第三章 28 :小さい背中
エミグランが二百年ぶりにヴァイガル国に入国した話は、あっという間に国中に広がった。
城門前の凄惨な出来事も伝わっているだろうが、馬車に乗って城に向かう間は、物珍しさに惹かれて集まった人々の注目を集めた。
「二百年と言う時間はニンゲンにとってはとてつもなく長い時間じゃが、ワシにとっては昨日のことのようにも思えるくらい短いの……」
独り言を呟いたエミグランは馬車に揺られて一路ヴァイガル城を目指す。
二百年ぶりの景色はエミグランに否応なしに当時の記憶を蘇らせていた。
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「彼は無実です! こんなこと間違っている!」
「……大臣という国を守る側の立場でありながら王族に異議を申し立てるのか?」
「人間と獣人は共に手を取り合って未来を築ける……私は……共に明るい未来を築きたい……その意見に賛同してくださったではないですか!」
「……ではこの惨状にどう説明をつけるのかね?」
「……!」
「……私とて共に手を取り合い、この国を平和の象徴として全世界の耳目を集める程の大きな国にしたい……だが、相手が我らと共に歩むことを望まぬのであれば人間として受け入れるわけにはいかない。国民に説明できない。」
「しかし!」
「くどいよ。エミグラン。」
「……!」
「もうどうしようもできない。時間が巻き戻らない限り取り返しはつかないのだ!」
「……だから彼は……」
「……証拠が残っているのだ。彼しかいないのだよ。誰もが彼を主犯だと思うだろう。そんな彼をいかなる理由をこじつけてもこの国にはもうおいて置けない。聡明な君ならわかるだろう?」
「……」
「……わかってくれ。この国のためだ。」
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「……エミグラン様。」
リンに話しかけられ記憶の世界から戻されたエミグランは、思い出した記憶を封じるためにわずかに唇を噛んだ後、リンの方を向いた。
「どうしたかの?」
「多くの衛兵が待ち構えています。」
「ふむ。」
外を伺うと百人はくだらない衛兵が集まっており、まだ集合しつつある状況でさらに人数が増える事は見てとれた。
「聖書記候補の取り決めもこれでご破算じゃな……」
リンは冷静に今の状況を見定めていた。
「エミグラン様を襲ったのも衛兵なので、話し合いはできない可能性が高いと予測いたします。」
「……そうじゃの。とは言え……」
中心にいる二人の人物が目に止まった。
「衛兵隊長もおるようじゃな……馬車を止めよ。」
リンは命令にすぐに反応して馬車を止めた。身軽に馬車から降りてドアを開けるとエミグランが下車した。
周りを見渡すと、衛兵達はエミグランを中心にぐるりと取り囲むように隊形を動かした。
その様子をリンと共に見ていたエミグランは鼻で笑うとリンに命じた。
「ここからは歩く。ついてまいれ。」
「はい。かしこまりました。」
円状に取り囲まれたエミグランは動じる様子もなく取り囲んでいる衛兵たちを見渡した。
「実に不愉快じゃ。」
「……?」
「なんの前触れもなく突然の入国拒否、外国の要人に対して手を出せば殺されても当然。それを逆恨みして取り囲み捉えようとしておる……いかにドァンクが下に見られているかという証左じゃ。」
リンはもしドァンクにヴァイガル国の王が入国した際に、城門前での出来事がドァンクで起きたらと想定すると、エミグランが行った行為を咎める事はできない。むしろ衛兵たちを止めるように指示をするべきだろう。今の状態はエミグランを要人とは見なさず犯罪者としてしか見ていない。
「エミグラン様、この国への入国は禁止されているのでは?と質問いたします。」
「いや、それは違う。聖書記の加護はない。わしの入国制限は法にはないということじゃ。」
「それは……どういう事でしょうか?」
「……まあまて、何か言いたそうに近づいてきおったわ。」
リンはエミグランと同じ方向に視線を向けると、二人の隊長が歩み寄ってきていた。
「リン……少し下がっておれ。」
「……はい。」
リンはエミグランから二歩下がった。
隊長二人がエミグランに十歩ほどの距離まで近づくと大きな声でエミグランに向けて声を張った。
「エミグラン・クラステル! 城門前での殺人の容疑でヴァイガル国法のもと拘束する!!」
「……うるさい男じゃの。声を張らんでも聞こえるぞ。」
エミグランは笑いながら隊長二人に向かって歩き出した。
「それとも大きな声を出せばこのエミグランを止められるとでも思うたのか?」
「と……止まれ!……総員、か、構え!」
取り囲む衛兵達は、腰の刀を一斉に抜いた。
「やれやれ……また同じことを繰り返さなければならぬとは……ニンゲンとは自身に痛みが伴わないと理解できない生き物じゃな。」
エミグランは右手を前に出すと二人の隊長が抜いた剣が手からこぼれ落ち、苦しみながら両手で喉を掴み何かを剥がそう必死に悶え始めた。
エミグランは涼しい顔で、周りを取り囲む衛兵の誰かに優しく語りかけた。
「……話のできるニンゲンを連れてまいれ。お主らのように命令に従う事が正義と何の疑いもなく他人に刃を向ける者では話にならんの。」
城門前での一件はここにいる衛兵全員が知っていた。急ぎ戻ってきた城門警備の一人が、エミグランによって一人殺害。城に向かっているの一報から今こうして城の前にほぼ全ての衛兵が立ちはだかった。
しかし、いざ向かい合えば恐怖でしかなかった。衛兵に百人で囲まれても顔色ひとつ変えずに隊長の動きを最も簡単に止めた。魔法とも言えない何かの力だろうが、今の衛兵達に止めるほどの制圧力は数の有利のみだが、それさえも平気と言わんばかりのエミグランの微笑みは、衛兵達には恐怖でしかなかった。
エミグランの手が強く握られると、隊長二人がさらに苦しみ始めた。
「すまんが時間がなくての。他国の要人に手をかけるような野蛮なニンゲンを屠るのに……」
エミグランの後ろから甲高い金属音が響き渡る。エミグランの反応よりも早く、リンが動いていた。
死角からの攻撃はリンがカバーしており、エミグランの首元を狙った剣撃は、リンの二本のククリナイフが受け止めていた。
「……ほう。この国にもまだわしの虚をついて戦うことのできるニンゲンがおるとはの。」
振り返ると、白銀の鎧を纏い、エミグランに怒りの眼差しでリンのククリナイフごと振り抜こうと全身の力を剣で押し込む男がいた。エミグランとリンは名前こそ知らなかったが、男は騎士団長リオスだった。
「ほう。騎士団長か。」
リオスの目は真っ赤に充血していて泣いた後のように見えた。
「……お前が、エミグランか……」
「……いかにも。わしじゃ。」
「ふざけるなぁぁぁ!!」
男はリンのククリナイフを弾き、二人から距離を取る。リオスは肩で息をしながらエミグランを睨み指差すと
「お前が城門で殺した衛兵はな……この間、やっと子供が生まれたばかりの男だ……家では小さな幼子と嫁が帰りを待っている……そう聞いて何か感じる事はあるか?」
と問う。
エミグランはこの男がドァンクで起こったことを知らないとはいえ、一方的な言い分に笑いが込み上げた。
「はるばるドァンクから来て、単独行動で要人に手をかけるような男の人生について考える時間がもったいないのでね。興味がないと答えさせてもらうよ。」
「……どこまでも腐ってやがる……」
リオスは胸に手を当てると衛兵がざわつき始め、その様子を見渡してエミグランは白檀扇子を取り出し胸元から顔をあおぐ。
エミグランは隊長二人の拘束を解くと、二人は大きく呼吸をして、エミグラン達の側から一目散に離れながら警告を発した。
「全員! リオス様から離れろ! 巻き込まれるぞ!」
衛兵達はエミグラン達を取り囲む円陣を崩して広がるように離れた。その様子からリオスの繰り出そうとしているものが恐ろしい威力をもっていることが予測できた。
「エミグラン様……!」
「そのままでおれ。」
心配するリンに、こともなげにいつものエミグランの口調で命じた。
リオスの胸に当てられた手から眩い光が溢れ、剣の刃先に撫でるように当てると、剣身が発光した。
光は一度大きく輝くと、周りの衛兵が驚きとも言えない畏怖する声が湧き上がる。
「ほう……珍しい力じゃな。」
エミグランは扇子をたたみ、リオスに向けた。
リオスの手には、白く光る剣身が空気を唸らせるように共鳴し始める。
「この城には一歩も入らせない!」
「御託はよい。力で示してみせよ。」
リオスはこの後の衝撃に剣を手放さないようにしっかりと深く握り込み、エミグランに襲いかかる。
頭から叩き割るように振り下ろす。
だが、エミグランの眼前で剣は止まった。
エミグランの手を見ると扇が握られており、その扇で止められた。
「……くっ!!」
「良き剣撃じゃな。鍛錬もされておる。迷いもない。」
びくともしないエミグランの眉間に剣を押し込むように全体重をかけるが、巨大な岩に剣を振り下ろしているかのように斬れる気がしなかった。
尋常ではない、この世のものとは思えないエミグランの力を実感する。エミグランの口元は笑っていて、まだ余力は当然残していると見て取れる。弱気を噛み潰してリオスは力を解放する。
「この国も……人たちも……守る!……お前なんかに壊されてたまるかあああああ!!」
剣を纏う白い光がさらに輝きを増して空気が震えて唸りを上げる。
うねりの中心にはリオスとエミグランが向かい合っているが、うねりが風となって壁になり誰も近寄ることができない。
「フフフ……民を思う心か……良い。」
「ふざけるな!」
エミグランの感想も耳障りに聞こえたレオスは剣で扇子を薙ぎ払うとエミグランの胴を横から斬りあげる。
「……?!」
だが、吸い付くように扇子が庇う。
「くそっ!何だその扇子は!!」
「他国からの友好の品じゃよ。良い香りのする扇子での。愛用しておるのじゃ。」
「……くっ!」
また扇子を薙ぎ払うと、レオスは一撃ではなく連続して攻撃する事でエミグランの隙を作る方法に切り替えた。
「うおおおおおおお!!」
レオスの連続する剣撃をエミグランは位置を変えることもなく扇子で返す。
「良い連撃じゃ。よう鍛錬されておる。またこれほどの戦士がこの国におるとはの。」
「ぬかせ人殺し!」
連続する攻撃からエミグランの隙を作ろうとしているが全く生まれない。
むしろ、全身を使って戦うリオスに対してエミグランは腕一本だ。力の使い方がそもそも違う。
このままでは体力が持たない。
――くそっ……忌々しいが使うしかない!――
エミグランがリオスの剣撃をいなすように右から左に流すと。リオスの左手には何もなかったはずだが光が手の中にあった。
「……?!」
その光は剣に形を変えて、もう一振りの剣がリオスの手にできあがった。
「これで終わりだ!!」
エミグランが目を丸くして振り下ろされる光る剣を見ていた。だが、エミグランの口角が釣り上がる。
「やめよ!リオス!!!」
城から大きな声が聞こえた。
その声でリオスはぴたりと動きが止まり、声の方を見た。
「……ヤーレウ将軍……」
リオスの動きを止めたのヤーレウ将軍だった。
険しい顔をしたまま、衛兵達をかき分けて、二人の元にゆっくりと歩み寄った。
リオスは剣を納めて、片膝をつきヤーレ将軍に頭を下げる。
ヤーレウ将軍は二人の前で立ち止まると、衛兵達を引き上げさせるように隊長二人に目配せをすると、すぐに撤収と声を張り、全員に周知され、城側へ四列で並び直した。
「……統率だけはとれておるのじゃな。」
エミグランは扇子を開いて涼しげに顔をあおぎはじめた。
ヤーレウ将軍はエミグランの前に立つと
「貴殿は、ドァンク貴族会のエミグラン・クラステル殿とお見受けいたしました。」
「うむ。その通りじゃ。」
ヤーレウ将軍は、リオスと同じように片膝をついてエミグランに頭を下げた。その姿を一番驚いたのはリオスだった。ヤーレウ将軍の肩を揺すりながら
「将軍! 何故そのような……」
屈するような事をと言いそうなったが、ヤーレウ将軍はリオスを眼力で言葉を詰まらせた。
「……ドァンク共和国の要人に手をかけたのは我々の方だ。入国禁止は王の命令とは言え、これ以上犠牲は避けるべきだ。」
「王の?!」
リオスは初耳だった。ヤーレウ将軍は悔しさが滲み、眉間に皺がさらに寄った。
「本日中のドァンクの使者の入国を拒否する……私はそんな命令は出しておらん。もし下ったのならそれは王が出したものに他ならない。」
リオスは肩を落として、両膝をついた。
「そんな……」
ヤーレウ将軍はリオスの落とした肩に手を差し伸べて、軽く叩いた。
「もうよい……気にするな。」
「……ですが将軍! このままでは……」
騎士団の存続が、と言い淀んだのはリオスがこの場で弱みを見せるわけにはいかないと言葉を飲み込んだからだ。衛兵にも、エミグランにも。
「お取り込み中のところ大変申し訳ないが、わしはもう城に向かう。王と話したいことがあっての。邪魔をするなら遠慮をするつもりはないが……異論はないかの?」
エミグランの至極冷静な言葉はヤーレウ将軍が気付き
「はい。どうぞお通りください。」
と立ち上がり、城の入り口へエスコートするように手を差し出した。
「ありがとう。感謝するよ。」
エミグランとリンは城の入り口に向かって歩き始めた。
衛兵はエミグランの進路を邪魔しないように慌てて道を開くと、リオスはヤーレウ将軍の前に立った。
「将軍! 城門でエミグランに一人殺されたのをご存知のはずです! それなのに何故!」
「口を慎めリオスよ。」
「将軍!」
リオスは今からでも遅くはない。エミグランを止めようと身を乗り出して飛びかかりそうなところをヤーレウ将軍が抑えた。
「どうして!」
「これ以上、衛兵達も、お前も命を無駄にしてほしくないからだ!」
「そんな……やってみないとわからない! 離してください!」
「控えよ! リオス!」
ヤーレウ将軍の怒声に、リオスは体が固まったようになって動きが止まってしまった。
「今日の入国拒否の話、エミグラン殿は知り得なかったはず。我が国の一方的な言い分だ……」
「でも!衛兵が……人が殺されてるんですよ!」
「……城門から報告に帰ってきた衛兵の話では、エミグラン殿の周りの者が何者かの手にかかって殺されたと言われていたそうだ……」
「……?!」
「……本来であれば貴族会の代表としてイシュメル殿が来られるはず。だが来られたのがエミグラン殿となると、殺されたのは……」
「そ……そんな……まさか……」
イシュメルが殺されたのかもしれないとリオスは思った。そんな馬鹿げたことをする人間がヴァイガル国にいるのかと思った時に、数日前にアルトゥロと噴水前で会った時の会話を思い出した。
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「うちの国と、ドァンクの関係は知ってるんだろ? ならあまり目立ったことをしないほうがいい。火が付けばあとは乾いた草を燃やすのと同じように簡単に燃え上がる。」
「いいじゃないですか……どうせ相容れぬ仲なのであれば……いっその事……」
「早まるなよ。本当に戦争になるぞ。聖書記候補は向こうにいる。困るのはうちも一緒だ。」
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「まさか……アルトゥロが?」
「早まるなよ、リオス。まだ何もわかっていない。」
ヤーレウ将軍は城の中にもうすぐ入るエミグランの方を見た。
「命を全員が捨てる覚悟なら或いはだが……そなたらの命はこんなところで落としてはならん。よいな?」
ヤーレウ将軍はリオスに釘を刺すように目をじっと見つめて力強く言った。
「しかし……エミグランの入城を許した事実は……」
「覆らんな。だが、命を落とす事でもない。私が責任を取る。」
そんなバカな話はないとリオスは憤る。
「そんな事をしたら、騎士団は本当に……!」
「……無くすようなことにはさせんよ。この頭を下げるくらいのことは容易いことだ。」
頭を下げさせたくはなかった。今回の件はアルトゥロが噛んでいるとしたらヤーレウ将軍の責任ではないはずだとリオスは考えていた。
しかし、先日の会議では言いくるめられて将軍の責任をなすりつけられてしまった。
きっと今回の件も、大臣からヤーレウ将軍に言いくるめられて責任をなすりつけられると思うだけで怒りが込み上げて奥歯が割れるほど歯噛みした。
憤る様子を隠そうともしないリオスの憤る気持ちはヤーレウは理解していた。
「さあ、リオス。我々は場内に戻り王の警護に向かうぞ。」
我々のすべきことを遂行しようとヤーレウはリオスの肩を叩いた。
リオスは言わんとすることは理解していたが、王や大臣に嵌められたようになっていることは疑いようもなく、将軍の生真面目さにつけ込んで失態を誘発させて責任をなすりつけられている状況は、例えヤーレウ将軍自身がやむを得ないと言ったとしてもリオスは到底納得はできなかった。
とは言えヤーレウ将軍が命を賭しても願うことは、ヴァイガル国の平和だとリオスは知っていた。
そのために頭を下げる事に何ら躊躇することはない姿勢をこれまでずっと見てきたのだ。
平和を願うヤーレウ将軍の立場を弱らせて、騎士団を解体され、おそらく大臣の息のかかった数名が団長として抜擢され、人体魔石を埋め込まれ、そしてまたヤーレウ将軍の立場をさらに弱らせるような命令を王が自らが指示を出している。
あまりにも酷すぎる状況にヤーレウ将軍もなすりつけられた責任でがんじがらめとなり、思ったように行動が出来ていないことは明白だった。
ならば、無茶な指示だとしても達成すれば良い。
イシュメルをもしアルトゥロが殺しているのならエミグランの目的は報復の可能性がある。
そしてドァンク側に聖書記候補が存在する事の問題の根はエミグランの存在だろう。
今回の訪問がヴァイガル国にとって不利益を被るならば、命に換えてもエミグランを討つ。
その機会があれば躊躇なく実行してみせる。
ーー将軍の名誉が挽回できるのであれば、迷うことはないはずだ。ーー
リオスは心中で決心し、城内に衛兵と戻るヤーレウ将軍の背中を見ながらついて行った。
だがリオスの目には、ほんの少しヤーレウ将軍の背中が小さく見えた。




