第四章 18:信じてますから。何があっても。
――ヴァイガル国 ニクス教神殿内
ニクス教を象徴する白いローブを纏った神官と付き人に囲まれて、一人の女性がしなやかにとある部屋に向かっていた。
女性のヒップラインのたおやかな動きに、後ろをついて歩く神官の付き人達は、下心が顔に出ないように気をつけながら食い入るように見ていた。
これは、女性が体のラインがしっかりと出る服を好むせいもある。
肢体で男の目を釘付けにする女性の名はシャクナリ・ナスグ
騎士団長の一人。
今日はアグニス王の命令で、最終儀式を執り行う部屋に、とある仕掛けをするように命じられて、神官達の案内で最終儀式を執り行う部屋に向かっていた。
シャクナリの腰にかかるほどの長い髪がふわふわと左右に揺れ、後ろ姿を視姦するように見る付き人は、まるで瞳孔を開いて羽虫を追う猫の目のように、ヒップラインと揺れる髪の動きに釘付けだった。
先頭を歩く白いローブに装飾品を纏った神官は、振り返る事なくシャクナリに話しかける。
「シャクナリ殿、神殿の設備を一部変更すると最終儀式のためと王よりお伺いしていますが、お一人で問題ないのですか?」
神官は騎士団長とは言え、女性であるシャクナリが一人で儀式の場に向かうことを良くは思っていなかった。
個人的に男尊女卑を重んじる神官ということもあるが、教団が国政へ関与できる数少ない機会を騎士団に邪魔されたくないという思惑がある。
ニクス教は国政に関与する機会は、聖書記の儀式が最も大きい。
それだけに、ニクス教が主導権を握る儀式に騎士団が関与することを極端に嫌がる。国の運営はニクス教無くして成り立たないと思い込ませ信じさせるには、儀式に関わることの全ては教団で行うことで威厳を保っている。
神官の不機嫌そうな問いにシャクナリは物腰の柔らかい声色で、神官の不満を和らげるように答える。
「問題はございませんよ? それよりも、お忙しいのにわざわざ申し訳ないですわねぇ」
独特な遅上がりのイントネーションの喋り方も、シャクナリの存在も鼻を鳴らして不満を見せる。
「フン……神殿内は歴史的に価値のある物も多数存在する。破壊されるような事があってはならない。本当に危険が存在するのであれば、塀の外で片付けるべきでは?」
汚れ仕事は外でやれと暗に言ったが、意味と思惑を理解した上でシャクナリは返す。
「まぁまぁ、そんなこと私に言われてもよぅわかりませんねぇ……推測するに、今回は初めて国外から選ばれたのですから。何かあった時に神殿も守るための指示と違いますか?」
至極まともに返されたが、神官はただシャクナリを詰りたいだけらしい。
「最終儀式はご存知の通り、我らの神殿に忌々しく存在する、大災の黙示録の側で執り行われる。相手方の危険性は問題ないのでしょうな?」
シャクナリは軽く笑った。
「神官様は、まるで相手方に全てを知る者がいるかのように言われるんやねぇ。黙示録のことをそんな気にするなんて……」
「……あくまで危険性の話だ。実はドァンクにいて、黙示録に近づけてしまいましたでは話にならんではないか。」
「確かに、もしいたら……とんでもないことになりますねぇ……世界が終わる……フフフ」
とシャクナリは堪えきれず声を出して笑い出した。
神官が足を止めると全員が止まった。
「何がおかしい!」
「フフフ……いや、本当に世界が終わるんかなぁって思って……気に障ったら勘弁してや?」
「……この国の歴史の全ては神殿内にある。かの大災の魔女が遺した物を全て検めた結果の話だ。シャクナリ様は我々ニクス教を愚弄されるのか?」
「まさかまさか!そんなことはちっとも思いませんわ。それよりも騎士団長を信じないなんて、なかなか肝がすわってはるなぁとは思いますねぇ」
シャクナリの言葉は柔らかいが、聞き方によっては殺意溢れる物言いに、付き人達は汗が冷えたように寒気が走る。
すぐにシャクナリは手を叩いて
「それよりも、はよ行きましょか。神官様達の時間を無駄したらバチがあたります」
ニクス教の顔を立てる形で話を終えたシャクナリはそれから一言も喋ることはなかった。
石畳の階段を降って、少し歩くと目的の部屋についた。
神官が鍵の束から部屋の鍵を鍵を開けると、付き人が扉の前に立って開く。
中は磨かれた石を敷き詰めた部屋で、冷たい空気がドアから流れて肌を冷ました。
シャクナリは中に入ると周りを見渡して何かを考えていた。
一通り部屋の中を吟味して、入り口の近くにいた神官達に歩み寄る。
「ここからは私一人でやります。鍵を渡してもらえます?」
「それはならん。好き勝手にされても困るのでな。何をするのかは見届ける」
「王の命令なので……許可は王にとってます。異論があれば上申してもらえます?」
神官は不服そうに舌を鳴らして、この部屋の鍵をシャクナリに投げた。
片手で受け取るとウインクして「ありがと」と感謝を述べた。
「好き勝手なことは許さんからな。後で何をしたのか話してもらうぞ」
「はいはーい。また後で。」
神官達は部屋を出て扉を閉めた。舌打ちをする神官は「女ごときが偉そうに。」と小さく吐き捨ててその場を後にした。
シャクナリは満面の笑みで扉が閉まるのを見届けると、スッと表情を戻して。
「祈るだけでおまんま食べれる神官様は本当に世俗と乖離してはるわ。頭叩き潰してニクス教の加護あります? 祈って生きていられます?って脳みそに聞いてあげればよかったかなぁ……」
と小さく呟くと、脳みそに、加護ありますかー?と聞いている自分の姿を想像して笑った。
そして笑いがおさまると
「本当に聞けばよかったなぁ」
シャクナリは、じとりとした目で舌舐めずりした。
**************
ドァンク街では、リンが街道の人々の間をすり抜けて走っていた。
あまりの速度に避けようとする前にリンがすり抜けていく人々は、驚いて避けようと体をリンから離すように避けた後、目でリンを追う。
リンは焦っていた。路地裏の片付けの後、ユウトを見失っていた。
――ダメ……ユウト様の気配が全くない……目視で探すしか……――
走りながらすれ違う人々全員に目を向けて、ユウトの着ていた服や髪型と一致させるよう集中していた。
気配は対象のマナを感じることだが、片付けている時にユウトのマナが、いつの間にか忽然と消えてしまったことに驚き、走り出して今に至るが、これまでユウトらしき存在はまだ見つかっていない。
リンは常にどんな状況でも、最適解を見つけ出し効率よく動くために、普段からどんな状況でも冷静を保つように心がけているが、見張っていた対象が忽然と消えることはこれまでなかった。
もし、ユウトがまた別の獣人に襲われていたら。
もし、ユウトの右腕が発動しなかったら。
深く思案すると、いくらでも湧いて出てくる最悪の事態が、もうそろそろ列を作ってリンの思考を乱そうとしていた。
――急がないと……――
気持ちだけが急く。
だが何も情報がない以上、ユウトを見つけるために出来ることは、今は動き回って捜索ことしかない
気がつけば、じわりと汗がメイド服に滲み、肌にまとわりつくほど体温が上がっていた。
――何故……気配がないの……――
リンは細い路地に入って、建物の壁のわずかな出っ張りをつかって屋根まで一気に登る。
いつのまにか息が上がっていて、深呼吸を繰り返しながら辺りを見回す。
額から流れるような汗を拭って、まだ息は整わないが、視線は街道を全体を注視していた。
呼吸が自分の耳に聞こえていたが、口から鼻に呼吸を戻して息を入れる。
一通り見渡して、間違いなくいないことを確認すると、屋根を伝って、あらかじめ決めていた次の捜索エリアに向かった。
**************
「ちょっとアンタ……流石に浮かれすぎじゃないかしら?」
「そ……そんなことはないです! お母様に習ったシチューを早く作りたいのです!」
「……はいはい……早くアイツに食べさせてあげたいのね」
「ちょっ?! 違います! 私はそんな……ユウト様に食べていただきたいなんて……まだ、練習もしてないのに……」
「……だれもユウトとは言ってないんだワ」
「――?! もう!お姉様!」
軽くからかうローシアと、顔を真っ赤にしてローシアを追いかけるレイナは、朝早くにドワーフの村を出て、エドガー大森林に沿ってドァンク街に向かっていた。
昨日の夜、ローシアはレイナから、朝帰りましょう!と提案された時は、さすがに驚いたが、ギムレットの体調もすぐに良くなった事もあって、朝早く、何なら起きて食事もそこそこに帰路に着いていた。
ドァンク街に向かうのは、昨日習ったシチューの材料を買いに行くらしく、こうもわかりやすい妹だとは思っていなかったローシアは、シチューの話をビレーとレイナに振った手前、仕方ないとついて行くことにした。
顔を赤くしてほおを膨らませたレイナは、ローシアが手を合わせて小馬鹿にするように謝る姿を見て、また追いかける。
「ごめんってば、レイナ」
「謝ってません!笑っているじゃないですか!」
ローシアの顔はにやけていた。
素早さではローシアに勝てないレイナは、もぅっ!と一度地団駄を踏んだ。
「ほら、もうすぐドァンクにつくんだワ 早く買い物を終わらせるんだワ」
ドァンクの街並みが見えてきたレイナは立ち止まった。顔色は元通りになっていたが、徐々に表情が険しくなった。
「レイナ?」
明らかに様子が変わったレイナの顔を覗き込むローシアは、人差し指でレイナの腕をつつく。
ドァンク街をじっと見ていたレイナは、ローシアがつつくと反応するように
「ユウト様がいらっしゃいます……けど……」
と駆け出して行った。
「ちょっと! レイナ!」
レイナのただならぬ様子に、遅れてローシアも駆け出して行った。
――ユウト様……何故そんなに悲しそうにしていらっしゃるのですか……今……今お側に参りますから!――
レイナはさらに加速した。
ドァンク街にはいくつか広場が設けられている。街を囲う塀の側の広場は、運搬業務用に設けられているが、中心部は子供達の遊び場や催し物を開く時に使われている。
楽しそうに走り回る子供達の声が聞こえてくる広場に備え付けられている石を磨いただけの椅子にユウトは座って目を伏せていた。
路地裏で、殺意に襲われ従ってしまった結果、罪人とはいえ獣人を原型を完全に無くすほど暴れてしまった事に自戒していた。
全てを知る者は世界に祝福をもたらすという言葉は、ユウトに迷いを生じさせていた。
右腕を見つめて「救えてないじゃないか……見えている人たちだけで……」と独りごちる。
世界を救うヒーローに憧れた事はこれまでなかったユウトが、この世界で力を手に入れ、認められ喜び勇んで自分にもできる事をしなければと意気込んだ結果、世界に祝福をもたらすことの矛盾に気がついた。
自分が嫌いな人も、苦手な人も、真面目な人も、罪人も全て救わなければならないと考えたら、本当にそんな事が出来るのだろうかと悩み始めていた。
今までは、何となくふんわりと世界を救うというイメージだったが、今はそんなことも考えたくなかった。それどころか殺してしまった罪悪感で苛まれて落ち込んでいた。
「こんな気持ちで……誰かを救うなんて……」
言えるはずもない。
危害を加えてきた獣人は殺した。人間嫌いらしく罵られもしたが、そんな事はどうでもよかった。
ユウトを罵るような人達も救わなければならないと思った瞬間、理想と現実を知った。
――全ての人を救うなんて無理だ……――
何処かに不幸は必ずあって、ユウトが黙示録を壊すだけで幸せが全員に降り注ぐような奇跡なんて起きないと思ってしまった。
「僕には……無理なのかな……黙示録を壊すだけじゃ……」
黙示録を壊しても、ドァンクでは獣人が罪を犯すと右手が斬られる。ルティスのように腹を空かせて動けなくなるほど追い込まれる誰かがいる。
法の目を潜って暗躍する誰かがいる。
そう思うと、今までやってきた事は全て無駄なように思えて、自分の存在が無駄なのでは無いか。
いるだけでローシアやレイナは狙われて、ヴァイガル国に入国しても存在を隠していかなければならない。自分の存在は混沌を招くだけの厄介者なのかもしれない。
負の連鎖がユウトの思考を支配する。
「……ユウト様!」
聞き慣れた声がした。
「ユウト様!」
――この声は……――
顔を上げると、息を切らせたレイナが走ってきていた。
「レイナ……?」
ユウトに勢いよく駆け寄ったレイナの顔は笑顔だった。
「お元気でしたか?ユウト様」
随分と長く会っていなかったような挨拶のあと、レイナは息を整えた。
「レイナ……なんか久しぶりな気がするよ。」
「私もです! 寂しくなかったですか?」
「……どうだろう……でも、寂しかったかな」
「本当ですか?!」
と、一気にユウトの眼前まで顔を近づけるレイナに驚いて仰け反ると
「うわわわわわ!」
「ユウト様!」
と、レイナがしっかりと両腕でユウトを抱きしめて倒れないようにする。
「大丈夫ですか?」
「だ……大丈夫、でも、離れた方が……」
と、ユウトの視線を辿ると、自身の胸部がユウトにべっとりと密着していて、顔を赤くしてユウトから離れてレイナが謝る
「ご……ごめんなさい!」
「大丈夫だよ……こっちこそごめんね。びっくりして」
「ユウト様……やはりお元気がないようです……何かあったのですか?」
何かあったかと聞かれるとたくさん起こったのだが、レイナの笑顔は悩みを吹き飛ばすほど真っ直ぐとユウトを見据えていた。
「……さっきさ、獣人に襲われてさ……」
「……」
「もう少しでまたサイ達と出会った時のように売られそうになってさ……」
「……どこですか……その不届きものは……」
「えっ?」
レイナの顔に血管が浮き出ていた。
――うわ……めっちゃ怒ってる……――
「だ、大丈夫! そいつらは……もう……」
ユウトは背中を丸めて、明らかに落ち込んだように見えたレイナはユウトの隣に座った。
「……ご無事でよかったです。やはり私はユウト様のお側にいなければなりませんね。」
照れくさそうに頬を人差し指でかくと、ユウトは微笑ましいレイナの仕草に心が少し温かくなったが、すぐに表情に影がさした。
レイナ達に甘えてばかりではいけないと考えていたから一人でできる事を増やそうとした。だが、増やすどころか自信がなくなった。
地面の砂を足で撫でるように動かしながら、ユウトは思っている事を言葉にした。レイナには聞いて欲しかった。
「……僕は……誰も殺したくないんだ。でも、多分それは無理なんだ……きっと……僕が全てを知る者である以上……」
ユウトの言葉は重々しく聞こえた。
「私に全てお任せください。ユウト様に手を出すものは私が……」
レイナの言葉にユウトは塞ぎ込んで遮った。
「ちがうんだ! レイナにもローシアにも誰にも殺して欲しいなんて思っていないよ。みんな幸せになってほしいって思ってる。でも、僕が本当にそんなことが出来るのかわからなくて……」
声が震えるユウトに、レイナはまっすぐと見据えて
「私は信じてます!」
と力強く、ユウトに思いの丈を伝えると、ユウトの手を両手で握った。
「……レイナ」
「ユウト様はとてもお優しくて素敵な方です! 例えできるはずがないと言われても……私は信じます!」
レイナの握る力が強くなる。
「だから、そんなに悲しまないでください……私を……私たちを救ってくれたユウト様は、私たちの英雄なんです!希望なのです! 勝手な事を思われても……事実なのです!」
「レイナ……」
銀髪の奥から真っ直ぐに信じていると伝えてくるレイナの目は、じっとユウトを見つめていた。
レイナは、ユウトの握った手を胸元に寄せて、まるで祈るように
「私は信じていますから。ユウト様の事を」
広場の影から、ローシアは二人を覗いていた。気を遣ってのことだ。
すると、後ろに気配を感じた。
「アンタ、ユウトを見張っていたのかしら?」
気配の正体はリンだった。
「……やっと見つけた」
ついさっき、ユウトの気配を急に感じ取ったリンは一気にユウトのいる場所に駆けてきた。
ローシア達がいるとは思っていなかった。
「遅かったかしら。でも、アイツもあんなに落ち込むことがあるのね」
「落ち込む?」
リンは路地裏のことまでを思い出して、ユウトが落ち込む理由を考えていた。
「まあ気にしなくていいワ。アイツはレイナがいないとダメなのね。」
ローシアは二人に気が付かれないように立ち上がると、リンに向き直る。
「もうほっといても大丈夫よ。まあ命令ならアイツが屋敷に帰るまではいないといけないのかしら?」
リンは小さく頷いた。
「そう……アタシは帰るんだワ。せっかくだし一応ユウトに顔でも見せてこようかしら」
ローシアは立ち上がって広場の中に入って行く。
ユウトの顔は、いつのまにか自信を取り戻して、嬉しそうにするレイナがまたユウトに抱きつくと、ユウトの顔が赤くなる。
二人の元にローシアが着くと、レイナの肩を叩くと、赤い顔から青くなりかけていたユウトをみて、慌てているレイナが慌てて離れた。




