第三章 26 :茶の相手
エミグラン邸での騒動から一夜明け、庭園以外は日常を取り戻した食堂では、ユウトとローシア達が朝食を取っていた。
紫ローブを羽織ったエオガーデは事情をソマリに話し、エミグランに許可を得て、念のため屋敷の軟禁室に隔離した。軟禁室は外に出れないだけで作りは他の部屋と変わりはないが、窓には鉄格子があり脱出はできない。
しばらくはエミグランの管理下に置かれることになる。
三人は、帰って早々にイシュメルとユーシンが死んだことを知らされる。あまりの衝撃に三人とも言葉が見つからなかった。ソマリから部屋に戻って鍵を閉めて、明日の朝まで部屋から出ないように指示を受け、三人ともそのまま部屋に戻って朝を迎えた。
ユウトはソマリしかメイドがいない事に不安な気持ちが込み上げて来たが、それ以上に屋敷の中の雰囲気は異様なほど静かだった。
ローシア達の表情も暗いままで、イシュメルとユーシンが昨日命を落としこの屋敷内にだけ朝が来ないままのように暗い世界に見えた。
ユウトはアシュリーとリンの事を考えていた。二人ともまだ姿を見ていないしクラヴィにも当分会っていない。
何かが起ころうとしていることは周りの雰囲気で察しているし、その原因がユウト自身が関係していることもわかっていた。
自分のせいで二人が死んだと思うと食事もまともに取れず、スープを掬って口に運んでは手が止まり、また掬ってを繰り返していた。
そんな中、食堂に人影が見えた。
エミグランだった。
真っ黒いドレスとティペットに、小さな赤い薔薇が一輪施された小さなハットのヘッドドレスは、これまで見た事がないエミグランの装いだった。
ローシア達も気がついてエミグランの方を見る。その後ろからミシェルがひょこっと顔を出して、満面の笑みでローシアに両手を広げて走ってきた。
「全てを知る者も無事帰ってこれたか。よかったの。」
「えっ……は、はい。」
「どうした? 帰って来とうなかったか?」
「いえ……そう言うわけじゃ……」
エミグランは困ったユウトをみて小さく笑った。
「すまんな。困らせるつもりはなかったのだ。無事に帰ってこれて嬉しく思うぞ。」
ミシェルを抱えたローシアはエミグランに歩み寄る。
「エミグラン様……」
ローシアはイシュメルとユーシンのお悔やみを述べようとしたが、エミグランは首を横に振った。
「それ以上は言うな。もう少し時間が欲しい。」
静かに、そして強く言われたローシアはそれ以上何も言えなかった。
「……今回の件は、全てこのエミグランに責任がある。三人とも、すまなかった。」
エミグランが頭を下げたことに驚いたローシアは、ミシェルを下ろした。
「エミグラン様、頭を上げて欲しいんだワ」
レイナは只事ではない雰囲気にローシアの元へ歩み寄る。
「エミグラン様……お姉様の言う通りです。私達はエミグラン様に頭を下げてもらいたくて動いているわけではありませんから。」
「わしは……全てを知る者の力を目覚めさせることに急いでおった。マナばぁさんに会わせたのはまさに目的のため。じゃが、結果昏睡して屋敷の警備が手薄になり後手に回ってしまってこのような事になってしまった。」
エミグランは頭を上げて、悲しそうにしがみつくミシェルに微笑んだ。
「……お主達はアルトゥロと会ったか?」
エミグランの問いにローシアは頷いた。
「ええ。ドァンク北の廃村にユウトと死んだはずの騎士団長が山ほどいたワ。」
「そうか……プラトリカの使者も見たのじゃな。」
「……プラトリカの使者?」
エミグランは大きく息を吐いた。
「いずれにしても避けられぬ事になるから話しておこう。これは、黙示録にも大きく関わることじゃからの。お主達も何が起こったのかわからんじゃろうし、また相対することもあろう。」
ローシアは目を丸くしてレイナに視線を合わせた。レイナも同じような顔をしていたが、エミグランは構わず話し始めた。
「お主達が出会った山ほどの騎士団長は、プラトリカの海から生み出されたヒトじゃ。」
「生み出された人?」
ローシアの問いにエミグランは頷いた。
「プラトリカの海は生物の肉体を媒体として、同じ形の肉体を特殊な調合をした液体から生み出す技術じゃ。母を介せず肉体を生み出せるので、命の根源である海と名付けられたのじゃよ。」
ユウトはこの世界でも海が命の根源である事を知り、この世界でも生命の根源は海からなのだと知識を得た。当たり前のことでもまだ知らないことがある事に少し悔しさが顔に滲む。
「……じゃがあやつはプラトリカの海から生み出した者の形を変えることもできておる。口がない者はアルトゥロに口の存在を消されて生み出された。神への冒涜に他ならんがそれを止めれる者は今のところおらん。」
レイナが息を呑んで、そんな……と小さく呟いた。
「お主らが連れ帰ったエオガーデもアルトゥロによって生み出されたヒト……じゃが、生み出せたとしても魂がないと死人と同じ。これを賄うために聖杯が必要なのじゃ。」
「聖杯?」
「うむ。マナの入れ物と言うたほうがわかりやすいかもしれんの。ここにいる皆も持っておるし、この大地の生命は全て万遍なく持っておる。大小の違いはあるがの。」
「……初めて聞く話だワ。聖杯なんて……」
エミグランは含み笑いながらローシアの初耳の理由を端的に答えた。
「当たり前じゃよ。プラトリカの海も聖杯も元々はカリューダ様が発見された門外不出の秘術じゃからの。」
「……!!」
「聖杯はカリューダ様がその存在を発見されて、死者の肉体から同じものを具現化する事ができるようになった……元々生命体のマナは自然界に存在するもの……つまり術式を組めばマナが関与するものであれば形にできると考えて実現なされたのじゃよ。一つ生み出せば複製は可能。つまり、全てを知る者が屠ったエオガーデの亡骸から、新たな肉体とエオガーデの聖杯を作り出し、大量に生み出したという事じゃ。」
ローシアとレイナは初めて聞く話に面食らっていた。そもそも二人はその秘術のことを何も知らないし、廃村で戦ったエオガーデの群れがカリューダの秘術によって生み出された事実は、ヴァイガル国の禁忌であるカリューダの術の一つであり、そして、姉妹の悲願である魔女の全てをこの世から無くすどころか、今まさに自分達に厄災のように襲いかかってきている事をここで知らされたからだ。
ユウトは気になることがあった。
「アルトゥロがその二つの技術を使えるということは、もしかして、僕たちが倒せば倒すほど、その肉体を使ってプラトリカの海と聖杯で再生できる……ってこと……ですか?」
エミグランは大きく頷いた。
「まさにその通りじゃ。じゃが生き返るようになるわけではない。あの連れ帰ったエオガーデが良き例じゃ。聖杯は魂の器のようなもので、媒体となる肉体が持っていた聖杯と同じ質のものになるわけではない。年月を経て得た喜びや悲しみや怒り……その感情の上にヒトの歩みがあり強さがある。それらを得ずに肉体と聖杯で生み出しても同じ能力を持つ人物にはならん。悪く言えば力の才能がある無能にしかならん。」
ローシアは、エアガーデの群れと戦った際に、鎖のダメージが本物よりも劣る事を思い出した。
「……とんでもないカラクリがあったのね。全て腑に落ちたんだワ。」
「聖杯はあくまでも死者のマナの器を真似たもの。死者が生き返る事にはならん。見た目が瓜二つの別人になると思えばわかりやすいじゃろう。」
エミグランは懐から魔石を一つ取り出してローシアの目の前に中の模様を見せた。
先端が尖った十字架の中心部が丸く膨らんだような模様があった。
「これはリンがドァンクでクラヴィが始末して連れて帰ってきた賊の体内にあった、人体魔石の一つじゃ。」
「人体魔石?!」
ローシアはオルジアから聞いた騎士団長に施されている人体魔石を思い出していた。
「……本来の使い方とは少し違うが、この魔石はマナによって魔法の力を高めたり身体能力を上げる類とは違って、生命維持のための魔石じゃ。あのローブの連中の命を保つために埋め込まれているものじゃ。」
「この魔石がないと、あいつらは生きることさえもできないって意味かしら?」
「数打ちは脆いもの……おそらくプラトリカの海で大量に生み出した後、聖杯の定着がうまくいかないが故にこの魔石を埋め込んだのじゃろう。おそらくあのエオガーデにも埋め込まれているはずじゃ。これがなければ命を維持することはできんじゃろう。」
ユウトは静かに、エミグランに確認した。
「つまり……あの僕を襲ったやつらも、連れて帰ったエオガーデも……僕を捕まえたり殺したりするために生まれてきたってことですよね……」
「……アルトゥロの狙いは殺すことなのかはわからんが、全てを知る者を狙っての行動であることは明白じゃな。」
エミグランの率直な答えにユウトの怒りは静かに燃え上がった。その熱を感じていたのはレイナで、ユウトがグッと握り込む拳を見てユウトを案じた。
「早まるなよ。全てを知る者よ。その怒りは余計なものじゃ。」
エミグランのユウトを制する言葉は逆に逆鱗に触れた。
「だって……そんなのって……おかしいじゃないか! 僕を捕まえるためだけに……無理やり命を作り出して……」
「お主にそれだけの価値があるということじゃ。」
端的に結論を言われて、ユウトは悔しそうにそれ以上言葉が出なくなった。レイナは悔しそうに歯噛みするユウトの肩に手を置いた。
「ユウト様、落ち着いてください。」
心配そうに優しく語りかけるレイナの言葉で少し落ち着いたが、アルトゥロの行っていることは許せるものではなく、口を一文字に閉じて悔しさや怒りが溢れ出さないように飲み込んだ。
冷静になれないように見えるユウトの代わりにローシアがこれまでの話を言語化した。
「……アルトゥロは死者を使って自分の意のままに動かすプラトリカの使者を使う。アタシ達が戦って相手が命を落とせばアルトゥロの扱える使者が増える。それも大量にってことね。」
エミグランは大きく頷いた。
「……その認識で間違いない。じゃが、アルトゥロの扱える能力はもう一つある。」
「随分と力に長けているのね。」
エミグランはローシアの皮肉に含み笑いながら、そうじゃな。と肯定した。
「秘術はカリューダ様の物。あやつが使いこなせているわけではないかの。言わば泥棒のようなものじゃ。本来アルトゥロが持っている力は他者を意のままに操る力じゃ。発動には色々条件があるが、ユーシンはおそらくアルトゥロに接触して、知らぬ間にアルトゥロの手にかかったはずじゃ。」
ユーシンは操られていた。その言葉がエミグランの口から出てソマリは両手で顔を押さえてシクシクと泣き始めた。昨日の光景が、たった一日で悲劇の記憶が薄まるはずはない。
エミグランはソマリの事を一度見て、話を続ける。
「わしは全てを知る者が顕現されてから、アルトゥロの動きを探っておった。彼の国でクラヴィに斥候をさせておったのもそれが理由じゃ。やつがプラトリカの海を使って何か行動を起こすと思うておったからの。」
クラヴィの名前がエミグランの口から出ると、ユウトは自然とエミグランに歩み寄った。
「クラヴィは……クラヴィは無事なんですか?!」
ユウトはクラヴィが心配で、エミグランにくってかかるように問う。
レイナはユウトの剣幕をみて少しだけ寂しく感じていた。
「心配するな、どうせ……」
「はぁい ユウトちゃん!」
「エミグラン様。ただいま戻りました。」
と、ユウトの目の前にクラヴィとリンが突然現れた。
「クラヴィ!」
ユウトは目を輝かせてクラヴィが現れた事に喜んだ。しかし、服は白い大きな布で全身を隠していて只事ではない事が伺えた。
「クラヴィ……何があったの?」
ユウトの心配そうな顔にクラヴィは少しだけ笑って。
「何でもないわよ。心配してくれてありがとね、ユウトちゃん。」
と頭を撫でた。久しぶりのツヤツヤな黒髪に触れたクラヴィはそれだけで幸せな気持ちになれた。
そしてすぐにエミグランに向き直り視線を合わせた。
「……大変な目にあったようじゃな。」
「まあ……ね。それよりもおばあちゃまの欲しかった物を持ってきたわ。大分苦労したけど。」
クラヴィは一つの魔石を取り出した。その模様は、先端が尖った十字架の真ん中が膨れている。エミグランが持っていたものと同じ模様のある魔石だった。
「これはアルトゥロの部屋から入手したものよ。これでよかったのかしら?」
エミグランは口角が裂けるほどに釣り上がった。ローシア達はただならぬエミグランの表情と醸し出す禍々しい圧力に半歩下がらされた。
「でかしたぞ、クラヴィ。」
「ご期待に添えて光栄だわ。」
エミグランの醸し出す禍々しい圧力に何も動じず涼しげに答えた。
「じゃあ私は少し休むわ。」
と、ユウトの方に振り返ってエミグランの禍々しい圧力から弾けて飛び出すように近づく。
「またあとでね、ユウトちゃん。」
と頬にキスでもせんばかりの距離に顔を近づけると、後ろでレイナの眉間に恐ろしいほどの皺が寄っていたのをみて鼻で笑い。
「じゃあね。」
と、頭を撫でてユウトの言葉を待たずに消えた。
「クラヴィ……本当に何もなかったのかな……」
「何もないと言っているのだからなかったのですよ。ユウト様。」
冷たくそっけなく言うレイナは頬を膨らませてそっぽを向いていた。
「……どうしたの?レイナ。」
「……何でもありません。」
やはりそっぽを向いたままのレイナに首を傾げたユウトは視線をエミグランに戻した。
「……さて、わしは用事ができたのでな、ここで失礼する。リンよ。」
「はい。」
「帰ってきて早々すまぬが、馬車を出してくれ。」
「承知いたしました。」
リンは返事をするとすぐに入り口に向いて食堂を出て行った。
「さて……」
エミグランはその場に残ったローシア達に向けてミシェルの背中を押した。
ミシェルはてくてくとローシアに近寄り、両腕を広げるとローシアはミシェルを抱き上げた。
「お主達も昨日の夜から大変だったところを申し訳ないが、ユーシンの部屋を調べておいて欲しい。」
ローシアの口の両端を目一杯横に広げていたミシェルの機嫌を損ねないようにレイナが変わって聞いた。
「それはなぜですか?」
「操られたと言うことはユーシンの身の回りには何か残っている可能性もある。それに、ユーシンに関連する他の貴族会にも影響がでるかもしれん。ユーシンが使っていた部屋を全部調べてこの屋敷以外にも影響がでるヒトを洗い出しておいてほしい。」
「洗い出したらその後は?」
「お主達が知っておるならしばらくこの国から離れるように伝えて欲しい。何が起こるかわからんからの。操られても面倒な事になる。」
「わかりました。食事が終わったらすぐに。」
「うむ。頼んだぞ。ソマリはアシュリーの様子を見ておいてくれ。」
「……はい。」
ソマリはすでに泣き止んで、頭を深々を下げた。
エミグランは全員の顔を見渡す。イシュメルとユーシンが亡き者にされたとはいえ、前に進まなければならない。それは自分自身もだと心の中で言い聞かせた。
「ワシはこれから出かけるので後を任せたぞ。特に全てを知る者よ、お主はもう常に狙われておると心に刻んで警戒しておくのじゃ。」
レイナはまたエミグランが不在になる事を知り、また昨日の二の舞になるのではないかと不安な顔を見せる。
「エミグラン様はどちらに行かれるのですか?」
エミグランはレイナの不安を察して
「……用事ができたのでな。すぐ戻る。あとで茶の相手をたのむぞ。」
と言うと、エミグランは食堂を静かに出て行った。




