第四章 8 :贖罪とパン
ダイバ国に向かう定期便の馬車は、ヴァイガル国もドァンク共和国もない。厳密には『戦争状態』だからだ。
ドァンク共和国が建国されてからは、三カ国間で武力衝突はない。
ダイバ国はヴァイガル国ともドァンク共和国共に友好関係を拒否しているが、いずれかの国と同盟を組むようなことがあれば、長年綱渡り状態ではあるが、均衡を保っているパワーバランスを崩し、ゆくゆくは武力衝突をも辞さない争いが発生すると考えられているからだ。
これまで予測通り三ヶ国間で武力衝突が発生することはなく、民間の通商関係は両国ともに維持されている。
定期便の受け入れはダイバ国が拒否しているが、民間での運行は拒否も否定もしないため、民間の行き来は容易に出来る。
今日もドァンク街から商人の馬車がダイバ国にむかうために準備が始まっていた。
大掛かりな運搬で馬車が十台、今まさにドァンク街から並んで出発しようとしていた。
『ドァンク街からはダイバ国に向かう商人の馬車がたくさんあるんだ!』
双子花の採取のため、ユウトは一人で屋敷を抜け出して、ドァンク街の入り口付近にある大きな運搬用に設けられた広場の一角に建っている建物の陰に身を隠し、タマモの話を思い出していた。
『ダイバ国に行く馬車は、北にある広場から出るはずだよ!』
「あれがダイバ国行きの馬車っぽいな……」
『ドァンクからはよくバニ茶や果実酒が運ばれるんだ!積荷に樽や茶葉があれば多分その馬車がダイバ国行きの馬車だよ!こっそり乗ってもバレないから、広場で馬車を探すんだ!』
タマモの話を書いたメモを取り出してもう一度確認する。
――よし! い、いこう!――
ユウトはタマモに借りたフード付きのマントのフードを目深く被り、タマモにもらった魔石や食料と水の入った袋を肩に掛け、意を決して静かに駆け出す。
人目を盗んで馬車の下に身を伏せて潜り込む。
向こうには数人の脚が見えて談笑している声が聞こえてくる。
「今日もあの宿駅まで休憩なしで一気に行くぞ。」
「カズチ山手前のあそこだろ? 最近あの宿駅も噂で人が少ないらしいな」
「おまえそんなこと気にしてんのか?仕事にゃ関係ねぇよ」
「……だといいがなぁ」
話を盗み聞きしていたユウトは、ここにあるどれかの馬車に馬車がダイバ国に向かうはずだと確信した。
『カズチ山近くに、運搬の馬車が休める宿駅ってところがあるんだ!そこで降りたらいいよ!帰りもドァンク街行きのに乗ればいいよ!獣人が御者の馬車なら、まず間違いなくドァンク行きさ!』
少しずつだが、目的に向かって一歩ずつ前に進んでいる実感は次への一歩を期待感持って出せる。
ユウトは談笑していた二人が離れていくのを目で確認して、馬車の後ろから這い出し、後部の幌を開いて中身を確認した。
「だめだ、空っぽだ……次」
すぐ後ろの馬の注目を浴びていたが、愛想笑いして、いななかないでと願いながら次の馬車に辺りに人がいない事を確認して幌をめくる。
数台同じ事を繰り返し
「……あった」
樽が幌に覆われた荷台に綺麗に並べられている馬車があった。辺りを見回して馬車に乗り込み、樽をノックするように叩くと、中に液体が入っている鈍い感触があった。
――この馬車だ。――
この馬車に乗っていれば、カズチ山の近くまで運んでくれるはずだと馬車の持ち主に心の中で、タダ乗りしてごめんなさい、と心の中で謝りながら身を屈めて発車を待つ事にした。
少しして複数の足音が聞こえた。
一人はユウトが隠れる馬車の馭者席に乗り込んだらしく、馬車の車輪が軋む音と揺れが伝わってくる。
「日が暮れるまでには着くようにぼちぼちいくぞー」
「あいよー」
陽気な仕事前のやりとりと共に周りが慌ただしくなると、前の方で馬車が動き出す音がした。そして、ユウトが隠れる馬車も馬が引き始めて動き出した。
こうして、ユウト一人の冒険が始まった。
目的は双子花。レイナたちの笑顔のために、単身カズチ山へ向かった。
**************
どのくらい馬車に揺られただろうか、いつの間にか緊張感はどこかにいってしまって、うつらうつらと眠たくなって意識が夢の中に消えそうになると頭を振って気持ちを入れ直して……
何度も繰り返して時間の感覚がわからなくなったユウトは、幌を少しめくって太陽の位置を確認する。
ダイバ国は、ドァンク街北門から出てまっすぐ北に向かう。
北の廃村を横目にエドガー大森林の脇を沿ってまっすぐ北に行くと、平原にでる。
さらに北に進み北と東側に分かれる道があり、東側に曲がってまっすぐ進むとダイバ国に入る。
タマモからダイバ国の大体の位置は聞いていた。外をこっそり覗くとエドガー大森林はすでに見えなかった。
太陽はもう一番高いところから傾いているらしく、後ろの馬車の影の長さでわかった。
――もうドァンクからだいぶ離れたかも……もう少ししたら宿駅に着くはず……――
一人で双子花をとりに行く。少し前のユウトなら考えられない事だ。深緑の力があれば、この世界での危険はある程度回避できる経験を得ていたからできる事だ。
とは言え、恐怖がなかったかと言えばそうではなかった。屋敷を抜け出す時は未体験を一人で経験する恐怖から少し震えていた。怖さを乗り越えられたのは、頭に思い浮かぶレイナの笑顔だった。喜んで欲しいと思う一心でここまで来れたのだ。
一人でカズチ山に行ったなんて知ったら、きっとレイナは怒るとわかっていたので、そのための保険はタマモに頼んでおいた。
――タマモ……頼むよ……――
**************
エミグラン邸では、復帰したアシュリーがしばらく休んでいたこともあってか、精力的に屋敷の仕事をいつも以上の速度でこなしていた。
今は厨房で夕食に使うブイヨンの下ごしらえを行っていた。
あまりの包丁さばきに、リンは間違えて怪我をしないように後退りして離れてイモの皮むきを隅の方で行っていた。
――体が軽い……不思議ね……少し休んだだけでこんなにも活力に溢れるなんてこれまでなかったわ……いえ……きっとこれはギオンが与えてくれた慈愛の効果……身を焦がすほどの恋慕……あああ、なんて素敵なの……――
凄まじい勢いで野菜の下ごしらえを終えて、大きな鍋にみるみるうちに放り込み、しっかりと水洗いした鶏ガラも入れて水を注ぐ。
鍋の下の薪に魔石で火をつけて、額の汗を拭った。
「さて、これでこれでしばらく煮込んで灰汁を取ればできるわね。」
「アシュリー……」
イモの皮を剥き、視線をイモに向けたままリンが話しかけてきた。
「ん? なにか?」
「クラヴィはここ最近、活力に満ち溢れて仕事をしているそうです。」
「ん? それがどうかしたの? いい事じゃない?」
「私は知っています。なぜ活力が満ち溢れているか。それはユウト様の存在です。」
「ユウト様? なぜなの?」
「クラヴィはユウト様が好きなのです。」
「すっ……!!」
リンから感情に関する言葉が出るとはおもっていなかったアシュリーは驚いた。そして構わずリンは続ける。
「好きになると、行動の速度や質など結果に結びつく行程に影響し、効果として両方とも向上し、また、対象の相手に身も心も捧げられるほど夢中になる。私はそう結論づけました。」
「そ、そ、そうなのふーんそれはすばらしいわねすごいすごいみもこころもささげるってどんなきもちなのかしらおほほほほほほ」
焦りを悟らせまいと感情を押し殺して返事を返すものの、不自然なほど棒読みになってしまったアシュリーにリンは構わず続ける。
「私は分析しました。好きという気持ちは、相手のことを特別に思いやり、自らの心に余裕を与えて、自分の生活にまで良い影響を与えられるようになると。そう結論づけました。」
「なるほどーなるほどすばらしいわねすきってすばらしいわええすばらしい……」
リンはイモの皮むきを止めて、アシュリーを見据えた。
「リン、今あなたは好きな人がいますか?と質問します。」
「おあっとおおおおおお!! 私!ユウト様のご様子見てくるわああああ!!! 灰汁取りよろしくねー!!!」
けたたましく厨房を駆け出して行ったアシュリーを視線で見送ると、リンはまた皮を剥いていたイモを持ち上げて皮を取り切れているか確認し
「無回答。つまりいるという可能性が極めて高い。やはり好きという気持ちは人の持つ力を向上させるのですね。」
結論を出したリンは、新たにイモの皮をむく。
厨房から飛び出したアシュリーは、急いで階段を駆け上がり厨房から離れると息を整えた。
まさかリンから恋愛ごとの話があるとは全く想定しておらず、飛び出してきたのはいいものの、正直この後厨房に戻りづらかった。
――どうしよう……この後リンにどんな顔で会えば……――
アシュリーは自分の顔が赤くなっていることがわかるくらいほてっていて、顔を両手で叩いて横に振った。
――いけないいけない……今はエミグラン様のメイドとして働いてるの……いいことアシュリー……ギオンの事は……――
お見舞いに花束を持ってきた照れているギオンの姿が頭をよぎる。
――……むーりぃー……あんな大きな体で、ミストドァンクのみならず、ドァンク街でも強さに惹かれる人々が多い力強くの象徴のようなお方が、お花が好きで、私のために毎日お見舞い来てくれたなんて……――
アシュリーの顔はますます赤くなった。
気持ちをなんとか落ち着けて、呼吸を整えてからユウトの部屋の前に立ち、ドアをノックした。
「はーい。」
「失礼いたしますわ。」
ドアを開けるとユウトが本を読んでいた。
「あら、お勉強ですか?」
「うん。知らないといけないことが多いからね。でもどうしたの? 何かあった?」
何かあったことはあったのだが、説明するわけにもいかず顔を背けて「なんでもありません。」というのが精一杯だった。
「そっか。ねえ、クラヴィは今何してるの?」
「クラヴィですか? 今は何も任務はないと思いますが……お食事時には姿を見せるのではないでしょうか?」
「……うん。わかったよ」
アシュリーはユウトに何も異変がなく、部屋に異常がないことを確認して、一礼して部屋を出て行った。
ユウトはアシュリーの足音が壁越しに遠ざかるのを確認して大きくため息をついた。
ポケットから魔石を取り出し、床に叩きつけて割ると、ユウトの形はぐにゃりと変形してタマモの姿に戻った。
ユウトは自分が双子花をとりに行く間、タマモに自分の姿に化けて身代わりを頼んでいた。
もしバレるとしたらクラヴィだから気をつけて、と注意を受けていたのでアシュリーに確認したが、任務で遠出していることを願ったが、残念ながらそうではなかったらしい。
――にいちゃん……クラヴィがいたらどこにいるかわかんないから、バレるのも時間の問題だよぉ……――
クラヴィは存在そのものを姿も気配も消す能力がある。もしかしたら今この部屋のどこかにいるかもしれないが、見破ることは誰にもできない。
「はぁぁ……にいちゃん、早く帰ってきてね……」
と、窓から外を見上げた。
**************
ユウトを乗せた馬車は徐々に速度を緩め、やがて止まった。
馭者席から久しぶりに大きな声が聞こえてきた。
「よっしゃー 休憩だ!」
馭者は馬車を飛び降りてどこかに足早に行ってしまった。ユウトは後部の幌をめくって外に誰もいないことを確認した。
――誰もいない、休憩はカズチ山近くの宿駅だって言ってたから、多分ここだ!――
身軽に飛び降りて、素早く身を屈めて馬車から離れた。
宿駅は大きな広場にいくつかの店が連なって活気良く賑わっていた。
どこからか炭火焼きの匂いが漂っていて、ユウトのお腹が匂いに反応して鳴る。辺りにはドァンクから来た馬車の他にも、無数の馬車が停められており各々が宿駅で一時の休みを満喫していた。
――そう言えば何も食べてないんだよな……もう昼も過ぎてるっぽいし――
道のそばには木が十歩程の均等に植えられており、日陰があるところで持ってきたパンを食べるためにどこか座れるところはないかと見渡していると、真ん中あたりの木の下に、座り込み項垂れたタマモとは違うまさに狐色の狐の獣人がいた。
狐の獣人と言うだけでタマモの事を思い出す。
――うまくやってるかな……――
屋敷でユウトの代わりをお願いしたものの、見つかって怒られていないか心配になった。
そのきっかけになった木の陰で項垂れている狐の獣人も、タマモと同じ種族かもしれないと項垂れている理由が気になった。
ゆっくりと近づくと
――あれ……右手が ――
狐の獣人の右手がなかった。手首より先は布で巻かれていたが、手のある部分は見ただけで形がなかった。
――右手が無い……そういえば!――
『ドァンクの獣人で気をつけないといけないのは右手が無い人たちなんだ!過去に悪さして捕まった獣人は罪の大きさで罰が決まるんだ! 強盗放火殺人や、その三つと同じ重さの罪と判断されたら右手を切られるんだ! ドァンクから出ていく獣人もいるかもしれないから、もし宿駅にいたら近づかない方がいいよ!』
ユウトはタマモの注意事項の重要な話を思い出した。
ドァンクで罪を重ねた獣人は右手を斬られる。
斬られた獣人は一目で過去の罪が明らかになり、ドァンクで生きることが困難になり、出ていく事がよくあるらしい。
きっと項垂れている狐の獣人も、ドァンクで何か悪さをして、右手を斬られたのかもしれない。だが、この狐の獣人でタマモの事を思い出したユウトはどうしても放っておけなかった。
ゆっくりと項垂れているところまで近づいて、膝をついた。
「あの、大丈夫ですか?」
狐の獣人は、ユウトの存在に気がつくと右手を隠して目を背けた。
何も喋ろうとはしない狐の獣人は、犬歯を剥き出しにして威嚇するように眉間に皺が寄っていた。
「……っと……ご、ごめんなさい。」
ユウトはお呼びでは無いのだなと立ち去ろうとすると、腹の奥に響き渡るほどの大きさでキツネの獣人の腹が鳴る音がした。
「……おなか空いているんですか?」
ユウトが質問すると「うるせえ」と嫌そうに言い返した。
身なりからお金も持ってなさそうに見えたユウトは、袋からパンを一つ取り出して差し出した。
「よかったら、どうぞ」
「……くっ……!!」
施しは受けないと態度で強がっていたが、空腹には耐えられなかったのか、ユウトの手からパンを奪い取り、一心不乱に食べ始めた。
――よほどお腹すいてたんだな……――
ユウトは少しばかりお金を持ってきていた。ここは食べるものも売っていたので、そこで買えばいいだろうと思っていた。
それよりも一心不乱に食べる狐の獣人をみて、ドァンクで悪いことしても、やり直せばいいんですよと心の中で語りかけた。
ユウト自身、元の世界で大きな罪を背負ったままこの世界にやってきた。贖罪にならないかもしれないが、それでも何もせずにはいられない。期待してくれる人は必ずいると知り、笑顔が見たいと言う理由だけでここにいた。少しずつ前に進んでいる確かな実感があった。
涙目でパンを頬張る狐の獣人をみて、これから大変な道のりでもこの獣人にも明るい未来になるように心の中で祈った。




