第四章 24:命、だいじに
『捨て身』
死に物狂いよりも次元の違う作戦をとった姉妹の目は、その覚悟を心に宿した者の目だと、一目見ればわかる。
シャクナリは二人も命をかけた人間との戦いに思う事は、純粋な疑問だった。
命よりも大切なものがあるのだろうか、生きてさえいればできる事はある。
死んだらおしまいなのだ。
命を賭して自分に向かってくる価値は二人にとってはあるのだろうが、本当にそれで良いのかと、膝を突き合わせて聞きたくなる。
だが、今、おそらくは二人の耳には届かないだろうし、死ぬ事は逃げることにならないか?と問うても、聞き入れはしないだろう。
ちょうど朝に見た、レオスの決意に満ちた顔を思い出す。よく思い出せばレオスの目は、今のこの二人に似ていた。
命をかけるほどの意味。それは聖書記の事だけなのか疑わしくなった。
何か怪しいところはなかったかと二人を視線で牽制しながら考えていたが、一つだけあった。
深緑の右腕だ。
あれは間違いなくマナによる力だ。普通の人間ならマナを扱える事は絶対にあり得ない。なぜなら、かなり前に、騎士団長全員が封印されるかどうかを検証して、見事に全員が全く使えなくなったからだ。
騎士団長は人体魔石を埋め込んでいる者もいて、常人の扱えるマナの量を凌駕している。
まず、常人ではない。
そして、騎士団長以上のマナを扱える人間となると、かなり選択肢は絞られて、思いもよらぬ結論が出た。
――……まさか……ね。
シャクナリの動きを探る姉妹は、まさかシャクナリの頭の中で、ユウトが全てを知る者と疑われている事は知る由もなく、次の攻撃を仕掛けた。
シャクナリは捨て身の二人の相手をする事に躊躇いはなかったが、攻撃を防ぐと致命傷になる攻撃が最速で来る。
防御は致命傷。動きが鈍ればシャクナリに致命傷の一撃が間髪入れずに来る。
二人の攻撃は必ず避ける必要があった。
落ち着けば見切れるものではなく、常に集中して一つ一つの攻撃にゆとりを持って避けなければならないし、逆にギリギリで避けなければ間に合わない。
ローシアの後ろ回し蹴りをのけぞって避けると、足元にレイナの刀が這うように撫で斬りが続いてくる。
足を上げて避けると間髪入れずにまたローシアが胸元に拳を放つ。
――避けきれない!
身を捻って避けたが、わずかに脇腹をかすめた。
「まだまだ!」
レイナは袈裟斬りで、シャクナリの左肩目がけて刀を振り下ろした。
それを鉄のツメで弾く。
また金属音が響くと、シャクナリはニヤリと不気味に笑い口角を上げた。
刀を弾かれ、一番近くでその顔を見たレイナは、まだ余裕を見せたシャクナリの表情が癪に触った。
弾かれた力を利用し、刀を持つ手を残して横に回転して、手首を捻り、体で刀身を隠して逆袈裟斬りを放つ。
あまりの速さに大きく後ろに飛び退くと、わずかに跳ぶ瞬間が唯一の好機と狙っていたローシアは、シャクナリの後ろから羽交締めで絡みつくようにしがみついた。
「レイナ! 今よ!」
「なにをやってんねん?! あんた死ぬつもりか!!」
脇の下から両腕を絡ませて、鉄のツメを自由に動かせないように拘束して、丹田から下に重心を落とす。シャクナリは後ろに引かれるような重さがかかり重心が定まらない。
「早く!」
レイナはすぐに切先をシャクナリに向けて、刃を上に向けるように持ち直して、刀身の真ん中より先の棟に左手の人差し指と親指を広げて添え、シャクナリの胸を狙い、跳んだ。
全体重を刀に預けるために跳び、添えた左手の人差し指で狙いを定めて、右腕を伸ばした。
迷いはあった。だから跳んだ。
全体重がかかる突きなら、止める事はできない。
レイナの目尻に涙が浮かぶ。
走馬灯のようにローシアとの思い出がフラッシュバックしたのは、この突きがシャクナリの胸を捉えたら、ローシアを殺してしまうとわかっていたからだ。
きっとローシアは、確実にシャクナリの息の根を止めるために、自ら離れるような事はないだろう。
自分の胸にまでこの刀が突き刺さって、初めて手を離すはずだとわかっていた。
跳ぶまでに、レイナがローシアへ思った事は
――ごめんなさい……お姉様……――
レイナの刀を持つ手に衝撃が走ったが、まるで空気をついたような感覚だった。
自分の使う武器は、体に馴染むと体の延長のように使いこなせるというが、レイナの刀はまさにそれで、突いたはずの刀の感触がなかった。
目の前にはまだシャクナリの余裕の笑顔があったが半分隠れていた。
隠してきたものはシャクナリの脚だった。
なぜそこに脚があるのかと見上げると、銀色の刀身の一部が回転しながら浮いていた。
「……やっぱり、あまちゃんやね?」
シャクナリが高々と上げた脚の膝がたたまれて、レイナの喉元にかかとで蹴りがはいった。
「レイナ!」
ローシアの拘束がわずかに緩んだ。
シャクナリは肩甲骨を背骨側に柔らかく移動させてさらにローシアと隙間を作り、左腕を上げて頭が抜けるスペースを作り、ローシアの腕を掻い潜って頭が抜けた。
――しまった!
ローシアは抜けた腕で正中線を守るように正面を硬く守ったが、スルリとローシアの側面にすり足で移動し、腰を落として背中でローシアを壁へ突き飛ばした。
「ガハっ!――」
背中で肋骨を圧迫され、肺の空気が無理やり押し出された後、壁に全身を打ちつけた。
「……危なかったわぁ……」
地面に落ちた、刀身の残骸を拾ったシャクナリは、膝をついて喉元を押さえているレイナの側に投げた。
「刀の限界……気がついてなかったん? 弾いた時の音でうちはあんたの刀にヒビ入っている事に気がついたけど。」
「ヒビ……」
レイナは呆然とシャクナリを見上げて、投げられた残骸に視線を落とすと、両手を床につけて、自分の武器にすら気が回っていなかった成れの果ての折れた刀に心で泣いて謝った。
レイナの刀が折れた事で、二人の戦闘能力は格段に下がった。
もう反抗できる手段はない。せめてマナが使えればまだ違ったかもしれないが、それでもシャクナリに敵うかどうかわからなかった。
そして、生殺与奪の行方はシャクナリに委ねられる事になる。
当のシャクナリは、鉄のツメを外し、手首を何度か振って、大きくため息をついたのちに、ローシアの前に歩み寄った。
眼下にはシャクナリの足が見えた。
「……好きにするがいいワ。」
精一杯の強がりだった。
「そう? なら好きにさせてもらいます。」
そっけなく返したシャクナリは、精一杯の力でローシアの頬を平手打ちした。
「えっ……」
何が起こったのかわからないローシアは、一瞬時が止まったようになり、熱く痛む頬を撫でた。
もう何年も味わっていない痛みだった。
「アンタ……最悪なお姉さんやね。」
シャクナリの眉は眉間に皺を寄り、顔も少し紅潮していた。明らかに怒気を纏ってローシアを睨みつけていた。
「うちからするとアンタの命の価値は無いのよ。別にあろうがなかろうがうちは困らない。でも、アンタの妹はどうなん? アンタの命は、何物にも変えられないものなのと違うの?」
「……」
「アンタ達の目的は、きっと候補者のこと以外にもあるんやろ。なんとなくそれはわかる。でも、命をかけるのは多分、今やない。絶対に違う。肩に力入れて生きてもしゃぁないで?」
「……ふざけないで……」
「ふざけてんのはどっちよ? 捨て身の攻撃を華麗にいなして二人の命を救ったうちを褒めてもええんとちゃうか?」
「……ふざけんなって言ってんのよ!」
ローシアの立ち上がりながらの右ストレートは空を切った。
「アンタに何がわかるのよ! アタシたちの何がわかるって言うのよ!」
続け様に左ストレート、ミドルキック、回し蹴りを繰り出すが、全く当たる気配すら感じさせないシャクナリの身のこなしに、ローシアはさらに苛立ちを募らせる。
力任せに殴りかかるローシアの拳をシャクナリは手で受け止めて握った。
「アンタら、黙示録が狙いなんやろ?」
――!!
「そんで、あの緑の腕の子……マナを封印できないほどの力を持ってるって事は、全てを知る者と違うか?」
騎士団長の口から、姉妹がこれまで他人には言ってこなかった秘密を告げられて、同時に心臓が高鳴ったが、ローシアがすぐに返す。
「……例えそれが事実だとしても、今ここで、はいそうですと言うとでも?」
「……ふふん。確かにそうやな。まあその答えがなんとなく本当ですと言っているような気もするんやけど、アンタらはきっと言わへんな。」
シャクナリは両手を広げておどけて背中を見せた。
「もううちは帰るわ。目的は果たしたし。これ以上は残業になってしまうから」
「目的……?」
「そうよ。内容は言えへんけどね……うちをここまで追い詰めるくらいの力があれば、衛兵掻い潜って逃げることも簡単やろ。」
逃げる。という言葉にローシアは引っかかった。逃げるなんてありえない。こんなにずっと待ち望んだ黙示録の破壊に手がかかっている状況から逃げることなんて、ハナから考えていなかった。
「黙示録拝みたいならいったらええよ。ついでにうちの設置した封印の魔石も壊しといてくれたら助かるわ。」
この国を守る騎士団の長とは思えない一言だった。現にシャクナリは、二人に興味を失っていた。
黙示録に行けと、まさか言われるとは思っても見なかった二人の間にわずかに光が宿る。
だが、ローシアはその思いと同時に、まるで餌を与えられた獣のように気持ちが高揚している自分を戒めた。
二人は魔女の末裔なのだ。
血縁者はお互いだけで、過去を遡ることすら困難な血筋なのだ。
黙示録の壊し方はわからないものの、これまで、魔女の末裔である自分達が見たことがない黙示録は、どんな大きさなのか、どんな形をしているのか、どんな材質なのか、と見て触ることができる機会があれば、壊す算段だってできる。
これまで、その機会すら与えられなかった末裔たる二人がここまでやってくることができたのだ。
それまで魔女の末裔がどれだけ不遇なあつかいをうけてきたか、シャクナリが知り得るはずがない。ぬくぬくと人間として魔女狩りとは無縁な人生を歩んできたであろう、この目の前の女が、気やすげに知ったような口をきく事が腹立たしかった。
「……知った風なことを言わないで……」
怒りに震えていたローシアが、今シャクナリに反抗できる手段はもうなかった。だが、言わずにはいられなかった。
「……まあええわ。ここからは好きにし。アタシは用事があるから行くけど、また捨て身で襲ってくるなら次は……」
シャクナリの怒気は、殺気に変わる。
目を見れば人を殺す前の目は明らかに感情豊かな人間の目ではない、魚のような、猫のようなと言えば聞こえはいいが、人を無機質に見ている目でシャクナリの目はまさにそのものだった。
「もう手加減せぇへんよ。」
まだこの女は力を隠していたのか…… とローシアは愕然とした。
ローシアの心が折れた顔を見たシャクナリは、一安心して笑顔に戻った。
命を無駄にするもんじゃないと思いながら
――無駄に扱っていいのは、【下品な男】よ
と、少し舌舐めずりした。
「ふふん。ほいじゃあね? お二人さん。またどこかで会えたらええなあ」
シャクナリは心からそう願って、俊敏に大神官たちの向かった方へ走り出した。
二人は捨て身の必死もシャクナリには通用しなかった事実に打ちひしがれていた。
二対一という明らかに有利な情況で、負けた。
シャクナリはまだ全ての力を見せてはいなかったはずで、二人のこれまで積み重ねてきた鍛錬の結果は、思ったものにはならず、膨れ上がった期待は音を立てて崩れた。
悔しくて、情けなくて、涙が出てきて頬を伝う。
これまで懸命に、真剣に命を賭してやってきた事が、すべて無駄だとシャクナリに言われたようだった。
だが、シャクナリの言うことも事実だと思った。
捨て身の攻撃をすると判断した事を後悔していた。
あの時、シャクナリを羽交締めにしてレイナの突きが迫ってきた瞬間に死にたくないと思ってしまった。
覚悟なんて出来てなかった。そう見せかけていただけだ。レイナには覚悟をさせてしまったのに、土壇場で往生際の悪さが自分を支配したことに、情けなくて涙を流しながら乾いた笑いで自嘲した。
レイナは、ローシアの後ろから、優しく包むように両腕で抱いた。
「……レイナ?」
後ろでレイナは啜り泣いていた。
「……もう、ダメかと思いました……お姉様をこの手で殺すなんて……」
レイナも、決意なんてできていなかった。唯一、血のつながった姉なのだ。
「私は……もうあのような事は二度とできません……お姉様を……失いたくないです……」
と、絞り出して言うと声を上げて泣き出した。あまりにも激しく泣くレイナに困惑したが、ローシアはこの泣き方を知っていた。
小さい頃にローシアがドワーフの村から少し離れたところにある小さな原っぱで無邪気に走り回っていた時、レイナが置いて行かれたと勘違いして泣き叫んだ。あの時の泣き方ににていた。
二度と追いつかない所に行ってしまうと感じたレイナは、あの時も、今も同じように泣いていた。
ローシアはやはり自分はどこまでいっても不甲斐ない姉であると、あの時と同じように大声で泣きそうになる、姉としての自覚のなさを、また後悔した。




