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僕と異世界姉妹が魔女の黙示録へ送る復讐譚  作者: ワタナベジュンイチ
第四章:双子花に捧ぐ命
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第四章 15:前に進むために必要なのは希望

 ルティスは、クラヴィから残酷な死の宣告に合わせて、強く当てられたクナイの刃が皮膚が裂けそうになると体がピクリと反応し、首にちくりとした痛みが走る。

 首の皮が斬れたのだと体の震えを抑えるように深呼吸をしようとするが浅くにしか出来ず、呼吸が荒くなった。

 死ぬ。殺される。人間に殺される。絶命する言葉だけが思考を支配した。



しかし、クラヴィはルティスの首に当てていたクナイをのけた。


「ひ……ひいいいいいいいいい!!!」

 

 ルティスは首への死の圧力が突然消えると、絶命の危機から寸前のところで助かったと反射的に走り出そうとしたが、情けない悲鳴をあげながら腰が抜けたように前のめりに倒れ込んだ。


 クラヴィはゆっくりとルティスに歩み寄る。暗闇に白目だけが見える様子で表情まではわからない、だが、見たくはなかった。



「でも……見逃すわ。せっかくユウトちゃんが信じて手を差し伸べた気持ちを踏み躙りたくないから……私にはそんな罪深い事はできない……」



 どこからか出したかわからないがクラヴィの左手には、握り拳ほどの袋があり、恐れ慄くルティスの股の所に投げた。地面に落ちると、グシャっという無数の金属が袋の中でぶつかりあう音がした。


「十万ゴルドあるわ。ユウトちゃんとの手切れ金よ。彼はあなたとは背負っている責任が違うの。こんなことを私からいうのもなんだけど、二度と姿を現さないで。」


吐き捨てるように言い放つと、クラヴィはルティスに背を向けて宿駅を見た。さっさと終わらせて、眠るユウトのそばに戻るつもりだった。



 ルティスは震えが止まり、クラヴィが股の近くに投げた袋を見つめた。

 袋は少し開いて、確かに金貨が入っているらしく、落下した衝撃で飛び出した金貨がいくつか道に転がっていた。


あんなに欲しかった金が目の前にあってもルティスは動かなかった。


――オレは……何をやってるんだ……何も変わらないままじゃないか……――


 獣人の街だと聞いて来たドァンク街で働けない獣人は盗みをするしかなく、ルティスも同じ道を進まざるを得なかった。


 人間であれば、ヴァイガル国に行きさえすれば、何らかの職にありつけるが、あの国では獣人が仕事に就くためには、身元保障がないと住むことも働くことも認められない。


 傭兵になればそんな心配もしなくて良いが、ルティスにはせいぜい逃げ足の速さくらいが取り柄で、傭兵になる力はなかった。

 

 ヴァイガル国の一大産業である魔石生産は、身元保障があっても人間のみに許されていで獣人が入る余地はない。

また、王族が管理する衛兵などの一部の公務も人間のみが就ける。


人間と獣人には、今も昔も就ける職の数に大きな隔たりがある。


獣人の街と言われるドァンクでさえ職にありつける保障なんてなにもない。それでもまだルティスの生まれ故郷に比べるとだいぶマシだった。

故郷では畑を耕すか木をこるかくらいしか仕事はない。獣人は魔石文化に置いて行かれる煽りを受け、ヴァイガル国を中心に文明が躍進していく中、田舎の端に住む獣人達、その中に入るルティスの家族にも影響した。

 

一攫千金を夢見て、ドァンクに出るのは、獣人の中では当たり前のルートだった。


だが、ドァンク街で一攫千金は、獣人なら誰もが夢見るからこそ、その道も険しく遠い。

 真面目だけではダメ。力があってもダメ。全ては金で生まれるつながりがものをいう。

その輪に入らなければ、安い金で労働力を買い叩かれて使い捨てられる。

同じ獣人であっても、貧困を乗り越え、裕福になり、利益を産む組織を持つと昔の事なんて忘れたように安い労働力を求めるようになる。


金を持つ獣人と人間に、馬車馬のように働かされる獣人は山ほどいる。


ルティスは、そんな獣人にはなりたくないと懸命に働いた。がむしゃらに働いた。

だが、友人だと思っていた仲間に裏切られ、仲間の罪をなすりつけられた。

このままでは右手を斬られると、逃げ出した。


同族に裏切られる精神的衝撃は、すぐには抜けなかった。

 

 はめられたルティスに選べる道なんてもうなかった。過去のルティスは右手を犠牲にする覚悟なんてないが、生きるために盗みをするしかない状況となって、精神的にも金銭的にも追い込まれて、相談する相手もなく、手を汚すしかなかった。


そして、捕まって右手を斬られた。

全てを呪った。人も、獣人も、街も、神も、全てを。


 昔話のようにも感じられる、つい数日前の事を走馬灯のように思い出したルティスは、悔しさのあまり歯噛みして犬歯を剥き出しにした。



 今ここにある金はユウトが守られている貴族会、エミグランの懐から出たものだろう。

これを受け取れば、法を制定したエミグランに二度も屈したことになる。

そう思うと啖呵を切って投げつけて返してやりたいが、これがなくては今後生きていくことすら難しいかもしれないという現実がある。


 ルティスは悔しくて情けなくて涙と鼻水が溢れてきた。


 抜けられない狭間に嵌め込まれた悔しさ。

 右手を斬られた悔しさ。


 ルティスは、これまで生きてきた全てを否定したドァンクという街が出した答えは、ルティスの価値はたかだか十万という評価だと言われたような気がした。


悔しさが滲み溢れてくる。


ーーオレの右手の価値は十万程度だってことかよ……オレが生きる理由はなんなんだよ……ーー


そして沸々と、怒りが込み上げて、言葉になった。

我慢できるはずがなかった。


「オレは……こんなことしたいわけじゃねぇんだ……」


クラヴィは振り向かなかったが耳を傾けた。ルティスの声が真実味を帯びているように聞こえたからだ。ルティスはまた鼻を啜り泣き声にも関わらず続けた。


「オレだって……夢見てさ……ドァンクに来たさ……でも、結局は人間中心なんだよ!! 俺たち獣人はあの昔の戦争からなにも立場なんて変わってねぇんだ!!」


「獣人戦争…。随分と昔の話をするのね。」


「そうさ!あの戦争から何も変わってねぇ! アンタら人間はいいさ……なんだかんだでやっていける……そりゃそうだ。この辺で一番力のある国の王が人間なんだからよ……ドァンクじゃなくてヴァイガル国に行けばいいからな……」


「……」


「だが俺たちにはドァンクで認められなかったら何も残らねぇんだよ!! 獣人の街のドァンクでさえ俺たち獣人が悪さしただけでこれだ!!」


ルティスは右手のない右腕を背を向けて話を聞くクラヴィに伸ばした。クラヴィも、これだ。と言われて、右手のことだと察していた。


「同じ罪でも人間は何もされねぇ! せいぜい捕まって牢に入るか金を払って釈放されるかだ! 俺たちは言い分も聞いてもらえず右手を斬られる! ドァンクにもヴァイガル国にも悪いことしてのしあがった人間なんてゴロゴロしているはずなのに! 獣人だけがこんな目に合う! これがドァンクの……貴族会のエミグランが目指した世界なのかよ!!」


「……」


「オレだって……田舎の母ちゃんを楽にさせてやりたくてドァンクに来たのによ……仲間と思ったやつに騙されて……オレだけ捕まって……右手を斬られて……無くなった右手のせいで田舎にも帰ることが出来ねえ……オレを産んでくれた母ちゃんに……こんなの見せれるかよ!!」



クラヴィはルティスの方に向き直った。

顔を崩して泣きじゃくる子供のようなルティスが、ない右手をこちらに向けていた。


「あの街で学んだ事はなぁ!! 騙される方が悪いってことだ!! 信じた者がバカを見るって事だ!! あの街でこんな事しか学ばなかったんだよオレは!!」


ルティスは、膝から崩れ落ち、その様子をクラヴィは目で追った。

崩れ落ちて俯くルティスの背中が小刻みに揺れた。


「笑えるよな……こんなバカな獣人がゴマンといるのに……獣人の街だぜ? ハハハハハハ……バカの集う街じゃねぇか……騙され、右手を斬られ、出ていって、野垂れ死ぬ……腐るほど聞いて来たよくある話だよ……それがオレにも降りかかって来ただけの話なんだよ……ハハハハハハ」


泣きながら笑っていたルティスに


「そうね。残念ながらよく聞く話ね」


と素気なく返した。


獣人は強盗放火殺人か、それに匹敵するとみられる罪を犯せばドァンクでは右手を斬られる。

この中で群を抜いて多いのが強盗だとクラヴィは人伝に聞いて知っていた。

右手を斬る法は、エミグランが定めて、二百年に渡り一度も改められた事はない。


ルティスがエミグランの獣人に対しての扱いに不満を持つのは当然だった。


人間は


悪いことせずに真面目に生きれば良い


という。だが、真面目に生きようとしても、社会にはどうしてもヒエラルキーが発生してしまう。

真面目に生きてもドァンクでは、ルティスのように弾かれてしまい、二度と駆け上る事ができない者たちがいる。



人間なら落ちようのない『普通の事』の網目に引っ掛からなかった獣人への救いは何も無く、追い詰められて出た行動の代償が右手なのは残酷だ。


クラヴィは人間だから獣人の立場を知りようがなかった。

確かに獣人はの扱いは残酷で、エミグランは何を考えてそんな馬鹿げた法を定めたのかと思考を巡らせていると、グシャリ、グシャリという音で現実に戻された。


「くそおっっ!! クソがあっ!!」


「!!」


ルティスは、右手のない右手首で、地面を殴っていた。


「オレは! クズで! 右手を斬り落とされて!」


クラヴィはやめなさいと言いかけた。


泣きながら、悔しそうに右の手首で地面を殴るルティスは、ユウトと初めて会ってパンをもらった事を思い出した。右手がないルティスに、優しそうに、笑顔で。


ルティスが生きるためとはいえ、盗みをはたらくことに良心の呵責はあった。

ユウトの後をつけた時、蛇の群れに追われて助けてくれた時も、こんな優しい奴を裏切ってしまうのかと、ずっと心のどこかに問いかけていた。


 助けてくれたユウトを騙す事が心の中で願ったことではないから演じるしかなかった。

 

良心との戦いにも勝てず、右手を斬られた者の末路を演じる事で行動に移せた。


ーー騙す奴が悪いに決まっているんだ……こんな右腕になって優しくしてくれた人間なんて、ユウト以外にいねぇ……ーー


本当に欲しかったのは金なのか、それとも信頼できる友と呼べる仲間じゃなかったのかと自身を問いただすことでやっと自分の心の中が見えた。


ルティスは、例え自分の右手が無くなっても、他人を恨むことはなかった。恨んだところでもう右手は元通りにはならない。騙された自分が馬鹿だったと思うしかなかった。

 

恨むのは簡単だ。諦めればよい。

諦めて他人が要因だと思い込めばいい。こんな簡単な現実逃避はない。


 そう思い込ませることで、心は緩やかに壊れていた。


嘘をつき、人を騙してまで自分の身を守る理由は、卑屈に沈み切った自分の心が作り出した、自己防衛の成れの果て。


 大切なものを簡単に失う事を最も容易く許容する思考停止に他ならなかった。


 心の中では、ずっと求めていた。

手を差し伸べてくれる者の事を。

 

ルティスは、ずっと腹が減って動けなくなった自分にパンを差し出したユウトの顔が思い浮かんでいた。

脳裏から離れなかった。


「信じてくれたやつも……裏切って……ユウト……すまねぇ……オレは……」


右手首から血が滲んで地面にも少し赤く染まっていた。


ルティスは孤独に苛まれて、救ってくれたユウトという大切なものを失った。

こんな馬鹿で愚かな自分は救いようがない。そう思った。


「オレは……最低のバカヤローだ……信じてくれた奴まで裏切って!!……くそおおおおおおお!!」


ルティスの肩が揺れ、地面に額を打ちつけて、大声で泣いた。

嗚咽ではきっとルティスの中にあるどす黒いものを全て吐き出せないだろう。何度頭を地面に叩きつけても戻らない過去に謝るように泣きながら打ちつけていた。


クラヴィはルティスの怒りと懺悔と後悔を吐き出すように泣いているところをまともに見る事ができないほどに、ルティスを案じた。ユウトが信じた相手の苦痛だと思うと、とても直視できなかった。


 地面に血溜まりが出来るほど額を打ちつけて泣き伏せたルティスにどんな言葉をかけてやれば良いか、クラヴィはもし自分だったら、と考えて口を開く。


「私が言えた事じゃないけど、過ぎた時間は取り戻せない。だけど、これから未来をより良いものにするためには、今を生きる事しかないわ。失ったものは大きくてもね。やり直しはいつだってできるのよ。」



クラヴィは地面に少し散らかっていた金貨を集めて袋に入れ、額を地面につけて肩を震わせるルティスのそばに置いた。


「右手を失ってしまったあなたの痛みの全ては、申し訳ないけどわからない。どんな罪を犯したのかもわからない。でも生きてるじゃない。どんなに辛くて厳しい道のりでも、生きているだけでいいのよ。必ず道は開けるから。」


「……」


「どんなに残酷な今があっても、明るい未来を手に入れるためには、まず生きる事なのよ……諦めないことね。終わらせるのは簡単だから……」



クラヴィは振り返って宿駅の方に歩き始めた。これ以上何もクラヴィから伝えられることはなかったが、何かを思い出して歩みを止めてそのまま話し出した。


「一ついいこと教えてあげるわ。ダイバ国に行っても右手を切り落とされた獣人の末路は残念ながら同じよ……すこし厳しい道のりだけど、北に行く事を勧めるわ。ドァンク共和国よりも更に北……信じるか信じないかはあなた次第だけど」


 ルティスは顔を上げて鼻を啜り「なんでそんな話をするんだ」と聞き返すと、クラヴィは少しだけ優しい声色で


「ユウトちゃんが信じたあなたには伝えたかった……かな。」


 と答えた。


「ユウト……」


ルティスは心の中に一つだけ残った笑顔をしっかりと胸の奥にある事を確かめて、顔を袖でぬぐい、そばにあった金貨の袋を持って立ち上がった。



ーー終わりたくねぇ……まだ生きたい……ーー




 **************


「おいおい……そんな人攫いみたいな事オレにさせるのかい? ねぇちゃん、アンタ何者だ?」


 宿駅でダイバ国に荷物を下ろして馭者席で寝っ転がって休んでいた体躯のいい壮年馭者は、お願いがあるの、と声をかけて来たクラヴィの胸元に目が行きがちなのを悟られないように話をしていた。

 馭者席からだとクラヴィのドレスは胸元が空いて否応にも目のやりどころに困るらしくまともに顔も見れなかった。


「大丈夫よ、あの子はドァンクに住む子だから」


 と、ユウトの方を見た。


「ねぇちゃんの知り合いか? ならねぇちゃんが連れて帰る方がいいんじゃねぇのか?」


「そうもいかないのよねぇ……私がやったって知ったら嫌われちゃうかもしれないし……でも受けてくれるならこれあげるわ。」


 クラヴィは持っていた袋を壮年馭者に渡した。中身を改めると。


「……おいおい……大金じゃねぇか!」


「そうね、十万ゴルドあるわ」


「なんでこんな金を?」


「んー……あげる予定の人がいらないって言ったから。」


「かぁー! 十万も要らねえとは、金持ちな奴がいるんだなぁ……まあいいや、こんな大金くれるならやるよ。ドァンクまであいつを連れていけばいいんだな?」


 と壮年馭者は木の下で眠るユウトを指差した。


「ええ、お願いするわ。それと、私の事は知らないことにして、たまたまお兄さんが見つけて声かけたってことにしておいてね?」


 お兄さんと言われて満更でもない壮年馭者は「なんだかめんどくせぇなあ」と言いながら馭者席を降りてユウトの元に歩き出した。


 クラヴィはすぐに姿を消して壮年馭者の幌馬車の荷台に乗り込んだ。


中はがらんとして何もなく、幌に背中を預けるようにして腰を下ろした。


外を見ると、壮年馭者がユウトにこちらを指差して話をしていて、ユウトが何度も頭を下げているところが見えた。


表情は見て取れないが、きっとこちらにやってくるだろうと思って目を逸らした。


空には丸く大きな月に雲がかかりそうだった。おそらく雨は降らないだろう。


ぐちゃぐちゃの顔と強い視線で袋をクラヴィに突き出してきたルティスのことを思う。


 ――やれるだけやればいいのよ。懸命に生きることよ……みんなそうやって生きているのだから……――



 


 ユウトと壮年馭者の声が近くなって来た。やはりユウトは壮年馭者の言うことを信じて馬車に乗るのだろう。


「何もねぇ荷台だが寝ててもいいぞ。」



「ありがとうございます! わざわざ声かけてもらって」


「なぁに、いいって事よ。帰りだし荷物は何もないしな」


ユウトは荷台に手をかけ、壮年馭者に笑顔で話をしていた。


 ――お疲れ様、ユウトちゃん――


今はまだユウトに姿を見せたくはなかった。クラヴィの体を弄んだあの男、ヴァイガル国 スルア大臣にケジメをつけさせるまでは……


ーーあの男だけは……私の手で……ーー


 苛立ちと悔しさで唇から血が出そうなほど噛み締め、沸々と湧き上がる怒りと殺意をずっと堪えていた。


 今だけはユウトの側にいる事を許して欲しいと願い、ユウトの横顔を悲しそうに見つめて、届く事はない手を伸ばした。


――いつか、その笑顔に触れられるようになるまで、それまでは我慢しておく。

もしこの手が血みどろでも、理由は聞かずに受け止めてほしいかな……――


 明るく捉えたい未来を想像し、口を歪め、負けて押しつぶされそうになる無情な現実はクラヴィの記憶から消える事はない。

荒む心を少しだけ癒してくれるユウトの笑顔を脳裏に焼き付ける。


 ユウトが話を終えて馬車に乗り込んできた。もうすぐ出発らしく、嬉しそうに袋の中の双子花を覗き見る。

 クラヴィは少しだけユウトから離れるように座る場所をずらした。

 

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