第三章 32 :想い出は途切れないからあたたかく辛い
レイナとユウトは、ローシア達と別れてマナばぁさんの家に向かっていた。
途中、道の横で並んでいた露店で、マナばぁさんの好きそうな茶菓子をレイナが見繕ってお土産も買っていた。
ユウトの側で歩けることが夢のようなレイナは、終始笑顔でふわふわとした夢心地だった。
ユウトは何かレイナが嬉しい気持ちに引っ張られるように自分も嬉しくなっていた。
そんなユウトを見たレイナが……と、二人の間で温かい気持ちの永久機関が出来つつあった。
幸福の連鎖の最中に、レイナはユウトが何故マナばぁさんに会いにいくのかを聞いていない事を思い出した。
「ユウト様、今日はマナばぁ様にどんなご用件なのですか?」
「え? えっとね、何で言えばいいかわかんないけど……」
レイナは不思議そうに首を傾げた。
「感謝は伝えたいと思ってるんだけど、まぁ会ってみてマナばぁさんと話した内容で察してよ。僕もまだ何を言うか考えていないんだよ。」
「何を話すか考えていないのに会うのですか?」
「え? 人と会いたい時に話す内容を考えて会うの?レイナは。」
と言われても顎に指を当てて考える。理由が先か気持ちが先かで考えるが、そもそもレイナはそんな事すら考えない事に言われて気がついた。
「会いたいと思った時に会うでいいじゃん。相手に都合はあるだろうけどさ。話したい内容って会ってみなきゃわかないでしょ?」
確かに、とレイナは少し納得した。何かを伝えたいだけなら手紙だけでも良いはずで、ユウトが会いにいく理由は、ちゃんと相手の目を見て溢れてくる気持ちを伝えたいのだと理解した。
だが、ユウトの会いたい相手がマナばぁさんというところに少し頬を膨らませる。
「レイナとはいつでもそばに居てくれる。でもマナばぁさんは会いに行かないと機会がないじゃない? だから会いにいくんだよ。」
思わぬ言葉に足が立ち止まったレイナは、いつでもそばに居てくれる。というユウトの言葉を何度も脳内で再現した。
「どしたの? レイナ?」
立ち止まって少し後ろにいたレイナに不思議そうに尋ねると
「い、いえ! 何でもないです。」
と、少し離れてしまった距離を早く縮めるべく小走りに駆け寄る。
「私はいつでもお側におりますから!」
と、買ったお土産を握りつぶしそうになるほど拳を握り、鼻息荒くユウトに宣言した。
「うん。全てを知る者としての自覚はまだないけど、守ってくれるし安心してるよ。」
と、レイナの期待する答えとは違って口が半開きになり目に見えて項垂れた。
――そう……それはそうなんですけど……――
「……僕もレイナを守るよ。ローシアもみんなも。だから心配しないで。」
ユウトは少し顔を赤らめてながら、それでも決意に満ちた表情でいうと、レイナが垂れていた頭を上げて顔を見た。
じっと見つめる目の奥には、これまでのユウトには見られなかった力強さがあった。
初めて会った時は全く頼らなかったユウトがレイナもローシアも守ると力強く宣言して、嬉しくて少し涙目になってしまった。
「はい。私もユウト様のお側におりますから。ご安心ください。」
ユウトが昏睡している時に何度も何度も語りかけてきた言葉をユウトに伝えた。
あの時のユウトは目を閉じたまま何も答えてくれなかったが、今は
「うん! わかったよ、ありがとう。レイナ。」
ちゃんと笑顔で答えてくれる。ごくごく当たり前のことが本当に幸せなことなのだと噛み締めた。
「……ここまできていうのはすっごく申し訳ないんだけど……マナばぁさんがいなかったらどうしようか。」
マナばぁさんの家の前に到着し、ユウトが開口一番そういうとレイナは優しく。
「きっといますよ。さあ、入ってみましょう。」
と言って扉に手をかけた。鍵は空いているらしく扉を開けた。
「マナばぁさま、いらっしゃいますか?」
奥の方からマナばあさんの「はーい。」間延びしたような返事が聞こえた。
「ほら、いらっしゃいますよ。」
「よかったぁ……レイナに一緒に来てもらったのにいなかったらレイナにも申し訳なくってさ。」
レイナはそれでも全然構わなかった。
「その時はまた私と一緒に来たらよいのですよ。私はユウト様のお側におりますから。」
「そっか……そうだね。ありがとう、レイナ。」
レイナはユウトにありがとうと言われるだけで、心が温かくなり、この気持ちをずっとずっと持てることができたらいいと感じていた。
そうこうしているうちに奥からマナばぁさんがゆっくりとやってきた。
「おやおや、レイナちゃんかい……おお、ユウトちゃんも……話は聞いていたよ。」
マナばあさんはユウトの両手を握った。
「うんうん……マナもしっかりと体を巡っておる……よかったよかった。目が覚めてくれてよかった。」
何度もユウトの手を撫でながらユウトの顔を見上げては頷いた。
「はい……あの……」
「お客様がきとるんじゃが、まあええじゃろう。入っていきなさい。またバニ茶の茶葉を手に入れてのぅ。ほらレイナちゃんも大好きじゃ……」
「大好きです! いただきたいです!」
バニ茶に目のないレイナが断れるはずはなく、クイ気味に即答した。
「ほっほっほっ――ほれ、入りなされ。」
と家の中に促された。ユウトもお言葉に甘えることにした。
「この間、お茶を飲んだ部屋に行きなされ。わしはバニ茶の準備をしてくるでな。」
レイナはまたあのお茶がいただけると思うと返事も明るく
「はいっ!ありがとうございます!」
と、今にもスキップしそうに先に進んだ。
部屋の扉に手をかけ開けると、レイナの楽しそうな顔が驚きに変わる。
ユウトは部屋を覗き込むと
「え……エミグラン様?」
部屋の中には椅子に座って扇子で顔を仰ぐエミグラン、そして後ろに立ちこちらをじっと見ているリンがいた。
エミグランは二人に気がつくと
「ほう、お主らも来たのか?」
珍しく微笑んで声をかけてきた。 ユウトはここにエミグランがいることが不思議でならなかった。
「なぜエミグラン様がここへ?」
「姉の家に来ることがおかしいかの?」
「……姉?」
「いかにも。マナばぁさんはわしの姉じゃ。言うてなかったかの?」
ええええええ! と声を大にして驚いたのはユウトだ。
「そんな驚くようなことでもあるまい。わしに姉がおるのがそんなに不思議か?」
「……いえ、あんな大きなお屋敷なのに別々に住んでるんだなぁって……それに……」
見た目の年齢が祖母と孫だと言う事はマナばぁさんに失礼になると言い淀んだ。
「お互いになすべき事が違うからじゃな。わしはドァンク全体を守るため、姉はドァンクに住む一人一人を守るため……」
「ほっほっほっ……いいように言うてくれるの、エミは。」
部屋の入り口から、マナばぁさんがティーセットをお盆に乗せてゆっくりと入ってきた。
「エミ……?」
エミと呼ばれたのが気に入らないらしく、エミグランは咳払いをする。
「幼名で呼ぶのは二人きりの時だけじゃろう。もうボケてしもうたか?」
「ほっほっほっ リンちゃんがおるときも言うておる。そうじゃろう?リンちゃん。」
リンは視線をマナばあさんに移し
「マナばぁ様の質問には、はい。と回答します。マナばぁ様はエミグラン様の幼名のみで呼ばれています。」
「人の召使を勝手に使わんでくれ。」
エミグランは不機嫌そうに顔を背けた。
「ほっほっほっ 相変わらず短気じゃのう……まだ若いせいかの?」
「何を言う。お主と一つしか歳は違わんではないか。」
明らかに年寄りのマナばぁさんと、もしかしたら高校生のユウトと同い年に見えるかもしれないエミグランの歳の違いに
「一つ違い?!」
とユウトもレイナも思わず声が出てしまった。
二人の声に怪訝な顔をしたのはエミグランだった。
「それは、わしが年寄りに見えるのか、姉が若く見えるのか……どっちじゃ?」
エミグランはユウトにいじわるな質問をニヤけながら投げかける。戸惑うユウトにマナばぁさんは拍車をかける。
「ほっほっほっ そんなことは言わんでもわかるじゃろう。のう? ユウトちゃんや。」
最悪の返しをされたユウトは、引きこもりが直近の社会経験なので最適解を導き出すことができるはずもなく、どもった後にへへへと愛想笑いをするくらいしかできなかった。
面白くなかったのはエミグランで、、つまらなさそうにため息をつく。
「……つまらん男じゃの。もうよい茶をよこせ、姉よ。」
「ほっほっほっ 若い子をからかうな。もう十分蒸れたじゃろう。」
マナばぁさんはティーポットからカップに濃い茜色のバニ茶を注ぎ入れると、エミグランの前に押し出すようにカップを渡した。
「リンちゃんも立ってばかりいないで、座りなされ。椅子は空いておるよ。」
リンは戸惑いエミグランの方を見た。バニ茶の香りを楽しんでいたエミグランはチラッとリンの方を見て小さく頷くと、リンは意を決して
「失礼します。」
と言って椅子に座った。
いつも無表情なリンだが、戸惑っているのはユウトでもわかるくらいに視線が少し泳いでいた。
「ほっほっほっ この家ではみんな平等じゃよ。わしもエミもリンちゃんもの。」
と、リンの前にカップを滑らせて渡した。
「あ……ありがとうございます。」
リンはカップの中のバニ茶をじっと見て口をつけた。
喉が動くと目を見開いて
「……おいしい。」
と言うとマナばぁさんは満足そうに頷いた。
ユウトとレイナにもバニ茶を出されると、お土産で持ってきた茶菓子を手渡し、各々がバニ茶を堪能した。
「……全てを知る者よ。」
突然エミグランに呼ばれ緊張するユウトは声が上擦って返事をした。
「深緑の力は扱えるようになったのかの?」
「えっと……はい。多分……コツのようなものは掴んだので。」
「そうか……それは何よりじゃ。」
「やっぱりこの力が必要なんですよね……」
ユウトは右腕を見ると、腕の中心から深緑に輝き出した。
レイナ以外は初めて見る深緑の光の美しさは三人の視線を釘付けにした。
「ほっほっほっ 美しい光じゃの。こんな濃いマナを見るのは本当に久しぶりじゃ。」
エミグランは残っているバニ茶を飲み干すとカップをテーブルに置き
「フン……気が合うの。わしもそう思う。」
とマナばぁさんに向けて素気なく返す。
「エミや……もう動き始めるのじゃな?」
「……うむ。全て整ったからの。もうやつは動き始めておる。後手に回るようなことになってはならんからの。」
ユウトは、エミグランの言う『やつ』というのがアルトゥロのことなのだろうと思ったがあえて確認はしなかった。
「僕に……今出来ることはありますか?」
エミグランは驚いたが、表情には出さなかった。ユウトが自ら志願するようなことを言うとは思っていなかった。
「何を急いでおるのじゃ?」
「……僕にも出来ることがしたい。ローシアやレイナが望む世界にしたい。魔女なんて縛られずにみんなが笑って過ごせるような世界にしたい。そう思ったからです。」
「ユウト様……」
レイナはユウトの思いを聞いて胸が熱くなった。
「……良い心がけじゃよ全てを知る者よ。」
「きっと僕がもっと力があれば、イシュメルさんもユーシンさんもあんな目にあわなかった……僕は、その事だけは自分が許せない……」
ユウトは膝の上で拳を握った。もし昏睡してなくて、二人が倒れた時に深緑の力が使えれば、ヴァイガル国でレイナの傷を治したり、自分の死をなかった事のようにした奇跡を再現できていたかもしれない。
レイナは悔しそうで今にも泣きそうなユウトの膝の上の拳に手を置いた。
「ユウト様、私が言うべき事ではないですが、考えすぎないでください。」
「レイナの言う通りじゃ全てを知る者よ。わしとて同じことを思っておる。お主が現れてもっと注意を払うべきだった。お主だけのせいではないぞ。」
ユウトは涙目になり、エミグランは微笑んだ。
「自分を責めるな。逝ってしまった二人もそう言うはずじゃよ。」
「ほっほっほっ ユウトちゃんは優しい子なんじゃの。エミが励ますところなぞ初めて見たよ。」
「姉よ。一言多いの。」
と、エミグランは途端に不機嫌そうな顔に変わる。
「全てを知る者よ。今すべきことはこの世界を知る事に重きを置く事じゃ。」
「……はい。」
「黙示録は逃げはせん。そしてお主以外に壊すこともできん。きたるべき時に向けて爪を研ぐことも大切なことじゃからの。姉妹と共に行動することじゃ。」
レイナは今後の事の話題になって気になることがあった。
「エミグラン様、ミシェルは……聖書記の儀式はどうなるのでしょうか?」
「ここ数日で色んなことが起きた。彼の国から申し出があるまでは儀式はない。じゃが、もし黙示録の破壊が出来る最初の機会はその時じゃな。」
「――!!」
「黙示録は神殿地下にあるはずじゃよ。そして最後の儀式は黙示録のもっとも近い場所で行われる……つまり一番最初の機会はそこじゃ。」
レイナはローシアも一緒に来ればよかったと後悔した。何百年もその存在のことは語り継がれていたが、どこにあるか誰も知らなかった黙示録の場所がエミグランの口から語られた。
レイナが唖然とする顔になっても何ら不思議ではなかった。
レイナの顔を見たエミグランは口元だけ笑って
「見てみとうないか?黙示録を……お主達の運命を決めた物の正体を。」
とレイナに語りかけた。
今まで黙示録の破壊を宿命として生きてきた姉妹は、黙示録がどんな物なのか、形も大きさも全くわからなかった。それが今、明らかにしたくないか?とエミグランがレイナに問いかけた。
レイナはすぐにローシアに話すべき内容で今すぐにでも合流せねばと慌てて立ち上がった。ユウトもレイナが何をしたいかすぐにわかって、同じように立ち上がると、レイナは帰り支度を始めた。
「ほっほっほっ 若い人はせわしいのぅ。」
マナばぁさんはバニ茶を湯呑みで啜った。
「マナばぁさん。」
ユウトはマナばぁさんに伝えるべき言葉を決めて話しかけた。
「……ありがとうございました。僕を思念の世界に連れて行ってくれて……色々とけりをつけてきました。」
「そうかいそうかい。よかったねぇ。」
「はい。もう迷いません。未練も無くなりました。僕は僕の……僕しか出来ないやるべきことをやります。」
深緑の右腕を使えるようになったユウトは、ようやくローシアとレイナのために自分が何かできるスタートラインに立てたと思っていた。
走り出す事ができるユウトの決意は、マナばぁさんの目には燃え上がるようなマナの力を感じる事ができた。
「ほっほっほっ よいね。マナも気力も満ち溢れておる。エミの待ち望んだ全てを知る者に近づいてきたの。」
「……まだまだ荒いが、今の力は騎士団長も凌駕しうるほどじゃの。」
「ユウト様! 早く……早くミストドァンクへ行きましょう!」
「うん。わかったって……ちょっ?!」
レイナはユウトの右腕を掴んで
「マナばぁ様! エミグラン様!ありがとうございました!失礼します!」
と素早く頭を下げるとユウトを引っ張って部屋から出た。
「危ないよ! 危ないってば! レイナぁぁぁぁ……」
腕を引っ張られて出ていくユウトの声が段々と小さくなって、玄関の扉が開かれ、勢いよく閉じると部屋には水を打ったような静寂が戻ってきた。
「ほっほっほっ 若いのぅ。」
「本当に若いの。じゃが未来を託すべきはあのように若い者でないとの。年寄りは邪魔なものじゃよ。」
「確かに。じゃがエミはあの子達に指し示しす事はしても見守るつもりなのじゃろう?」
「……まあの。新しい世界は若い者達に任せぬと年寄りの都合の良い世界になるからの。黙示録の破壊が始まりの鐘の音じゃ。」
マナばぁさんはユウト達のティーカップをお盆に乗せた。
「エミはまだ茶がいるかね?」
エミグランはユウトの決意を聞いて、同じくらいの歳になった頃のイシュメルと重ねていた。
決意に満ち溢れ、命に換えてもエミグランを支えると決意を言葉にして伝えてくれた事。
貴族会の頂点に立ち、その身を粉にしてドァンクのために尽くし、人々を幸せにする為に恨まれるような事でさえも躊躇せず、常にドァンクと国民の利になるよう働き続けた事。
一人の人生を尽くす事で国の安寧が保たれるならこれほど容易いことはないと自らの幸福すら国のために放棄したイシュメル。
血の繋がりはないエミグランを、お母様、お母様と呼んで、いくつになっても懐いた子供のように可愛いイシュメル。
国もエミグランも愛して尽くしたイシュメル。
想い出が途切れる事はなく、エミグランは目元が見えないように俯いた。
「……うむ。今は姉様と……居たい。」
掠れたような声のエミグランをリンはじっと横顔を見つめる事しかできなかった。
マナばぁさんは何度も頷いて
「ゆっくりしていけ。たまにはよかろう。」
と、エミグランの頭を軽く撫でて、胸に引き寄せた。
〜第三章 了〜
三章これにて終了となります。
ここまで読んでいただいた方々には感謝しかありません。本当にありがとうございました。
この後は三章に入れなかった部分を章間として公開します。
よければ高評価、ブックマークもよろしくお願いいたします。それだけでやる気が出ます。
第四章については活動報告にも記載したとおり、三章の推敲と第四章の詰め作業で、一月半ばまで更新をお休みいたします。
申し訳ございませんが、気長にお待ちいただければと思います。
それでは、また。




