第四章 27:地鳴り
イクス教神殿 主聖堂
木製の長椅子が、何十も規則正しく二列に並んで祭壇に向いて並んでいて、間には足に優しい柔らかい赤絨毯が敷かれている主聖堂は、ローシアもレイナも初めて入った。
これまでの儀式は小聖堂で行われていたので、ドァンクの部外者である候補者と護衛は見ることすらできなかった主聖堂の広さに驚きはしたものの、それどころではなかった。
今、神殿内でマナが封印されている。二人はおそらくヴァイガル国の仕業だろうと考えていて、まずは体を少しでも休めようと人がいなさそうなところに逃げてきたつもりだったが、ローシアの天性の方向音痴が神殿内でも発揮され、逆らうことなくレイナがついてきたものの、思った以上に広い場所に来てしまった。
「ま、まあここでもいいワ……」
「お姉様、主聖堂にくるのはもう四回目……」
「あー! うるさいうるさい! 初めてきたところなんだワ!!」
無理やり初めてきた場所だと捻じ込むようにレイナの言葉を封じて、長椅子に座った。
ここにくるまで何度か神殿が揺れるほどの爆発音があったが、二人は爆発音から遠ざかるようにここまでやってきた。
レイナはここまで衛兵どころか人にすら出会っていない事に、えもいわれぬ不安があった。
「それにしても、衛兵もいないなんて……不用心すぎませんか?」
「ギオンが全部やっつけたのかもしんないんだワ……っててて……」
ローシアは背伸びをしたはずみで痛めたあばらを押さえてうずくまると
「お姉様!」
レイナが手のひらにマナを集めてヒールを施そうとするが、何も集まらない手のひらを見て封印されていたことを思い出す。
「ってぇ――うっかりしてたワ……マナはまだ使えないのよね……まだ封印は解けてないんだワ。」
レイナは集まらなかったマナを探るように右手の指頭を擦り合わせながら、物憂げにため息を吐く。
「……ユウト様は……ご無事なのでしょうか」
「……アイツ? まあ大丈夫でしょ。あの右腕も使えてたんだワ」
「ええ。私達がマナを使うことができないのに……ユウト様は使うことができた。」
「そうよ。だから大丈夫なんだワ。きっと」
二人はユウトがマナを使えた理由はわかっていない。わかっているのはこの神殿では今、マナを使うことを封じられていて、ユウトの深緑の右腕は使えると言うことだ。
ローシアはマナの奇跡を体外で起こすことは出来ないが、体内のマナを自然に使って身体能力を向上させることはできるが、体内のマナの動きを封じられており、いつも通りの速さもキレもない。
主聖堂に来るまでの間、これまでの事を少し振り返って考えていたが、ヴァイガル国の騎士団長との戦いには遅れをとっている理由にマナは関係ないと思っていた。
単純に、相対するための地力が足りていない。
今も、騎士団長レベルがこの神殿内にいないと考えるには情報がなく、黙示録の捜索は探しているはずのユウトに頼るしかなく、それまで手負の二人ができることは、極力戦闘を避けることだった。
運良くなのか、そう誘導されているのかはわからないが、シャクナリと戦った後、誰一人として衛兵にすら出会ってはいない。ローシアは眼帯の縁を撫でながら
「衛兵が来たら鎧の音でわかるんだワ」
と、シャクナリが去った後も今も同じことを言っているが、レイナはずっと警戒していた。
「それにしてもアイツ……一人だけマナが使えるなんて……やっぱり普通の人間じゃないんだワ」
「ユウト様は……普通です。普通の人間です。」
ローシアに反対意見を述べて頬を膨らませたレイナは、ユウトの事を思い量る。
――今頃お一人で黙示録を探されているに違いない……でもお姉様と私はマナも使えず怪我もしている……今、お側にいたら邪魔になるかもしれない――
足手纏いになるくらいなら、帰ってくるのを待った方が良いのか、それとも探した方が良いのか。
動き回ってお互いにすれ違うようなことがあるくらいならじっとしていた方が良いのではないか。
考えても結論は出なかった。どの行動にしても最適だろうし最悪かもしれない。
ならば、探しに行く方が良いのではないかという結論に辿り着くところで、外からの物音もなく急に主聖堂の前にある小さな扉が、キィ……と音を立てて動いた。
――!!
ローシアが痛みを堪えて身構えると、刀を壊されて守る術がないレイナの前に立った。
全く気配がなかったドアの奥からは、ユウトと別れて人気のない道を選んできた王女だった。
少し顔を赤らめていたが、二人はそんな事には気が付かず、身構えて王女と距離を取った。
「フン……王女様がこんなところで何しているのかしら?」
牽制するようにローシアが周りに衛兵がいないか気配を探りながら問うと、王女は二人を比べてみるように視線を動かし、ローシアをじっとみた。
「……彼は黙示録の所に行ったわ。貴方達も彼のもとに行くのなら、この扉から行くといいわ。」
「黙示録?!」
レイナが反芻するように言うと、ローシアが王女を指差してさらに問う。
「アンタ……この国の人間が黙示録の在処を教えるなんて……ワナかしら?」
「……貴方達は彼とはちがうのね。彼は私の言う事を信じて向かったわ。」
「あんのバカ……」
ローシアは全く信じていなかったが、レイナは違った。
「ユウト様は……ユウト様は黙示録のもとにむかわれたのですか?!」
王女からユウトの所在を聞いて、まともに信じたレイナは、王女の元に駆け寄り、両手を握って真剣な眼差しで問うと、王女は気圧されるようにのけぞって
「え……ええ。彼は黙示録のもとに向かったわ。」
「……よかったぁ……本当によかった」
安堵と嬉しさが入り混じった様子のレイナは、王女がユウトを黙示録のある場所に案内したと完全に信じ切っていたが、ローシアは疑っていた。
「アンタ、そもそもここで何をしているのかしら? 今日は最終儀式が行われるのに、王女がここにいることがよくわからないんだワ」
「……随分と察しが悪いのね。」
「さっ……! なんですってぇ?!」
「お姉様……お静かに……私たちは少なくとも今は隠れているのですから」
ローシアは、カチンと来たらどこにいようが関係なく声を張るので
「うっさいわね! アンタ! 騎士団長をぶつけてくるような国の王女の言う事をまともに信じるなんてどうかしてるワ!」
と、見つからないように隠れているのが嘘のような大声を出してレイナに指を何度も振り下ろして責めると、王女は
「彼……ユウトという名前なのね。」
と初めて知ったらしく、理解を深めて何度か頷いていた。
「アンタ! そんなことも知らないで黙示録のところに案内したっていうのかしら!」
「そうよ。黙示録を案内するのに名前を知る必要はなかった。だから聞かなかった」
「あーそうなのかしら! じゃあアンタがユウトが向かった先を話すのに名前を言う必要なんてないワ! さあ! 教えなさいよ!ユウトが向かった先を!さあさあ!!」
ローシアの音量は綺麗に壊れたようで大きくなるばかりだった。こうなるとレイナが嗜めても無理で
「まあまあ……落ち着きましょう。お姉様」
「あまり声を出さない方がいいわ。衛兵は少ないけど見つかるかもしれない」
「アンタもうるさいわね! そもそもなんでこんなに衛兵が少ないのよ! 一人しかいない王女が見つかって、山ほどいる衛兵がいないなんてどうかしてるじゃない!!」
衛兵が少ない事に突っ込むローシアに、王女は
「おそらく、出払ったのよ。」
とあっさりと答えた。
「出払ったってどこへよ!!」
**************
ヴァイガル国から放たれた伝令は、ヤーレウ将軍の命令を携えて目的地に向かって、馬にまたがり鞭を入れて走らせていた。
懸命に手綱をしごきながら、伝えるべき事を頭で何度も復唱しながら、ひたすら馬を追う。
ヴァイガル国を出て、神殿方面から爆発音が響いだ時は歯を食いしばりながら馬を追った。
――今に見ていろよ、ヴァイガル国に舐めたマネをしたツケは払ってもらうからな!――
伝令が、これまでで一番馬を必死に追い、その気配を、動物でありながら只事ではないと察知して懸命に走る馬もお互いに風を浴びながら涼しいなどとは思えぬほど汗が流れていた。
伝令は、想定していた時間よりも速く、ヴァイガル国の旗が無数に乱立している集まりが見えた。
ドァンク街は物見台が備え付けてある。
街の自警団が持ち回りで登板をしていて、平和な一日を長閑な風景と、居眠りしそうな陽気を感じられる場所だった。
今日も、本日何度目かわからない大あくびをしている獣人が、眠たい目を擦り
「昨日飲みすぎたな……」
と反省のない原因をのたまう。
それもそのはずで、物見台の当番なら昼寝ができると思って寝酒が進み、普段の倍は果実酒を飲んでいて、二日酔いだった。
締め付けるような痛みの頭痛を側頭部を軽く叩きながら一眠りしようかとまた大きく口を開いて欠伸をすると、エドガー大深林方向から砂埃が舞い上がりはじめた。
「なんだ? 風も吹いてねぇのに……」
額に日差しのように手を広げて当てて目を凝らす。
「あれは……――!!」
ヴァイガル国の国旗が無数に立っていた。
砂埃の前には横に並んだ馬がドァンク街に向かって来ている。
「……来やがった……本当に来やがった……」
二日酔いが完全に覚めて、そばにあった木の槌を握って、天井からぶら下げている鐘を腕が千切れんばかりに振って三回叩く。
一拍止めて、また三回叩く。
ヴァイガル国とは戦争状態であるドァンクの鐘の音の合図は、ドァンクに長く住む者は皆知っていた。
『ヴァイガル国から攻撃の兆候あり。直ちに避難』
これまで鳴ったことがなかった三回の鐘の音は、まさか、本当に?と疑って聞いていたが、少しして他の物見台からも鐘が三回鳴り始めた。
鐘の音がぶつかり合って全身で感じられる不協和音は、一気に住民達の恐怖を煽る。
自警団は、仕事から、休日から自警団の任務に走り出し、逃げ惑う住民達の誘導が始まっていた。
結界の魔石が各広場に設置され始め、二百年の建国の歴史に、戦いの歴史が刻まれようとしていた。
一方で、ミストドァンクの外では獣人傭兵が集まっていて、オルジアも鐘の音を聞いて表に出ていた。
通常の依頼はオルジアの判断で止めていた。
儀式の前日の夜に、エミグランから聞かされた話があった。
『おそらくじゃが、最終儀式はわしが初めてヴァイガル国に招待されて向かう日。街に何か被害を加えるとする機会としてはうってつけじゃ。もし何かあればそなたには町を守ってほしい』
オルジアは返事はできなかった。
まだ未練があった。
ヴァイガル国に、そして過去に。
昨日の夜から、自分に過去が断ち切れるかと自問自答してまともに寝ることすらできなかった。
儀式の出発の時、馬車でエミグランに視線を送られたとき、任されたのだと確信した。
信じてくれた者を裏切ることなんてできない。例え祖国を裏切る事になっても、守るべきものがオルジアの周りにはたくさんあった。
外で泣きながら逃げる獣人の母子達
武器を使ったこともない獣人が震えながら手にして、励まし合いながら「やるしかねえんだ! この街が落ちたら、獣人はもうおしまいなんだ!」と震えながら鼓舞する者。
一様に、負けたら全てが奪われる事を知っている。彼らにとって、獣人戦争から、もう二百年ではなく、まだ二百年なのだ。
いろんな言葉を纏いながら伝え言い聞かされてきた言葉が、今の彼らの行動の中心になっている。
――俺たちの、自分たちの居場所を護る――
言葉は不要だった。
「オルジアアニキ!! 俺たちも……俺たちも戦うぞ! いいよな?!」
サイが顔を真っ赤にしてオルジアに許しを乞う。
堰を切ったように周りの獣人傭兵達も声をあげる。
護るものがある。だから戦う。
戦いのきっかけは複雑でも、理由はいつだってシンプルだった。
止める理由なんかない。命をかけて戦わなければならない時に、出端を挫くような言葉は野暮になる。
必要なのはただ一つ。
戦う彼らの達の心を一つにすることだ。
オルジアは、覚悟を決めた。
「いいかお前ら! 負けて奪われるのは命や財産だけではないぞ! お前たちの大切なものを護るために、剣を取れ!! 槍を持て!! この街を護るぞ!!」
獣人傭兵たちの地鳴りのような声が、空まで響き渡った。




