第三章 13 :その手を離しなさい。
レイナは慌てて部屋を右往左往しているタマモの肩を掴んで、こちらを向かせる。
「マナばあ様を空からドァンクに送れる?」
「う、うん!できるけど……屋敷がこんな人数に襲われるなんて……エミグラン様が知ったら……」
ドァンクの貴族会でトップに座り続けるクラステル家に踏み込む代償は……リンの言葉を思い出すと、確保して始末。
そんな事は言わなくてもエミグランを知る者なら、当然命を脅かすリスクはあると考える方が普通だろう。
ユウトを付け狙うこの軍団が歓迎するべき客であるわけがない。
外を目を向けると一団はゆっくりと敷地内に歩を進め始めており、時は一刻を争う。
「マナばあ様をお願いね?」
賊に対して何の力も発揮できないマナばあさんは、手助けが出来ないことに申し訳なさそうに顔を伏せて、
「サイちゃんとユーマちゃんは大丈夫なのかのう?」
と心配を口にすると、居ても立っても居られないキーヴィは
「おで!あいつらみんな倒してくる!」
とキーヴィは鼻息を激しく出して、腕を振り回しながら部屋の外に出て行った。正面玄関に向かってサイ達と合流するのだろう。
「でもでも!この屋敷にこんなに大胆に入ってくるなんて只事じゃないよ!やっぱりみんなで逃げよう!」
タマモの顔が青ざめて小刻みに足踏みして全く落ち着かない。少なくともこの百年くらいはこんな事はなかったのだろう。
だが、目の前に現実に起きている。その原因はきっとユウトが原因だろう。この百年で大きく変わった事は、世界に全てを知る者が現れた事だ。
レイナは、ユウトには指一本触れさせないと決意を新たにして、慌てるタマモの肩をもう一度強く掴む。
「マナばあ様をお願い。空からドァンクに送ってあげて。」
レイナの力強さに、タマモは気をしっかりと持ち直すために深呼吸をした。
何度か呼吸を整えると落ち着きを取り戻して
「うん!わかったよ!」
と答えた。
そして魔石を懐から取り出して握り込み、体が波打って変形すると人よりも大きな力強そうな鷹の姿になった。
その間にレイナはベランダの窓を全部開けてマナばあさんの手をとってベランダに出た。周りの様子を見渡して安全を確認する。
遅れて鷹になったタマモがひょこひょこと翼を半開きにして歩き、同じようにベランダから出た。
下ではすでに戦闘が始まっていた。サイの甲高い声とキーヴィの轟くような声がすると、肉を殴る音が間髪入れずに連続して聞こえてくる。
マナばあさんを鷹になったタマモの背に手を貸して乗せた。
「すまないねぇレイナちゃん。こんな老いぼれのために。」
「そんなこと言わないでください。さ、早くここから逃げて。」
「ありがとうね。あなたにマナの加護があらん事を……」
挨拶もそこそこにタマモが翼を広げて羽ばたき始めた。
タマモの羽ばたきの風圧に飛ばされそうなのでレイナは下がって飛び上がるのを待った。
「すぐ戻るから!まっててくれよ!」
鷹になったタマモのまん丸な目からは感情を読み取れないが、可愛らしいは力強い。
「……気をつけてね!」
タマモはゆっくりと羽ばたきながら浮き上がり、そのまま空に向かって行った。
これでマナばあさんは大丈夫だろうと安心すると気持ちは戦闘に向いて、すぐにユウトの部屋に入る。
刀を握り人差し指を縦に人差し指を当てて詠唱を始める。マナと共鳴させていつでも術を使えるようにしておく。少なくともユウトの周りには強い結界を貼っておきたい。
刀を握る手を広げて目の前に出すと、詠唱しながら手のひらに風の球が出来上がる。
風の球を蝋燭を消すように息を吹きかけると強く回転し始めてどんどんと大きくなっていく。頭上に掲げて直径一メートルくらいの大きさになると、手から離してユウトの方に放った。
ゆっくりとシャボン玉が動くようにふわふわと形を歪めながら浮いている。
『風よ、私の命により守れ、かまいたちのように触れるものを斬れ。何者も近づけるな』
意識の中にあるイメージを言葉にしてマナを伝わると、風の巨大な球の一部分がユウトに触れて、割れる事なくシャボン玉がドーム型になってユウト一人を包み込むように形を変えた。
しばらくの間は、ユウトに触れようとすると鋭利な刃物に触れるように指が切れてしまうだろう。
結界を張ったからと言っても外に出るわけではない。ベランダの下にいる三人は激しい戦闘を繰り広げている音がこの部屋にも聞こえてくる。
状況を確認するため、もう一度ベランダに出て三人が玄関前で戦闘を繰り広げている様子を見る。
紫ローブの軍団は戦闘に慣れていないらしく、三人にいいようにやられている。とはいえ数が多すぎる。一度崩れて仕しまうと立て直せないかもしれない。三人には申し訳ないが共に戦うことはできないが、いざとなったらよんでほしいと声を張る。
「無理だと思ったら声を出して!すぐに行きます!」
レイナの声にはキーヴィが反応して「おおぅ!」と大声で叫んだ。
レイナが戦闘モードに切り替わり、刀の柄を右手で軽く握り込む。ユウトの護衛が最優先だ。
――落ち着いて……ユウト様をお守りするのよ、レイナ……ーー
神経を研ぎ澄まし、自分が最優先ですべき事を脳内で何度も言い聞かせる。
そして人差し指を立てて口元に近づけて、精神を集中させた。
正面玄関前ではサイたち三人が猛攻を凌ぐ。
賊がは数で立ち向かってくるが、サイ達の前では無力だった。
五人まとめでサイに飛びかかると、サイは金切り声をあげながら六尺棒を地面に立てて地面に残して身軽に空中に飛び上がり攻撃を避ける。
着地際に二人の頭をそれぞれ両手で掴んで地面に叩きつける。倒れる間際の六尺棒を握りしめて勢いよく体を左右に振って残りの三人の胸や腹を打ち払う。
サイの背後から剣を振りかぶって襲い掛かろうとするところをユーマが舌を伸ばして足を引っ掛けると無様に転がる。
「助かったぜ!ユーマ!」
ユーマはサムズアップで応えると、特に心配はしていなかったがキーヴィの方に視線を向けた。
キーヴィは獅子奮迅の立ち回りで、馬鍬を振り回して一振りで三、四人を薙ぎ倒す。
「おらおらおらおら!どっからでもかかってこいいいい!!」
サイが五人倒している間にキーヴィは八人を倒していた。
戦闘に関しては、力でキーヴィの右に出る者はいないとサイは共に戦いながら実感していた。腹が減っている時は全く役に立たないが、満たされていれば獅子奮迅の活躍だ。
――やっぱり背中を預けるのはこの二人だな!――
サイは素早さで相手を撹乱して手早く仕留める。キーヴィは力で相手をねじ伏せる。そしてユーマは戦闘補助で全体を見ている。
ユーマの戦闘における役割は、二人を窮地にさせない、不利を被る事がないように手助けをしている。
サイは手を出さないユーマもいつも感謝している。言葉にはしないが、キーヴィもユーマもサイの思っていることはなんとなくだがわかっていた。
「兄者!まだ油断は……」
「おう!あったりまえよぉ!!」
サイの後ろから羽交締めにしようとしてきたところを六尺棒を振り回してこめかみをたたき払う。
サイ達が不思議に思っているのは、これだけ痛めつけても声一つあげない事だ。
痛みがないはずはないのに声が全く聞こえてこない。
――こいつら……全然声を出しやがらねえ……攻撃が効いてんのかぜんぜんわかんねぇ……――
相手にどれだけダメージを与えているかは、表情や体の動き、そして声に現れる。
フードで顔が見えない上に声がないとなれば、ダメージがどれだけ相手に与えられているかを判断する事が難しく、かと言って相手を本気で殺しにかかるほど力を使えば、まだまだ山のように襲ってくる奴らに対応する事が体力的に厳しくなる。できる限り最小側の力で行動不能にする事がベストだと三人は同じように考えていた.
手応えのあった奴らは地面に倒れてうごめいていて
手に伝わってくる感触で効いていないはずはないと、いや、もしかしたらそこまで効いていないいないかもしれない……
と、疑心暗鬼になりながら戦うなんてこれまでに経験はなかった。
まだ人数は半分も減っていないようで周りを取り囲まれている。手応えのない相手のことも相まって疲労感は否めない。
ユーマの後ろにローブの一人が剣を振り上げているところが見えた。
「ユーマ!あぶねぇ!」
そばにいたキーヴィも気がついていて、馬鍬で剣を薙ぎ払い、叫びながら腹を串刺しにした。
サイは見渡して徐々に追い詰められている事を実感した。
――これじゃあ……キリがねぇ――
事態は優勢になるはずもなかった。エミグランの屋敷を襲うのに、充分な数を用意したらしく、人数差で押し切ろうとする相手に対して三人には荷が重すぎた。
三人はこれまで他の人に頼られたことなんてなかった。
依頼とはいえ、さまざまな人たちと出会って依頼をこなしてきた。人にも獣人にも与しない三人が頼られる事があるなんて思いもしなかった。
だからこそ、自分の実力以上の仕事だとしても期待に応えたかった。
マナばぁさんもここに連れてきたのもそうだ。三人は、誰かに頼られる喜びや達成感をミストドァンクの依頼をこなしていく中で徐々に得ていたのだ。
――頼られてんなら……やるしかねぇだろうが!!――
サイは空気を思いっきり吸い込んで咆哮を空に向かって張り上げた。
空気が響くような咆哮は、草木の葉を震え揺らしながらサイの体の体毛を逆立たせる。
「兄者……!」
二人はサイがこれほどまでに毛を逆立たせて威嚇するところを初めて見た。
と、同時にサイの体から漏れ出るエネルギーに似た圧力を感じていた。まるで炎に近づくような熱くて立ち寄れない、近づくと身を焦がして火傷をするような領域の様に近づくことすらはばかられた。
燃え盛るような体温に興奮冷めやらないサイは、六尺棒を槍を背筋と腕のしなりを連動させて正面に投げる。
先は平たいはずの六尺棒が一人の顔をローブごと貫いた。
雄叫びを上げるサイは胸をドラミングしながら両手で地面を興奮気味に叩くと六尺棒を追いかけて手に取り、突き刺した相手が倒れる間際に引っこ抜くと、血で染まった六尺棒を両手で頭の上に持ち、手首で回し始めた。
「アニチィ……すげぇ……」
キーヴィもあまりのサイの代わりように驚きを隠せなかった。ユーマも同様だった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
六尺棒を体の腰前に構えると電光石火の如くサイが紫ローブの奴らを打ちつける。
顔の正面に、突き。右横の賊にこめかみを薙ぎ払い、後ろの賊のみぞおちに突きを入れる。
右手のみでもっと、また叫びながらまるで軽い棒切れを振り回す様に連打を浴びせる。これまでのサイが出せる速度をかなり上回っていた。
「兄者……まさしく……」
一騎当千とはまさに今のサイの事だろうとユーマは感動を覚えていた。
あの大森林の小屋で収まる様な人ではないと確信していたユーマの思いは今ここで実を結んだ。
「アニチィにおでもつづくぞー!!!」
キーヴィは馬鍬を握り直してサイに続いた。
馬鍬を振り回して持ち前の怪力が相手を一方的に薙ぎ倒す。一振りで三、四人を打ち倒せるキーヴィは、サイの後方にサイの背中を守るように構えた。
三人はこれまで頼られる事なく関わることもなく影でひっそりと過ごしてきたこれまでの人生を変えるのだと、ユーマが密かに願ってきた事が今形になって現れようとしている事に、ユーマの鼻の奥にツンとした刺激があった。
――これで三人とも陽の目を浴びる事ができる……――
ユーマはまだ勝ちも決まっていない大立ち回りの最中ではあったが、未来の光を見た。
屋敷の中では、レイナが外の三人の大立ち回りの音が聞こえる中、気持ちを落ち着けて周りの気配を探っていた。
エミグランの屋敷を、これまでにない人数で襲ってくる事は何かの目的があってのことだろう。その目的が単に強盗ならこんな人数をかける必要はない。
『なんとしても手に入れたいモノがある』と考えるのが妥当。
もし相手がエミグランがいないことを知っていて襲ってきたのであればエミグランの命ではない。
ユウトが目的という可能性を疑っていた。
全てを知る者としてユウトの力が目覚めた事で起きた襲撃だとすると、必ずここにくるはずだと考えていた。
そして、その予想は残念ながら当たってしまった。
足音はしなかった。気配がなく突然のノックに体がビクッと反応した。
――気配がない? 何故――
レイナは右手で刀の柄を掴み、左手に詠唱を済ませていつでも発動できた風の球を一つ出した。
もう一度ノックされた。
固唾を呑み、少し刀を抜く。
相手が見た事がない人物であれば、一気に斬ってしまおう、と決めた。
「そんなに警戒しなくても、私は君に危害を加えるつもりはないのでね。いる事はわかったので入らせてもらうよ。」
壮年の声だった。聞いた事がない声で敵と判断した。
風の球をドアに向けて放つ。
と同時に刀を抜いた。風の球がドアに触れると外側に向けてドアが破壊され、その隙に生じる隙を狙うつもりだった。
ゆっくりと音もなく風の球がドアに吸い寄せられるように近づく。
「人間というものは実にわかりやすいものだね。」
ドアの向こうで残念そうに聞こえた声の終わり際、風の球がドアに触れる前に音もなく弾けて消えてしまった。レイナは目を丸くする。
と同時にドアが真ん中から弾け飛ぶように丸く破壊された。
「――!」
飛んでくるドアだった残骸を横に飛び込むようにして避けた。
「ノックしても出ないのでね。お邪魔するよ……ふむ。話し通りに白い女性一人か。なるほどなるほど。」
――話し通り?――
鍵を破壊されたドアは、その役目を果たせるはずもなく侵入者を許した。
そこには、拳一つ分ほど宙に浮いた背の高い壮年が立っていた。細くすらりと高い身長と、鷲鼻と眼窩にかけられたモノクルが知的な印象を与えるが、このドアを何かの力で破壊した人物だ。
音もなく浮いたまま中に入ると。
「やあ。」
とレイナに手をあげた。レイナは風の球を消された事で攻めあぐねていた。どんな力を使ったのか迂闊に近距離に寄る事ができなかった。
「……何者ですか……」
「何者……という事には答えられないが、私の事を説明すると、本を読むのが好きな壮年男性と説明しておこう。あと争いごとはあまり好まない人間だと言う事も付け加えておこうか。」
確かに見た目はそのような印象だ。剣を持って戦いをするような人物には見えない。
だが、躊躇していてはユウトが危ない。狙いはユウトだと断定してレイナは刀で腹部を横に斬ろうと間合いを一足で詰める。
「……嫌いなのだよ。」
途端、レイナの体が床に押さえつけられ叩きつけられたようになった。
「……ガハ……」
肺も押し潰されて空気がほとんど出てしまった瞬間に一瞬意識が飛ぶ。
「おっと……すまない。」
レイナの胸部の圧力が緩められて、反射的に大きく息を吸い込む。
「すまないね。私は知りたい事は自分の目で見たいのでね。君の命は取るつもりはないから静かにしていてほしい。」
「……な、何を……」
壮年はユウトに近づく。途端にレイナの顔が赤く変わる。
「ふむ。風の結界か……」
壮年が手を広げて、外側に半円を描くように動かし、胸元に引き寄せるように拳を握ると、風の結界がまるで剥がされるように消えた。
「……その人に触れたら……」
「触れたらどうするのかね?」
壮年は指をユウトの口の中に突っ込むと、ユウトは目に見えて呼吸が荒くなった。
「ふむ……アルトゥロ殿の言う子供か。マナが感じられぬが……死を待っているのか、それとも殺して欲しいのか……」
「――」
壮年からユウトに向けられた『死』と言う言葉を耳にした後、レイナはのちに何度思い出してもここからの記憶がなくなった。




