第三章 16 :遺恨
エミグラン達は北部訪問を終えて、エミグラン邸に到着するや否や、屋敷の庭で何かが起こった事はすぐにわかるほど荒れていた現実を光景で知らされる。
一番驚いたのはイシュメルだった。馬車の中で荒れ果てた庭を見て
「なんという事だ……」
と、何者かが襲撃していた事を一目で察した。エミグランは目を閉じて深く思案していた。
「お母様……これは……」
「おそらくアルトゥロの仕業か、彼の国が命令した事か……わからんな。まずは屋敷にいた者に話を聞かんとの。」
リンは表情を変えずに馬車を操って正面玄関前に止める。
二人が馬車から降りると変わり果てた庭の景色と、周りで片付けをしている衛兵達の姿が目に入る。
傭兵達の指揮を取っていたオルジアは、到着したエミグランに現状報告のためかけよった。
「エミグラン様、申し訳ございません。賊の侵入を許してしまいこのような有様に。」
エミグランは特に驚く様子もなく一度頷いた。
「よい。その話が真実ならば想定外の出来事じゃ。すまなかったな、大切な傭兵を危険な目に合わせて。」
「いえ。先発隊が軽傷を負いましたが、命に関わる事はありませんでした。」
「そうか、それは何よりじゃ。」
少しだけエミグランの表情が笑んだように見えたが、オルジアは続けた。
「昼頃に見回りで結界の魔石が一つ破壊されている事を確認した直後に正門から賊が侵入。紫のローブをまとった賊がおよそ二百人。」
人数に驚いたのはイシュメルだった。
「二百人もか?!」
「ええ。三人でなんとか持ち堪えていたところをミストドァンクから応援を寄越して鎮圧しました。ですが……」
エミグランは表情を変えずに
「さらわれたのじゃな。」
と言うとオルジアは悔しそうに頷く。
「ユウトが……さらわれました。おそらく二百人は陽動。屋敷内の警備が手薄な時に狙われたのかと……」
エミグランは鼻で大きく息を吐くとわかった。と告げて屋敷の中にイシュメルを連れて戻った。
屋敷の中には変化で疲れ切ったタマモが階段に座って、うつらうつらと眠気に負けていた。微笑ましい光景にタマモのそばに寄ると
「タマモや、大変じゃったな。」
と声をかけた。急に声をかけられたタマモはエミグランの顔を見て、そしてポロポロと涙をこぼして泣き出した。
「泣く事があろうかね。タマモもできる事を行ったのじゃろう?」
流れる涙を拭いながらタマモは吐露する。
「でも!……でも!約束が守れなかったし……ユウトにいちゃんはさらわれたし……」
タマモの能力は戦闘向きではないとはいえ、存分に働ける力はあり、皆の役に立つ働きをしていたはぶだととエミグランはタマモを見てわかっていた。
そして、この屋敷が襲われて庭がめちゃくちゃにされることなんて、タマモが住み着いてからはなく初めてのことで、争いごとが苦手なタマモが心も痛めていることもエミグランは察していた。
「……アシュリーはどこにおるかの?」
タマモはエミグランの問いに尻尾をピンと立たせて何かを思い出したかのように慌ててあわあわと言わんばかりに言葉が出ない。
イシュメルに落ち着くのだ。なだめられて一息ついて。
「アシュリーが……アシュリーが!!」
エミグランの眉が険しくなった。タマモはアシュリーに起こった出来事を口早に説明を始めた。
**************
エミグラン達が北部訪問を終えて馬車で屋敷に戻っている頃、アシュリーはタマモが乗せたローシアとミシェルが、もうサンズの手には追えないほどに遠くまで飛んでいったのを見計らって、サンズに向き直る。
サンズの顔は、さらに彫り深く皺が怒りを表しており、顔も少し赤くなっていた。
「獣人ごときがこの国に……この私に逆らうとは……」
鼻息も荒くなってきているらしく、その様子はアシュリーには滑稽で、まず笑いを堪えた。
「あら……ごめんなさいね。獣人ごときがあなたの思い通りに動かなくて。」
「黙れ!」
サンズは右手指の間に全てに矢筈を挟んで弓につがえると、すぐに引き絞って放つ。
瞬きしていると見落とすほどの速度でアシュリーも一瞬体が固まったが、すぐに落ち着いて放たれる矢の軌道を見切って横にに飛び退く。
しかし次の矢をすでに構えていて、避けたところを射抜くために矢を放っていた。
――速い!――
体制を整える前に矢は放たれ、確実にアシュリーを捉えていた。
手を開いて拳の炎を荒ぶらせて地面に向けるとわずかに体をのけぞらせるほどの力が生まれて、かろうじて矢を避けた。が、わずかに頬を掠めてスッと切り傷が現れた。
周りを見ると衛兵達は完全に二人を取り囲むように盾を構えてして円になっていたが、アシュリーに向かって行こうとする雰囲気はなかった。
――ならば一対一……――
「お覚悟!」
アシュリーは次に矢を放たれる前に一気に間合いを詰める。
振りかぶった拳をサンズの顔に向けて振り抜く。
その瞬間に拳の炎が振り抜いた方向に火炎放射器のように勢いよく噴射される。
その炎は十歩ほど離れていた衛兵の近くまで伸びて、衛兵達が驚いて避けたが数名は炎を浴びてしまう。
ひいいいいいい!!!
アシュリーの炎はマナを媒体にして燃える。鉄だから炎で熱くなることはあっても燃えることはないと言う先入観があだとなり衛兵の鎧の一部が燃えた。
炎は急激に鎧の温度を上昇させ、燃えた衛兵は転がり込んでのたうち回る。
そんなことはお構いなしにサンズはアシュリーと対峙していた。アシュリーは攻撃を止めず、回し蹴りを放つとサンズは飛んで避けた。脚からは同じように炎が伸びて衛兵もろとも焼き尽くさんばかりに周囲に炎と灼熱を広げる。
あまりの戦闘に衛兵達はさらに距離を取った。アシュリーの攻撃に炎が舞うようについてくる姿はさながら炎の演舞のようだった。
だが、サンズの目は薄汚い動物を卑下する目で見ているかの如く。だ。
「ケモノのくせに炎を扱うとは見上げたものだ……」
癪に触るサンズの言葉はアシュリーをもう苛立たせる事はなかった。
先ほどよりも早い拳撃を顔に向けて放つと、サンズの回避がわずかに遅れて、長い髪の一部を炎が焦がした。
焦がす音に目を見開き、弓を剣のように持ち直し振りかぶってアシュリーの体を薙ぎ払うが、腕でガードする。
――!!
サンズの細身の体からは想像できないほどの力で、一旦距離を取った。
焦げた髪を撫でて眉間に皺を寄せたサンズはアシュリーを睨みつける。
「フン……さすが魔法拳士と言うところか。」
魔法拳士とは、マナで起こした奇跡で体の一部に集約させ、格闘によって相手にダメージを与える者の事だ。通常の魔法では避けられる可能性や、距離によって減衰する事がある。ゼロ距離で叩き込む事で自分が起こしたマナの奇跡で減衰なくダメージを与える事ができる。
アシュリーの場合は特別な考え方で、もともと魔法が得意だったのだが、これを誰かに使うときはそれ相当の理由になるだろうから、確実にダメージを与えたいという理由で魔法拳士の道を選んだ。魔法は避けられる可能性があるが、拳だ相手に叩き込むのでダメージを確実に与える。
魔法を剣に宿す『魔法剣士』の道もあったが命を奪う事は極力したくないという彼女なりの信念があった。
「ひとつ聞いていいかしら? なぜあなたはそこまで獣人を嫌うのでしょうか?」
「……エミグランが責任を取ってこの国を出て行った獣人による内戦……その歴史を紐解けばこの国にとって獣人がいらぬ者だとわかるだろう。」
「獣人戦争……まだそんな古い話を持ち出すのですか?
アシュリーはあまりにも古い話で憤っているサンズが哀れに見えた。
何も言わないサンズに畳み掛ける。
「……その話、今引っ張り出す事でしょうか?」
「フン……私の先祖はあの内戦に巻き込まれて、ほとんどの者が命を失った。」
「――!!」
「あの時の恨みは先祖から代々聞かされてきた。いざ牙を剥いた獣人がどれほど残虐なのかをな。そんな生物と共存できるわけがない!」
「しかし!あの内戦はニンゲンから……」
「黙れ黙れ黙れ!!荒らすだけ荒らして奪うものを奪いきり、気の済むまで弄んでこの国を滅茶苦茶にしたのは獣人ではないか!!……この国の門をくぐることすら嫌悪する……ケモノが偉そうにこの私にものを申すな!!」
サンズはまた矢をつがえて弓を引き絞る。
「今度は……逃がさぬ!!」
アシュリーはサンズは過去に縛られた哀れな人間に見えた。そして、アシュリーが聞かされてきたあの内戦の話と根本的に違っていた。
そして、アシュリーの油断が命取りとなった。
サンズの弓から矢が放たれた。だが、放たれた瞬間に、矢が消えた。
――!!
次の瞬間右の大腿部にサンズの放った矢が刺さった。
「あっ!……ぐっ……!」
突然の痛みに体勢が崩れ片膝をつきそうになるが、刺さった矢の異物感がそれを許さず腕でかろうじて立つように体勢を持ち直す。
「獣人ごときに力を使う事になるとは思いもよらなかったが仕方ない。ヴァイガル国の安全を脅かすものとして始末する。」
またサンズは弓を引き絞る。
――矢が見えなかった……そんな事が……――
矢は確かにつがえている。見落とすまいと痛みに耐えて、いつでも炎で守れるように両手を開く。
矢が放たれる瞬間を見落とさないと集中していたが、弦がサンズの手から離され、矢が向かってくる瞬間に
――……消えた!――
「ぐっ!!」
アシュリーの左大腿部に矢が刺さり思わず声が漏れる。脚の自由が奪われ、わずかに歩く事は出来るが、サンズとの間合いを詰める事はもう難しくなった。
「フン……私の力は特定のものを視界から消す事……矢が見えなければ必中だ。」
幻覚能力の一種だ。クラヴィの力に似ている。
「矢しか消せないのね……自分が消えればもっと効果的にできたのに……」
サンズはアシュリーの強がりを鼻で笑う。
「そんなこともないさ、私には人体魔石でこんなこともできるからね。」
衛兵達が持っていたサンズの弓のスペアが突如として空中に浮き始めた。
その数は五張。
「私は矢を消し、多くの弓で敵を狙い撃つ事ができる。その気になれば二十張の弓も使えるよ。お前みたいな獣人どもに近寄りたくもないので私向きの力と言えるだろう。」
口元だけ笑ったサンズは勝利を確信していた。この獣人に矢は見えていない。
「さて、弓の数は少ないが仕方ない。フィナーレといこうか。」
サンズが矢の束を空に向かって投げると、吸い込まれるように五張の弓に寄せられる。
まるで見えない空飛ぶ誰かが操っているかのように弓を複数つがえた。
サンズも三本の矢をつがえて引き絞ると、五張の無人の弓も同じように引き絞られる。
「終わりだ!!」
「くっ……!」
アシュリーは命の危険を察知して顔と胸の前に手を伸ばす。
サンズの手から弦が離されると、確かに矢は消えて、その次の瞬間には何十本もの矢が、順不同に、無常にアシュリーの体中に突き刺さった。
――――!!!
アシュリーは叫びを噛み殺して、地面に仰向けに倒れ込んだ。
その様子に満足したのか、サンズが声を押し殺していたがやがて我慢できず笑い出した。
「フフフ……ハハハハハハハハ! ケモノごときが人間に敵うわけがないのだ!」
ひとしきり笑ったサンズは、あまりの豹変にたじろいでいた傭兵の一人のそばに近寄り、腰に携えていた剣を抜いた。
倒れているアシュリーの元まで歩み寄ると、小さく息をしていた。
もう動くこともできないだろう。
サンズは剣を持ち直す。
「獣人の国では、悪事を行うと右手を斬られるのだったな……」
サンズは足でアシュリーの右腕を蹴って伸ばすとニヤリと口元が緩む。
「右手を斬って、忌々しいエミグランの元に懇意の証に送ってやるよ。」
アシュリーはうっすらと目を開けた。
「そう……なればいいわね……」
アシュリーは大きく息を吸い込むと、口をすぼめてサンズの顔に向けて吐き出す。
その息は炎となってサンズの顔全体を襲い、焼いた。
「――!!!」
サンズの顔に炎が舞い上がると、顔を押さえて炎を振り払うよう叫びながら狂ったように地面を転がる。
「あああああああああ!! あつい!あつい!あああああああ!!」
「わたしのマナを込めた炎よ……そう簡単には消えないから楽しむことね……」
言葉通り消える事はなかった。衛兵達が近づいてマントを外して消化のためにサンズの顔を押さえようとするが、マントも燃えてしまう。
狂ったように転がるサンズにどうすることもできない衛兵の間を誰かが割って入った。
「サンズ!」
レオスだった。
近くにあった川でマントを濡らして持っていたレオスは、サンズの頭部を包むようにマントをあてがうと暴れ狂うサンズをなんとか抑え込む。
そして、じゅぅ、と言う音がして水蒸気と煙が少し出て炎は鎮火した。
「……はぁ……はぁ……お前……何があったんだよ。」
サンズを抑えることで必死だったレオスは事の経緯をサンズに問うたが、気を失っているらしく返事はなかった。そして視線の先には矢が無数に刺さった獣人が倒れている。
衛兵達が確保しようともせず慌てふためいていることから捕物の類ではないことは想像できた。
「おい! だれか!近くに来い!」
衛兵に向けて叫ぶと、いつぞやの隊長が走ってきた。聖書記選の時にミストの近くで調査していた隊長だ。あの時とは打って変わって怒りを押し殺しているレオスの圧力に足がすくんでいた。
「この状況を説明しろ!」
隊長は声を震わせながら話した。
「その……サンズ様が、この国の安全を脅かす者を捕まえるので人を集めよと……」
「……どう考えたらあんなメイド服の給仕係にしか見えない子がそんな事をするって思いつくんだよ…」
メイド服を着てこの国の安全を脅かすとは話が行き過ぎている。レオスはサンズが根っからの獣人嫌いである事が今回の件になってしまったのではと思い至り、ため息をつく。
サンズの顔に当てていたマントを取り払うと
――!!
あのサンズの面影がなくなるほどに顔は焼け焦げていた。
「だれか! ヒーラーを呼んでこい! いやお前ら連れて行け!!急げ!!!」
衛兵はサンズがこれほどまでのダメージを受ける事があるのかと呆然としていたが、レオスの声に我を取り戻して、隊長の大声の指示に従って数人がかりでサンズを抱えて走って行った。
衛兵は一人残らず広場を去っていった。
「……サンズまで……何やってんだよ……」
エオガーデの事といい、サンズの重傷といい、ここ最近の騎士団の失態が目に見えて現れている。
発端は聖書記なのだろうが、あまりにも事が起こりすぎてレオスも気が気ではなかった。
そして、矢が無数に突き刺さっているアシュリーに駆け寄る。こちらもひどい状況だが命はあり、小さく息をしている。
「これは……サンズのやつ……力を使ったんだな……」
サンズの獣人嫌いについてレオスは知っていた。今日は本来ならレオスが聖書記候補の護衛をする予定だったが、国外の別の任務を割り込ませられて、仕方なく一時国外にいた。
そして戻ってきたらこの有り様だった。
レオスは回復の魔石を取り出し、アシュリーの腹部に置くと、矢をひとつづつ抜く。
回復の魔石が反応して抜いた傷からは一度血が吹くが、魔石の力で少しずつ血は止まる。
抜くたびに声を漏らして小さく体を震わせるアシュリーに
「すまんな、俺はヒールを使えない。矢を抜いてヒールしてもらわないといけないから、痛みは我慢してくれ。」
アシュリーは、この国ではサンズみたいな考え方の人が多いのかと思っていたが、こんなに優しい人間もいるんだ、と思うと嬉しくて痛みにも耐えれそうだった。
矢は深く刺さっているところもあるが、内臓はかろうじて避けている。とはいえ大きな血管のある場所もあるため、回復の魔石を増やしながら、場所によっては慎重に抜く。
全ての矢を抜き、魔石の力で血が完全に止まるとレオスはアシュリーに肩を貸して起こそうとした。
「よし、肩を貸すからヒーラーのいるところへ……」
「……大丈夫……ですから。」
アシュリーが断るとは思っていなかったレオスは思わず声を荒げる。
「馬鹿なことを言うな! 応急措置にしかなってないんだぞ!」
アシュリーは痛みに引き攣った顔でなんとか口元だけ緩めた。
「私は……聖書記様の護衛です……いずれにせよエミグラン様のお耳には入ります……」
サンズが屠ろうとしていたのは、よりにもよってドァンクの要人。しかも聖書記の護衛だと知り、空いた口が塞がらなくなった。
こういった争い事を避けるために二国間で協議して書面化したにもかかわらず、お互いの国に対して遺恨を残す事がここで起こったのかとレオスは事の重大さを知り、愕然とした。
周りを見るとアシュリーしかおらず聖書記候補の姿はなかった。
「……聖書記候補は?」
「すでにこの場を離れました……ですが、このようになった事はもうイシュメル様やエミグラン様のお耳に入っているかもしれない……」
「――!!」
「ですから……最悪の状況は止めたい……早く戻って私の無事を……」
レオスは自分と同じように二国間の争い事を避けるように考えていてくれるアシュリーの気持ちがありがたかった。
「だが、その体でドァンクに戻る事はできないだろう?」
アシュリーはフフッと笑うと空に向かってゆっくり腕を伸ばして指を差した。
「迎えは来ていますから……。」
レオスは空を見上げると大きな鷲が空を旋回していた。
「少し離れてください……」
レオスは言われるがままにアシュリーから離れると、鷲は急降下して降りてきた。
その大きさは思っていたよりも大きく、人以上の大きさだった。
レオスはアシュリーの方を見るとレオスの方を見て何か話しているようだったが、大鷲の羽ばたきで聞き取れなかった。
「許してくれとは言わない! この借りはいつか返す!」
今アシュリーに伝えたい事を大声で叫んだ。聞こえたか聞こえなかったかはわからないが、言わずにはいられなかった。
鷲はアシュリーを両足で優しく掴むと、そのまま城壁のほうに向かって飛び立って行った。
**************
タマモからアシュリーが騎士団長サンズに大怪我をさせられた話を聞かされると、表情を変えずに訪ねた。
「アシュリーはどこにおるのかの?」
「……自分の部屋で横になってる……痛みはないらしいけど……」
それ以上は言葉にしたくなかったのか続かなかった。
エミグランはタマモの頭を二度撫でて、よう頑張ったの。とねぎらうとタマモはまた思わず涙がポロポロとこぼれた。
アシュリーの部屋をノックすると、少し元気がなさそうな声が聞こえた。
ドアを開けると、アシュリーのそばにミシェルがいた。そしてベッドの上には体を起こしていたアシュリーがエミグランの方をじっと見ていた。
「エミグラン様……」
「よい。そのままで。」
部屋の中に入ると、泣き終わって顔がずるずるになっているミシェルがエミグランに近寄った。
「そなたらも大変じゃったな。すまなかった。大変な思いをさせて。」
ミシェルはエミグランにしがみついてまた泣き出した。優しく頭を撫でる。
「アシュリーや」
「……はい」
「ワシがおらん時によく頑張ってくれたの。」
「……いえ。そんな事は……」
アシュリーの体の傷は塞がってはいるが、遠目で見てもわかるほどに痕が残っていた。おそらくもう消える事はないだろう。視線が気になるらしく腕をさすりながら傷を隠すようにしている仕草がいじらしかった。だからこそ、怒りが込み上げてきた。
「サンズとかいう騎士団長にそんな目に遭わされた……で合っておるか?」
エミグランの出す殺気は、エミグランの力を垣間見るには充分すぎるほどだ。これほどまでにエミグランが怒りを気配でも見せたのは相当に久しい。
あまりにも巨大な殺気は、サンズを前にした時よりも比べものにならなかった。
エミグランの怒りをおさめてもらうため、アシュリーは気持ちを整えて落ち着いてから、言葉の意味を自らも確認するようにゆっくりと答えた。
「はい……合っています。ですが、サンズの矛先は獣人のみに向けられたもので、私やエミグラン様というよりも獣人全体のものかと存じます。」
アシュリーの落ち着いた話し方に、エミグランは白檀扇子を取り出し広げて自分の顔を仰いだ。火照った顔を冷やすためと、落ち着くためにだ。
アシュリーは体中に傷を負って痕になるとわかっていながら自分ではなくエミグランの名誉を守ろうとしたアシュリーの言葉を重く受け止めるため、心を落ち着かせた。
「ほう……そう言った輩はとうに寿命を迎えて生きてはおらんと思うておったがの……」
「今回の聖書記の件とはまた違ったもので、サンズの個人的な恨みかと存じます……僭越ながら、獣人を……ドァンクを代表して闘い、私もダメージを負いましたが、サンズにも二度と消えぬ傷を負わせました。」
「そうか……ならば一旦は不問にしようかの。アシュリーが納得しておるなら。」
というとアシュリーはホッと胸を撫で下ろす。エミグランはアシュリーに歩み寄りアシュリーの消えぬ痕を撫でた。
「じゃが、命を賭ける闘いを行う事は許してはおらん。」
と厳しく戒める。騎士団長との戦いとなると命懸けになる事は明白だ。獣人が人間の能力を凌駕しているといえども、相手は騎士団長だ。たまたまアシュリーに風がむいただけかもしれない。
「はい……申し訳ございません。」
とアシュリーがシュンとして顔を落とすと、エミグランはアシュリーの頭を優しく引き寄せて胸に当てた。
「お主達の命も、ワシの大切な宝よ。ワシより先に生き急ごうとするな。もう大切な者がワシより先に死ぬのは見とうない……よいな?」
エミグランの真意に触れたアシュリーは、ようやく張り詰めていた緊張が完全に解かれ、エミグランの胸で泣き崩れて、ごめんなさい。と何度もエミグランに声をふるわせて謝り続けた。
アシュリーの嗚咽はしばらくおさまることはなかった。




