものが食べられなかった昔とは雲泥の差だ。
ハンスは有難くスープにパンを浸して食べ、サッと皿を洗ってから玄関へ向かった。
積雪後の必須イベント、除雪作業だ。
ドアを開けると、痺れるような冷たさが肌を刺す。
玄関前は既に雪かきされていた。家の中に冷気が入らないよう素早く扉を閉め、一応、手袋とニット帽の着け心地を確認する。
一歩踏み出せば、そこは一面の銀世界だった。
雲の切れ間から差し込む朝日と、それを反射する雪の白さがただただ眩しい。
家の土台になっている石垣は、やはり半分ほどしか見えていなかった。階段部分は雪で覆われて、『何か出っ張ってる部分』と化している。
「…オヤジは鶏小屋の方か」
家の軒下が綺麗に除雪されているのを見て、ハンスは呟いた。
除雪の手順は人によってまちまちだが、ポールの場合はまず、玄関と家の軒下、本来なら雪が直接積もらないはずの場所の除雪から始め、次に鶏小屋周辺を攻略する。ハンスが子どもの頃に目にしたルーチンは変わっていないようだ。
ちなみに軒下にも雪が積もるのは、下エーギル村の雪がさらさらのパウダースノーで、ちょっと風があるとすぐ吹き飛ばされて吹き溜まりに溜まってしまうからである。
「…よし、やるか!」
声に出して無理矢理気合いを入れ、ハンスは石段の除雪に取り掛かった。
サクッと軽い音を立てて雪に埋まったスコップは、金属製ではなく軽くて丈夫な木を使って作られた、除雪専用の道具だ。少し幅広で、雪に触れる表面には松脂が塗られ、雪が付きにくくなっている。
石段の上に積もった雪を力を込めて持ち上げて遠くに放る。
さらに、石段の両脇、雪が盛られて石段と見分けがつかなくなった部分を削り、その雪も遠くへ放る。そのままにしておくと階段を昇降するつもりで雪だまりを踏み抜き、転落する恐れがあるからだ。
石段を掘り起こすと、そのまま家の前の道の除雪に入る。
背後でドサッと雪が落ちる音がした。振り向くと、ポールが家の横からやたら柄の長い──と言うか、柄の折れ曲がったレーキを伸ばし、屋根の上の雪を降ろしている。
「…あんなんあったのか」
ハンスは思わず呟いた。
石段の上の2階建ての建物の屋根に届くレーキである。相当重いはずだが、ポールは軽々と操っている。
ハンスが呆然とそれを眺めていると、
《いようハンス! 寒いなー!!》
「っぎゃあ!?」
右肩に重みが掛かり、首筋に何やら冷え切った柔らかいものが押し付け──いや、突っ込まれた。
ハンスが悲鳴を上げて振り向くと、首の冷たいものがサッと引っこ抜かれる。
至近距離にモクレンの顔があった。
目が合った途端、モクレンが全身をブルブルと震わせ、ハンスの顔面が雪まみれになる。
「ぶわっ! 手前ェなにしやがる!?」
《え? なにって、ケットシーの本能ってやつだろ。しょーがねーじゃん》
「他人の首筋にキンキンに冷えた肉球貼り付けんのも本能だってのか? うん?」
《…いやー、それは事故ってやつじゃないカナー》
モクレンが思い切り目を逸らし、ススス…と前脚を隠すような動作をした。どう見てもわざとである。
《んで、何見てんだ──ってアレか。屋根用レーキか》
ハンスの肩に乗ったまま、モクレンがにゅっと首を伸ばした。
《すげーよなアレ。なんでも、軽量化の処理がされてて見た目よりずっと軽いらしいぜ。あと先端部分は熱源になってて、触れると雪が融けて勝手にめり込んでくらしい》
「魔法道具か」
ハンスはちょっと感心して呻く。
えらく用途の限定される道具だが、便利なのは間違いない。
ハンスの子どもの頃は大人が屋根の上に登って直接雪下ろしをしていて、雪もろとも落下する事故が毎年のように起きていた。
骨折で済めばまだ良い方で、下手をすると死ぬ。
落下の衝撃は雪で軽減されても、その後上手く脱出できないと続いて落下して来る雪に埋もれて体温を奪われ、窒息する恐れがあるのだ。
《まーあれ、自分の立ち位置考えないと自分の頭上に雪が落ちて来ることになるんだけどな》
ぼそり、モクレンが付け足した。
よく見れば、ポールは自分の正面にレーキを構えるのではなく、斜め前に突き出す形で持っている。庇からの距離も、かなり遠い。
「あー…なるほど」
やたら長い、のではなく、それくらい長くないと安全な間合いが確保できないのだ。重いからと短いものを使ったら悲劇が起きるパターンである。
そもそも、雪下ろしをしている本人の位置からだと、屋根の雪がちゃんと見えているかも疑問だ。実際ポールは半ば勘で作業をしているように見える。
「…足場が必要じゃないか? あれ」
《俺もそう思う》
ハンスがぼそりと呟いたら、モクレンも深々と頷いた。
今週はウチの長老ネコ様の入院&手術があってちょっとバタバタしてたので、更新は今日と明日各1話ずつ、計2話です。
…あ、ちなみにネコ様は既に退院してまして、家で元気に『かまえー!』『俺を優先しろー!』と主張してますのでご心配なく(←お腹開いた後なので絶対安静なんですけどね…;)
来週は通常通り3話くらいは更新できるかと…。




