第四章 11 :不信感は突然生まれる
オロはユウトに痛めつけられた後に新しく生やした尻尾の先端を熱く煮えたぎる溶岩から、岩へと変えた。
――あの尻尾……溶岩から岩に変化させられるのか――
オロの全身は溶岩が包み込んで熱を放ち、近づいて絡まれでもしたら燃え尽きてしまう。
距離をとりながら隙を伺う。しかし、ユウトの動きで何をしようとしているのか察したオロは、至極残念そうに呆れたように
『距離を取って隙を伺う……何百年経ってもヒトは変わらぬな……お前も同じか、全てを知る者よ』
とユウトに人間の浅はかさを嘲笑うように詰るオロは、岩に変わった尻尾を八股に割り、それぞれの先端がユウトに向く。
『姑息に逃げ回らず、全てを知る者の力を見せてみよ!』
八股になった岩石の尻尾がユウトに襲い掛かる。
「くそっ……」
深緑の右腕は、ユウトの身を守るように重たい岩石の尾を弾く。一撃一撃が重たく、弾く度に右腕以外の身体が悲鳴を上げるように軋む。
――だめだ……このままだとジリ貧だ……――
オロの絶え間なく、そして重たい攻撃に根をあげそうになるが、ユウトの目の光は変わらない。攻撃を避けながらまだ隙を伺う。
『眼力だけは一人前だな、ヒトの子よ』
「……くそっ!」
ユウトは一足でオロの体に間合いを詰めた。岩石の尾が向かってきても自らを攻撃してしまうほど近づく選択をとった。
功を奏してオロの体に近づくと岩石の尾の攻撃は止んだが、オロの体表から発する熱で、口の中がすぐに乾き、肺の中まで焼けてしまいそうなほど苦しくなり息を止める。
『私の体温にヒトの子は耐えられん。』
ユウトは左手で口元を抑え、喉が焼けるような痛みに耐えて、目がすぐに渇きそうになるのを防ぐように目を細めながら深緑の右腕をオロの体表に突き刺そうとした。
だが、指が体表に突き刺さろうとした時、溶岩の色合いは一気に黒くなり固まってユウトの指を弾いた。
「っつ! 黒い岩に変わった?!」
体表に黒く輝く岩が八股の尾以外の体表に現れると、尾がまたユウトの体目掛けて狙いを定める。
一つの尾がオロの体表にぶち当たると岩の尾が粉々に砕けたが、砕けた先からまた溶岩が溢れて再生し、すぐに岩となった。
『岩より硬くしたのでな。尾はもたぬがヒトの子を殺せるくらいの衝撃は充分あるぞ』
オロの言葉には嘘はないと実感していた。まるで空から隕石が降ってくるような、恐ろしい速さで八本の尾が降り注ぐ。ユウトに当たらず、砕けて、次の尾が飛んできて、また砕け、次の尾が来る間に再生を始めてまた岩の尾になる。
防戦一方でなんの光明も見出せず一方的に攻撃されていた。
深緑の右腕が、ユウトの危険を守るためにまるで右腕が本隊のようにユウトを操っているように連撃を避けている。
『いつまで続けられるかな?』
オロが見下ろす視線の先のユウトは息が上がっていた。右腕の力で避けてはいるが、徐々に尾の方がユウトの体をかすめ出していた。
尾は右腕を狙ってはいない。生身のユウト、右腕以外の部位を狙っていて、右腕の速度を上回りつつあった。
――だめだ……もう目で追えない――
ユウトの右腕が地面を握るように食い込ませて避けたが足が追いつかず、右足首に岩がめり込み、芯が砕けるような音が体から伝わった。
「……っあああああっっっ!」
右腕の動きに体がついていかなくなる決定打が直撃し、オロは口元が緩む。
『捕まえた。』
ユウトの右腕だけではユウトの右足をカバーすることはできず、地面を転がってオロの体にぶつかって止まった。
『……所詮ヒトの子よ。何故あの女はヒトの子に世界の運命を担わせるのか……』
苦悶の表情でのたうち回っているユウトを哀れに見下ろすオロは、尾を一つユウトの体を押さえ込むように岩を組み替えて、首と脇を地面に押さえつけるように固定し、他の岩石の尾は、纏った岩石を剥がして中から溶岩に包まれた尾を出した。
『世界の悲願は、お前のようにこのオロに追い詰められるようなヒトでは叶わぬ……この山で安らかに眠るが良い……』
「くっ……やめろよ……』
――僕にはやらなければならない事がある――
言葉には出なかったユウトの決心を、オロはなじる。
『フフフ……ハハハハハハハハハハ! 制止してみよ! ヒトの子よ、今お前の命は私の一存で好きにできるのだ。』
オロは八股に分かれた岩が剥がれ溶岩を纏う尾を、全てをユウトの顔の前に先端を向けた。
『この尾がお前の顔に触れれば人生は終わる。この先の未来は全て私が握っている。どうだ? このオロに生死の権利を握られている感想は? 命乞いをしてみよ、気が変わるかもしれんぞ?』
「……いやだね……」
『今、なんと言った?』
「嫌だって言ったんだ……僕負けない!……お前みたいな人の痛みがわからないやつには負けない!」
ユウトの目は死んでいない。オロはユウトの体制と言うことの乖離に笑いが堪えられなかった。
「ハッハッハッハッ!! 愚かなヒトの子よ! せいぜいヨミの世界で宣え!」
オロの目つきがするどくユウトを突き刺すように見据えて、深緑の右腕を捉える。
『忌々しい深緑のその腕をまずは消し炭にしてやる!』
オロの尾が激しい炎を纏うと、七本の先端が、右腕に突き刺さった。
「う……あああああああああああああ!!」
右腕の奥から煙が吹き上がる。炎より高温の尾が深緑の右腕を焼き、これまで感じたことのない痛みが右腕の内側から脳に伝わると、断末魔の叫び声をあげた。
肉の焦げる匂いが煙と共にユウトの顔をよぎる。
『その目障りな深緑は消し炭にして、お前の好きな花の下に埋めてやる』
――ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ!あああああああああああ!あついあついあついあついいやだいやだいやだ死にたくない死にたくない死にたくない!!――
耳が遠くなるほど叫びながら、レイナの笑顔が瞼の裏に浮かぶと、右腕の痛みは和らいだような気がして、意識が遠のいた。
――ケモノ側に付くとは、随分と考えが大きく変わったものだな――
――……お主に言われる筋合いはない。悪いが獣人とニンゲンの関係をより良いものとするため、カズチ山に縛り付けさせてもらうぞ――
――フン……このオロを拘束しようなどと思わぬ事だ……その気になれば瞬きしている間に、お前を焼き尽くしてくれようぞ!――
――フフフ。そうはさせんよ……――
――……な、なんだと?――
――お主が抗えば、お主の可愛い子供たちの命はない。ワシを侮るな蛇よ――
――貴様……! どこまで腐ってしまったのだ!――
――腐ってはおらんよ? ワシは全てを知る者が現れるまで死ねぬ身じゃ。それまでの間お主は邪魔なのだ。一人で何をするかわからんからの? ニンゲンと獣人が手を取り合う世界のために……――
――我が子を放せ!――
――ならばワシの言う事を聞け、オロよ――
――……蛇は嫌われる。ヒトにもケモノにも忌み嫌われ、その運命を受け入れ自ら山に籠り、誰にも見つからぬように擬態までして隠れていると言うのに、それでもお前は我々の住処を蹂躙しようと言うのか!!――
――……――
――お主には心はないのか! 我々が誰にも出会わぬよう、この容姿で多くの者に嫌われる宿業を背負わされた蛇の運命を受け入れ、密かに山にこもり、誰とも会わぬよう生きてきた私と我が子のことを知りながら、それでもお主はまだ枷を与えようと言うのか!――
――……蛇が泣くとはの……オロよ――
――黙れ……黙れ黙れ黙れぇ!! 我々は蛇であることに誇りを持っておる! たとえ忌み嫌われ、殺されようとも誇りを持って生きている! お前に……我が子を気味が悪いと頭を踏みつけられ……砕かれて……殺される私の気持ちがわかるのか!!――
――……――
――我が子を失う痛みが蛇にあるのかと笑うがいい……だが、どう言われようとも可愛くて仕方ない我が子なのだ!!離さぬのならこの命に換えてもお主を噛み砕く!!――
――話は平行線じゃな……――
――……エミグラン!!! やめろォォォ!!――
「うあああああっっ!ーー」
悪夢から覚めるようにユウトは意識が戻った。寝汗にしては服がずぶ濡れで、周りを見回すと、オロはユウトを見下ろしていた。
右腕に刺さっていた尾は抜けて、ユウトを拘束していた尾は離れていた。
オロは八股の尾をそれぞれをぶつからないように振りながら語りかけてきた。
『さすが全てを知る者……私のマナを吸おうとするとは……その右腕はやはり……』
オロは続きを言い淀んだ。
「死んでない……そっか……オロが……」
『勘違いするなよヒトの子よ。お前のその右腕に私のマナを吸われそうになったから離しただけの事……まだ私の恨みは少しも晴らせてはおらぬ』
ユウトはオロから視線を逸らし俯いた。ユウトはオロとはもう戦いたくなかった。
夢の中で、真っ暗闇の中での会話はオロと、おそらくエミグランだろう。あまりにも生々しい会話に夢とは思えなかった。
そして、もしエミグランとの会話が事実なら、オロはユウトをユウトを恨む理由がある。エミグランが待ちに待った全てを知る者だ。エミグランに恨みを晴らすなら、ユウトを殺してしまえばいい。
だが、生きている。ユウトは殺されなかった。
深緑の右腕は焼けこげたはずだったが、なぜか元通りになっていて、岩が直撃した右足首の痛みもなく立ち上がれた。
体の無事を一通り右手を見て握ったり、右足首を動かして確認して、いつのまにか治っていることに静かに驚く。
「なんで……怪我も火傷も何もなくなっているんだろう……なんで……」
何もなかったことのようになっている。エオガーデと対峙したあの夜と同じように。
しかし、あの時と違うのは、怒りはもう薄れていた。なぜならオロはもう戦う姿勢ではなかった。
『お前たち……何故ここに?』
オロが視線を向けた先には、無数の蛇と、ルティスが横たわっていた。
「ルティスさん!」
横たわるルティスに気がつき、駆け出そうとしたユウトは
――帰れ!――
「――!!」
ユウトの耳を通り抜けて直に頭に語りかけるような声が聞こえて足を止めた。
無数に聞こえる声は子供の声色だった。
――ここは僕達の住処だ! 人間は帰れ!――
――平野に住むことすらできないオロ様と僕たちのたった一つの住処にくるな!!――
――人間は許さない……絶対に許さない!!――
――何もしていない僕たちを忌み嫌う人間なんて大っ嫌いだ!!――
無数の鎌首をもたげた蛇達ががこちらを向いて威嚇していた。
今の声はきっとこの蛇達の声なのだろうとユウトは思った。
『お前達……ここは立ち入り禁止のはずだよ? 何故登ってきたんだい?』
オロの声は優しく蛇達に問う。
――オロ様! 僕たちも戦う! 住処を失いたくないよ!――
――僕たちは、オロ様もこの山も大好きだよ! だから奪われたくない!!――
『……大丈夫だよお前達。このヒトの子は花を摘みに来ただけだ。それに、そのケモノの子をよく助けてくれたね。』
――オロ様が怒っているのがわかったから……オロ様が怒ると岩が降ってくるから危ないと思ってみんなで連れてきたんだ!――
――山の上が安全だしね!――
――ヒトもケモノも、僕たちが自分から襲ったらいけないんだよね? でも僕たちを殺そうとする奴らとはたたかわないといけないんだよね?――
――そいつらは林の中を山頂に向かって、登らないで!ってやめてほしくて追いかけたけど逃げられたんだ! 話もできないし……どうしたらいいかわからなかったよ――
――ごめんなさい、オロ様。ヒトとケモノをここまで来ることを許してしまって……――
『そうか……お前達はよく言いつけを守ったね。岩を降らせてしまって怖がらせてしまってすまなかったね……ケモノにも優しいお前達を私は誇りに思うよ』
オロの目は、とても優しそうに蛇達を見つめていた。あの蛇達は、オロとの会話の内容からすると、林で木の上から落ちてきた蛇達だろう。
ーーあの蛇達は山に登らないでって僕たちに伝えたかったのか……ーー
そんなことは全くわからないユウト達は逃げるしかなかった。
何故なら蛇の大群だったからだ。怖いと思ったから逃げた。蛇達は襲うつもりはなく、出ていってほしいと伝えるために追いかけていた。
言葉が通じないと所作振る舞いで判断してしまう。それは蛇も同じようで、言葉が通じないユウト達が敵かもしれないとずっと追いかけてここまできた。
そして、先に行った二人を追いかけて山に登る最中にオロがルティスを吹き飛ばし、転げ落ちてきたルティスをここまで運んできた。
噛み殺すことだってできたはずだ。毒を持っていれば尚更だ。
蛇達はオロを中心とする蛇達のルールに従ってここで生きていた。
平和に暮らしていたオロ達を邪魔したのはユウト達だ。
ユウトの胸の奥が締め付けられるように苦しくなった。忌み嫌われた経験があるからこそ、心の中に閉じ込めていたが同じ痛みがあった。
『興が削がれてしまったな……』
オロがまたユウトを襲おうものなら、蛇達の身の安全が確保できない。これ以上の争いは蛇達にも甚大な影響が出ると判断したオロは、ユウトと戦う気がなくなった。子供達を犠牲にしてまで戦う相手ではない。
オロは尾を振り、八股に分かれていた先端を重ね合わせて一つに戻し、下ろすと、空を見上げて瞼を閉じ、鼻で大きく息をする。その姿がどこか寂しそうに見えたユウトは思わず声をかける。
「オロ……」
『……腕と足は元通りになっているな』
「うん。痛みも何もない。」
『さすが全てを知る者といったところか……私の力が及ばぬとは……忌々しいあの女が待ち望んでいただけの価値はあると言うことなのだな』
「……エミグラン様を、知っているんですね?」
『フン……あの女の事は嫌と言うほど知っておる……なぜなら』
「この山に縛り付けた張本人……だから?」
『……さすが全てを知る者……ヒトの命は我々には遠く及ばないほど短いと言うのに、知っているのだな? あの獣人戦争の事を……あのエミグランが我々にした事を!』
オロの返答は、ユウトが聞いた二人の会話は、オロとエミグランが過去に話した内容であり、その後相対した事を裏付けた。
あの会話は、過去の話、それもこの大地に住む人間
誰一人として生まれていないはずの二百年前の話。
深緑の右腕は、ユウトを守ると同時に、その会話を、何故だかわからないがユウトに聞こえるよう仕向けたのだろう。
――僕の……この右腕は、何を見せようとしているんだ――
オロがエミグランとの会話の前に何か酷い行いをしたのかはわからない。
ただ、ユウトの心の中にエミグランへの不信感は拭う事ができなかった。




