第四章 9:擬態
カズチ山の近くにある宿駅で、ユウトは宿駅入り口にある大きな木造の掲示板のような地図を前に腕組みして「うーん 」と唸りながらあれこれと思案していた。
書かれているエリアは大きく、色で国の領地が分かれていた。
左端の方に、ヴァイガル国とエドガー大森林があり、大森林の右下にドァンク街がある。
中心はこの宿場で、右端にダイバ国があった。
宿場とダイバ国の間に山が連なっていて、その中の一つにカズチ山と書かれた山があった。
絵ではあるが、頂上が真っ平になっている。景色を見渡して、遠目でもおそらくあれがカズチ山だろうと思われる山があった。確かに真っ平に見える。
目測で歩いて行けなくもない距離だが夜までに下山できるか予想がつかなかった。
とは言えここまできたら行くしかないし、遅くとも朝までに戻らないと、屋敷ではタマモが化けている事がバレて、ユウトが居ないと騒ぎになる可能性が高くなると考えると
――やっぱり、今からでも向かって今日中に終わらせるしかないか……――
ここまで出てきたのだから、手ぶらでこのまま帰るわけにもいかないと、ユウトは意を決してカズチ山に向かうことにした。
食事はすでに終わらせていたので活気の良い宿駅からダイバ国に向かうカズチ山方面の道に出た。
心地よい風が体をすり抜けて、カズチ山に向けて吹いていた。
歩いて行くにも暑くもなく寒くもない過ごしやすい天気だ。
タマモ天気予報だと今日は一日中晴れらしいので、なんの憂いない。
ユウトはカズチ山を見据えて歩き始めた。
頼みの綱になる右腕に視線を向けると、二度手を握り込む。
すると、後ろで視線を感じた。振り返ってみたが誰もいなかった。さっきの狐の獣人くらいしか顔を知る者はいないので、気のせいかと鼻を鳴らしてまたカズチ山に向けて歩き出した。
しばらく歩いていると、ダイバ国方面から数人の行商人らしい背中に自分の体よりも大きな荷物を背負った人達が談笑しながら歩いて宿駅方向に歩いていた。
行商人達は談笑を止めて、カズチ山の前で歩みを止めて、山の方に振り返ると、両手を合わせて荷物が落ちない程度に腰から一礼をする。
その様子を見ながら歩くユウトはカズチ山の山頂に視線を向けた。
「神様でもいるのかな?」
神の住まう山として信仰対象が山になると聞いた事があったユウトは、そんな山に入っても大丈夫なのだろうかと不安になる。
だが、道の脇にカズチ山入り口と木の看板がたっていたので立ち入り禁止ではないとわかって胸を撫で下ろす。
罰当たりな事は気が引けるユウトは、看板の前に立つと行商人と同じように手を合わせて頭を下げる。
――すみません。お邪魔します。――
誰にいうでもなく心の中で見えない知らない神様と思われる誰かに言うように。
カズチ山麓は、街道から細い獣道に入り、ユウトの胸くらいの高さの雑草をかき分けるようにして進む。
「……すごい草だなぁ……誰もカズチ山に行かないのかな……」
不満を漏らしながらも歩むのをやめない。
奥に入れば入るほど草の量も高さも増していく。
「はぁ……はぁ……しんどい……これは、看板?……」
草に埋もれた看板が分け入った草むらの中から出てきた。木製だが風雨で朽ちて、触れば壊れそうなほど湿気っているようだ。文字もかすれているが指で文字をなぞりながら読む。
「こ……のさき……カズチ……やま……オロ……注意……オロ?」
まだ慣れないこの世界の文字をゆっくりと読み、オロ注意と書いてあることはわかった。
「オロってなんだろう……」
クマやヘビの注意喚起だろうか、と草むらで隠れている周りに目を凝らす。
この世界でも毒蛇とかいるのかもしれないと、途端に草むらの中にいる事が怖くなった。
「さっさと行こう……じっとしているのもこわいや……」
ユウトは草をかき分けるだけでなく踏みしめて何もいない事を足先で確認しながら奥へ向かった。
草むらを抜けると細い木々が陽の光の大部分を覆い隠す程の林に出た。背丈ほどある草むらは林を境に綺麗になく、久しぶりの地面にホッとする。
草むらは抜けたが、ここにこそクマやヘビがいそうな雰囲気があった。よく目を凝らして辺りを見回すが今のところ何か生き物がいる雰囲気はなかった。
先は斜面になっていて、見上げたその先には山が聳え立っていて、いよいよカズチ山に登る段階まで来れたのだと実感できた。
カズチ山はそこまで大きい山ではなく、一時間もあれば山頂につくだろうとみていた。
陽の光が見えず、今どのくらいの時間が経ったかもわからない。だが早めに登ってとってくることに越したことはないと、斜面に向かって歩きはじめた。
三歩ほど進むと後ろの方で何かが落ちる音がした。
「……!!」
音のした方を見ると、何かが蠢いていた。
「……ヘビだ……」
落ちてきたものの正体はヘビだった。
木の上から落ちてきてひっくり返った体を頭側から腹をひっくり返して地面に向けるように捻りながら蠢いていた。
木の上にいてもおかしくはないし、進む先でヘビが落ちてこないように見ておかなければと、上を向いた。
「……えっ?」
木があれば葉がある。ごく当たり前の連想で木と言えば葉と思いつくだろう。
だが、思い込みというのは時に思考の邪魔になる。
ユウトが見たものを表現するなら、葉が動いていた。まるで生き物のように。
よく見ると葉でもなかった。
白い蛇腹が無数に絡み合い、蠢く。
さらに目を凝らすと、木の上の方には禍々しい模様の細長い群れで何かが絡み合って動いていた。
色も茶色で見分けがつかないほど木に擬態しているのもいた。蛇腹の葉なんてあるのだろうか。
ユウトは考えた。
蛇腹の葉っぱなんて聞いた事がない。そもそも植物がこんなに無数に蠢くなんてないはずだ。では、今見ているものは何かと出される答えは
「うそだろ……」
葉なんて一枚もなかった。何万、何十万、もっとそれ以上かもしれない。数え切れないほどの蛇が木々を覆うように歪な編み目に蛇の幕を張って木々に覆い被さるようにして、まるで蛇の木だ。
何千もの視線が、蛇腹の隙間からユウトに向けて顔を向けて、ユウトを捉えていた。
罠に自ら入ってきた獲物を見る目だろうか、蛇の視線なんてこれまでの人生で感じたことはなかった。
蛇腹の幕の動きが徐々に早くなり、木々を揺らし始める。
「や……やばいな、これ……」
まるで蛇腹の幕が破れて太陽の光があちこちから漏れ入ると、地面に叩きつけられるように木々の上にいた蛇が落下する。
「うあああああああああ!!!」
思わず悲鳴をあげて斜面に向けて逃げ出す。
と、後ろから急に人影が現れて懸命に逃げるユウトがあっさりと抜かされた。
「たたたたたたた助けてくれぇ!!!」
抜いていったのは、宿駅でパンをあげた狐の獣人だった。
だが、今はそんなことはどうでもいい。落ちてくるヘビを掻い潜りながらひたすら走る。
斜面を登りながら後ろを振り返ると、蛇は木から落下して、ユウト達を追いかけてきていた。
前を行く狐の獣人が止まっていた。
何を悠長なことを!と思ったが、彼の目の前には土壁が高くそびえていた。
「行き止まり?!」
だが逃げ道はない。狐の獣人は振り返り辺りを見回していたが回り道する余裕なんてなかった。
ユウトは走りながら口を閉じて右手を握り込む。
――こい……こいっ……来い!!――
願ったのは深緑の力だ。
危機回避でいい。この状況を打破するには勢いよく土壁を登るしかない。
土壁は高く垂直で、ここを登ればヘビは登ってこれないはずだと見ていた。
右腕の奥から深緑の光が輝くと、ユウトの体には不釣り合いなほど大きな深緑の右腕が現れる。
「僕に掴まって!」
「――!」
ユウトは左腕を狐の獣人に伸ばす。獣人は声に反応してユウトの左腕を掴むと
「とどけぇっ!!」
ユウトは深緑の右腕を土壁の上に向けて伸ばすと、深緑の右腕は飴細工のように柔軟に伸びた。
視線の先の深緑の手が、土壁のてっぺんに届くと、土に指をめり込ませる。
「うおおおおおお!!」
右腕が深緑の輝きを増し、伸びた腕が手に戻るように縮むと、二人の体は一気に土壁の上まで放り上げられるように浮き上がり、ユウトは右手に力を入れて獣人を抱えたまま、右手の刺さったところに着地、獣人は引き寄せられた勢いでユウトの左腕から弾き出され地面を勢いよく転がった。
深緑の右腕は腕の内側に蝋燭が尽きて火が消えるように、フッと消えて元通りになった。
「危なかったー……」
ユウトは這う這うの体で仰向けに転がると半身を起こして見回した。狐の獣人はまだ仰向けになって倒れている。
「無事でよかった……」
一息ついて荷物とマントを手探りで確認して無事だとわかると起き上がった。
先ほど登ってきた土壁の境に恐る恐る近づくと、下に見渡す限りの蛇の群れが出来上がっており、体をうねらせて体を絡めあい、まるで蛇の湖のようにみっちり敷き詰められ、全部の蛇がこちらを見ていた。
「ううう……こんなにたくさん集まると気味が悪いな……」
じっと見つめてくる蛇は何かを訴えかけているようにも見えた。
「……ガハッ……」
狐の獣人の体が動いた。
気がついたユウトは、勢いよく叩きつけられたので気を失っていたのかもしれないと心配になり駆け寄った。
「大丈夫ですか?!」
覗き込むように顔を見ると、口はわずかに動いていていた。
「……すまねぇ……助けてもらってよ」
「気にしないでください。それよりもどうしてここへ?」
「……お前がカズチ山に向かおうとしてたから……せめて飯のお礼くらい言わねえといけねぇと思ってよ……」
なんだそんなことかと顔を崩して「気にしないでください」と言うと、狐の獣人は初めて笑った。
「あんな事があったのに、まるでなんて事ないような素振りして……面白いやつだな、名前はなんで言うんだ?」
「僕はユウト。アキツキユウト」
「ユウトか……覚えておく。俺は……あーっと……ル、ルティスだ。」
ユウトはルティスに名前を教えてくれてありがとうと言わんばかりに笑顔で返す。
ルティスは目を逸らして周りを見渡し
「これからどうするんだ? そもそもカズチ山に何しにきたんだ?」
「えっと……人にプレゼントする双子花を取りにきました。」
「双子花? オイオイ……頂上まで登る気か? その花はカズチ山の頂上にしか咲かない花だろ?」
二人はカズチ山を見上げた。木々の隙間から見える山頂付近は岩が剥き出しになっていて、おそらく今いるところが木々が生い茂るエリアで山の中腹からは岩や土ばかりになっていた。
ルティスは両手を肩まで上げて首を横に振り
「ま、さっきの右腕の力があれば登る事は簡単かもな。」
ユウトの深緑の力をもってすれば容易だろうと結論を付ける。とはいえ屋敷に帰った時のことを考えて怪我をするわけにもいかないユウトは慎重にならざるを得ない。
「危険な所って、この下以外にもあるんでしょうか?」
「しらねぇな。聞いた事ねぇ。ここはダイバ国の人間しか登らねえ山だ。入り口があんなに放置されて草が生い茂ってんだ。誰も登ってないんじゃねぇか?」
確かに。とユウトは納得した。
「オロ注意って書いてあった看板があったけど、オロって何か知ってますか?」
ハン!と俺に聞くなと言わんばかりに苛立ちを隠さずに
「んだからしらねぇよ俺は。カズチ山なんかドァンクでも話題にもならねえ。なるとすれば宿駅の目印くらいだ。オロなんて誰もしらねぇよ。」
と身も蓋もなく返されて「す……すみません」と思わず謝る。
「じゃあやっぱり気をつけながら登るしかないか……」
ともう一度山頂を見上げた。ルティスは強く言い返した手前、言いにくそうに切り出した。
「あのよ……すまねえ、俺は蛇が大の苦手でよ……一人で街道に戻れるかわかんねぇからよ……わりいんだがついて行っていいか?」
「え? 別にいいですけど……なんだったら先に送りましょうか? 僕も安全な道を探したいし……」
「いっ……いやいやいやいや! 大丈夫だから!ユウトのやりたい事が先だ! どうしても手に入れたいんだろ?双子花を。」
「それはそうですけど……付き合わせるのもなんか気が引けますし……」
「気にすんな気にすんな!俺は好きでついてきたんだからよ! 先に目的を果たしてからでいい!」
強くユウトのやりたい事を優先しようとしてくれるルティスの様子は慌てていて、何をそんなに慌てるのか不思議だったユウトは、登る間に誰かいてくれた方が不安にもならないだろうと思った。
「なら……わかりました。一緒に行きましょう!」
「……そ、そうか! ありがてぇ! なら早速いこうぜ!」
「はいっ!」
ユウトは右腕に集中して深緑の力を呼び起こす。目を閉じて、森林の空気を鼻から大きく吸い込む。
――来い……深緑の力……マナの力……――
ユウトの願いに呼応するように、また深緑の光が右腕の奥から輝き始める。
光は一度強く光ると、ユウトの右腕は体の大きさには似つかわしくないほどのガントレットを身に付けたように、太く大きくなっていた。
ルティスは蛇に追い回された時は前を走っていたので、ユウトに何が起きたのか分からなかったが、改めて深緑の力をみて感嘆のため息が思わず漏れた。
「……その力……すげえな。」
ルティスは自分の元あった右手の部分を思わず隠した。
「さあ!行きましょう! 掴まって!」
「おいおい掴めってどこを……」
ユウトはまた左脇にルティスを抱えるようにして腕を回すと、深緑の右手を地面に叩きつけた。
「!!!」
次の瞬間には木々を余裕で超えるほどの高さまで浮き上がると、右腕を近くの木の頂点に向けて伸ばすとまた飴細工のように延びた。
「おいおいおいおいおい!! もう少しゆっくり……」
「しっかり掴まっててくださいね!」
「いやいや掴まってて言うのは簡単だけどよお……」
一気に右手に引き寄せられて
「オレは高いところもダメなんだよおおおお!俺を落とすなよおお!」
勢いよく木の上に連れていかれ、また次の木を探して右手を伸ばして、とカズチ山を登るように木と木を右腕で繋いでいくように一気に山を登り始めた。
ルティスの情けない声が風に流されるように消えていく。
すると、先ほどまで二人がいた所の地面が揺れだす。地面に擬態していた無数の蛇が鎌首を上げて一斉にユウト達のいく先を見ていた。




