第四章 20:各人各様の想いと願いと屈辱の味
次の日の朝、エミグラン邸の前では、ヴァイガル国行きの馬車が三台が並んで待機していた。
馭者はミストドァンクから選ばれた人間で、エミグラン邸の庭の豪華さに緊張したのか、表情は全員固硬かった。
屋敷前にはオルジア、ユウト、ローシアとレイナがいて、あとはギオンとリンとエミグランを待つのみだった。
「オルジアさん」
ユウトが紙たばこを巻くオルジアに声をかけると、「んん?」と気が抜けたような返事で返す。
「セトさんとカミルさんは今日はここに来られないゆですか??」
「いや、来ると思うぞ。依頼はこの屋敷の警護だからな。そもそも大所帯で来るからすぐには来れんだろ。俺たちが屋敷から出た頃にすれ違うんじゃないか?」
「ギオンさんは……」
ユウトが出てきた時にはオルジアしかいなかった。
「アイツは……まあ……朝の挨拶だな……まったく、アイツはエミグラン様が部屋を用意すると言ってんのに、わざわざ自分の家に戻るんだからな……クソ真面目というか……なんというか……」
ギオンの生真面目な性格を呆れたように両手を肩まで上げて首を振ってから、巻いたたばこを加えて魔石で火をつけ、深く紫煙を肺に吸い込ませる。
「……まだ、時間ありますよね?」
「……さあな。まあ、ギオンが遅れるようなことがあったら、俺が頭下げて待ってもらうさ。」
オルジアは空に向けて紫煙をゆっくりと吐いた。
少しして、ギオンがやってきた。
準備運動のように手首を回して手の感触を確かめるように閉じ開きを繰り返す。
「ギオン、もういいのか?」
アシュリーの事は伏せてそう聞くと。
「はい。」
と一言だけ答えた。その言葉に全て集約されているようで、戦地に赴く戦士のような顔になっているとオルジアには見えた。
「そうか。ならいい。」
「兄よ。貴方はどうされるおつもりか?」
屋敷の警備はミストの傭兵が担当するが、ミストドァンクにも獣人だが傭兵はいる。今日はいつも通りに依頼を消化するのかさえも聞かされていなかった。
「まぁヴァイガル国の状況が状況だからな……俺はいつも通り、ミストドァンクの奴らと共にいる。だからお前はお前の仕事をきっちりやってこい。」
「ええ。言われずともその覚悟です。」
ギオンの腕に思いを込めるように叩くと、ギオンはようやく口元だけ笑った。
ユウトは、二人な会話とやり取りを目の当たりにして、深い絆ができて、にこやかに笑い合う関係を羨ましく見ていた。
オルジアがユウトの視線に気がついて、何か声をかけようとした時、屋敷からリンが扉から出てくると、その後ろからエミグランとミシェルが手を繋いで現れた。
エミグランの装いは、七分袖のワンピースドレスで、白地に、見ただけで高級なものだとわかるほど繊細な黒色の刺繍が施されていた。
レイナはエミグランの美しい装いに、思わず感嘆のため息を漏らす。
「集まっているようじゃな。では参ろうか」
エミグランの号令で、馭者達が自分が乗る馬車の扉を開けると、誰からともなく馬車に乗り込み始めた。
エミグランは、馬車に乗り込む前にオルジアを意図的に見た。オルジアもじっとエミグランの方を見て視線を逸さなかった。
ミシェルが不思議そうにエミグランの顔を見上げて、「どうしたの?」とエミグランに問うミシェルの可愛らしい声が聞こえると、オルジアの視線を切るように瞳を閉じて馬車に乗り込んだ。
前のひとまわり大きな馬車にはギオンとユウト、真ん中の馬車にはエミグラン、リン、ミシェル、後ろの馬車にローシア、レイナが乗った。
ギオンが馬車の外のオルジアに視線を向けると、頷いた。
ギオンは馭者に「出してくれ。」という合図の声と共に、手綱を叩いて指示を馬に伝えると、ゆっくりと動き出した。
まだ破壊されて完全に修復されていない庭を横目に、三台の馬車は並んで屋敷の門を潜った。
ユウトは気が付かなかったが、ギオンは門柱の側にアシュリーが隠れてこちらを見ていることに気がついた。
馬車が進む中、アシュリーは心配そうに車窓の中のギオンを見つめると、ギオンは同じようにアシュリーを見つめ、深く頷いた。
――心配するな。すぐ戻る
アシュリーはギオンの声は聞こえなかったが、そう言われているように感じて、小さく頷き手を振った。
各人各様の思いを乗せて、馬車は征く
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ヴァイガル国の城壁が見え始めるまで、ユウトはギオンと話す事はなかった。
それもそのはずでギオンは目を閉じ、腕を組んで集中していた。とても声をかけられる様子ではなく、外の景色を見ていた。
だが、唐突にギオンが話す。
「……もうすぐ着くな」
ギオンを見ると目を開けて、城壁を睨みつけるように見ていた。
「……兄よりお主のことは聞いている。最近はミストドァンクでも目覚ましい活躍をしておるそうだな」
「い、いえ……まだそんな……目覚ましいとか、自分じゃわからなくて……」
ギオンは鼻で笑った。
「最初は皆そうだ。自分が強くなったのか、役に立っているのかわからないものだ。人は思うほど気にして見てはいないからな。なかなか評価は得られんものだ。だが、自分の信じた道をひたすらに進めば、他人は同志となり、自然と周りに集まるものだ」
「ギオンさんは……例えばミストドァンクの仕事とかでも、もし何もできなかったらって思うことは……ないですか?」
ユウトが一番悩んでいたことだ。自分は本当に役に立っているのか。今日も役に立てるのか。
ギオンは顎に手を当てて目を閉じ、「何もできない……か」と少し考えてからユウトに視線を向けた。
「何もできないか、と考えるのは、いつのまにか自分が与えられる者になっているからではないか……と某は思う。」
「与えられる者になっている……」
「うむ。何もできないと自覚している者は、そう悩むことはない。事を成すために懸命に努力してきたからこそ悩むと某は思う。お主も様々なことで悩み、苦しみ、努力してきたのだろう……その積み重ねを全部出すしかない。結果はあとでついてくるものだ。」
「ギオンさんは、結果が出なかったことはありますか?」
「フフフ……もちろんある。若い頃にな。最近はなくなったが、当時は悔しくて悔しくて夜も眠れなかったぞ。だが生きていれば次がある。どんなに恥を晒しても生きていれば必ず次がある。失敗と成功を繰り返して、某は今生きている。目の前にまた『次』が来ておる」
ギオンはユウトから視線を車窓に移して、近くなったヴァイガル国の城門を見た。
「……彼の国のやり方はあまりにも性急、手段も選ばん……何が出るかわからん。だが、エミグラン様が某を呼ぶという事は、そういう事なのだろう。」
ギオンの腕組みしている手がに力が入り、腕に指が食い込む。
「……必ず帰る。」
ユウトは、ギオンの言葉は自分に向けた言葉ではないとわかり、車窓から見える城門に逸らした。
ギオンとユウトを乗せた先頭の馬車が城門前の橋に進路を向けると、城門前には数十名の衛兵がいた。
馬車の進路を阻み、止まるように両手を広げていた。
馭者は馬車を止めて、ギオンの方に振り返る。
「ど、どうしますかい?」
口調から緊張が伝わる。
「某が話を聞く。そのままにしておれ」
とギオンは馬車の扉を開いておりると、衛兵達は体躯が大きなギオンを見上げて後ずさる。
「ドァンクより参った。儀式の場所は神殿で良いのか?」
「は、はい。ご案内をさせて……」
衛兵達の後ろから、「下がれ。」と声がして、衛兵達が振り返ると「リオス様!」と驚いて全員が敬礼した。
衛兵が周りにいると判断できるが、明らかに格の違う鎧を身につけ、両方の肩当から踵まであるマントの外側が白、内側が赤と、凝った装備品をみてギオンはこの男は騎士団長だろうとすぐに判断した。
リオスがギオンの前に立つと
「騎士団長のリオス・リ・ウルと申します。遠路遥々ようこそヴァイガル国へ。ここからは私が案内いたします。」
リオスの丁寧な挨拶に礼を含めて。
「承知した。よろしく頼みます。」
と、ギオンも無礼にならないよう礼節をわきまえてリオスに返した。
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リオスが馬上から街道の側を埋め尽くすように並ぶ衛兵に敬礼を受けながら、三台の馬車は神殿に向かっていた。
車窓から様子を横目に見るリンは、衛兵しかいないヴァイガル国の様子は異様な光景だと思っていた。まだ昼間なのに民間人が一人もいない。まるで国民全員が突然いなくなったかのように雑踏も声も物音も、何もかもがない。
ーー戒厳令で、衛兵以外人が全くいない……
不気味な光景に、リンは思わず息を呑む。
エミグランに視線を移すと、ミシェルの緊張を解きほぐすように頭を撫でていた。
「エミグラン様……想定以上の衛兵の人数です。」
「……そうじゃな。思ったよりも、が適切じゃな。」
「……これまでのどの事態よりも危険であると推測いたします。」
「そうじゃな。わしも同じ結論じゃ……しかし引けぬよ。」
リンはエミグランが危険を犯してまでここにいる必要はないと考えていた。国よりもエミグランを守る事が最優先だからだ。
「……リンよ、わしを信じる事じゃ」
「――!」
引き返すことを提案する前に、エミグランから解答された事にリンは驚いた。
「……未来への道はひとつしかない。ただ、悠々と歩くだけよ。のぅ? ミシェルよ」
突然呼ばれたミシェルは驚いたがすぐに笑顔になって大きく頷きながら「うん!」と返事して、エミグランに横から抱きついた。
少しして馬車が止まった。
馭者が振り返って「着きました!」とエミグランに声をかけると、すぐに笑顔は消えた。
神殿前広場は、やはり衛兵に取り囲まれており、いつでも襲うことは可能だと言わんばかりに馬車を注視していて、見方によれば一触即発の雰囲気もあった。
そんな様子を気にしてか、リオスが馬から降りて、近くにいた衛兵をよび、手綱を任せると、馬車に駆け寄って中の全員に聞こえるように大きな声で「さあ!儀式の場に参りましょう!」と降りるように促してきた。
リオスは、馬車から降りてくる面々で、エミグランの様子ばかり見ていた。
――よくぞ のこのことやってきたものだ。――
初めてエミグランと対面して、黒き人を模した者の力をまざまざと見せつけられ、あれほどまでに力の差を思い知らされたことはなかった。
リオスはあの日、この国の平和がいずれエミグランによって脅かされる日が来ると確信していた。
――あのハーフエルフは、過去にヴァイガル国の大臣だったと聞く……神殿もエミグランがこの国に在籍していた時には建立されていた……おそらく地の利はないだろうな……――
リオスは戒厳令発動についての話し合いが開かれた際に賛成の立場をとった。ヤーレウ将軍は反対したが、リオスの賛成意見の理由は、エミグランの危険性を考えれば、万が一の時に国民に危険が及ぶと考えての賛成で、ヤーレウ将軍もその意見には否定しなかった。
なぜヤーレウ将軍が反対したかはわからないが、結局反対はヤーレウ将軍一人、棄権一人以外、賛成多数で戒厳令の発動が決定した。
リオスは、子供の頃から憧れた、この国の英雄である騎士団長に就き、この国の平和をヤーレウ将軍と共に守ってきた自負があった。
城門前に、エミグラン達を平然として迎えに行ったわけではなかった。
至極冷静にエミグランの首を刎ねる事を厭わずできるほどに、積み重ね、研ぎ澄まされた殺意が今日まで保つことができたのは、城内で黒き人を模した者を見せつけられて、エミグランただ一人にこの国の安全を脅かされた時からだった。
あの日から一日たりとも忘れたことなんてなかった。剣の練習がてらに木剣を振る時に、ふとした瞬間にエミグランのニヤつく顔が浮かぶと、込み上げる怒りを振り払うように腕が千切れるほどに、そして声を上げてがむしゃらに木剣を振り続けられた。
積み重なる屈辱。
リオスは、エミグランに刻まれた屈辱を積み上げて、自身に生まれた感情と思いが愛国心だと確信していた。
そして今日、今またここにエミグランがいる。
――手の内はこの目に焼き付けている……後手はもう取らない……二度と……――
馬車からエミグランが、候補者のミシェルの手を引き、ゆっくりとおりてきた。
あの日とは違い、エミグランは白と黒のドレスを着ていて、血に染めるには勿体無いなと率直に思った。
戒厳令を発動していることを承知している様子から、【わかっていながら来た】のだとわかる。
リオスは無理やりに笑顔を作ると、ミシェルの手を引くエミグランがニコリと微笑みかけた。
「久しぶりじゃな。元気そうで何よりじゃ」
リオスは、衛兵を殺し、城内でアグニス王への脅迫までしていながら、馴れ馴れしく物言うエミグランの性根に、一瞬で体の全ての穴からマグマのような熱い怒りが吹き上げそうになるが、耐えた。
積み重なる悔しさに覆い被さる屈辱は、ヴァイガル国、そして自身へのもので、見下す視線をよこすエミグランを、何があっても許せなかった。悔しさのあまり、涙がこぼれそうになるが、それも耐えた。
――この命に換えても、殺す…… 首を国民の前で晒してやる!!――
ヴァイガル国を襲う不安を、確実にこの手で潰して満足するまで、決して笑わない。
今日、この場で味わった屈辱を痛みで覚えるように歯が音を立てて砕けそうになるほど噛み締める。
歯噛みの音がエミグランに聞こえるかなどどうでも良く、悔しさと屈辱の苦味を味わい、噛み潰した後、一呼吸置いてからエミグランに笑顔で振り返る。
「エミグラン公。お気遣い痛み入ります。アグニス王がお待ちですので、神殿に参りましょう。」
そう言って神殿に振り向くリオスは歩き出した。
神殿の警備についていた衛兵達は、初めて見る獣人殺しエミグランよりも、初めて見るリオスの形相に恐れ、震えていた。




