第四章 30 :悪あがき
オルジア・ヴィンセントは、元騎士団長だった。
ヴァイガル国の騎士団長の中でも屈指の実力を持つ団長で、馬上で槍を使わせると右に出る者はいないとさえ言われていた。
オルジア自身も、騎士団長であることを誇りに思っていた。
国を守り、王を守り、民を守る唯一の力の象徴である騎士団長こそ、ヴァイガル国の花形だと誰もが口を揃えてそう言う。
事件が起こったのは、前職の大臣が辞任してスルア新大臣が就任した直後のことだった。
構造改革の名の下に、騎士団狙い撃ちの改革が断行された。
二百年もの間、戦争や内戦といった戦闘が発生していないヴァイガル国内と近郊は、ドァンク共和国の脅威はなくなってはいないものの、安定した状況が数十年続いているという前提から話は進められた。
騎士団の人員数は明らかに過剰と評価されて、人員の削減案を提案してきた。
反対したのはヤーレウ将軍も含めた騎士団全員だった。
当然、騎士団の反対は想定していたスルア大臣は、密かに王との密談で明かしていた『人体魔石技術による騎士団の再構築』を発表する。
人体魔石技術は、魔石を体内に埋め込むことにより、マナの活動を向上させ補助を行う事。
これまで魔法さえ使えなかった人間でさえも、人体魔石により魔法で奇跡を操れるようになれるし、身体能力を飛躍的に向上させる事ができるようになったという研究成果を見せつけられた後、スルア大臣からの提案は、騎士団に人体魔石技術によって、飛躍的に戦力を向上させる事で人員削減を行う。というものだった。
いつも厳しい顔をしているが、温厚な性格のヤーレウ将軍が、顔を真っ赤にして怒ったのはこの発表の時で
利点のみ聞かされただけで私は絶対に賛成はしない。
と強く反対を示した。
しかしアグニス王は双方の言い分を理解して、公平に騎士団と人体魔石技術を施した者で模擬試合を行って、勝者の発言を重んじる方針をスルア大臣とヤーレウ将軍に伝えられた。
将軍の自室にはヤーレウ将軍と、オルジア団長、女性のイロリナ団長が集まって、模擬試合の話を詰めていた。
「オルジア、イロリナ……すまない……」
ヤーレウ将軍は深々と頭を下げて二人に謝る。オルジアはすぐに
「なぜ謝るのですか、頭を上げてください。」
と、事の経緯を理解していたオルジアは、ヤーレウ将軍の謝意を心苦しく受け取っていた。
イロリナ団長も同様の思いで
「私たちはヤーレウ将軍の命令に従います。模擬試合も全力を尽くしますから。絶対に騎士団を大臣の思うようにはしませんから!」
イロリナも、女でありながら騎士団長に憧れて、剣の腕を磨き、ヴァイガル国でも屈指の剣士になり、その腕前をヤーレウ将軍に認められて、騎士団長になれた事に恩を感じていた。
この模擬試合は、ヤーレウ将軍に恩を返せる機会だと、イロリナは
「私が模擬試合に出ます!」
と自信もって自薦した。
「イロリナ……相手はあの新しい大臣だ。何を仕掛けてくるかわからん。オレが出るよ。」
「あら、女のわたしに手柄を取られるのがそんなに嫌なのかしら?」
「バカなことを言うな!騎士団の存続に関わる問題なんだぞ!」
イロリナは憤るオルジアが可笑しくてクスクスと笑い
「あなたは馬上でこそ輝く団長なのよ。模擬試合は馬は使えない。私の方が剣の腕で勝るのだから、当然の理由でしょう?」
イロリナの剣の腕は団長の中でも頭抜けている。
実際に剣でイロリナと立ち合って、オルジアが勝てる要素は無い。
だが、オルジアは、それでもイロリナの事が心配だった。
苦しそうな表情のオルジアの密かに思う気持ちを汲むように
「大丈夫よ。私に任せて。」
というと、優しくオルジアの腕を撫でた。
イロリナは聡明な団長だからこそ、自身が模擬試合に出る事が一番勝率が高いと考えていて、オルジアも理解はしていた。
納得するように鼻息を荒くふきだして
「わかった。君に任せるよ。」
と返すと、イロリナの屈託のない笑顔が見れた。
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サイのそばを離れて突撃したオルジアの怒りは、馬上から雄叫びを上げながら繰り出す槍の刃風が物語っていた。
兵達はオルジアの騎士団長としての強さは、噂でしか聞いた事がなかった。
それもそのはずで、オルジアは部下達を死なせたくないと、どんな状況であっても先陣を切って一騎駆けで突破口を開く、先頭に立つ騎士団長だからだ。
兵が追いつく頃には、馬上で槍を振り回しながら突破口を切り開き、敵を分断する事で後衛部隊がなだれ込んで敵を制圧する豪胆な作戦を主軸としていた。
オルジアの騎士団長としての強さは、敵や魔物しか知らない強さだ。
それが今、昔の仲間に向けられていた。
オルジアは今朝、エミグランから今日のドァンクで起こりうるシナリオで『ヴァイガル国が攻めてくる』可能性を聞かされて、ずっと迷っていた。
ドァンクを守るために、昔の仲間や部下に槍を向ける事が出来るのか否か。
サンズによる大量の矢の攻撃がドァンク街まで届き、火矢による火災が始まって、ヴァイガル兵の前進が始まった時、オルジアは捨てた。
騎士団長の未練と、彼女への想いを。
――もう騎士団は存在しない。俺たちが憧れた騎士団は、なくなった!――
「うおおおおおおおおおおお!!!!!」
馬上のオルジアの雄叫びは、兵達の腹に響いた。
オルジアの一騎駆けを正面から体験した兵は一人もいない。オルジアの一騎駆けは、死を間近に迎える者しか知ることができず、見た者の命は駆り取られる。
馬に乗る悪魔のように見えた兵達は、進むことも逃げることもできない。オルジアの響く雄叫びに魂が抜かれたように呆然とするしかなく、我に返るのは、一振りでニ、三人の首が、槍によって斬り飛ばされて鮮血を浴びた後だった。
「ひ……ひいいいいい!!」
「うあああああああああ!!」
「た、助けてくれえええ!! サンズ様ぁぁ!!」
心を決めた、オルジアの目は鬼の如く睨みおろし、振り上げた槍は無情に振り下ろされる。
「た、た、たすげぇ……グボぉ――」
両手を前に出して助けをこう兵を喉を突くと、馬の推進力が相まって首が飛んだ。
「ひいいいい!!……あが――」
別の兵の頭上に叩き落として、骨ごと砕く。
「はぁ!」
馬の腹を蹴り呼応して駆け出す馬の手綱をしごきながら距離を取り旋回して向き直すと、サンズの元に逃げる兵達を一気に刈り取るべく雄叫びを上げた。
サンズは、オルジアの迫力に呆気に取られていたが、こちらに向かってきている今、自分にもあの槍が届くと恐怖を覚えた。
だが、引くわけにもいかないが、まずはオルジアの攻撃をいなす方が先で、逃げ惑う兵の後ろに、槍を振り上げて迫るオルジアと目があった。
オルジアは駆ける馬上から、槍を振り回して一人、または二人を斬り殺す。
馬と呼吸がぴたりと合って、人馬一体とはまさにこの事だとまざまざと見せつけられた。
サンズは周りにいた兵達に
「お……お前ら!壁になれ! 時間を稼げ!」
慌てながら命令する最中、オルジアの馬は頭を上げ下げしながらサンズの元に全力で駆け、もうすぐ目の前に来ていた。サンズは
「くそおお!」
と叫び、右側に走り出した。
オルジアは置いて行かれた兵達に、槍を地面に叩きつけるように左右に振りながら一人残らず兵に殴りつける。
斬るとか殴るではなく、邪魔なものを振り払うように駆け抜けていった。
オルジアが駆けた跡は、亡骸しか残っていなかった。
サンズはあまりの惨状に動揺したが、すぐに両手を掲げて弓を自身の目の前に集めて、集めれるだけの矢を、マナと人体魔石の力で足元に引き寄せた。
オルジアはまた旋回して、サンズを視界にとらえた。
――イロリナ……すまん……約束は守れそうにない――
オルジアは、弓に矢をつがえて待ち構えるサンズに向けて、馬の腹を蹴り、手綱をしごいてサンズに突撃した。
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「なぁにそんな顔してんのよ! 私なら大丈夫よ」
ヤーレウ将軍の部屋から出たイロリナは、明らかに不安げに顔を俯かせたオルジアの腕を叩いた。
「……スルア大臣が何を考えているのかわからんが、騎士団に模擬試合を挑む事に何も反対しなかったのか気になるのだ……」
「でも、その試合で勝てばいいんでしょう?」
「それはそうだが……」
何か罠があると思った方が良いと告げるべきか思案していると、胸元にふわりと温かい感触が表れて、体がピクリと反応した。
イロリナの頭が眼下に見えた。
「大丈夫だから。心配しないで……あなたが馬上で輝くのなら、私は剣を持つ事で輝くの。わかるでしょう?」
「あ……ああ。」
イロリナの背中に両腕を回して、抱き寄せる。
「絶対に勝ってみせるから……あなたは見ていて……」
「……わかった。だが、気をつけろよ?」
「わかってる。」
少しの間、お互いが温もりを確かめ合うように、強く引き寄せた。
模擬試合当日。
イロリナは、負けた。
「なんや、騎士団長さんってこない弱くても務まるんか? うちでも片手間でできそうやなぁ。」
飄々とした佇まいの女は、遅上がりのイントネーションからダイバ国の出自の女だろうとわかった。
模擬試合は、イロリナの目にも止まらない剣撃が全く当たらずに「ほな、終わらせるで?」と言うと、あっという間にイロリナの腹部に打撃を与えて、怯んだところに木剣を持つ手を蹴り上げて手放させて、二本の指を目元に突きつけていた。
アグニス王は立ち上がって
「感謝するよシャクナリちゃん。結論は簡単に出せそうだよ。」
と拍手に笑顔を添えて称賛すると
「いえいえ。お役に立てて光栄です。」
と頭を下げた。
ヤーレウ将軍もオルジアも開いた口が塞がらなかった。
――あのイロリナが……そんな……まさか……――
言葉も出なかった。
「ほな、うちは別の用事があるから」
と、イロリナの目元から指を離すと
「まだ……終わってないわよ!」
と、シャクナリの顔目掛けて拳を繰り出した。
「……あまちゃんやねぇ」
ギリギリのところで避けて、カウンターで合わせるようにイロリナの顔に掌底を打ち込んだ。
「ぐっ!」
鼻っぱしらに合わされて鼻血が吹き出して涙目になる。
「試合終わったのにまだやる気なんやね? うち、用事があるから急がんとあかんからさ、まだやるって言うなら手加減できひんのやけど……」
「まて! イロリナ」
オルジアが思わずイロリナを制止しようと立ち上がった。ヤーレウ将軍も同じように立ち上がってイロリナを呼ぶ。
オルジアもヤーレウ将軍も、客観的に見て、シャクナリに勝てそうな気配すらなかった。
シャクナリは
「なぁ王様、もう試合は終わってるんよな?」
と大声でシャクナリが問うと、アグニス王は頷いた。
「らしいで? これ以上やるならうちも身を守るために武器を使うけど……」
と、腰の後に帯に挟んでいた鉄のツメを取り出して両手につけた。
「ダメだ! やめるんだ! イロリナ!」
イロリナは、使う予定がなかった腰に携えていた剣に手をかけた。
「イロリナ! 命令だ!やめよ!」
イロリナは聞く耳を持たなかった。
剣を抜いて中段に構えて、甲高い猿叫を発しながら、シャクナリに跳びかかった。
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サンズは、狙いをオルジアに、全ての矢を向けた。
時間差で打てばどれかは当たるはずだと、駆けてくる馬上のオルジアに向けて、右手の人差し指と中指を向けて狙いを定める。
そして、矢を消した。
――もっと……もっと近づいてこい……お前の死に顔をぐちゃぐちゃになるまで踏み潰してくれる……――
四完歩は踏ませない。そう決めていた。
真っ直ぐに突っ込んでくる馬もろとも蜂の巣にするイメージがサンズの脳内に浮かぶ。
――見えぬものを避けれるはずはない……死ねっっ!――
放とうとした瞬間に、オルジアは手綱を軽く引き、腰を浮かせた。
馬は手綱からオルジアの命令をすぐに体に行き渡らせて、後ろ脚で地面を蹴る瞬間に上体を少し起こして前足を浮かせると、跳んだ。
――な……に?――
撃つ瞬間だった。狙いを上に逸らされたサンズは視線を上に向けると、馬の背から、鋭い視線のオルジアの上体が右からはみ出して見えて、きらりと輝く槍をがオルジアの頭上にあり、振り下ろされる瞬間が見えた。
「しまっ……」
馬の腹が、サンズの横を通り過ぎると手首が熱くなった。
サンズは熱い手首に目を向けると
「……う、うああああああああ!!!」
右手が切断されていた。
痛みを和らげる魔石が痛みを感じさせなかった事が災いして、斬られたことすらわからなかった。
「ひいいいいい……手首がぁぁぁぁ……!!」
オルジアは駆け抜けた後、馬の首を何度か叩いてからサンズの方に馬と向き直る。
ゆっくりとのたうち回るサンズに近づいて、槍先を向けた。
「ヒッ……」
サンズの情けない声が漏れる
「俺はもう騎士団に未練も何もない。だが、お前のようなクズが居座ることは許しがたい。アシュリーとお前のために命を落とした獣人に報いるため、死んでもらう。」
オルジアは極めて冷静にサンズに告げたが、
――死ぬ……?? 俺が……??
目の前に突然現れた死の恐怖に乾いた笑いが出たのちに、失禁した。そして
「嫌だ嫌だ嫌だ! 死にたくない死にたくない死にたくない!」
あまりにも往生際の悪いサンズに槍先を喉元に突きつけた。
「……ドァンクの罪なき獣人を殺しにきておいて、自分が死なないとでも思っているのなら都合が良すぎる。」
「獣人……? アンタ……人間だろ? その鎧も騎士団長のものだろ……なんで獣人なんかに」
「……」
「ヴァイガル国の騎士団長だったんじゃないのかよ……ドァンク共和国は敵だって聞かされてないのかよ……」
「……」
「なぜ騎士団長やめたか知らないけどよ、つ、都合がいいのはアンタも同じだろ……逆恨みじゃないのかよ」
槍を持つ手に力が入る。
「言いたいことはそれだけか?」
「……いやだ、いやだいやだいやだ!! 死にたくない死にたくない死にたくない!!助けてくれよ!!頼むよ!!」
左手で槍を持とうとするサンズの悪あがきに
「覚悟!」
と無情な言葉を放ち、槍を首に突き立てんと腕に力を込めて貫かんと前に突き出した。




