第三章 19 :顕聖五人
優斗は自然と目が覚めた。
変わらないし、変わるはずのない自分の部屋のベッドで目を覚ますとため息がまず漏れる。
変わらない毎日を繰り返すとわかっていながら目覚める。このままずっと眠って目覚めなければいいのにと何度も思ったが、そんな事は起こり得ないし起こるはずもない。
しかし、今日はいつもと違っていた。
ベッドから体を起こしてカーテンの外を見た。異様な光景にすぐに気がついた。
「……なんだ……あれ……」
外の景色の記憶は、住み慣れた部屋だから覚える気がなくても脳裏にこびりついているので忘れようもない。だが、遠くから近くのあらゆるところが黒く暗く歪んでいたり、景色そのものが黒く塗りつぶされていた。
「なんだよ……これ……」
まるで夢の中の出来事の様だった。
まだ実は夢の中で目が覚めていないのかもしれないと胸に手を当てるが、手に自分の体の感触がある。
ーー夢って自分の体の感触は感じられたっけ……つねったら痛くないと夢だから、感触があるのは夢じゃない……どうだったっけ……ーー
夢か現実かの判断も危うい優斗は、これが現実ならニュースになっているに違いないと、手探りでテレビのリモコンを探し、枕元にあったリモコンを手に取り電源ボタンを何度も押す。
テレビから声が聞こえて映像が映ると、いつも見ている朝の情報番組が始まっていた。
テレビのコメンテーターは特段変わる様子もなく、タレントの熱愛に関して衣装で知性を感じさせながら品性を装った下衆な会話を笑顔で言い合っていた。、
「なんで……なんでだよ……あの黒いやつ、明らかにおかしいのになんでニュースにもなってないんだよ!」
チャンネルをいくつか変えてみるが、世間ではタレント同士の熱愛に興味があるらしくどのチャンネルも同じような話題だった。
「おかしいじゃないか! なんでだよ!」
痺れを切らしてリモコンを投げて、もう一度カーテンの隙間から外を恐る恐る見た。
見慣れた景色が一枚の写真で、黒いインクが垂らされたように景色がところどころ黒く塗りつぶされているところが、先ほど見た時よりも増えているように感じた。
「……あれは……」
空に、ペン先を押し付けたように黒い点が見えた。じっと見ていると、黒い点が周りの景色を飲み込むように大きく広がった。
そして、あたかも昔からそこにあったかのように静止して景色を黒く塗りつぶした。
遠くの方を見ると同じように黒く塗りつぶされているところが増え始めて、まるで黒に侵食されるように世界が削られているようだった。
「こんな事……起こってるのになんで……」
外を見ると朝の通勤するサラリーマンが、普段と変わりなく歩いている。まるでいつもと変わらない日常を送るように。
「これが見えているのは……僕だけなのか?」
僕だけ……と言っても話す相手もいないこの部屋で確かめる術はない。間違いないのは今起こっている事は無いことになっているかのように変わらない一日だ。
世界が暗闇に飲み込まれ始め、まるでゲームの中の出来事が目の前で起きていて気が気ではなかった。
「……母さんは……」
家族に知らせなくてはと、慌てて部屋のドアを開けた。
「……ヒッ!」
ドアを開けると、視界一面が黒く塗りつぶされていた。
恐る恐る指を近づけて黒に触れると、ヒヤリとした冷たい感覚があり、飲み込まれそうな感覚がして思わず指を抜いた。
「なんだよこれ……父さん! 母さん!大丈夫?!」
声を出して塗りつぶされた向こう側にいるはずの両親に声をあげて安否を確認するが、黒に全て音が吸い込まれるように反応はなかった。
絶対におかしい。こんなことあり得るはずはないともう一度窓に駆け寄り外の景色を見た。
「!!」
さっき見た時よりも黒のエリアが増えていた。黒が世界を覆い尽くす様子が目に見えて分かった。
もし、今日が世界の終わりだと告げられているのであれば、今起こっていることが終わりに近づいている現象だと受け入れられるかもしれないが、目の前にある日常は普段と変わりない。相反する二つの光景が優斗が感じる恐怖を増幅させ、優斗は言葉も出ず、部屋の真ん中まで後退りしてへたり込んだ。
――何が起こってるんだよ……僕は、今日死んでしまうのか? 世界が終わるのか?!――
世界が終わる。
現実には起こり得るはずのない結末が、今目の前で起きようとしていた。
**************
レイナに追いついたローシアは、ドァンクから少し離れた北の廃村の側にある木の影に隠れて様子を伺っていた。
途中で通りかかった行商人に、北の廃村の近くに見たこともないほどたくさんの人が集まっていたと聞いて、サイの同胞の調査は間違いなかった。
日が暮れる間際で周りに松明で明かりを灯しており、その明るさを利用して外から様子を伺っていた。
ローシアが身軽に周りから斥候して、中には例の紫ローブを纏った人物が五人、そしてローブを纏っていない人物が四人。
ユウトがいるところはおそらく、ローブを纏っていない人物がよく出入りしている村の北側にある、燃えてほとんど残骸になっているが一際大きな建物だったところだろうと見ていた。
レイナはすでに詠唱を終えておりいつでも戦闘に入れる体制は作れていた。
エミグランの屋敷で対峙したあの宙を浮く壮年が相手でも外であれば存分に力を発揮できる。
木の影から様子を探っているが、ユウトを移動させる気配はなかった。
斥候を終えたローシアがレイナのそばに到着すると木の影に身を隠す。そしてかなり小さな声でレイナの耳元に届くように近づいて結果を説明する。
「建物の中までは見えなかったけど、たぶんあの大きな建物しかないと思うワ。明らかに人の出入りが多い。」
「……ありがとうございます。お姉様」
「……んで、乗り込むのよね? 当然。」
念のための確認のつもりで聞いたが、余計にレイナの気持ちを昂らせたらしく、握り拳を握りしめて深く頷く。
ローシアもユウトをそのまま放置するはずわけがなく、握り拳を固くしたレイナの決意の程を確認した。思っていたよりも強い眼差しでローシアを見て
「今すぐにでも。」
とユウトを絶対に救出するという思いが滲み出ていた。
「……私も同じ意見よ。日が完全に暮れる前に蹴りをつけるんだワ。」
レイナは頷くと、ユウトがいると見られる大きな屋敷に向かって駆け出した。
見回りの男は風が吹いたのを感じて、ふと振り返ると白銀の女剣士が、異国の剣を握って飛びかかっていたのを見て、体が反射的に飛ぶようにして避けた。
かろうじて避けた見張りは
「き……きたぞー!! 敵襲!!」
と叫ぶ。
「うっさいんだワ!」
ローシアが男のこめかみを踵の飛び蹴りで打ち抜くと、首から飛んでいきそうな衝撃で脳を揺らして意識を飛ばした。
「レイナ! くるんだワ!」
大きな屋敷の中から数人の男が剣を持って飛び出してきた。レイナは目で数えて少なくとも十人は確認できた。
「本当に来やがった! 生きて返すなよ!」
一人の男の声にオオッ!と他も合わせるが、ローシアは鼻で笑う。
「ハン! 三下の言い分で笑いが出るんだワ。悪いけどアンタ達がエミグラン様から盗んだものを返してもらうんだワ!」
「……お前……ドァンクからの、貴族会からの刺客か!」
「……黙りなさい……」
静かに怒りを込めて制したのはレイナだった。許せるはずがなかった。姉と同じくらいに大切な人が目の前でさらわれたのだ。
「すみませんが手加減しません……もう謝って済む問題では……ないですから!」
手のひらに詠唱して練っていたマナを集中させ、大気に馴染ませるようにすると、手のひらから生まれるように風の球が五つできた。
手の上でジャグリングのように球が独特な回転で追いかけごっこをしてくるくる回り一通りの動きを見せた後、空に五つとも飛んで上昇する。
レイナが手を男達に向けると、意識を持っているかのように風の球が男達に向かって空気を唸らせて向かっていく。
見たことのない術に建物から離れると風の球はレイナの手によって遠隔で操られて避けた方向に軌道を変える。
「ヒィぃぃぃ!!」
風の球は迷うことなく五人に触れると圧縮された空気が一気に弾けるように大きな爆発音をたてて吹き飛ばした。
その間に一気に詰めていたのはローシアで、拳を固めて間合いを詰めると、男が剣を構える前に腹に減り込ませる。
「……ごほっ……」
空いた顎に空を蹴り抜くように蹴りを開脚して蹴り上げると、男は後転しながらローシアの蹴りの衝撃で宙に浮く。
その間にまだ風の球を一つ作っていたレイナは浮いた男に向けて球を放つ。
空中で避けれるはずもなく、触れた瞬間にまた爆発を起こして壁に叩きつけられた。
「……くそおおおおおお!!!」
やけになった男がレイナに剣を振り下ろして襲い掛かる。
レイナは間合に入ってきた男の剣を見切って紙一重で交わすと、背中の刀を抜いて横に一閃
「ぐああああっ!……ガハっ!」
斬った後に手のひらの風の球を押し付けて、地面を激しく水切りする石のように何度か弾んで遠くに飛ばされた。
残り三人となって、一瞬で七人を片付けられた事実と、姉妹がこちらを鋭く見つめる目線に畏れ多のいた。
「ひ……ひいいいい!!」
レイナとローシアは、情けない叫び声を上げた瞬間に、とんでもない殺気を建物内から感じて飛んで後ろに下がった。
「……なーさーけーなーいーなぁ諸君。これだから人間は使えない。」
建物の壁を貫いて、三人の男達の背中を何かが貫いた。
男達は固まって震えて、口から血を垂らす。
「!!」
突然のことにローシア達は
そして、ガタガタ震え出して自分達を貫いたものに視線を落とすと……
「……こ……これは……」
男達を貫いたものは分銅付きの鎖だ。、レイナとローシアは血の気が引くり
この鎖には覚えがあった。
分銅のついた鎖は、やがて男達体を貫きながら顔まで伸びて、蛇がとぐろを巻くように絡みつく。
そして、断末魔の叫び声と共に締め上げる。
「ウギギギギギギ……」
「ガガガガガガ……」
鎖が擦れる音がやがて殻を破るような音と男達の最後の声を残して鎖は男達の頭を砕くと、三人体が重力に逆らえなくなるかのように力なくなってダラリとぶら下がった。
「あの鎖……そんな……」
男達の無惨な姿を放り投げるようにして鎖は離れて建物の中に戻っていくと、ドアから一人の男が現れた。
「……アイツは……」
ローシアには見覚えがある。ユウトとヴァイガル国の家に帰った後にあった気色悪い男。ユウトの力を目覚めさせた男が。
「アルトゥロ……」
ボサボサの髪が空を向いて立ち上がって、ギョロリとした目と釣り上がった口元。
「おんやぁ? そこの赤いお嬢ちゃんとはお久しぶりですねぇ?」
「アンタとまたここで出会えるなんてね。できることなら二度と会いたくなかったんだワ。」
アルトゥロは気色の悪い薄ら笑いを見せる
「つれませんねぇ……ええ実につれませんとも……ええ……私の愛しき人をお迎えにきたのですね?わかります。わかりますともええ。ええ。」
アルトゥロの後ろから、斥候した際に確認した五人の紫ローブの連中が、アルトゥロの出てきた後からゾロゾロと出てきた。
「あなた方には感謝申し上げなければなりません。愛しきあの人に会わせていただき、そしてしっかりしっかり吟味することができました。感謝感激。」
「ユウト様は……どこに?」
レイナの白い肌が怒りで赤みを帯びる。
「そーんな俗な名前は必要ないではないですか。ちゃんと口にすべきです。全てを知る者と……世界に幸福をもたらす唯一の人と」
「うるさい! ユウト様をどこにと聞いているのです!」
怒りで声を荒げるレイナの手に風の球をまた五つ生み出すとすぐにアルトゥロらに投げつけた。
吸い込まれるようにアルトゥロに向かうと、紫ローブの足元から分銅付きの鎖が蛇のように動き始め、揃って目の前にヘビがとぐろを巻いてレイナの風の球を全て防ぎ、衝撃はローシア達に返ったが即席で威力が半分程度の風の球なのでそこまで大きな衝撃は返らなかった。
レイナは試したのだ。
――やはり……あの鎖は――
鎖は風の球を全て防ぐと地面に力なく、ガチャガチャと音を立てて地面に落ちた。
「……勘のいい人ですねぇ……もう隠す必要もありませんねぇ。」
アルトゥロはまるでスキップするかのように紫ローブのフードを一人一人下ろした。
「彼女は顕聖されたのです! まさに神の子として!名代として! この女すでに私の配下!!」
フードの下には、あの女の顔が五人並んでいた。
ローシア達は信じられなかった。
フードの下には、ヴァイガル国でローシア達が一方的にやられたエオガーデがそこにいたのだから。
「狂犬……?」
ローシアは唖然とした。レイナがローシアの頭にあることを代弁するかのように続ける。
「なんで五人も……いえ、何故生きてるの!」
エオガーデの最後は、後日ユウトからあの夜に起こったことを全て聞かされていた。
ユウトはローシア達に黙っておくのは良くないから、という前置きからあの夜に起こったことをローシアが見ていない事も全て話した。
エオガーデは確かに首だけになった。そして騎士団長が首だけを持って帰ったと聞いていた。
だが目の前にいるのは、二人とも間違いなく見たことがあるエオガーデだ。しかも五人。
あの夜に一方的にやられたローシアは記憶が蘇り少し後ろに後退りするが、気持ちだけは負けまいと唇を噛んで自分の弱さを打ち消す。
ひひひひと笑いだしたアルトゥロに合わせるように五人のエオガーデもあの夜と同じように笑う。
「このエオガーデ様はすでにこの私のもの……私に身も心も尽くす人形……いや!私の右腕右脚右側頭部……つまり体の一部なのですよ! とても良いものを手に入れて興奮が隠せませんねぇ……ええ。」
アルトゥロは愉悦の表情を浮かべて涎を垂らす。そして、ローシア達を指さすと高らかに宣言する。
「あなた方で試させてもらいます!……実に良い実験台だ……愛しきあの人もさぞお喜びでしょう……」
アルトゥロがローシア達をさす指を広げて上に向けて手を伸ばすと、また五本の鎖が獲物に狙いを定めたように鎌首を上げる。
狙いはローシアとレイナ。
ローシアは両足をリズミカルにトントンと地面を蹴り身構える。
――あの夜とおなじように鎖に足を掴まれたら……ううん。そんなことは今考えない。掴ませなきゃいいのよ――
レイナは刀を両手で構える。
――あの夜は一人だった……でも今はお姉様と共にいる。相手の手の内も知っている……負けないから!――
「神の子よ!私の下僕よ!アイツらをすり潰せ!」
待ってましたと言わんばかりに五本の鎖はエオガーデの意思を表したように、五人の甲高い笑い声と共にローシア達に襲いかかった。




