第四章 23:二人の覚悟
ユウトが跳び、上から深緑の右腕を振り下ろすところを視線に捉えた瞬間、刀を構えてまっすぐ向かってきているレイナの姿も同時に捉えた。
ーー……様子見やな……
シャクナリは後ろの壁の近くまで下り、壁を蹴ってユウトのさらに上に向けて跳ぶ。これで背後に回って着地しようとしていたが
――!
シャクナリはレイナの背後まで見てはいなかった。
「おりゃああああ!!」
ローシアがレイナの背後から地面を蹴ってシャクナリに飛びかかってきた。
――チッ……小賢しいことするやん
方向転換できないシャクナリは、攻撃に転ずる事はできないと、ローシアの固めた拳を腕を畳んで受けた。
まるで大きな鉛玉をぶつけられたような衝撃が腕を通って天井に弾き飛ばされた。
シャクナリは思いもよらない衝撃で顔を歪めたが、後転して飛ばされた天井に足をつけて衝撃を逃し、鉄のツメ天井に刺して、着地する前に上から全体を見た。
――小さい体の割に馬鹿力なのね……
ローシアとユウトが着地して
「アンタ! 早く行きなさい!」
「――?!」
と、ローシアは急かし強くユウトに言う。
レイナは天井のシャクナリを見ていて刀を中段に構える。二人が残ってシャクナリの相手をするつもりだとすぐにわかった。
しかし、ユウトは反対だった。
「ダメだよ!二人でどうにかするなんて……僕も戦う!」
ローシアは
「バカ!ここは、アタシたちにまかせて。アンタにはやってもらわないといけない事があるんだワ!」
ローシアが何を言おうとしているかわかっていた。リオスとシャクナリが二手に分かれて、こちらは四人だ。このあとに衛兵の応援が来ないとも限らない。シャクナリを足止めして、ミシェルを追い、黙示録を探すチャンスでもある。
「何を大胆に話してるんや? うちがぶら下がってるだけとでも?」
天井のシャクナリが朗らかにそう言うと、近くにあった壁を蹴って、目を見開きユウトに向けて飛びかかる。
「――!」
あまりの速さに反応が遅れたが、かろうじてシャクナリを避けたが、頬が熱かった。
指先で触れると水っぽい感触があり、見ると血が付着していた。
「どこ見てるんや!」
シャクナリの鉄のツメがユウトの胸を目掛けて直進していた。
キィン!と金属音が響く。
レイナが目の前に立ってシャクナリのツメを刀で受けていた。
「ユウト様……早く!」
ガチガチとツメと刀が押し合う音と、力が拮抗していて二人の腕は震えていた。
ローシアは駆け出して
「レイナ!」
と叫ぶと、間髪入れずにローシアの飛び蹴りがシャクナリの顔目掛けて飛んできた。
呼ばれたレイナは力を振り絞って弾きしゃがむとシャクナリはまた防ぐことしかできず、顔の前で腕を組んで弾いた。
ローシアの一撃は重く、腕の下で口が歪む。
「今よ! 早く!」
ローシアの声に身体が反応するようにユウトは大神官が向かった方に駆け出していった。
二人の思いを無駄にするわけにはいかない、と、抵抗する思考を振り切った。
「ギオン! アンタも行って!」
両手剣を構えていたギオンは、姉妹の攻防の間に入る事はできないと思っていた。
姉妹の息のあったコンビネーションの間に入る余地はなく、ローシアの提案は二人が何も気にせず戦うためのものでもあると理解していた。
実際にローシアもそう思っていたが、それよりもユウトを一人にすることが心配だった。
レイナにはユウトから離すような決断をして申し訳なかったが、何よりも姉妹が優先すべき事案は『黙示録の破壊』だ。
そのためなら命も惜しまぬつもりでいたレイナもローシアと思いは一致していた。
今が千載一遇の好機なのだ。長年、先祖が虐げられてきた運命に終止符を打ち、幕を下ろして、新たな世界が始まる鐘の音は、黙示録を破壊以外にないのだと。
「お願い! アイツを守って!」
そして、姉妹はユウトを絶対に失いたくなかった。ローシアの願いは悲痛な叫びにも聞こえて心に響いたギオンは、三人の様子を後退りしながら下り、距離を取ったあと「ご武運を!」と言い残してユウトが走って行った方向に駆け出して行った。
全くもって面白くなかったのはシャクナリだ。ユウトを逃し、獣人の護衛までつけてとなると、普通の衛兵だと太刀打ちできないかもしれないと思っていた。
それにユウトの右腕はマナによるものだろう。マナを封印しても使える事があると聞いてはおらず、その理由も気になっていた。
「面倒やけど、ウチが行くしかないんやね。」
厄介な事になったと面倒臭がりな性格を自嘲してからツメを二人に向ける。
「さっさと終わらせよか? お互い早く別のことせなあかんのやから」
レイナは刀とツメで鍔迫り合いのように押し合ってみて一つ懸念があった。
マナは姉妹共に封じられて、おそらくシャクナリも封じられている。マナが使えない以上、完全に自身が持っている能力の勝負になる。
さらに、シャクナリは二人と対峙しなければならない。もしユウトとギオンが去らなければ四人が相手になるところだった。
マナが使えないからといって、明らかに不利な状況でそこまで余裕でいられるだろうか。
おっとりとした物言いに誤魔化されそうになるが、ローシアの攻撃に顔を歪めていたところを見ると、今の状況はシャクナリにとって決して望んだ形ではないはず。
ないはずなのに、シャクナリは余裕を見せている。
レイナのカンは、シャクナリを警戒せよと警鐘を鳴らしていた。
「どうしたんや? 時間稼ぎなら面倒やから、うちからいくよ?」
シャクナリはニコリと微笑むと、ローシアに一足で間合いに飛び込んだ。
――……! 速いっ!――
シャクナリの振りかぶった一撃は、殺気を感じたローシアが間一髪避けきったが、ツメが髪をかすめ、頭のあった位置で髪が斬れて舞い落ちる。
髪に気を取られたローシアの腹部をシャクナリのツメが襲う。
――!
金属音がローシアの腹部で聞こえた。遅れてローシアの側に近づいていたレイナの刀が、ツメを弾いてシャクナリの背中側に弾かれた。
――好機!!
正中線がガラ空きになった。
すぐに拳を固めて、開いた鳩尾めがけて叩き込む動作に移る
だが
「甘いんよな。二人とも」
ローシアの下腹部に鈍痛が走る。
「……ぐっ!」
顔が落ちて視線が下を向くとシャクナリの膝があった。
そして膝がすぐに消えると、右側頭部に衝撃が来て視線がぐるぐると回る。
シャクナリの側頭部を狙った蹴りは防御もできずに直撃し、蹴りの衝撃とは思えないほどの威力でローシアは吹き飛ばされた。
「お姉様!!」
「あまちゃんやなあ?」
――!
すでにシャクナリはレイナの懐に潜り込んでいた。刀の間合いをくぐられると、レイナの戦闘能力は格段に落ちる。近接戦闘に関してはレイナは対処する技術を持ち合わせていない。できる事は刀を盾にして防ぐことしかできないが、潜り込んできたシャクナリの顔が胸の近くまであると、刀で防ぐ隙間すらない。
間合いに入らせない事がレイナの強味だが、一瞬の隙に詰められた驚きに一瞬の戸惑いが生まれ、その隙にシャクナリのツメがレイナの右胸を目がけ、突き刺さんと狙った。
右側で助かったレイナは、右手に持っていた刀の側面でツメを受け流し、後ろに跳んで離れた。
――危なかった……左を狙われたら……
と、左胸を押さえる。手には伝わらないが心臓の鼓動は激しく高鳴っていた。
シャクナリはまるで右手についた水を振り払うように手を振り
「あかんなぁ。右手を弾かれてなかったら右手でいったんやけどなぁ……まだ痺れてるわ。」
レイナの刀でローシアへの攻撃を弾いた時の衝撃で痺れていた事を明かした。
たまたま助かっただけだと知り、血の気が引く。
ローシアはレイナの元まで下がり
「あの女……嘘みたいに強いワ」
とシャクナリを見据えて言うとレイナも同感で頷く。エオガーデは力任せの剛腕だとしたら、シャクナリは俊敏、そして姉妹の隙を的確に突いてくる。
もしこの戦いにマナが使えたとしたら、レイナの魔法でどうにかなる相手かどうかもわからない。
確実に隙を見つけて突いてくる戦い方は、ローシアの戦い方そのものだった。
むしろ鉄のツメをつけているシャクナリの方に分があるようにも感じていた。
シャクナリは一通り姉妹の動きを見て満足するように頷いていた。
「二人の技……ホント昔のうちにそっくりやなぁ。感情に任せてもうちは殺れんよ? もう少し落ち着いたらどうやろか?」
「ハン! 敵に助言なんて随分と余裕なんだワ」
「余裕? 当たり前やん? うちを殺れるはずないから」
シャクナリの余裕にキレたのはローシアだった。挑発に乗らないでと言おうとしたレイナの言葉よりも早く、ローシアはシャクナリに駆け出す。
しかし、ローシアの目の前にシャクナリの顔が突然現れる。
「――!!」
ローシアが想定していた速度を上回り、シャクナリが一気に近寄ると、膝をまた下腹部に叩き込まれた。
お互いの速度が威力を増して、背骨にまで届くほどの威力になって、痛みが現れる。
「ほら、まだあまちゃんやん」
ローシアの耳元で優しく言うと、ローシアにすべて叩き込まれたお互いの力から生まれた衝撃が、シャクナリの膝から返り、レイナの後方まで吹き飛ばされた。
「お姉様!」
「あんたもやっぱりあまちゃんやなぁ!」
シャクナリはレイナの刀の間合まで一気に詰めた。だが今回はレイナが警戒していた分、完全に間合いの内側までには入られていない。
下から刀を切り上げて牽制したが、横に避けられ、シャクナリはツメを振りおろす。
レイナは刀で弾く。
シャクナリの動きはリズミカルに右から左に振り下ろせば、手首を返して撫で斬るようにレイナに十本のツメが次々に襲う。
防ぐ事で手一杯だったが、タイミングを計って強く弾いて、一度、二度と上段から、中段から刀を振るが、かすりもしなかった。
ローシアが、下腹部の痛みを誤魔化そうとして膝を入れられた箇所を強く押さえ顔を歪めて、えずいて咳き込む中、レイナとシャクナリの攻防は続いた。
激しい金属音が繰り返して響く……だが
――ダメだワ……レイナの方が圧倒的に不利……――
ローシアの見立てでは、攻撃の割合で九がシャクナリの攻撃に対して一がレイナの攻撃に見えて圧倒的にレイナの方の手数が少なかった。
おそらく一撃に賭けているレイナの動きは段々と疲れが見え始めていた。
――早く……立ち上がるのよ……――
脚にまで鈍痛の影響が出ていて、立ち上がる動作すらままならないローシアは、腿を何度も叩いてレイナの元に駆けつけようと気持ちだけが急いていた。
ローシアの見立て通り、レイナは小刻みに呼吸をするほどに疲労が出始めていた。
シャクナリはレイナの顔をうかがいながら余裕を見せていた。その視線がレイナをいらつかせる。
「息、あがってきたなあ? もう限界ちゃうか?」
激しい連撃を繰り出しながら、シャクナリはレイナを気遣うが、返事は鋭い撫で斬り一閃を見舞った。
余裕で避けるシャクナリは「おーこわ」とおどけて下がるとピタリと攻撃をやめた。
「なぁ! もうええやろ? 力の差はハッキリしてるのわかるやろ? 大人しくしとったら悪いようにはせんから」
ようやく立ち上がったローシアは、レイナに苦悶の表情のまま近づいて、息の上がったレイナの背中を軽く撫でると、手に身体が熱って汗ばんでいて、先ほどまでの攻防がどれほどレイナを疲れさせるものだったかを思い知る。
ローシアは決めなければならなかった。シャクナリとこれ以上戦っても二人ともやられる。そんな未来図しか見えなかった。
だからこそ、迷う時間もなかった。ユウトを一人にはしておけない、そしてシャクナリに後を追わせるわけにもいかない。
俊敏さはシャクナリの方が上。逃げても無駄だ。
「レイナ……」
「……はい」
「アイツの力は一人じゃ到底敵わない……けど、アタシ達の悲願は必ず達成する。その覚悟を見せる時よ。」
「……はい」
「……アンタには生き延びてユウトのそばにいてほしいけど……」
レイナは刀を強く握った。
「……いえ。魔女の末裔として生まれた私達には、何としても成し遂げなければならない宿命があります……ユウト様に出会えた事は私の宝……二つある命の一つを捧げたとしても……それがたとえ私の命を捧げるとしても……後悔はありません。」
ローシアは拳を力一杯握りしめた。妹にこんな覚悟をさせる姉を許して欲しいと、心の中で自分自身に怒りが沸いてきたが、今はどうすることもできなかった。
「出来れば二人で生き残りたいワ。」
「……はい。私も同じ思いです」
ローシアは鼻で笑って、下腹部に力を入れた。痛みはまだある。だが、レイナと交わした言葉で覚悟が決まり、痛みは二の次になっていた。
「……いくワ」
「はいっ!」
二人の様子を伺っていたシャクナリは、明らかに二人の目つきが変わったことにすぐに気がついた。
レイナは鞘を背中から外して左手に持ち、刀を納めたが、腰を落として、柄に手をかけてじっとシャクナリを見据えてくる視線が戦いを諦めたものではないと物語っていた。
ローシアも腰を落として一度視線を下に切ってから、一足でシャクナリに詰める。
「懲りんなぁ……」
シャクナリは横に避けたが、レイナも一気に詰めてきていた。右からローシアの拳が、左からレイナがほぼ同時に詰めていた。
――この二人……同時にやるつもり?
ローシアが右手を縦拳にしてまっすぐ突き出すと同時に、レイナが刀の柄を握りしめて切り上げる軌道の逆袈裟斬りを繰り出そうとしていた。
このままの軌道だと、二人の攻撃は重なる。どちらかが誘いのフェイクのはずだと読んで、レイナの方が誘いと判断してレイナ側に避けた。
しかし、レイナは抜いて目で追っていたシャクナリの右脇腹目がけて刀を鞘から抜き出して切り上げた。
「――!」
シャクナリの左腕手首付近をかすめて、皮膚がパカリと裂けた。
ローシアは、振り上げたレイナの刀の軌道を、間一髪で転がり込んで避けると、床を蹴ってシャクナリの足元に滑り込むと、蹴りで脚を払う。
レイナは頭上に上がった刀を返してローシアの脚も構わず刀を振り下ろす。
「くそっ!」
シャクナリはすぐに脚を引いて避けたが、ローシアも同じように間一髪のところで引く。
――こ……この子らは
シャクナリは距離を取るため床を蹴って距離を取ろうとしたが、レイナの視線はずっとシャクナリを向いていてレイナが追ってくる。
地面スレスレに切先を這わせるようにシャクナリの股から腹にかけてを切り上げようと振り上げた。
左足を引いて横に軸をずらして刀をかわすと、レイナが急に右に倒れ込むように体を倒してローシアの拳が飛んできた。
これは避けれないと腕をたたんで防御しようとしたが間に合わず、左の頬に直撃してシャクナリは体勢を崩しながら跳んで距離を取った。
拳が当たる瞬間に少し下がった事で威力は減っていたはずだが、まともに喰らえば顔の形は完全に変わっていたかもしれないと、先ほどまでのローシアの攻撃が、更に威力を増していた。
――二人の呼吸やない……こんなの呼吸を合わせるとかそんな次元やない!
シャクナリは二人の行動を、もう一人の行動を見てある程度の予測を立てていた。
お互いの攻撃でお互いを傷つけないようにすると、必ずどこかで制限を科す必要がある。
制限は、連携するとお互いの攻撃が自分達に与える事がないように、攻撃のテンポや強弱が無意識についてしまう。
不測の事態には、視覚情報がないと次の行動に移せずに止まってしまうこともある。
シャクナリは、姉妹の攻撃は、お互いがお互いの力に干渉しないように戦っていた事を見て結論に至り、瞬時の判断に迷いがなく予測を立てる事ができたから攻撃を避ける事ができた。
ローシアの攻撃にレイナが一緒に詰める事はない。そう判断したから、結局は一対一の戦いと変わらないと考えていたが、今の攻撃はお互いの命に関わるような攻撃を躊躇なく出してきている。
レイナが傾いたのも、ローシアの予測の上での行動だが、視界が切れている以上、上半身を狙っていたのか下半身を狙っていたのかわからないはずなのに、予測でそう行動して、すでに行動に移していたローシアの拳は速度を増していたからシャクナリは避けられなかった。
考えているのはシャクナリへの攻撃のみで、二人の安否はその次ではなく、そもそも考えてもいない。
どちらかの攻撃が間違って当たろうものなら大きな後遺症、最悪の場合、命を落としかねないお互いの渾身の一撃を、お互いに喰らう覚悟で繰り出してきたのだ。シャクナリが動揺するのも無理はなかった。
「余裕のおしゃべりはここまでなんだワ。」
シャクナリは鼻の下を袖で拭う。
鼻の下の感覚の通り鼻血が出ていた。痛みが左頬全体にあり、奥歯がもしかしたら歯肉ごと動いているかもしれないと、真っ赤な唾を吐いてそう思った。
「恐ろしい事をするんやねぇ……そんなに命が惜しくないの?」
「……ええ。何せアタシ達には、命をかけてやらないといけないことがあるんだワ」
レイナも頷いて見せた姉妹の覚悟は、シャクナリを不快にさせるには充分だった。




