第四章 25:久しぶりだね
イクス教神殿 裏口付近
通常時に使われることはほとんどない最深部には、念のためという理由で作られたらしい裏口があった。
大神官は衛兵たちとリン、ミシェルを引き連れて早足でたどり着いた。
大神官は埃っぽい通路を、手のひらほどの布で鼻と口を隠して裏口の扉の前に辿り着くと、錫杖を置いてからノックした。
すぐに扉は開かれて外の光が入り込み、薄暗い中を歩いてきた全員が目を細めながら外に出た。
裏庭の芝生の上に、違和感のある紫ローブの人物が立っていた。
「いやぁ……大神官殿、素晴らしい成果です。ええ。ええ。」
ほっそりとした顔つきにギョロリと剥き出した作り物のような目で大神官達をじっと見つめていたのはアルトゥロだった。
「アルトゥロ様。この小娘が候補者にございます」
大神官はアルトゥロを『様』をつけて、深々と腰を折って頭を下げる。
大神官が促すと、衛兵達は、涙で顔をぐちゃぐちゃにしていたミシェルをアルトゥロの前に差し出す。
「素晴らしい!! すんばらしい!! このクソガキが候補者なのですね!!」
アルトゥロがミシェルの頬に手をやると、衛兵に拘束されていたが、猛烈に拒絶して顔を振り、四肢をばたつかせて拒否を示す。
「んー!そんなに嬉しいのですね? まあ、あなたは後でじっくりとねっとりと吟味しましょう……で、エミグランはここにきたのですかね?」
「……間違いなくアルトゥロ様のご慧眼通りに」
「ふふふ……ははは……ハッハッハッハッ!!やはりやはり!!」
大神官の目は、あのアルトゥロが他人を操る時に見せる十字架の模様があった。
衛兵達も同様に、アルトゥロの手中に堕ちていた。
リンはこの不気味な漢がアルトゥロと知り、わずかに怒りの感情が芽生えた。
――この男が……イシュメル様を殺した張本人で、プラトリカの海の最優先人物……
「んー……何か言いたそうな顔をしていますが、残念ながら私は忙しいのでね……はー魔石がいくつあっても足りやしない。アグニス王に頼んで生産を増やさねばなりませんね……」
自分の意見がまとまったのか、パチンと指を鳴らしたアルトゥロは指を立てて
「まずは、そのメイドを始末しなさい。この結界の中ではマナは使えませんからねぇ……」
両腕を拘束されたリンは、エミグランに耳打ちされた事を思い出した。
――今が、その時。――
リンは結論を出した。
今まで従うように腕を掴んでいた二人の衛兵の下に一気に体重をかけてしゃがみ込むと、衛兵同士が鎧と頭をぶつけた。
二人の腰に刺していた剣を抜き取ると、まず周りの四人の首元を回転して両手の剣を使って切りつけた。
衛兵たちは声を出す間もなく、首から鮮血が吹き出して、ようやく斬られた事に気がついて恐怖で叫び、血を抑えようと傷口を抑えるが無駄たった。
あまりの鮮やかな剣技に、少しだけ見とれて、我に返った大神官は
「な、何をやっとるか! はやく……早くその女を殺せ!」
リンは冷静だった。すでに『殺す』と結論づけた相手に容赦はしない。
マナを使った身体能力に頼らないリンの剣技は、エミグランの鍛錬によって常人のそれを凌駕していた。
衛兵の十人くらいならば、取り囲まれようがどうということはなく、ようやく剣を抜いた衛兵の手首を、素早く衛兵たちの間を目にも止まらない速さですり抜けて、剣を構える前に剣でへし折る。
「ぎゃあああああ!」
「うぐぅああああああ!!」
衛兵達の悲痛な叫びが空に抜けていく。
手首をへし折ったのは、一人目の首を斬りにかかった時、手にかかる応力で斬れ味を判断したからだ。
数打ちの剣は斬ることにこだわるな。
過去にエミグランに習った教えをそのまま純粋に信じきって、ただ習った事を披露するだけのつもりで、衛兵の悲痛な叫び声を曲に、剣と舞う。
最後まで残していたミシェルを捕まえていた衛兵だけが残ると、あまりにも一方的なリンの動きに何をしていいのかわからなく錯乱していた。
リンは衛兵の喉元に向けて、剣を槍投げの要領で背筋を使って腕に伝えて投げると、顎下をかすめて勢いで喉に刺さり、ガクガクと震えながらミシェルを離して背中から地面に倒れ込んで動かなくなった。
やっと解放されたミシェルは、目に涙を浮かべてリンの元に転けそうになりながら走った。
リンは目線でアルトゥロと大神官を牽制しながら、泣き出したミシェルが脚にしがみつくと頭に手を置いて撫でた。
「よくがんばりましたね。」
リンの優しい声がミシェルがずっとと心を支配していた不安が弾けて、大声で泣き出した。
大神官は衛兵がまさか一人の女に全て殺されるとは夢にも思ってなく、青ざめた顔でアルトゥロの方に後退りする。
「んー……やはり衛兵では無理でしたか……やむなしやむなし。」
と、リンの後ろで神殿の壁が内側から爆発した。
「ひいいいいい!!」
情けない声で耳を塞いでしゃがみ込んだ大神官の前にアルトゥロが歩み出る。
「……やはり来ましたか。」
破壊された壁の大きな穴から、エミグランが現れた。
「リン。ご苦労だったの。」
「いえ。問題ございません。」
アルトゥロは高らかに笑い、エミグランの前に歩み出る。リンはエミグランとミシェルに身を挺してアルトゥロが近づくことを阻止しようとすると
「よい。わしも奴には話がある」
エミグランもミシェルをリンに任せて前に出た。
二人が同時に前に歩み出て、対面する。
最初に口を開いたのはアルトゥロだった。
「愛弟子エミグラン……随分とお年を召されたようだねぇ」
「フン……随分と探したよ。まさかまだここに残っているとはね。見た目も随分と変わってしまったようだね。」
「私の力は神から頂いたものです。見た目なんてどうでも良いのですよ……」
エミグランは神と言うアルトゥロを鼻で笑う。
「……まだそんな事を言っておるのか。神などおらぬよ。誰かに都合の良い神など存在しない。」
「都合が良いのは貴女でしょう? エミグラン……愛弟子たる貴女は裏切り者だ……もうお忘れなのか?」
アルトゥロがわなわなと震え出し、怒りを堪えながらエミグランを指差す。
「私は残された者として……崇高なる理想のためにたった一人で歩む決意をしたのですよ。ええ。ええ。ですか……貴女は逃げた。そして黙示録を壊す選択をした!!」
アルトゥロの口から、黙示録の破壊が明言されると、大神官は驚き「そんな……ばかな!」と大きな声で二人の間に水を刺す。
アルトゥロは舌打ちし、大神官の方も見ずに手を向けると。
「黙りなさい。下賤な老耄」
「うぐっ!!」
大神官の体に向けられたアルトゥロの手から炎が生み出されると、中心核に集まるように炎が圧縮されて、白い光を放つ先端を尖らせた矢の形になって、弓で放つ以上の速度で、吸い込まれるように大神官の胸を貫いた。
「……ア……アル……トゥ……ロ……さ」
貫かれた体の傷から、わたに火をつけたように一瞬で全身に炎に包まれ、亡霊のようにふらふらと少し彷徨った後、地面に倒れ、動かなくなった。
「大神官も、お主が用意できると言うことか……」
察しているようにエミグランは言った。
「さすがは愛弟子ですねぇ……その通りですよ。貴女がここに来た理由である、プラトリカの海で生み出せるのですから」
「お主の目的は相変わらず利己的じゃな。何かを生み出せる気になっているだけじゃ」
と、アルトゥロの両手から、先ほどの炎の矢を五本、目にも止まらぬ速度で生み出してまとめてエミグランに放つ。
エミグランは、後ろの二人に「動くなよ」と言うと右手を前に出すと、円を描くように矢を全ていなすように集め、頭くらいの大きさの玉に変えると、結界に目をやってから、そこにはなった。
結界に放られた光の玉は、触れた瞬間に大爆発を起こし、爆風による突風が四人をすぐにおそう。
身を挺してミシェルを守ったリンは、突風が抜け落ち着いて、爆発のあった方を見ると、神殿の外塀にぽっかりと穴が空いて外に出られそうだった。
結界も破れたらしく、外から人々の叫び声や怒声が外気と一緒になだれ込んできた。
「リン。そこから外に出てミシェルと屋敷に戻るのじゃ。」
しゃがみ込んでミシェルを抱きしめるリンは「エミグラン様は?」と問うと、アルトゥロを見据えながら答える
「わしは古い友人とまだ話し足りなくての……それに神殿内にはまだ全てを知る者達がおる。わしだけ帰るわけにはいかんよ。」
リンは躊躇ったが、すぐに
「承知いたしました。」
と胸の中で泣くミシェルを背負って、エミグランとアルトゥロを一度見てから駆け出した。
結界に開いた大穴から、二人が出るところを見送ったエミグランは、アルトゥロに視線を戻した。
「……さて、久しぶりの再会じゃが、お主に聞きたいことはもう無い。」
「フフフフフ……私もありませんねぇ。ええ。ええ。」
エミグランは手を胸の前で叩いて合わせて開くと、黒い禍々しいオーラが溢れるように出てくる。
「感動の再会にならんな……あまりにも時間が経ちすぎたの……じゃが、奪ったプラトリカの海は返してもらおうか」
アルトゥロも、両手に炎を舞い上がらせ勢いを激しくさせると
「……奪ったつもりはありませんね……私のところにやって来たのですから……ええ」
「……相変わらず、一言多い男じゃの」
「年齢を重ねると僻むと言いますからね……ええ。特にハーフエルフの女性は……ふひひ!」
二人同時に、手の中に生み出した黒と炎のエネルギーをお互いに向けて放った。
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ユウトはギオンと合流し、ギオンに一階でミシェルを連れ去った衛兵たちの捜索を頼んだ後、石畳の階段で地下におりていた。
走っていると天井から神殿全体が揺れるような衝撃音が響いて来た。
「二回目だ……上で何かあったのかな……」
レイナとローシアと分かれてからユウトはずっと黙示録の場所を探していた。
途中でミシェルが見つかる事が理想だが、ギオン曰く、「恐らく狙いは、候補者をヴァイガル国のものにすること」
おそらく神殿から、匿われる場所。高い確率で城内へ連れ出される可能性が高く、ギオンには入り口が複数ある一階の調査をお願いし、ユウトは地下におりていた。レイナとローシアのことは心配だったが、ミシェルを見つけ出す事、黙示録を探す事を同じ優先度にして神殿地下を走っていた。
途中に衛兵が襲って来たが、深緑の右腕の相手ではなく、うまくいなしては気を失うほどの当て身で潜り抜けていた。
地下にも衛兵が待機しているところを見ると、目的地は近いかもしれないと、少しは期待できる兆候だと思っていた。
――必ず見つかるんだ……黙示録も、ミシェルも……絶対に!!
辺りの様子をくまなく観察しながら走る。
だが、ユウトの心臓が一度激しく高鳴った。血が逆流しそうになるほどの高鳴りで、うっ、と呻いて胸を押さえ、足が止まった。
「なんだ……今のは……」
同じ経験があった。なぜか覚えていた。それがいつのことなのかが思い出せなかった。
前から足音が聞こえた。コツ……コツ……と、明らかに衛兵とは違う軽い音だった。
――誰だ……誰がくるんだ……
ユウトは胸を押さえて近くの柱の陰に身を隠す。
歩いてくる足音がだんだんと近づいて来ると、合わせるように、まるで手でぐっと心臓を握られ、締め付ける指に抗う鼓動で心臓もはち切れそうで苦しい。
走っても息は上がらなかったが、心臓を握られたような苦しさで、呼吸が小刻みになりますます苦しさが増していく。
足音はユウトのそばまでやって来た。柱の陰からそっと顔を出す……
――……あ……あの子は……
初めてヴァイガル国に来て、自分の無力さを知り、エミグランに呼ばれたとはいえ逃げるように出て行く前に見た馬車の中。
黒髪の長い髪と、赤ちゃんの拳ほどの大きな赤い宝石のネックレスをした王女。
見ただけで怒り狂って我を失いそうになったあの王女が、ユウトを見下ろしていた。
その目はとても冷たく見下されているようにしか見えなかった。
鼓動が激しく危険を訴えるノックのように不規則に速くなると同時に呼吸も荒くなり、呼吸も浅く速くなっていく。
「き……君は……ゆ、夢に……出て来た」
うまく喋ることもできないほどに息苦しい。
じっと見つめる王女は、ユウトを軽く品定めした後
「あなたの望む場所に連れて行ってあげる。ついて来なさい」
と言ってユウトから視線を切り、王女がやって来た方向に向かって歩き出した。
不思議だったのは、あの夢で聞いた王女の声色とは全然違っていた。




