第三章 31 : 行方はわからないのに
エミグランがヴァイガル国から戻ってしばらくしてからイシュメルとユーシンの葬儀が執り行われた。
参加者はイシュメル邸のメイドや召使、クラヴィも参列していた。
エミグラン邸から少し離れた林の中にクラステル家の墓地があり、石でできた四角い柱の墓標が等間隔で規則正しく並んでいる。
二人が埋葬される場所もその規則に沿って二つ墓穴が掘られていた。
棺に収められた二人の遺体は、墓穴に納められ、棺が見えなくなるまでエミグランの手によって土がかけられた。
その後はメイドや召使によって埋められていくが、その間は啜り泣く声、嗚咽が聞こえてきて、ユウトの胸に悲しみと悔しさがひしひしと伝わってきて締め付けられ苦しくなった。
イシュメルとはここにいる人達と比べたらあまりにも関係は浅いが、共に過ごしてきた人たちの涙と悔しさを堪えきれない表情を見ていると生前の生き様が垣間見えた。
貴族会のトップと次世代の人材。二人の運命が全てを知る者が現れた事で変わってしまい命を落とす結果になったのではないか思うと居た堪れず唇を噛んだ。
イシュメルとユーシンの他界は貴族会全体に通達されている。そのうち国全体が知る事になるだろう。
昨今の近隣諸国の状況を踏まえて後日貴族会全体で二人の告別式を行うこととなっていて、ドァンク国民も参列できるようにするらしい。
ローシアとレイナは、葬儀の最中にエミグランがイシュメルとユーシンの棺の中に同じ花をそれぞれ手向けて、悲しそうに頬を撫でた時に堪え切れず目元を拭っていた。
葬儀は静かな森林の中で厳かに執り行われた。
葬儀の後、屋敷に戻ったユウト達は、ローシアとレイナとタマモでドァンク街に行く事になっていた。
ローシアとユウトにはドァンク街に行く用事があり、レイナはユウトの側に、タマモはローシアの道案内として同行している。
いつものようにタマモが馭者として馬車で三人をドァンク街入り口まで連れてきていた。
レイナとユウトは馬車から降りて別行動になる。
「じゃあにいちゃんたちは後でミストドァンクで合流なんだ!」
「うん。わかったよ。」
「夕方までには行くんだ! だから二人で楽しむんだ!」
ユウトはタマモの『楽しむ』の意味がよくわからなかった。今日マナばあさんにユウトの意識が戻ったことを知らせに行くだけなのに楽しいこととはなんのことを言っているのだろうと聞き返す。
「楽しむ? 何を楽しむ事があるの?」
「ユ……ユウト様! は、早く行きましょう。ええ、行きましょう!」
レイナは突然ユウトの腕を引っ張ってマナばぁさんの家の方角に走り出した。
「ちょちょちょちょ!危ないよレイナ!」
とユウトの制止も聞かずに、レイナに引っ張られて転けそうになるところをなんとか踏みとどまってタマモとローシアの前から走り去ってしまった。
「……なんだぁ? レイナの顔が真っ赤だったぞ?」
「……アンタ、今日が楽しみって誰から聞いたのかしら?」
「ん? レイナだぞ! 屋敷で待ち合わせてる時にレイナが先に来たんだ!そしたらにいちゃんと二人っきりで楽しみって気持ち悪いくらいにやけて独り言を言ってたぞ!」
ローシアは浮つくレイナがいとも簡単に想像できてしまい、げんなりとしたあと大きなため息をついて
「……さっさと馬車を出すんだワ。」
と、馬車の中に乗り込んだ。
ローシアが突然げんなりとした理由がわからないタマモは、不思議そうに首を傾げた。
ローシアが馬車に乗り込むのを見届けて、ま、いっか! と馭者として馬車に飛び乗った。
**************
ローシア達は、大通りを抜けて夜蝶通りの近くまで来た。
途中の道は全く記憶にないが、目的地に近づくにつれてローシアもようやく思い出したらしく、タマモが示す前に目的地が見えた。
馬車が止まるとタマモが振り返る。
「ついたんだ! ねぇ様!」
「はいはい。ありがと。」
馬車から降りて、ユーシンが残していた封書を取り出し、書かれていた宛名を見た。
[親愛なるノココへ]
ローシアはユーシンを迎えに行った家に来ていた。ユーシンが殺された後に、部屋の調査で見つけた封書を宛名の人物に届けるためにドァンク街に来ていた。
ノココはユーシンが失踪した時にかくまっていた、キャバレー『ハニーアント』で働く女だ。
ユーシンは貴族会という素性を明かしていないらしく、ユーシンにとって初めて貴族会の肩書きなく親身に接してくれた人なのだろうとローシアは勝手に想像していた。
ユーシン亡き今、どう話せば良いかわからずにいた。
ユーシンはノココに何か伝えたいことがあってこの封書を残しているのだろうし、ノココの事を知っていたローシアは届けないわけにもいかないという責任感でここまでやってきた。
――なんて切り出せばいいのかしら……――
ずっと考えていたが、扉に挟んで帰るのも本人が受け取ったかわからないから本人に手渡ししておきたい。だが、ノココからユーシンは?と聞かれてなんと答えれば良いか正解が分からずにいた。
――聞かれたら……正直に答える方がいいかもしれないワ……――
聖書記候補護衛のためエミグランのもとにいるローシアが嘘をついた。そんな話が出回ればエミグランになんと言われるかわからない。
意を決して家の扉の前に立ちノックした。
中から足音が聞こえ、扉が開かれた。
「ノココちゃん?!」
出てきたのはこれまで見たことがない、頭を剃った体格のよい強面の中年男性だった。
「あっ……」
ローシアは家を間違えたのかと、家の造りを見直す。だが、記憶に違わない家であることを確認すると、もう一度強面の男を見る。
「ここは、ノココさんのお家で合ってます?」
「あ?……ああ、合ってるけど、おたくはノココちゃんの知り合いかい?」
「……ええ。今日は用事があって。」
「そうかい……すまねぇが、ノココはもうここには帰ってこねぇと思う。」
「えっ……?」
男はよかったら中に入ってみてくれとローシアを室内に促した。
ノココの部屋の中は綺麗に片付いて、几帳面さが容易に想像できるほど綺麗に整っていた。
生活感はあったが、人の住んでいない家特有の妙な静けさと冷たさもあった。
「三日前くらいから店に出てこないから来てみたらこの様子だ。おそらくもうドァンクにはいねぇかもな。」
「お店って?」
「ハニーアントだよ。夜蝶通りの。まあ女の子は知らなくても仕方ねぇか。」
ローシアの身長からまだ子供だと思った男は、柱に背を預けながら紙巻きタバコを巻いて火をつけた。
「この様子じゃ……男について行ったか、国へ帰ったか……」
「何も聞いてないのかしら?」
「店の連中に聞いてもしらねぇの一本調子よ。お互いに過去は詮索しねぇから、他人の過去のことなんて知ったこっちゃねぇからな……とは言え、いなくなるなら書き置きくらい残して欲しいもんだな、残されるものとしてはよ。」
「書き置きも残してないのね……」
ノココには意図的にか偶発的にかはわからないが、アルトゥロと接触している可能性がある。ユーシンの部屋で発見した酒瓶はアルトゥロがユーシンに接触て渡した物だろう。もし、ハニーアント内で接触していたとすればこの場所がアルトゥロに知られていたと言う懸念がある。
つまり、アルトゥロによってノココはいなくなった可能性があり、見逃せない懸念だ。
「アンタ、そのなりで借金取りか何かかい? まあ好きに探しな。何もねぇよ。」
「ノココとはどう言う関係かしら?」
「俺かい? 俺はハニーアントで働いてんだ。 お嬢ちゃんが働きたいならもう少し大きくなってからだな。」
ローシアは、男が煙草の煙に目を向けた瞬間、一足で近づいて襟首を掴み、ローシアの眼前まで顔を下ろさせた。
「いててててて! てめぇ!」
ローシアは暴れそうになった男の首を掴んで締め上げた。
「……ぐぅっ!!!」
男はこの小さな体から繰り出される力とは全く想像できない程の締め付ける力に気道が変形して咽せるはずが、ローシアの手の力が強く咽せることさえ許さない。
「アタシはエミグラン様の使いできてるのよ。嘘を言うとわかってるわね?」
ローシアは喋れるくらいに手を緩めた。
「ま……まじかよ……貴族会かよお前。」
「ノココの部屋で盗んだものを出しなさい。」
「……わ、わかった……」
男はポケットをまさぐって封書を出した。
男の手から見せられたその封書には。
[ユーシン様へ]
と書かれてあった。
それを取ると
「他には?」
「……ねえよ……」
「あったら生きて帰れないけどいいのね?」
と、また喉を締め上げた。
「ぐぎぎぐぎ……」
「ーー!!」
この時、ローシアの目には男の目の中に、アルトゥロの模様が浮かび上がったところを見逃さなかった。
男は足をばたつかせて顔を真っ赤にしながら、封書を出した反対のポケットから魔石を取り出した。
喉を潰す事を躊躇ったローシアの手が緩むと
「ひひひひひ! もういい! もういいんだ! アルトゥロさまぁぁぁぁ!!」
と男は叫んだ。
「ーー!!」
ローシアはこの男がアルトゥロの手下の可能性を考えていた。つまり、準備はできていた。
魔石を出した時にはこの男はアルトゥロの手下だと判断し手を緩めたのは拳を固めるためだった。
握り込んだ拳を体の正中線に無呼吸で連打を浴びせた。
最悪の場合死に至る強さ、手加減を全く考えずに喉元から鳩尾の少し下までを何度も拳を打ち込んだ。
男はローシアの連打に耐えられず手から魔石が落ち、意識を失った。
だが、魔石の発動は防げず発光が強くなる。
「くそっ!」
魔石を部屋の遠くに蹴飛ばしたが発動は防げなかった。
魔石から炎の柱が勢いよく吹き上がり部屋の天井を覆い尽くすほどに威力を増す。
「この家を燃やす気だったのね!」
男は意識を完全に失っていて、何か情報を聞き出すために連行しようと考えていたが、思いのほか燃える速度が速かった。
火の柱は勢いがおさまることなく轟々と燃え上がりあっという間に部屋を覆い尽くす勢いだ。
――連れて帰るのは無理……――
ローシアは男を諦めて扉に向かって走った。背中から炎の熱がジリジリと伝わる。振り返っていないが、炎の勢いは、魔石の力だ広がり続けているとわかった。
勢いよく扉を蹴破ると、タマモが待っていた。
「どしたんだねえさ……!」
タマモに飛びつき、地面に転がり込んだ。
ローシアが出てきた入り口から勢いよく炎が噴射され、空に吸い込まれるように昇り、ノココの家は炎に包まれた。
「……はぁ、はぁ、間一髪だったんだワ。」
タマモの上から転がって避けると、目を丸くしたタマモが、顔を振るって上半身だけ起こした。眼前には燃え盛る家と、火事に慌てて集まる野次馬が来始めていた。
「何で家が燃えてるんだ?!」
ローシアは体を起こし服についた土を払いながら答えた。
「燃やされたのよ。おそらくアルトゥロの手下にね。」
「あれぇ? でもエミグラン様は、当分アルトゥロの手下はこないって言ってたぞ?」
「そうね。もしかしたらユーシン様を操っていた証拠があったのかもしれないんだワ。だからこっそりアルトゥロの手下をここに送ったのかもしれないんだワ。」
「そうなのか……燃えたら何も残らないんだ……ここに住んでたあの女の人は無事なのかなぁ……」
タマモはとても悲しそうな顔で燃えている家を見つめた。
どこからか、火事だ!と言う声と一緒に野次馬が集まり始めていた。
「タマモ、馬車に戻るんだワ。」
ローシアは燃え上がる炎をみて、この場でできることもないと思った。
「……そだね。あの女の人、無事でいてくれるといいんだ。」
ローシアはノココの安否については何も答えず、タマモと並んで馬車に戻った。
火事に向かって走る人をすり抜けて、馬車に乗り込むと、
「行き先はミストドァンクでいいんだね?」
とタマモが確認してきたのでローシアは頷いた。
馬車が馬に引っ張られてゆっくりと動き出すと、ローシアは後ろを見た。
ノココの家の周りに多くの獣人が集まっていた。
数日前にユーシンを迎えに行った時に、同じようにユーシンが後ろを向いてノココを見ていたことを思い出す。
あの時振り返った理由はわからない.もしかしたらすでにもうアルトゥロの手中だったのか、それとも本当のユーシンなのかさえもわからない。
二人がいた場所は燃え上がる炎と黒煙が、空に消えていくように昇っていく。想い出が空に消えていくように。
ローシアは二人の思い出が残らない事に少しだけ同情したが、もうドァンクにはいない二人のことを思うと、振り切るように前を向く。そして、男が持っていた封書を取り出した。宛名にはユーシンの名前が書いてある。
もうこの手紙を受け取る人はこの世にいない。
ローシアはこの封書をどうするか悩んだ。
生前のユーシンの言葉を信じるなら、ノココはユーシンの素性は知らなかったはずだ。
だが、限りなく小さい可能性としてノココがアルトゥロの手下の可能性もある。
いずれにせよ、中身を確認しなければならないだろうと結論づけるとローシアは深いため息を吐いた。
――見てはいけないものを見るみたいで嫌なんだワ……――
封書を開けて、中入っていた二つに折りたたまれていた紙を取り出して広げた。そこには可愛らしい字体で、「ユーシン様へ」という冒頭から始まっている手紙だった。
ローシアは読み進めるうちに、眉尻を下げ、鼻を啜りながら最後の一行まで読み終えると手紙全体を見る。おそらくこの手紙はノココ自身が書いたものだろう。そう思うと余計にこの手紙を書いたであろうノココの心中を慮る。
「……人って真面目に慎ましく生きようとしても、全ての人が報われるわけじゃないのよね……」
ローシアは神など信じない。もし神が本当にいるのなら、姉妹に黙示録の運命を背負わせたことが許せない。だがもし本当にいるのなら、もう言葉を伝える事もできないノココの運命くらいは良い方向に向くようにして欲しい。
そう願い、そして鼻で笑って
「神様なんていないから人は苦しんで、自分の力で乗り越えていくのよね……」
と、ノココを心の中で「頑張って」と願い、届けるはずだったユーシンの封書を取り出して重ねて置いた。
馬車は別れを惜しむかのようにゆっくりとミストドァンクに向かっている。




