第四章 1:待ち望んだ日
――ドァンク街 ミストドァンク中庭
数日前から噂されていた模擬試合の当日、昼食を終え、たくさんの獣人傭兵達が観客となって取り囲む円の中に二人は向かい合っていた。
「アンタが負けても恨まないことね。」
ローシアは右側を全身の毛を逆立たせたサイに向けて半身に構え、その場で足をそろえて小さく跳びながら体をほぐすように、そして視線はサイに集中していた。
格闘家のようにリズミカルに小さく飛ぶ足さばきで赤いスカートの下から、黒いハーフパンツが見え隠れしている。
ローシアに対峙しているのはサイで、六尺棒を両手で幅広く持ち、ローシアと同じように半身に構えている。
「へっ! 俺が勝つ!」
「アニチィ! 負けんなー!」
サイの右側の観客の中にいるキーヴィが、サイに向けて大きな体と腹を飛び跳ね揺らしながら檄を飛ばす。そのそばではユーマが腕組みをして決着の時を見守るべく静かに向かい合う二人を見ていた。
ミストドァンクの中庭では、ローシアとサイの約束だった勝負の火蓋が切って落とされていた。
事の発端は、ユウトがマナばぁさんによってユウトの中に眠る力を目覚めさせるために、過去を断ち切らせるべくユウトの肉体と意識が分離する必要があった。マナばぁさんによってユウトの肉体と意識は分離したが、その隙にアルトゥロにさらわれた。
捜索を申し出たサイの同胞達のおかげでユウトを見つけ出す事ができ、見つけ出したお礼がこの一対一の真剣勝負なのだ。
サイは随分前、ヴァイガル国でタイミングがかなり悪い時にローシア達の前に現れたことで、けんもほろろに扱われていたが、ようやく念願が叶ってこの場に立つ事ができていた。
キーヴィの食い扶持のためミストドァンクで傭兵になれた事で、困窮していた事態は好転し念願が叶って、ようやくローシアに一矢報いる機会を得て、今向かい合って戦う前の緊張感に震えるほど興奮していた。
ミストドァンクの管理者兼傭兵である、オルジア立ち合いのもと、獣人傭兵達も聖書記護衛の一人のローシアの実力を拝見すべく、二人を中心に取り囲むように見守っていた。
ローシアとサイはお互い見合ったまま様子を伺っていた。
サイはローシアに馬車からいきなり蹴落とされた経験から、簡単には懐に飛び込まずに隙を伺っていたが、ローシアに隙が生まれる気配はなく攻めあぐねていた。
「どうしたー! はやくやり合えー!」
「サイー!びびってんのかー?!」
観客は勝手なもので、なかなか始まらない二人の動きにサイが一人苦情を受けるように責められていた。
だが、サイはそんな声も気にならないほど集中し、そしてローシアの隠された力に、意図せず尻込みするように手が出なかった。
ーーやはりこの赤女……スキがねぇ……迂闊には手は出せんが……ーー
赤女とは、ローシアの服装の色合いのみで名付けたあだ名だ。
「アニチィ!! いけるぞぉ!!」
「サイー!やれー!!」
「気持ちで負けてんじゃねー!」
と観客の野次が容赦なく降り注ぐ。
まったく、見ているだけの奴らは好きなことを言う。とローシアもサイも吐き捨てる。
実のところローシアもサイと出会った時よりも力をつけていると感じていた。
力任せに飛びかかる獣人の特有の本能を剥き出しにした闘いを想定していたが、じっくりと隙を伺い、獲物を狙う獣の様な鋭く細い殺気をずっと受けていて、簡単に懐に入れないと思っていた。
――迂闊にはいけないけど……――
身構えるサイの後ろには、レイナとユウトが観客の一員として最前列でこちらを見ていた。
「ローシア……どうしたんだろう。」
不思議そうにユウトが呟くとレイナは真剣な面持ちで視線を二人から外さず
「サイ様も力をつけていらっしゃると言う事ですわ。」
と、ローシアと同じ感想を持っていた。
ミストドァンクが活動を始めて、獣人傭兵達の実力がみるみるうちに向上していた。
これはオルジアの管理によって、適材適所で安全を確保し、その傭兵に応じた依頼で能力向上を図り、それらをまとめてティア表で徹底管理することで着実に力を向上させる傭兵が出てきており、サイ達もその中に入っていた。
ローシアは左目の眼帯を指で縁を撫でる。
――自前の死角は危険で誘いに使えないかもね……ならば素早く先の先をとる!――
ローシアの左足が地面についた瞬間に土煙だけ残して一気に間合いを詰めた。
観客達には目にも止まらぬ速さだったが、じっと獲物を見ていたサイは見逃さなかった。
――眼帯をしている方は見えてねぇはず……なら!――
サイは右側に飛び退き、サイがいた位置にローシアの飛び蹴りが空を切った。
――くっ!――
ローシアの視界の弱点を的確に読まれた。
サイは六尺棒の先端をローシアの喉元に狙いを定め、右手一本で六尺棒の根本を持ち貫く。
だが、ローシアは六尺棒の先端を見ていた。
サイの動きは想定内で、的確についてきた六尺棒を背中を逸らして避け、反動でバク転する様に着地してサイに向き直る。
――……チィッ……やっぱり死角狙ってくるワね……――
ローシアの眼帯は誰が見ても視覚の弱点にみえる。だからこそ本人もいなし方も心得ていた。
「だよなぁ! 俺が認めた好敵手なんだからよぉ!」
サイは六尺棒を握り直す。
「誰が好敵手よ!勝手に決めるんじゃないのよ!」
「っせえ!」
サイの六尺棒が風を切る様にローシアの頭上に振り下ろされる。
――速いっ!――
両腕をクロスさせてサイの攻撃を受け止める。六尺棒の攻撃は骨に響くほどで、ローシアは苦悶の表情を見せる。
苦戦しているローシアにユウトが思わず声をだす。
「ローシア!!」
心配そうなユウトの声にローシアの口元が緩む。
――ホント……弱々しかったアンタに心配されるなんてね……――
ユウトの応援を感慨深く味わった後、また口元を引き締めて、サイに一足で地面を蹴り、目にも止まらぬ速さで一気に間合いを詰める。
「へっ! 攻撃を喰らわなけりゃこっちのもんだ!」
サイはまた同じ様に右側に避ける。
だが
「あいにく、その手口は見飽きてんのよ!」
ローシアもサイの避けた方向に顔を向けてサイを視界に捉えると、地面に足をつき、無理やり方向転換する。
力の向きを変えるためにかかる負荷で、ローシアに体の軋む音が骨と肉を伝わって耳朶に届く。
「……ぐっ!」
想定していない動きは油断を招く
「な……!」
ローシアの拳がうねりをあげてサイの顔を狙い撃つ。だが、サイはかろうじて六尺棒を顔の前まであげてローシアの拳を受ける。
「やるじゃない」
「お前……」
サイはローシアが本気で立ち向かっていることに気がついた。お遊びではない本当の真剣勝負だとはっきりとわかった。
「いいぜいいぜ……やろうぜ! なぁ!!」
「フン…。うっさいやつなんだ……ワ!」
ローシアは一撃必殺を考えてはいない。結果的にそうなれば良いが、できなかった場合の危険も想定して拳を避けた場合の行動の余裕も残している。サイの六尺棒でガードさせられたがもう一方の手を伸ばして六尺棒を掴む。
「なにっ!」
ローシアは力任せに引っ張り、サイの重心を左にずらすと、六尺棒を離して少し右に回り込み、腹部へ拳を最短距離で沈め込む。
腹部を捉えた拳に手応えがあった。
「……ぐふぅ……」
サイの口から声にならない苦痛の息が漏れ出る。
好機とばかりにローシアの右脚がたたまれて同じ腹部への蹴りが繰り出されようとしていた。
ーーだよ……なぁ!オメェは懐にはいらねぇと何もできないもんなぁ!!ーー
サイは無傷で終わろうと思っていなかった。これまでローシアと何度か対峙して、圧倒的勝利は見込めないだろうと予想していた。いくつかは攻撃を喰らうだろうが、その時に生まれる隙があるはずだと予想していた。
今まさに、蹴りを繰り出そうと片足で立っているローシアがそこにいる。片足で動けるはずはない。
攻撃の意図と見える行動が合致した今のローシアに想定外はない
サイは苦悶の表情を歯を食いしばって拭い去ると、六尺棒を握りしめて、ローシアの蹴りの前にガラ空きになっている脇腹めがけて半円を描きながら打つ。
直線と半円の軌道では圧倒的に半円が不利だが、サイのこの一撃にかける思いは全ての行動に現れており、半円の動きに体をずらして蹴りの軌道を変える事、そして、先ほどまでのサイの動きと比べて一段速くなっていた。
これまで動きを僅かに遅くして誘っていた。
ローシアの認識しているサイの動きよりも速い動きはローシアに動揺を与える。僅かな認識のズレは無意識に行動を抑制し、迷いが一瞬生じたローシアの速さは瞬きほどの遅れが自然と生まれた。これは反射的なもので、防御に一瞬だけ思考を取られた時にでてきてしまう。ローシアはまんまとハマってしまった。
――この一撃に賭けていたのね!……くそっ!間に合え!――
「俺が勝つんだああああああああ!」
観客が固唾を飲み見守る中、ローシアの一瞬の迷いと、サイの隠していた速さの勝負は……
相打ちだった。
お互いに攻撃をくらって、二つの鈍い音と共に、サイは後方に吹き飛び、ローシアはその場に膝を崩してしゃがみ込んだ。
どちらにダメージがあるかは一目瞭然で、観客の側まで吹き飛んだサイは白目をむいていた。
オルジアはその顔を覗き込んみ、意識を失ったサイを見て頭を掻き
「こりゃぁ流石に続行は無理だな。」
と早々にサイの敗北を決定して、ローシアの勝ちを言い渡した。
観客は大いに賞賛を湧いてローシアに集まった。
先頭はレイナとユウトだ。
「ローシア! すごいよ!」
ユウトが駆け寄って勝利を労うと、サイの六尺棒の一撃が堪えて一瞬顔を歪める。
「いや、危なかったワ。」
「お姉様、大丈夫ですか?」
ユウトの感想とは真反対に心配した面持ちでレイナはヒールを施すために腕まくりをした。
「大丈夫なんだワ。レイナ。」
レイナの所作から何をするかわかったローシアは、ありがたく思ったが断った。
「体内のダメージは後で深刻になることもありますよ?」
身体の気遣いは不要と言わんばかりに身軽に立ち上がると、俊敏に動いて見せる。
「ほら、大丈夫なんだワ。少し当たっただけよ。本当に。」
「なら良いのですが……後で痛むようならいってくださいね?」
「もちろんよ。」
レイナの様相は変わらずだったが、獣人傭兵達は勝者に賛辞と拍手を浴びせて、ローシアはまんざらでもない気持ちを表に出さず、サイのもとに歩み寄った。
既に意識は戻って、キーヴィとユーマが介抱していた。
サイはローシアを見るとすぐに目を逸らした。
「なんだよ……負けた俺に勝利宣言でもしに来たのかよ。」
ローシアは鼻を鳴らして
「アンタバカなのかしら? アタシがそんなことするように見えるのかしら?」
「じゃあ何しに来たんだよ……」
サイは拗ねた子供のようにそっぽを向いた。
勝負して負けた事実は、ローシアに立ち向かう気持ちを消沈させるには充分で、もうローシアに戦いを挑むことすら出来ないと落ち込んでいた。
「また、やるんだワ。アタシもうかうかしていらんないワ。」
「……へ?」
思わぬローシアの言葉に顔を見上げると、健闘を称えるローシアの笑顔があった。
ローシアは例えどんな相手でも敬意を払える相手にはきちんと敬意を示す。
この戦いにしっかりと対策を考えて立ち向かってきたサイの立ち振舞にローシアは感嘆していた。
背が低く、初めて合う人には舐められて見られるローシアにとって、真剣に立ち向かってきてくれたことが何よりも嬉しかったのだ。
ローシアは右手を差し出すと、その手を見つめたサイは、少しだけ顔を赤くして
「次こそは勝つ……からな。」
と、口をとがらせて小さな声で言いながらローシアと握手をすると
「望むところよ。」
ローシアもサイの手を握り返した。
二度ほど上下に振って、手を離すと、それじゃあね。と手を振ってユウトたちの方に歩いて行った。
立会人のオルジアは二人の様子を冷や冷やとして見守っていたが、何事もなく模擬試合が終わったと気が楽になった。
ローシアとサイでは実力差があると考えていた。
怪我が無いようにと祈っていたが、前評判を覆すほどにサイの実力が上がっており、ローシアに近い力を発揮出来たことに驚いていた。
――ティア表も見直さないといけないかもな。――
傭兵の実力が向上することは、暗に力を示すことになり、ミストドァンクの存在が街にとって治安の向上につながり、ひいては街の活性化につながる。
ひとえに獣人傭兵の努力の賜物ではあるが、目に見えて成果が出ている事に喜びもひとしおだった。
オルジアは横たわるサイの側で片膝をついて
「お前さんもなかなかやるじゃないか。」
と起き上がるよう手を差し伸べた。
オルジアはミストドァンクで、獣人傭兵の兄のような存在であり、サイはまるで兄に認められた嬉しさが込み上げた。
「へへ……でも負けちまったからな! 次は勝つぜ!」
オルジアの手を借りて起き上がると、ユーマとキーヴィが肩を貸そうと両脇に肩を入れる。
「な、何だお前ら!大丈夫だってぇの!」
「へへへ、アニチィ……かっこ良かったぞ!」
キーヴィは自慢のサイが全力を出しきったことを知っていた。手抜きなし、前日から頭を抱えながら策を練り、全力でぶつかり出せるものを全部出した。
ローシアとの戦いは、エドガー大森林で三人とも経験している。あの時は全く歯が立たなかったが、先ほどの戦いは、ローシアに一撃を食らわせることができた。これは大きな前進だとユーマもキーヴィも口には出さないものの二人共同じことを思っていた。
「兄上。また、1つずつ前に進みましょう。」
ユーマの言葉はサイは何よりも優先する。
「ああ。まだまだ先は長いが、いつかは……」
サイはユウトとレイナの元に戻って談笑しているローシアの方に向く。
――あいつに勝ってみせる!――
「よし!お前ら!行くぞ!」
ローシアから受けたダメージなどどこ吹く風と言わんばかりにサイは息巻いて、ミストドァンクの依頼の貼られているコルクボードのところまで、二人を従え足取りも軽ろやかに向かった。負けはしたものの大きな前進を確かに感じて。
ユウトは三人を目線で追うと、ローシアに視線を向けた。
観客だった獣人傭兵たちと先ほどの戦いの身のこなしについて説明をしていた。そんな姉を優しく見守るレイナも一歩引いてローシアを見守る。
ユウトは傭兵として活躍し始めていて、個人でのティアは4までになったが、特例でティア2になっているローシアたちについて依頼をこなしていた。
少し前にレイナはオルジアにものすごい剣幕でユウトのティアについて口角泡を飛ばす勢いで異議申し立てていたが、認められなかった。
オルジアの言い分は、ティア3以上になったらユウト一人で依頼を受けてもらう事もあるがそれでも良いか?のことばに何も言えなくなったレイナがすごすごと引き下がった形で決着を見た。
レイナはユウトから離れる決断は出せなかった。
単純に離れることが何よりも嫌だったからだ。
今日もこのあと一つ依頼をこなして終わりだ。それも引っ越しの荷物運びというユウトのティアに合わせた依頼なので、姉妹からするとなんのことはない作業だ。
傭兵としての仕事もこなさなければならないが、ユウトたちの直近に控えた最大の目的は
『イクス教神殿の地下にある、カリューダの黙示録に接近して、可能であれば破壊する事』で、
これは何よりも優先される『姉妹の悲願』だ。
エミグラン曰く、ヴァイガル国の準備待ちとのことらしいが、流石に時間かかかりすぎているようにも思えた。
少なくとも、イシュメルとユーシンの葬儀から十日以上は過ぎていて、ローシアはまだかまだかと毎晩のようにいらだちを隠せずにいたし、レイナはローシアをなだめる作業が夜間に発生していた。
「ふー……やっと終わったんだワ。」
ようやく獣人傭兵の賞賛と質問から開放されたローシアは、レイナの笑顔の困り顔と共にユウトのそばに来た。
「お疲れ様。流石ローシアだよ。」
「ふん。アンタに褒められてもなんか嬉しくないのよね……」
ローシアのツンはユウトの守備範囲内でどうということはなく話を続ける。
「あと一つ依頼こなしたらもう帰ろうよ。きっとミシェルも待ってるしさ。」
聖書記候補者となった、まだ小さな女の子であるミシェルの護衛が三人の最優先任務だが、儀式が始まらない今は、ミストドァンクに届く別の依頼をこなしていた。
ミシェルはローシアがお気に入りになっていて、帰ってからまた子供の無尽蔵な体力に付き合わされる事を思い出したローシアは、わずかに顔が引きつった。
「あまり帰りたくなくなってきたんだワ……」
ミシェルの事で帰りたくないと言い出したことを察したレイナは
「まぁまぁ……そう言わないで下さいお姉様。」
「……別に嫌じゃないからいいんだワ。」
なんだかんだで子供好きなローシアが一番適役だと二人は密かに思っていたし、きっとミシェルもローシアが子供好きだということをわかっているフシがあると思っていた。
「ローシア様!」
不意にローシアが呼ばれて三人とも声のした方を見ると、エミグランのメイドであるソマリが立っていた。
「あら。ソマリじゃないの。どうしたのかしら?」
呼ばれたローシアがソマリに用件を尋ねた。
ソマリは一度咳払いをして
「聖書記最終儀式の日程が決まりました。エミグラン様がお呼びですのでお屋敷にお戻りください。」
というと、ついに一日千秋の思いで待ち望んだ日が来たとローシアの口角は自然に上がった。




