第四章 29:元、騎士団長
ドァンク街内
ヴァイガル国兵はまだ侵入できていないが、火矢狙いは街中で、ヴァイガル国側の入り口方向の空から無数に降り注いでいた。
木造建築の多いドァンクで、火の不始末で火事になる事は珍しくはないが、ここ最近の晴天の続いた天候がここで災いして、火矢の攻撃から延焼し、火事になる家屋が相次いで発生していた。
自警団が消火にあたっていたが、いくつかの家はそのままにしておくしかないほど、手は回っていなかった。
ヴァイガル国方面の入り口の家屋中心に自警団は集まって、必死の消化活動を行っていた。
そんな中を、老婆が一人通る。
避難所の広場から出てきたマナばぁさんだった。
黒煙を巻き上げながら燃え盛る家屋を悲しそうに見上げる。
「……争いは得るものなどないのにの……苦しむのはいつも民衆じゃ……」
マナばぁさんは外に出るつもりだった。弓による攻撃がここまで届いているという事は、前線の獣人達は傷を負っているに違いないと、ヒールをするために一人向かっていた。
老い先短い命を若い人たちを助けるために使いたいと結界から出てきたが、あまりの惨状に言葉も多くは出なかった。
「また火矢がくるぞ!!」
どこからか聞こえた自警団の大声に空を見上げると、火事で飛んでいた火の粉よりも上から、空を覆い尽くすほどの無数の火矢がドァンクの家々を燃やさんと降ってきていた。
マナばぁさんは走ることができず、もしここで死んでも仕方がない。そのつもりでここまで出てきていた。
自分の命よりも、先のある若い者たちを救いたいと出てきたが、空から降り注ぐ火矢の量は尋常ではなく、これはもう立ち止まって祈るしかなかった。
どうせ捨てるつもりで来た命。助かれば怪我をして苦しんでいる子達を救いたい。そうさせて欲しいと目を閉じて祈った。
運良ければ助かる。できれば今日は良い日であって欲しいと願いながら念じるように俯いた。
マナばぁさんの背に温かい温もりを感じた。
まるで願いが届き、背中を抱きしめられたような温もりがあった。
もう火矢は落ちてきているはずと、恐る恐る瞼を開けると、マナばぁさんは生きていた。
それどころか火矢が全く周りに刺さってもいなかった。
「ばあさまよ、そこにいると危険だぞ?」
背中から声が聞こえてゆっくりと振り返ると、少年が立っていた。ユウトよりもさらに若い少年で、黒と茶色のマダラ色の髪を後ろに束ねた目つきの鋭い少年は、マナばぁさんに近づいた。
マナばぁさんは見たことがない少年だったが、目つきが鋭いが敵意は感じられなかった。
「お主は……見たことがない子じゃの?」
「俺か? この街に初めてきたんだ。見たことがなくて当然だな。」
「そうか、じゃが危険じゃ。今、ヴァイガル国が攻めてきておる。お主の反対方向にまっすぐ行けば広場があるそこにいけば……」
「ばあさまはどこにいくんだ?」
マナばぁさんの話を遮る少年は空を見上げる。
「また、火矢が降ってくるかもしれない。俺が連れて行ってやるよ」
マナばぁさんは躊躇った。また火矢が降れば二人とも助からないかもしれない。だが、火矢が消えてしまった理由もわからないが、この少年は、火矢が降ってきているにも関わらず『連れて行ってやる』と言う。
不思議な少年だったが、広場にいく気配は微塵もなく、マナばぁさんの手を引いて
「いくぞ」
と歩き始めてマナばぁさんは逆らうことなく同じように歩き出した。
同時に少年は、苛立つように
「せっかく訪ねてきたというのに。まさか攻められているとはな。」
と怒りを言葉に出す。マナばぁさんは
「……争いは何も生まないのじゃが、歴史は繰り返すのじゃな。それが愚かなこととわかっていても、正邪で物事を考えると、実に原始的な方法に出てしまうものじゃの……」
どちらの立場からでも、勧善懲悪のつもりで戦うと言いたいのだろうが、少年は、それは当事者の言い分で、マナばぁさんのように民衆は置いてけぼりになる。
それが許せなかった。
「この国の偉い人は何してるんだ?」
少年の問いにマナばぁさんは
「エミ……エミグランは今ヴァイガル国に行っておる。聖書記の最終儀式のためにの」
「……つまり今、この国を指揮する者がいないということなのか」
「そうなる……じゃが、今は傭兵達が命をかけて戦っておる……わしがその子らが小さい頃から見てきた子達が……命をかけて戦っておる……」
「そうか……」
少年は振り返ることなく小さくそういうと
「その子達を助けに行くのだな? 俺も手伝おう」
マナばぁさんは断った。まだ少年にそんな危険な目に遭わせるわけにはいかないと断った。
「心配するな。俺も会いたい人間がいるんだ。死にやしないし、ばあさまも殺させはしない」
少年の言葉を信じる要素も根拠も何もないが、火矢がいつ降ってくるかもわからない今の状況でそういえる少年の自信は、引く手の強さから感じられ、早く傷ついて苦しむ傭兵達に辿り着きたいというマナばぁさんの思いと一致して、頼るしかなく
「すまないねぇ」
と、少年に感謝を伝えるしかなかった。
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サイは四足でヴァイガル国の前線部隊に駆け寄ると、真ん中付近で縦を構えて腰を落とす兵に体当たりを喰らわせる。
「ぐおっ!」
思いの外、重たいサイの体当たりに腰が浮き上がり後ろに吹き飛ばされると、サイは六尺棒を口から手に持ち替えて、ヴァイガル兵の鎧の隙間を狙って打ち込む。
サイは怒りの感情を燃え上がらせながら、頭は冷静だった。
――こいつらの動き……あの赤小娘に比べたらハエが止まる動きだ――
サイはローシアとの模擬試合で見せた成長、冷静に相手の弱点を突く動きや考え方、次の行動を起こすための情報を、視覚と聴覚で得る。
流れるような攻撃が出来上がっていた。だが、数が多すぎて時間稼ぎにしかならない。だが、逃げる選択肢はもうなかった。
怒声が重なり合って、目に見える全ての兵が剣を抜いてサイを捉える。
「殺せ! 獣人は皆殺しだ!」
サンズから発された命令が前衛部隊全員に伝えられると、「オオー!」と掛け声が重なり合い、サイに向けて集中攻撃が始まった。
訓練されたヴァイガル兵は、崩れた隊列をすぐに戻して、刃先をサイに向けた。
「面白えじゃねぇか。やってやるよ!!」
サイは雄叫びを上げながら六尺棒を振り回して突っ込んだ。兵が剣を突き出すとかわして顎に一撃。左右にいた兵も剣をサイに振り下ろすが、バックステップでかわして剣を六尺棒で打ち払う。
両サイドの兵が、サイを取り囲むように動いていた。
――囲まれるとまずい!――
サイはまだ後ろに下がって少し距離を取る。
すると、ヴァイガル兵はまた横に広がって、少しずつ前進を始める。
「――!!」
兵の後ろからまた無数の火矢が放たれた。
後ろを振り返るとドァンク待ちの方に向かっていた。そして、振り返ってようやく気がついた。
街から火の手が上がっていて、半数近い獣人が倒れていた。
――くそっ……! 俺一人しか戦える奴がいねぇ……街も燃やされてるじゃねぇか……――
矢に火をつける目的は、目的のものを燃やすためだ。無差別に放つ理由は、ヴァイガル国はドァンク街を燃やすつもりでいる。獣人も街も原型を留めずに破壊することを目的としているのだ。
――エミグラン様やギオンがいねぇときに……汚ねえ奴が……――
サイは、人間に嫌悪感を超えて、殺意を覚えた。
こんな事が許されるはずがない。一方的なやり方が罷り通るのなら、今まで何もなく平和に過ごしてきた、あの炎に包まれる街の人達が今まで懸命に生きてきた事。
喜びや悲しみを笑いながら壊そうとしている兵達を近づけさせるわけにはいかないと、ヴァイガル兵達に向き直る。
――一人でどこまでやれるか……それまでに応援が来てくれるか……――
やるしかない、と、雄叫びを上げながら兵達に向けて駆け出した。
サイは善戦といえるほど、戦えた。
両手で数えきれないほどの兵を行動できなくなるほど痛めつけた。
だが、わらわらと湧いてくる兵達がいて、いくら戦っても終わらないと感じ始めていた。
サイは屋敷の襲撃者との戦いを思い出していた。あの時は、今回と同じように終わらない戦いに思えた。
だが、ギオンが来てくれた。仲間が来てくれた。
それで一気に形成逆転した。
今回も街を守りたいと願う応援が来てくれるはずだ。
そう信じる事で、サイは今この場に立っていた。
「囲め!!」
ヴァイガル兵の一人がそう叫ぶと、サイの視線の外で密かに近づいていた兵達が、サイを取り囲むように駆け出して、遅れをとったサイは逃げ場を失って取り囲まれた。
「くそっ!!」
サイは飛び上がって離れようとしたが、無数の矢がサイめがけて飛んできた
――!!
体毛が硬化しているサイの肉体に届くことはなかったが、勢いは止める事ができず、何十もの飛んでくる矢の勢いを止めることはできずに、吹き飛ばされた。
地面に落下したサイは兵達に取り囲まれた。
「そこを動くなよお前達」
兵の後ろで冷たい声が聞こえると、風を切る音が連続して聞こえてきた。
「まじ……かよぉぉぉ!!」
見上げた空には、何十もの弓がサイに向けて無数の矢を引き絞っていた。
弓から放たれた無数の矢が、取り囲む兵の内側、サイの周りに降り注ぐ。
「くそおおおおお!!」
サイは身を屈めて腹側を守るように空に背を向けた。背中に矢の衝撃が響く。矢は身には届かないが、間髪入れず連続して背中を狙われる。
まるで滝に打たれているように、無限に続くように思えた。
――なんで……とまらねぇんだ!――
少し視線を上げてみると、落ちてきた矢は、引き抜かれて空に吸い込まれるように戻っていくところが見えた。
――使われた矢が空に戻ってまた使われてるのか……じゃあ止まらねえじゃねえか!――
背中で鈍い音が響いた。
サイの硬化した体毛が、無数の矢尻が何度も繰り返し襲う事で、割れて欠けた音だった。
――このままじゃ……ジリ貧だ……――
兵に囲まれて、空から振る無数の矢をかわして逃げる方法は、飛び上がって逃げる方法しかないが、矢はそれを防ぐようにサイを叩きつける。
「もはや敵は炎に包まれたネズミよ!前衛部隊以外は前進! 奪い尽くし殺し尽くし……焼き尽くせ!」
サンズの非常な命令が部隊に伝わると、サンズとサイを取り囲む兵が、掛け声と共に走り出した。
――くそっ……誰か……――
サイの背中から割れる音が連続して聞こえると
「ぐあっ!!」
身に届いた矢尻が、サイの背中に突き刺さる。
サンズは口元が解けて笑う。
「矢尻はヴァイガル鉄で作った物。そう簡単には壊れん。お前の体毛の硬さなどものともせんよ。そこでお前が大切なものを踏み躙られるところを見ながら死んでいけ、ケモノ。」
吐き捨てるように言うサンズは高笑いを空に響かせて、眼下に広がる無数の獣人を見て恍惚感を得ていた。
それは興奮に近く、サンズの体の一部にも興奮する現象が現れていた。
――そうだ……俺が見たかったのはこの景色……獣人どもが死に、何もできずに壊されていく住処を眺めて涙して嗚咽し、俺に殺される…… あぁ……ようやく念願叶うのだ……――
サイを屠って、自らの昂りを蹂躙した街で解消すべく、サイに向けられた矢の勢いも増す。
勝利を掴み取るまであと少しだとサンズの笑いは空に響き渡る。
サンズの耳に、綺麗に通る雄叫びが聞こえた。
兵にそんな強い雄叫びを上げるものがいたのかと視線を落とす
――?!
「サンズ様!!」
近くにいた兵長がサンズの前に身を挺して飛び出すと、棒のようなもので鈍い音をたてて吹き飛んでいった。
飛んで行った兵に目もくれず、吹き飛ばした棒のようなものから姿を捉える。
馬に乗ったその人物は、サンズとそっくりな鎧を着ていた。
――騎士団長……か?――
だが顔は見た事がなかった。騎士団長の誰でもない。
「誰だお前は! なぜその鎧を着ている!」
男は無精髭をさすって、槍を手と脇で握り下段に構えた。
「アンタが今の騎士団長かい。馬に乗れない騎士団長とは……随分と緩くなったんだねぇ……」
「騎士団長を愚弄するか……」
「愚弄じゃねぇな。事実だ。」
馬上から降りずにサンズをこき下ろす男はサイに攻撃している弓を見た。
「あれ、俺に向けねぇとお前が死ぬ。いいんだな?」
男は馬の腹を蹴ってサンズに突っ込む。
――!!
サンズは右足に力を入れて飛び避けるが
「ふぅぅん!!」
槍がサンズに襲いかかる。
胸を狙った一撃を間一髪避けたサンズは地面を転がった後、膝を地面について男を見た。
――?!
男は雄叫びを上げながら、サイを取り囲む兵達に突っ込んでいた。狙いはハナからそちらだった。
意識を男に持っていかれたサンズの弓は、静止していた。
兵達は、雄叫びを上げる男が、あまりの気迫に化け物のように大きく見えた。
駆ける馬上から降りおろした槍は、ニ、三人を吹き飛ばし
「うおおおおおおおおおお!!!」
槍を振り回して剣を向けた兵の腕を剣ごと弾く。
この一撃は重く、囲っていた隊形は崩れた。
「サイ!! こっちだ!!」
サイは声のした方向に滑り込むように飛び出して、隊形の外に抜け出せた。
「……すまねぇ……」
サイの背中には、背中の硬化した毛を打ち砕いて刺さった矢が何本も刺さっていた。
「大丈夫か、サイ。」
「わからねぇ……キーヴィは矢に仕込まれた毒で倒れてる……今のところは大丈夫だ……オルジア兄貴」
男はオルジアだった。
毒と聞いて眉を顰める。
「やれやれ、騎士団も堕ちたもんだな。毒を使うとは……」
隊形を崩された兵達は、オルジアという名前を聞いてどよめく。
「オルジア……元騎士団長の……」
「嘘だろ……騎士団長の中でも無類の槍使いだったオルジア様なのか……」
「ドァンクにいたのかよ……」
馬上で見下ろすオルジアは、サイを取り囲んでいた兵達に、知った顔がいない事を確認して安堵した。
近くでうずくまっているサイに。
「そこにいろ。後で街に連れていく。」
力強いオルジアの言葉に何度か頷いたサイの体は痺れが始まって、言葉を返せなかった。
――すぐに連れていくからな。我慢しろよ
「元騎士団長! オルジア・ヴィンセント! ドァンク共和国のため貴様らに槍を馳走する! 死にたいやつから前に出よ!」
怒りが頂点に達したオルジアは、手綱を引くと馬が嘶き、両前足を振りながら浮かせて、兵達の腹に響くほどの雄叫びを上げながら、馬の前足が地面につくと一気に加速して兵達に突撃した。




