第三章 5:姉として、仲間として
ローシアはエミグランの執務室のドアを蹴破った。
ドアの蝶番が破壊され、エミグランの執務机まで吹き飛ぶと、同時にローシアは執務机で仕事をしていたエミグランに飛びかかる。
ローシアは憤怒の顔を真っ赤にして血管を浮かび上がらせ、エミグランの顔を目掛けて振り抜ぬくために拳を握っていた。
だが、エミグランまであと少しのところで体の前面に衝撃があり、制止された。いつのまにか机の上に立って身を呈してローシアを止めたのはリンだった。
体を使って抱きつくようにローシアの行動を制して振り抜くはずの拳はエミグランの顔の前で止まっていた。
エミグランは口元を緩める。まるで惜しかったねと言わんばかりに。
「アンタ……どういうつもりよ!」
ローシアが何を言いたいかはわかっていた。いつもは冷静だったローシアがまるで怒り狂う鬼の形相だ。
リンはなんとか制しているが、正直力負けするかもしれないと思っていた。
「どういうつもりかとは存外じゃな。」
「とぼけないで!」
あまりの剣幕に笑いが込み上げるエミグランは立ち上がり、リンの肩を叩いてローシアを解放するように促すと、リンはゆっくりと力を抜いて下がった。ローシアが力を入れ直そうとするのなら命令に背いてでも止めなければならないと思っていたが、ローシアはリンと同じように力を抜き始めたので、警戒はしつつも命令に従いローシアを離す。
「ワシは言うた通りに、全てを知る者の力を存分に出せるように手筈しただけじゃ。今昏睡状態になっているのは、全てを知る者がそうしなければならない理由があるからそうしておるだけじゃろう。ワシらの力ではどうにもならん。」
ローシアは何度か深呼吸しながら昂る心を落ち着かせていた。
ヴァイガル国からミシェルとアシュリーと共に帰ってきた時に、元気のなさそうなタマモからユウトとレイナに起きたことを聞いた。
急いでユウトの部屋に行くと、ベットに横たわるユウトのそばでレイナは椅子に座り、ユウトの手を握っていた。
ローシアはエミグランに嵌められたと思った。自分がいない時を狙われたと一瞬にして頭に血がのぼり、執務室のドアを蹴破り今に至る。
「……いつ目覚めるのよ。」
「それはワシにもわからんな。全てを知る者のみぞ知る。じゃな。」
「ふざけんじゃ……!」
ローシアの怒りがまた噴火前までに戻ろうとしたところ、リンが反応する前にエミグランが右手をローシアの前に向ける。
「…………!!」
突然、体が固まる。体の自由が奪われて、瞬間だが呼吸も無理やり止められた。
エミグランの瞬間的な反射で人体の自由を完全に奪う金縛りになった。
簡単な所作でここまでの強い拘束はローシアは体験した事がない。
詠唱していた様にも見えておらず、マナの操作を簡単な所作で行えたエミグランの異常性を垣間見た。
「ふざけてなどおらんよ。ワシは全てを知る者の顕現を誰よりも心待ちにしておったのじゃ。お主達よりな。」
「がっ……ぐっ……」
「勘違いしてもらって困るのは、ワシの悲願もお主達の悲願も行き着く先は同じ。手を取り合って協力しようではないかとわしは思うておる。わしとて全てを知る者を奪われるわけにはいかんのだ。死なそうとは全く思っておらんよ。」
ローシアの口の自由も奪われて話す事ができない。
初めてエミグランの力を体験したが、所作から羽虫を払う程度のものだろう。本来はもっと力があるはずなのにこれほどまでに体の自由を全て奪われる相手に勝てる要素なんてあるはずがなかった。
戦闘意欲を失ったローシアを見て、エミグランはニコリと微笑み金縛りを解くとローシアは膝から崩れ落ちて四つん這いになった。
大きく息を吸って体に巡らせてから
「その言葉……本当でしょうね……」
とエミグランに問うが、ローシアの顔はまだ怒気を隠そうとせずエミグランを睨みあげが、涼しい顔でこともなく
「当たり前じゃ。」
と言い放つ。エミグランがそういうのなら本当のことなのだろうと、事故であることを信じることにした。
エミグランは嘘をつかない。根拠はこの言葉だけだが。
「お主はせっかちじゃの。話を聞く事ができると思うておったが、全てを知る者の事になると姉妹共々向こう見ずなところがある。」
「……当たり前なんだワ。ユウトが現れる事をどれだけ願ってきたか。」
エミグランは右の口角だけを上げて
「それは本当かね? 別の思いはないのかね?」
とローシアの心の底を探る様な聞き方で問いを投げかける。
だが
「……ないワ。アタシ達の目的は黙示録の破壊。そのためならなんだってするワ。」
エミグランは口角を下げずにまだ問う。
「黙示録の破壊で、全てを知る者が、『死ぬ。』としてもか?」
ローシアはまた一瞬呼吸が止まり、心臓が一度高鳴るのがわかった。明らかに動揺した。
見抜いているようにエミグランは、例えば、じゃよ。と付け足した。
どこまでもエミグランの手のひらで転がされてる事に憤るが、言われてみれば、黙示録の破壊にノーリスクで挑もうとは虫が良すぎる。何かしらのリスクはあると考えた方がいい。起こるかもしれないと前もって身構えている事で、事実を知った時の心の動揺は少なくなる。そうエミグランに言われている様な気がしないでもなく
「お心遣い感謝するワ。」
と、少し強がって返した。
落ち着いたローシアを見たエミグランは納得した様に一度頷く。そして壊された扉をみて、鼻で大きく息をして呆れ顔でローシアをみた。
「まさかドアを破壊してくるとはのう。ノックはできるとは思うておったが……」
ローシアは悪びれる様子もなく鼻を鳴らして
「ノックしたワ。壊れかけてたんじゃないのかしら。」
と素気なく言い放つ。
エミグランは過去の自分もローシアと同じ立場だったらそうしていただろうとやむを得ないと受け入れていた。だからリンをそばに置いていたのだ。
「ドアを壊したのだから言うことを聞いてもらうかの。まさか断るまいね?」
意地悪く問うエミグランに
「……何をさせたいのよ。」
と機嫌の悪さを隠そうともしないローシアに構わず続ける。
「あまり大きな声では言えぬが……ユーシンが失踪した。」
ユーシンとは貴族会のトップのイシュメルの養子だ。
次期貴族界のトップとして期待されていて、レイナにド派手にフラれた男だ。
ローシアも流石に驚くが、なんの感情もなくサラリと身内の失踪を語れるエミグランの肝の座った態度も解せない。
喋り方に抑揚がないためか、身内の一大事でもほんの些細な出来事の様に聞こえる。
「イシュメルも心配しておっての、面倒なことかもしれぬがユーシンを探してきてほしい。うちのメイドは屋敷の警備で一杯での。ミストドァンクに依頼を出しても良いのじゃが、あまり表沙汰にしたくないのでな。」
断る理由もなく、先走ってしまってドアを壊した手前、受けざるを得ないだろう結論づけて
「……ここは素直に受けさせてもらうワ。」
と答えるとエミグランは微笑んで
「ご理解感謝するよ。」
と感謝を述べた。
だが、ローシアはどうしてもエミグランに確認を取りたいことがあった。
「その前に……念のために聞いておきたいんだけど。」
「なんじゃ?」
エミグランは執務机の椅子に座り、ティーカップを手に取った。
「ユウトは……どうなるの……」
少しの間、沈黙が続いた。エミグランは目を閉じて深く思慮しているようで、簡単には喋り出さなかった。
閉じていた目をゆっくりと開かれると、首を横に振った。
「……ワシもわからぬ。全てを知る者を締め付ける鎖が解き放たれれば意識は戻る。だがそれを拒否すれば……二度と戻ってこぬ。マナばぁも初めての事で驚いておるが、もう誰にもどうすることもできん……」
エミグランは神妙な面持ちで、ローシアはエミグランにとってもユウトの昏睡は狙ってやったことではなく、不測の事態だったと信じることにした。
「願わくば、早く目を覚ましてほしいものじゃが……いつになるか……」
「まあ……大丈夫なんだワ。うちの妹がいるし。」
エミグランはローシアが何を言っているのか理解できなかった。
「うちの妹は、ユウトと一緒にいることで自分が幸せになれると信じてる。ユウトもレイナのためにあの力を出した。お互いが引き寄せてくれると信じるんだワ。」
エミグランは意味を理解し、ローシアの立場を察して小さく笑うと
「そうじゃな……お主のカンを信じよう。」
と、バニ茶に口をつけた。
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ローシアはユウトの部屋に向かった。
レイナにどう説明しようかと考えながらゆっくりと歩いていたが、答えは結局わからないのだ。説明のしようがないと何度か結論づけて気がつくとユウトの部屋の前に着いていた。
意を決してドアを開けて中に入ると、帰ってきた時と同じようにベッドに横になっている意識のないユウトとレイナがそばに座って、ユウトの手を握っていた。
「……ユウトはどうかしら?」
レイナはローシアを見て、首を横に振った。
ローシアはユウトのそばによって顔を見る。すると、ユウトの目尻から涙が溢れてきた。
それをレイナは布で軽くあてがう様に拭き取って、またユウトの手を握りしめる。
ローシアはユウトが時折涙を流すことはレイナから聞いていたが、今その場面を初めて見た。
「なんで涙が出るのかしら……」
「ユウト様は今、思念という形になって断ち切るべきものの前にいるそうです。断ち切れるかは本人次第……きっとユウト様はお優しいから断ち切れずに苦しんでおられるのだと思います。」
「……そう」
確かに苦しそうな表情に見えるとユウトの顔を見ているとレイナが話し始めた。
「……私、何もわかってなかった。ユウト様のあの力が自分の意思で出せない事、マナについて何も知らない事。もう……本当に子供みたいなんです。弱々しくて……」
ローシアはユウトにエオガーデから救ってくれるようにお願いした時には、力の使い方がわからないかもしれないと思っていた。
それを承知でユウトに託したのは、エオガーデに勝てる人間が、奇跡を起こせる可能性を秘めたユウトしかいなかったからだ。
そういう意味では、可能性を秘めたユウトをマナばぁさんに会わせたエミグランとやっている事は変わらないなとローシアは自らを皮肉ってユウトから視線をそらした。
結果としてうまくいったかいってないかの差だ。たまたまエミグランの方が悪く出ただけだと。
「アンタ、ずっとそばにいるつもりなのかしら?」
レイナは頷いた。
「リン様やアシュリー様のお手伝いも断りました。私がユウト様のお側におります。」
ローシアは大きくため息をつく。頑固なレイナになっていてこうなるとレイナは頑として動かないだろう。
それだけユウトのことを想っていることは、例えローシアとレイナの絆がなくても誰でも察することはできるだろう。
ローシアは止めるつもりは全くなかった。むしろレイナがずっと側にいるのなら安心できる。
「好きにしたらいいワ。ミシェルの儀式の件はアタシが変わるんだワ。」
「……ありがとうございます。お姉様。」
ユウトに目を向けると、わずかに苦しそうに表情を歪めているように見える。
それに反応するかのように、レイナが手を握りしめる。
「ユウト様、ずっとこのような様子なのです。涙を流して、苦しそうにされて……落ち着いたかと思えば、また涙を流して……私は……何もできません……本当に悔しい……」
悲痛な思いはローシアには痛いほど伝わる。
「ホント、少し間抜けな顔してた今日の朝が懐かしく感じるんだワ。」
ユウトの頬に人差し指で突っつくが反応はない。今の状態がどのくらい続くのかわからないが、悪夢にうなされて突然目覚めるのではないかと見えてしまうことが、レイナがユウトから離れない理由の一つなのだろうと思った。
レイナの決意が固いことがわかったローシアは、もうここにいる意味もないだろうと、もう寝るワと扉に向かって歩き出すと、目線だけでローシアを見送った。
ローシアが部屋から出て扉が閉まると、ユウトに向き直る。
枕元の香炉にマナばあさんからもらった香を少し足して、また気持ちを新たにユウトの手を握った。




