第四章 14:立ち直るために必要な犠牲
双子花を採取したユウトは、ルティスと共にカズチ山麓に戻っていた。
すでに日は落ち、それでもまだ空に少し残る茜色へ夜空が勢力を増すように覆い被さり、あと少しで一日は終わりを迎えようとしていた。
ユウトは双子花を二株を丁寧に掘り、タマモに貰っていた花瓶の中に入れて使う【恵みの魔石】を根に絡ませて布に包み袋に入れていた。
こうすると花の鮮度を長く保つらしく、留守番する理由が花を摘んでくるという事を聞いて、それならとタマモが教えてくれた手順の通りにできたが、初めて行う事で、きちんとできているか不安で、山を下る途中で何度も袋の中の花の様子を見ては下り、また立ち止まり袋を開いて花を見てを繰り返していた。
何も気にせず急いでいたらもっと街道は明るいうちに来ることができたかもしれないと、ユウトは我ながら効率の悪さに少し落ち込んでいた。
ルティスが目を凝らして周りを見て「こりゃ宿駅に着く頃には真っ暗だな……」と、ため息混じりに言うとユウトは反射的に謝ってしまう。
「まあしかたねぇよ。さっさと戻るぜ」
項垂れ気味に返事を返したユウトはルティスの今後について問う。
「ルティスさんは、本来の目的地は宿駅なんですか?ダイバ国に向かっていたとかではないんですか?」
ユウトの突然の的を得た質問に動揺するが
「い……う……お、おう。戻ろうと思ってたんだよ。ほら、いくぞ」
歯切れの悪い返事で事なきを得ようとする。普通なら何か別の意図があるのでは……と、疑われても仕方ない反応だったが、ユウトは一度不思議そうにルティスの顔を見て、半笑いにヘラヘラと愛想笑いを返すルティスに、首を傾げて釈然としなかったが、そういうのならと「じゃあ行きましょうか」と言って宿駅の方に歩き出した。
ルティスは考えていた。もう時間もあまりない。
何故ならユウトの荷物が目的だからだ
出会った当初はこんなに体も細く、力もない人間なら、右手がなくても力づくで荷物を奪ってダイバ国に逃げさえすればいいと考えていた。
山頂まで連れて行かれた時に見たあの深緑の右腕は想定外の出来事だった。だがユウトは気がついていないが疲れて歩く脚が上がっていない。この後、疲れて休みたくなるはずだとルティスは予想していた。
ユウトが手に入れた双子花を奪ってダイバ国で売れば、相当の金が手に入るだろうと。
――アイツの袋を奪えば、俺の人生は変わる……落ちるところまで落ちた人生を逆転するには、やるしかねえんだ――
右手を斬られた獣人がやり直すには、手持ちの金がない状況は、単に野垂れ死ねと言われていることと同じだ。
再起の機会なんてほぼあり得ない現状を打破するには、どこかで金を手に入れる必要があると考えていた。
当初は袋をひったくって逃げれば、人間の走る速さでは追いつかないだろうと見ていた。
だが、なかなか行動に移せないまま、カズチ山に向かうユウトを追いかけるうちに運悪く蛇に追いかけられ見つかってしまったが、なし崩し的についていくことができた。
ユウトが山頂で双子花を摘む間は、土に潜ったオロが飛び出してくるんじゃないかと震えてずっと動けなかったが、帰りにユウトの袋さえ奪えばいいとじっと我慢していた。
山頂でユウトが双子花を二つ摘むところは確認できていて、花は四つは持っている。花は一つ最低十万ゴルドで取引されているので、少なくとも四十万は手に入る計算だ。
何故花が十万もするのかわからなかったが、あんな巨大な蛇がいるのであれば納得だった。
あんな巨大な蛇のいるところなんて誰も行きたくはないだろう。だが、ユウトの命知らずに見える行動は
ルティスに恩恵をもたらすものだとほくそ笑んでいた。
――悪いが、その花……いただくからな……――
宿駅に着いたユウトは篝火で明るくなっていた広場を見渡して、まだ馬車は来ていないとわかり残念そうに口を尖らす。
「どうしよう……少しやすもうかな」
ルティスの見立て通り、ユウトはオロの呪いを解いた後、疲れがどっと押し寄せて目も虚になりかけて眠たくなっていた。
ルティスはそんなユウトの様子をじっと見ていた。草むらから獲物を狙う肉食動物のように。
「ルティスさん……」
突然呼ばれたルティスは目の力を抜いて「お、おう?」と情けない返事を返した。
「どこかで少し休みませんか? ちょっと疲れちゃって……」
よく見ればユウトの顔色が悪い。
「ど、どうしたんだお前……顔色悪いぞ」
「ははは、なんか力使いすぎたのかも……」
足元もおぼつかないユウトはルティスに乾いた笑いを見せると、ふらふらとよろめく
見かねたルティスはユウトに駆け寄り脇から支えた。
「……っと! あぶねえな」
「すいません……やっぱり疲れてるのかな……」
チャンスだ。とルティスは心の中で冷静に奪う者へ思考を切り替えるように自分を命じた。警戒させないいい人を演じるのも、もう少しでいい。
「……だったら木のそばに行こう。昼間俺がいたところに。」
ユウトはルティスに連れられて街道のそばで自分が昼間に座り込んでいた木のあたりに向かった。
ユウトを木の下に座らせると、ユウトは袋を右腕の下に置いた。
「すみません、ルティスさん……」
「気にするな。少し休め。」
「……ちゃんと帰らなきゃ……帰れるかな……」
左手でまぶたを軽く押さえたユウトは、一度深く呼吸をして目を閉じ、ルティスはその時が来るのを待った。
ルティスが思うより早くその時はきた。
ユウトは目を閉じて、呼吸が浅くなり、首が傾くと、寝息を立て始めた。
寝息が聞こえるとルティスは、今まで目を逸らしていたがユウトに目を向ける。
それからはじっと見て、ユウトが完全に寝入ったかを確認するため少しだけ近寄る。
少し音を立ててみたが、ユウトはピクリとも反応しない。そしてさらに近づき、ユウトの右腕のところにゆっくり腰を落とす。
周りを見渡し、誰もこちらをみていない事を確認すると、ユウトの右腕にそっと指を伸ばし、軽く触れた。
反応はなかった。指でユウトの腕を軽くなぞるように這わせても反応はなく、すやすやと寝息を立てていた。
――今しかねえ――
ユウトの右腕をそっと握り、少しだけ上げ、手のない右腕に乗せて、左手で下にあった袋をゆっくりと引き抜いた。
「……ん――」
ユウトが首を動かし、ルティスは心臓が止まりそうになる。動きも止まりユウトの右腕を持ったまま、息を飲む。
動きはそこまでで、ユウトの動きは呼吸のみとなった。
――焦らせるなよ、バカヤロウが――
心の中で悪態をついて、袋をユウトから離すと、ユウトの右腕をゆっくりと地面に下ろした。
ユウトから袋を離すことに成功し、中をあらためて、夜でも輝きを保つ双子花がある事を確認し、口元を緩めて袋を抱えて立ち上がった。
――わりいな。この世の中は騙すか騙されるか……だぜ――
ルティスは音を立てずに立ち上がり、ユウトの方をじっと見ながら後退りして、距離を取ると一気に駆け出して街道に飛び出してダイバ国の方向に無心に走り出した。
「やった……やったぞ!!」
ルティスは喜びを隠せず思わず声を出して走る。
空と地面がひっくり返ったのは笑った直後だった。
「あれ……?」
次の瞬間、地面に側頭部を打ちつけて衝撃と痛みが顔と体に襲いかかる。
「ぐわっ!!」
勢いよく地面を転がって、ようやく止まった時には仰向けになって、一面藍色の空に星が無数に出ている景色だった。
「……いっ……てぇ……」
「あらあら、ごめんなさいね。そんなに激しく転けるとは思わなくて。」
痛めた体を無理やり起こして声のした方を見ると、そこにはこの街道で歩くには似つかわしくない水色のドレスを着て、栗色の長い髪の女が立っていた。
女の正体はクラヴィだった。ルティスに名乗るつもりは毛頭なく話を続けた。「だ……誰だテメェは!何をしやがる!」
「私? 私はユウトちゃんの……保護者ね。今は。ユウトちゃんが屋敷を出ていくところを見かけてついて来ただけだけどね。」
心臓が飛び出るかと思うほどルティスは動揺した。
クラヴィはユウトが屋敷から抜け出すところを見かけて急いでついて来ていたが、とある個人的な理由からユウトには姿を見せないようにしている。
屋敷を出てからは、姿を消して、こっそりとユウトの様子を探る姉のような気持ちで見守っていた。
宿駅について、ルティスに食事を与えて、カズチ山に登り、オロと対峙してここまでやって来た全てを見ていた。
「ユ、ユウト? 誰だそりゃ?」
とぼけるルティスをみてクラヴィは呆れ顔でため息をつく。
あのオロにユウトの右腕を焼かれそうになった時はほぼ姿を現しかけていたが、そこからのユウトの行動や一言一言に感動して余韻に浸っていた時に、ルティスの盗み。もし襲いかかって来たら命の保障は全くできないほど静かに怒っていた。
とぼけるルティスに付き合うように会話を続けた。
「あら、忘れたのかしら、この……荷物の持ち主よ」
と、ルティスが盗んだユウトの袋を持ち上げて肩にかけた。
「お、おい!それは俺の……」
「ユウトちゃんの双子花……でしょ?」
ルティスの顔はみるみるうちに青くなった。二人しか知らない双子花の事を知っている人物がいるなんて全く想像だにしていなかった。
「あなたの名前も知ってるけど……そんなことはどうでもいいわ。明日には忘れているでしょうし。それよりも、ユウトちゃんの荷物を盗んだことは多めに見てあげるから、さっさとダイバ国に行くことね。その右手じゃこの国だと何もできないでしょうし。」
ルティスは動揺を抑える事を頭から命令しながら、この場を凌ぐ事と、あの袋をなんとかして手に入れる事を並列して考えていた。
「さあ……どうするのかしら? まあ何も答えなくても私はもう宿駅に戻るけど」
クラヴィはもうルティスの顔も見たくないと目を背けて去ろうとすると
「……ま、まてよ!」
ルティスが呼び止めた。
「何かしら?」
クラヴィは目も向けなかった。
「な、何か勘違いしているようだが、俺が頼んでその花を取ってきてもらったんだぜ?」
平気で嘘をつく輩を山ほど見て来たクラヴィは、また呆れ顔でため息をつく。
ーー嘘とわかって話をするのは仕事だけにしてほしいわねーー
「……へえ、そうなんだ? ユウトという名前も知らなかったのに?」
ルティスはもう嘘をつくと決めていた。
こうなれば行くところまで行く。
そう決めたら言い訳なんていくらでも湧いてきた。
「へへ……頭打ったから気が動転しててよ……だから盗んだってのは人聞き悪くねぇか?」
「それが本当なら……ね?」
ルティスは山頂にはユウトしかいなかったと確信を持っていた。見渡しのいい山頂で、誰かいたらすぐに気がつくはずで、山頂には間違いなく二人しかいなかった。
どんな言い分でも見ていないのだからこちらの言い分を否定できないだろうとたかを括っていた。
「本当に決まってるだろ! さあ、その袋を返せよ!」
クラヴィの目は、血みどろと名乗る時に見せる、殺気しか感じられない冷たく恐ろしい目線をルティスに向けると、気がついたらルティスの歩みが止まった。
「もう一度言うわね? 今は大目に見てあげるから、さっさと尻尾を巻いてダイバ国に行け。もうこれ以上は言わないわよ?」
ここで引くわけにはいかないと、クラヴィの殺気に唾を飲みこみ声を張る。
「だ、か、ら! それは俺のものだって言ってるだろうが!!さっさと返せ!!このクソアマ!!」
吠えるようにクラヴィに捲し立てると、突然クラヴィが消えた。そこに何もなかったかのように。
「あ……れ……?」
ルティスの視線がクラヴィを探そうとした時、後ろから左首に金属のおそらくナイフのようなものを突きつけられ、首に食いこんだ。クラヴィが愛用しているクナイだった。
まだ首は斬れてはいないが、少しでも動こうものなら間違いなく斬れると分かるほどの強さで押し付けられていて、ルティスは身動きが取れず「う……あ……」と声を漏らすことしか出来なくなった。
「聞き分けが悪い男も女も獣人も嫌いなのよね……私。」
「う……う……」
「もっと嫌いなのは嘘を平気でつく奴らね。ちょうどアンタみたいな奴」
容赦なく突き立てる刃に対してルティスになす術はない。クラヴィが離れる事でしか解放される事はなく、ルティスはうめき声を上げるしかなかった。
クラヴィは優しく子供に躾けるように右肩の上に顔を近づけて語る。
「ユウトちゃんは、貴族会エミグランのもとにいる大切な人なの。宿駅から山頂まで何があったか私は全部知っているわ。だってずっと近くにいたから。」
クラヴィはさらに強く首元にクナイを食い込ませる。
ルティスは震えることさえ許されない恐怖に耐えきれず失禁してしまった。
クラヴィは命を奪われる者の見慣れた生理反応に何も反応することなく続けた。
「この荷物はユウトちゃんのもの……眠った隙にあなたが盗んだ。認めるしかないわよね? 返事はいらないわ。全部見ていたから。双子花もあのオロに恐怖して一つも摘むことさえ出来なかったあなた。ユウトちゃんなら出し抜けると思ってたのでしょうけど、残念ね。」
ルティスは絞り出すように「う……うそ……だろ」と呻く
ーー嘘つきの最後の言葉も同じねーー
「あなたみたいに嘘は言わないのよ。」
「た……たすけてぇ……」
これまで何度も聞いて来た命乞いも聞き飽きたと言わんばかりに、鬱陶しそうに大きく息を吐いた。
「私の大切なユウトちゃんを騙そうとした……それだけで万死に値するわ……覚悟はいいかしら?」




