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僕と異世界姉妹が魔女の黙示録へ送る復讐譚  作者: ワタナベジュンイチ
第二章 :鼓動よ届け君へ
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章間:手に入らないものは諦めるのです

 エオガーデとの戦いから一夜明けて、イシュメルとユーシンは、ヴァイガル国て一夜を明かしてドァンクに戻る最中、特に会話もせずエミグランの屋敷に戻った。

 聖書記候補がドァンクから出たパーティが開かれるらしく、まるでそれが既定路線だったかのような速さで今晩開催されるらしい。

屋敷に戻ったユーシンは、来客を迎えるためパーティの正装に着替えていた。

 


 ――くそ!くそ!くそ!

  ここまで何もかもうまくいかないとは……

  最悪の一日だった。

  こうなったら、どうしても参加しろと言われた

  このパーティもさっさと顔出して帰って

  街に繰り出す……それしかねぇ――

 


 聖書記候補がドァンクから誕生したことの祝いとして開かれるパーティに出席予定だったユーシンの興味は、すでにドァンク街にある繁華街で、夜蝶通りにあるキャバレーに逃げ込むとことしかなかった。


 散々な一日だった。目をつけていたレイナは、迎えに来させるためにイシュメルと合流したはずなのに全然来ない。そして朝になってアシュリーに叩き起こされ、その場に一緒に来ていたイシュメルに至っては、帰りの馬車の中でもずっと黙ったままだ。

 

 アシュリーには穢れたものを見るような目で見られ、リンに限っては目もあわせてくれない。


 ――何が悪いんだ……俺は何も悪くない!――


 正装に着替えて鏡で着崩れが出ないか、見た目に乱れはないかを確認して、一つ息をつく。


 ――どうせ俺はいずれ親父の後継として貴族会に入らねばならない。そうなったら自由なんて何もない。

 朝から晩まで、働き詰めで休みなんてない。

 全てはドァンク共和国のため……

 己の身も心も捧げる……

 そんなこと……できるわけないよ……

 だから今遊んで何が悪いんだよ……――


 ユーシンは、拳を固く握った。


 ――欲しいものは金で手に入る。

  なんでも買える。この国だってそうだ

 武力を金で買って平和を守る、

 人を買うことが許されてるんだ……

 金で買って何が悪い……

 嫌なら売らなきゃいい……目に見えるものが全て。

 俺は貴族会のトップになる男だ……

 心なんて曖昧なものは、結局金に踊らされる不安定で不確定なもの。

 そんなもの信じないし、簡単に変えれるものだ。

 俺は……俺は……――


 側にあった飲み掛けていた果実酒瓶のコルク栓を歯で開けて、口をつけて一息に飲めるだけ飲む。


 昔の事を思い出す時は決まって酒を飲む。ここ最近はよく思い出して泥酔するほど飲むことが多い。


 喉の奥、体の奥に流し込むように飲む。

飲んだって何も変わらないことはユーシンがよくわかっていたが、習慣になっていてやめられなかった。


 いつからか、忘れるために呑むのではなく、呑んだら思い出す過去の忘れられない光景が、また今日もユーシンの脳裏に蘇った。あの日、自分の両親と最後に別れたあの日のことを。


 *******


「では、イシュメル様……息子を……よろしくお願いします。」


「うむ。そなたらも息災でな。君たちの息子は私が責任持って育てよう。」


「……はい……申し訳ございません……イシュメル様にご迷惑を……」


「よい……気にするな。」


 まだ俺が文字の読み書きを覚える前のガキの時、両親に連れてこられた大きな屋敷に圧倒され、新しい家がここなんだと思うと嬉しくてはしゃいでいると、扉の閉まる音がして振り返ると、両親がいない事に気がついた。

屋敷の中にはイシュメルとメイドが二人いた。


「おとーさんと、おかーさんは?」


 イシュメルは俺のそばに来て膝を折って


「お父さんとお母さんは、これから長い旅に出られた。ユーシンはここに残る。いいね?」


俺は首を横に振った。


「今日から、ワシが君のお父さんになるんだ。今はよくわからないかもしれない。だがいつかわかる日がくる。」


 そう言い残してイシュメルは去った。


 でも見てたんだ、イシュメルは出て行く本当の親父に何かを渡しているのを……


 しばらく経って色々わかるようになって、それが金で、俺はイシュメルに売られたって理解した。


 そうだ、おれはイシュメルに売られたガキなんだ。


 だから、イシュメルを親父として認めなければ、いつか売られる…… いらない子として、別のやつが親父ヅラするようになる……


 また売られる……それだけはもう嫌だったから、イシュメルを親父として認めるしかなかった……


 でも、親父は俺を怒らない。何をしても……流石に殺しはしたことはないが、あの親父なら怒らないだろう。


そしていつしか貴族会の後継として俺を育てるようになった。


 帝王学ってやつでなかなか堅苦しいものばかりで、それでも捨てられる事を恐れて必死にやった。多分それなりにできていたんだと思う。

 

 その後体つきも大人になって、イシュメルの秘書として御側付きになった時に、お前はいずれ貴族会を背負って立つ人間になるんだなんて言われた。


 納得いくわけねーだろそんなの。


他人から買った子供を国のトップにするってどんな神経してんだ。


 呆れた俺は抵抗するように、女に酒に溺れた。

諦めろ、俺はクズなんだ。どうしようもないクズなんだから、さっさと諦めろって。


 だが親父は何も言わない。


 俺に何をしろって言うんだよ……クソ親父……

 何か言えよ……


 *******


「ユーシン様……」


 ドアの外からリンの声がした。

 我に返って、目を拭った。


「どうした!」


 ドアも開けずに用件を聞いた。


「まもなくパーティが始まります。皆様お集まりですので会場にお越しください。」


「ああ!わかった!」


 一息ついて、両手で頬を叩いた。

 重い腰を上げて、パーティ会場に向かった。





 会場に向かうと、見知った貴族会の連中が山ほどいた。

 全員知っていた。親父の仕事に何度もついていったから。知らないなんて失礼な話で名前や趣味や誕生日まで頭に叩き込んでいた。

 それぞれに近況などを軽く談笑する社交辞令的な挨拶を交わす。

 親父がいたので、その後は御側付きとして、後ろで話を笑顔で見守るのがこれまでのユーシンの立ち振舞だった。

 

 ――これで貴族会のトップになるのか……我ながら簡単すぎるがやる気も全く起きない……――



 ドアの辺りから歓声が聞こえたので視線を向けた。


 ――あいつは……ユウト……それに……レイナ!――


 レイナはユウトと貴族界の老人や夫人に囲まれて談笑していた。

 二人の様子は、客観的に見てら仲睦まじい恋人や夫婦に見えてもおかしくなかった。


 ――レイナ……お前はどうやっても俺の女になる気はないのかよ。

 なんだよ、その笑顔は……楽しそうにしやがってよ……

 思い通りにならない女……

 どうしても手に入らないなら壊すしか知らねぇんだ俺は。

 オレは……オレは、クズなんだからよ。――


ユウトとレイナが一通り談笑を終えるとバルコニーに向かった。


 ユーシンの目が冷たく刺さるように鋭くなった。


「お父様、少しお世話になった方とお話ししてきます。」


 不意に声をかけられたイシュメルは断る理由もなく

 

「うむ。構わんよ。」


 と言って、見えないように冷たい目から怒気をはらんだ目に変わり、バルコニーに向かうユーシンの背中を見守った。



 *******



 バルコニーに出てきた二人は一緒にため息をつく。


「……疲れた……」


「ユウト様もですか……私もです……」


 ――すてきな旦那様に見染められましたのねェ…――


 レイナが一人の夫人に言われたことを思い出す。


 ――ステキな旦那様……か……


 ユウトを見る。

 出会った時は頼りなさそうな人だと思っていたが、たった一夜でまるっきり見方が変わってしまった。


 ステキと言う言葉は完全に同意できるけど……

 旦那様……

 レイナの顔が赤くなる。


 レイナが妄想で惚気ていると……



「おい!」


「ユーシン様……」


 レイナは途端に警戒する。

ユウトの腕を抱くようにして、ユウトの後ろに隠れる。その様子にユウトが気づく。

 レイナはユーシンが苦手になっていたのでその姿も見たくもなかった。


「レイナ?」




「昨日は二人であんなに楽しんだのに……連れないなぁ……君は。」


 ユーシンが思い出すように二人に聞こえるように話し始めた。

 


 ――壊す……こいつらの関係をぶち壊す……

 そうしないと気が済まない……――


「わ、私はユーシン様と何もありません!」


 慌ててレイナが否定する。


「んー? でも本当のところは、キミと僕しか知らないんだ。本当に何があったかは……ね? 君もそう思わないか?ユウトくん。」


 ユウトは突然声をかけられて、「は……はぁ……」情けない声で返事する。


「なんだねその情けない返事は……君はどう思うのかと聞いているんだよ。君は本当に何もなかったと信じるのか?」


ユウトは少しだけ考えた。


レイナはユウトが自分のことを無碍にするようなことを絶対に言うわけが無いと思っていた。

 

 ――なんだったら、もう、僕の大切な人です。口出ししないでください。くらい言ってくれても……――

 

 レイナは脳内で惚気ていた。しかしユウトの口からは期待に反する回答が飛び出した。

 

「……本当に現実に起こったことは、二人しか知らない。それはそうだと思います。何が起こったかはレイナから聞きました、でもそれが真実か否かは……それは、僕にもわかりません。」


「ユウト……様?」


 レイナはユウトが何を言っているか理解できなかった。

 ――私のことを信じてくれるって……――



「フフフ……そうだろう? なら……」


 ユーシンの言葉を打ち消すように、ユウトは続けた。


「レイナは言ってたんです。いつも間違えてローシアに迷惑かけてばかりだって……昨日そう言ってました。だからレイナが自分の気持ちと話し合って、間違っているって思うことをしないと思うんです。」


「ユウト様……」


 レイナがユウトの腕を握り込む力が強くなる。

まるで心の輪郭をなぞられるようにあの時思っていた事をユウトが言葉にする。

 



「だから、レイナ間違った事をしないって事だけは、自信を持って言えます。そんなことだけはしない。多分、僕やローシアに嘘をつくことが絶対に嫌なはずなので……だから、二人で何があったのかを聞いて、それが本当か嘘かって考えるより、僕やローシアが悲しむような事は絶対にしないっていう事を信じてます。」


 ――なんだよそれ……なんなんだよ!その答えは!!――


 ユウトの答えはユーシンに理解できるものではなかった。ユーシンは二人の中にある明るい光の中にある小さな影を大きくしようとしていた。

 だか、ユウトの答えは、疑念も何もない。光だけしかなかった。明らかにユーシンにはないものだった。


 



「ユウト様ぁ!」

「ぐえっ!!」


 たまらずユウトに抱きつくレイナ。

首をさば折されてるようになっている。


「私のことをー……ぞんなにわだしのことをー!」


 なんか昔に聴いた曲のサビみたいな単語を連呼してる中



「ぐっ……ぐるじい……」


 油断していたせいが首に完全に腕が絡みついた気管が潰れる。本日二度目だ。


 ユーシンはワナワナと震えだして二人を睨んだ。


 ――なんだよそれ……信じる?

  他人を?馬鹿なんじゃねーの?

  心なんて不確かなもの信じるやつはただのバカだ。

 形あるものが全てだ。目視できる情報が全てだ。

 何が信じるだ……何が正しいだ……

 一方的に決めやがってよ……――


 ユウトがレイナの肩をタップする


「ギ……ギブ……」


「ああ!……すみませんユウト様!!」


 青白い顔で解放されたユウトは、咳き込んだ後


「だ……大丈夫、大丈夫。」


「本当に……本当にすみません……本当に嬉しくって……」


 レイナの目に涙がたまる。


「……ゴホッ……あ……泣かないでよ。なんか僕が泣かせたみたいになるじゃないか。」


 ユウトはレイナの頬に手を当てて、親指で涙を流し取る。レイナは目を閉じてユウトの思うがままに顔を差し出す。


 ――なんだよ……オレが触れたら気持ち悪くて

  そいつはいいのかよ……

  なんなんだよなんなんだよこれはよ!!――



 ユーシンは護身用に持っていたナイフを懐から出した。ユウトとレイナはその様子に気がついていない。


「ユウト様……左目もありませんか?涙が……」


 レイナがまるで口づけでもせんばかりに目を閉じてこちらを向いている。


「なんか……レイナ、キャラ変わったね……」


ユーシンが気づかれないように、ナイフを片手にゆっくりと近寄る。


「なんで目閉じてんのさ……」


 ユウトはレイナの左目の涙も親指で流し取る。


「……何故でしょうか……私にもわかりません……」


レイナはまたこの手の感覚が味わえる事に恍惚の表情が隠しきれていない。

 

「本当に?」


 ユウトがわからないことについて聞き直すと


「…………!!」


 ユーシンの殺気にレイナが反応して目を開いた。

ユーシンの顔は殺意に満ち溢れた目をしていて、すでにナイフを振りかぶって振り下ろす瞬間だった。


 ――ダメっ!! 絶対にさせない!!――


 レイナはユウトを突き飛ばそうとしたその瞬間。

黒い影がユーシンとユウトの間に入ってくると、

キィイン!という、金属音とともにナイフが弾かれ、庭の方に勢いよく飛んでいった。


 影の正体はリンだった。リンはタガーを持っていた。


「ひぃ!」


 ユーシンが、情けない声を出したかと思うと、そのままナイフを持っていた手をリンに握られ、脇を固められて床に叩きつけられるように制圧された。

 ユーシンの首元にはリンのタガーが突きつけられた。


「ご無事でしょうかお二人とも、と質問しますが、視認できる傷は無いようです。」


「……う、うん。レイナも僕も大丈夫だよ。ありがとうリン。」


 レイナの方を見ると……



 ――うわぁあ……怒ってる……――


 美しい白い肌に血管が浮き出て、激怒している様子を隠そうともせずユーシンを見下していた。


 レイナはユーシンに強く言えないのは、ユーシンが誰にも危害を加えようとしなかったからだ。自分にだけならまだ我慢できたのだが、大切なユウトを傷つけようとした。この一点だけで、レイナの中でユーシンの評価は地どころか奈落に落ちた。


「あなた、最低ですね……私にだけならまだともかく 私のユウト様に傷つけようとするのなら、もう許しません……絶対に許さない……」


 ユウトはレイナの目が冷酷にユーシンを見下ろしていた。こんな目は見たことがない。

ユウトはレイナがそんな目をするほどユーシンが怒らせていた事に驚いた。

 

それもそのはずだ、レイナの前でユウトは一回殺されているのだ。

あのような絶望の底に落ちるような思いは絶対に二度としたくない。ユウトを狙う何者かがいるのなら容赦はしない。例えイシュメルの息子であっても。

 

「今は刀を持っていません。ですが、次見かけたら、あなたを斬ります!」


レイナに完全に拒絶された事でユーシンの中で何かがキレた。

 

「斬れるもんなら斬ってみろよ!! はぁ? お前ら誰の依頼でここでのうのうとパーティに参加できてると思ってんだ!!この貧民どもが!!」


 それは、ユーシンの父親であるイシュメルだ。二人ともわかっている。だが、触れてはいけないところに触れるしかないユーシンを哀れにも見ていた。

リンの手に力が入る。


 「偉そうにすんな!! お前らはこの国の金で養われた傭兵だろうが!!国の上位にいる俺に無礼は許されんぞ!! リン!離せ!」


 リンはため息をついた。人を殺そうとしたのに取り押さえると無礼をするなとはメイドになってから初めて言われた。表情を全く変えず、ユウトの方を向く。


「ユウト様、クラヴィから聞いた事をお伝えいたします。クラヴィは、ユウト様が殺してほしいという人がいたら、どうしますか?という問いに、即殺すと言っております。何も聞かずに。」


 クラヴィと聞いてユーシンの顔が青ざめる。

昔、手を出そう絡んでいたら、ある日突然血まみれで現れて、あまりにも衝撃的で慌てて逃げ出した。

それ以来クラヴィと会っても目を合わせることができなかった。殺しの仕事をしていると聞いたのはその後だった。


 ――なんで……なんであいつはあの血まみれ女にも気に入られてるんだ……――


 「クラヴィは、あなたを本気で気に入っています。あの言葉はおそらく真実です。」


 というとレイナの顔が膨れた。

 ――……私だって本気だもん。――


「そして、ユーシン様の離せ、という要求に対しては、できません。と回答いたします。私はエミグラン様に使える者です。よって指揮権はエミグラン様にあって、イシュメル様にもユーシン様にもありません。エミグラン様より恒久的に命令されている事は、お客さまに無礼を働く者は、誰であろうと拘束し、場合によっては殺害ののち遺体は速やかに処理。です。今、拘束まで対応いたしました。」


「ひっ……」


 リンの対応に情けない声が出たのはユーシンだ。



「それに、ユウト様には私の願いを聞いていただいた借りがあります。今、私はエミグラン様のお客さまに手を出す輩を拘束しています。この後の行動は、ユウト様に委ねます。」


――リンまで……なんなんだこいつは……――

  


「……離してあげてよ。」

 

 ユウトはユーシンが哀れに思えてきた。自分の影響力の及ぶところでこんな目に合わされるのはユーシンの望むところではないだろうと思ったからだ。


「……はい。」


 リンはユウトの言う事に従ってユーシンの拘束を解いた。

転がって三人から距離を取って立ち上がる。


「……っはぁ……はぁ……」


 レイナはユウトの前に立つ。リンも同じようにユウトを守ろうとしている。


 ――なんで……なんであいつは……

  俺が欲しかった、ものをこんなにも簡単に手に入れるんだ……――


 ユーシンは信じられなかった。こんなにも簡単に、僅か数日で自分が手に入れようとして手に入れられなかったものを、いとも簡単に手に入れたようになっているユウトを。


「そこまでだ。」


 屋敷の方からの声に振り返ると、イシュメルが立っていた。



「……もうやめよ。」


 ユーシンは、イシュメルの顔を見て笑い出す。


「フフフ……ハハハハハハハハハハ! この無礼者共が!! 我が父の国でこんな無礼! 右手だけでは許さんからな!」


 ユーシンはイシュメルのそばに早足で歩み寄る。

イシュメルは、一度だけ息を吐いてユーシンを睨む

 


「やめよ、というたのはお前にだ。ユーシン。」


 というと、イシュメルが振りかぶってユーシンの左頬を拳で殴った。まさか殴られると思っていなかったユーシンは勢いで二、三歩後退りへたり込んでしまった。


 殴られた左頬に手を置き、驚いた顔で見上げるユーシンは、目に涙を浮かべていた。


「……もう部屋に戻れ……」


 イシュメルはとても寂しそうに言った。

ユーシンは今にも泣き出しそうになるのを堪えて立ち上がり、うつむいたまま早足でバルコニーを後にした。



 イシュメルはユーシンを殴った右手の甲を何度か撫でると。


「……いや、人を殴るなんてことは初めてでしてな、痛いものですな……」


 と笑顔とは到底言えない情けない顔をユウト達に見せた。


「イシュメルさん……」


 

 イシュメルは、ユウトとレイナに向き直ると、深々と頭を下げた。


「これまでのユーシンの無礼……父親として謝罪させてほしい……本当にすまなかった。」


「いや!大丈夫ですから。 レイナもきっと僕と同じだと思います。」


 それはそうだとレイナは胸を張った。ユウトが言うならレイナも従う。

レイナはユウトの言うことに何も反論はなかった。

それよりも、ユウトと一つにまとめてくれて返事をしてくれたことが嬉しかった。


 イシュメルは頭を上げると、小さく、ありがとう。告げると、トボトボと力を使い切ったようにバルコニーの手すりまで歩いていく。

 見上げると空には満天の星が囲む月があった。


 まるで月の輝きに誘われるようにイシュメルは懺悔するように語りだした。


「ユーシンはとある村の夫婦から引き取った子でな。夫婦が魔女狩りの対象になってしまい、逃げるときにまだ小さな息子を連れて行って、もし見つかったら殺されるかもしれないと言うのでワシが引き取ったのだ。東の国は魔女狩りが頻発するような国ではなかったから、東の国の知人を紹介して路銀をわたした……」


 魔女狩り……聞いたことのある言葉でレイナの方を向くと悲しそうな顔をしていた。

 ユウトはその言葉の意味は理解していないがレイナの背中を軽く撫でた。


「……知人には到着したら手紙を寄越すように言ってたのだが……来なかった おそらく追われて殺されたのじゃろうな……ユーシンにはまだ言うておらん。」


 そんな過去があるとは知らなかったユウトはユーシンに同情した。

親を失う痛みはわからないが、天涯孤独である事を自認して生きる辛さは、似たような思いをしてきた分、少しだけ同情ができた。


「ユーシンさんは覚えているんでしょうか? 本当のご両親の事を。」


 イシュメルは少しだけ考えてから息を大きく吐いて答えた。


「覚えていてもおかしくない歳であった……預かったとは言え、所詮ワシは仮初の父親。ユーシンの父親ではない。あの子の父親に、どのように接すれば良いのか確認して演技することも許されない……相談する相手もおらん……」


 ユウトは仮初の父親という言葉が気になって、デリケートな質問とわかりながら問う。


「イシュメル様の本当のお子様は?」


 イシュメルは首を横に振った。


「おらん。ワシはそもそも嫁を娶っておらん。貴族会の頂点に立つ者は、その命を狙われる。そして、家族も同様に狙われる運命。愛するものを失うことの辛さは耐えられん……じゃから嫁は娶らなかった。」


 レイナは愛するものを失う辛さという言葉に合わせて、ユウトの横顔を見た。愛すると言うことがどういうことかわからない。だが、もしユウトのそばにいたいと思うことが愛することと表せるのなら、愛していると言うことだと言えるが、レイナにそこまで言い切れる確信はなかった。


そして、エオガーデとの戦いの事を思い出す。ユウトの腹がぐちゃぐちゃにされた時の事を思い出し、今こうしてユウトのそばにいても怒り狂い泣き叫んでしまいたくなる気持ちに襲われる。

もう一度再現されたら精神が持つかどうかわからないと思った。また見たら気が狂ってしまいそうだ。

 二度とさせない。そんな事は、と固く誓った。


 レイナはユウトの腕を少しだけ強く握った。絶対に目の前からいなくならないように。


 イシュメルは続ける。


「ワシは子供の育て方がわからん。ワシも親がおらんかったからな……そばにいてくれた者に甘えられたのかもわからん。ワシの育て方は、ワシが昔そうされたように同じ事をすることしかわからない…… こう言う時に嫁が居ればな……と思うのはわがままだな。ワシが選んだ道なのだから。」


 イシュメルは右手をまた撫でる。


「だが……あの子が初めて父上と呼んでくれた時のことは、昨日のことのように思い出せる。初めて勇気を出して父上と呼んでくれた……その時にこの右手に触れたあの子の温もりは忘れられん。こんな子育てに門外漢なワシを、父上と呼んでくれたことを……」


 何度も何度も右手を優しく撫でる。あのときのぬくもりを思い出すように。


「こんなに嬉しい事はないと思った。何もしてやれてないワシが父親になれたとな……それからはあの子を残してこの世を去った両親に、恩返しではないがユーシンを貴族会の要職につけることができるように教育してきた。このドァンクで歴史に名前に残すことができるようにしてあげることが、ユーシンを残して死んでいった両親への手向になるかと思ってな……」


 イシュメルはまだ右手を撫でていた。

そんなに痛かったのだろうか、とユウトは思った。


「だが……ワシのやり方は間違っておったのだな……いや、薄々わかっておったが見て見ぬふりをしておったのかもしれん。だが、あの子を叱ることはできなかった……」


「叱れなかった……」


 ユウトが繰り返して言うと、イシュメルはゆっくりと頷いた。


「所詮、仮初の父親。そう言われると思うとな……ワシなりに愛情を注いでいたつもりだったが……間違いだったのかもしれん。今更殴って父親づらをするなと言われても、何も言い返せん……。」


ユウトは何も喋れなかった。そしてイシュメルがなぜこんな話をするのかもわからなかった。


「ワシは父親失格だ。あんなに取り乱すユーシンは初めて見た……そして、刃物を持った時でも、ワシはまだユーシンを信じていた……この手にある温もりや、あの時、ユーシンを預けたあの子の両親が、ユーシンはそんな事をしない……と言うておったような気がしてな……だが、あの子は振り下ろした。」


 イシュメルはぬくもりを感じていた右手を握り込んだ。


「例えどんなことがあっても、貴族会が人に対して貧民などと断じて言ってはならんし暴力を振るってはならん。ワシはそんなことも教えられていなかった…… 本当にすまなかった。心からお詫びする。」


 またユウトに向き直したイシュメルは深々と頭を下げた。


「い……いえ。僕は全然……」


 イシュメルは頭を上げると、また右手を撫でた。


「いや……こんな話を聞かせて申し訳ない。誰にも言うた事はなかったのだがな……情けない話を……ハハハハハハ」


 空笑いに聞こえるイシュメルの笑いはとても小さかった。

 


「痛い……本当に痛いな……人を殴るのは……息子を殴るのは……本当に痛い。」


 イシュメルは、バルコニーの手すりに手をかけて月を見上げた。月は煌々と輝く。まるで語りきったイシュメルを祝福しているように。

ユウトは、その背中を見て


「レイナ……行こう。」


「え? で、でも……」


 イシュメルのことが気になる…… それはユウトも一緒の気持ちだが、イシュメルが月を見上げている理由がユウトが思うものと同じなら、きっと見ない方が良いと思ったから。


 時は残酷で過ぎさると二度と取り戻せない。

取り戻すことができなくても、新たな明日から、また歩くしかない。毎日を満足する過去にすれば、いつか振り返った時に、見える世界は違っていて、その時に立ってる位置もこれまでと違うはずだし、見えるすぐそこの未来もきっと違って見えるはずだから。

 取り戻せなくても、やり直すことだってできる。

 イシュメルの右手の痛みが、きっときっかけになるはず。


 「いこう。レイナ。」


 イシュメルの気持ちを察したユウトはいつもよりも大人っぽくってレイナが赤面する。


「は……はい……」


 ユウトは、イシュメルの背中に一礼して、バルコニーからパーティ会場に戻って行った。


 ――ユウト様……なぜイシュメル様のお話を聞くだけであんなに大人っぽく見えたのでしょうか……――





 

 バルコニーから会場へ入ると、ローシアが立ってこちらを向いて待っていた。


「もう部屋に戻るんだワ。アンタたちは?」



「僕も部屋に戻るよ。なんか疲れたし……」


 レイナは本当は嫌だった。まだ終わりたくはなかった。だが、ユウトもさっきの件で疲れている事はわかっていたので、ユウトの腕から名残惜しそうに手を離した。


「私も……部屋に戻りますわ。」


 と笑顔を作って二人に伝えた。



パーティ会場から一番近いのはユウトの部屋で、すぐについた。部屋のドアを開けて



「じゃあ、おやすみ。また明日。」


「早く寝なさいよ。」

「おやすみなさいませ。ユウト様。」


 と二人の言葉を聞いて部屋に入ってドアを閉めた。

 

ローシアが背伸びしてそのまま後頭部に手を重ねて部屋向かい始めるとレイナも続く。

 ローシアは少し寂しそうなレイナの顔を見て、ニヤついた。


「アンタ、ユウトとどうなったの?」


 頭の中で考えていた人物の名前を言われて驚いて姉を見た。


「どうっ!って、なんのことですか?」


「そりゃ……もうね?……姉だし?わかるわよ?アンタの思ってる事は。」


「……」


「アンタ、昔から素直じゃないところがあるからね、鈍感というか、空気読めないとかそういうとこ。」


「……はい。」


 姉には敵わない。姉にはレイナの気持ちや考えていることがわかるので言い訳も何もできない。


「アンタ、気持ちに素直になった方がいいワ。いいじゃない。全てを知る者でも。アタシたちの祖先的には繋がりあるわけだし。」


 魔女が指し示した全てを知る者。ユウトと姉妹には、薄いが全く繋がりがないわけじゃない。


「それに、アイツと一緒にいることで、アンタ、幸せなんでしょ?」


 レイナは顔を真っ赤にして頷いた。


「ならそれはもう、好きって……」

「わからないんです……」


 レイナが思い詰めたように話し出した。


「私、好きっていう気持ちがわかりません。ユウト様はとてもとても大切な方です。全てを知る者とかそんなの関係なくて…… 困った時や大変な時に、絶対に助けてくれるっていう確信があります。お姉様もすごく大切で……どちらかが上や下って事はなくて……」

 

「だから、それを好きっていう……」


「でも!それって、困った時にだけ助けてくれるて、ユウト様を都合よく見てないでしょうか? 困った時にだけ頼るような……そんなふうに思うことがあって……それは好きとかそう言う言葉じゃないような気がするのです……」


「ふーん……」


「だから、まだ、わかりません。」


「アンタはユウトが困った時はどうするの?」


 レイナは真っ直ぐにローシアに向き直り。


「私が助けます!絶対に私です!誰にも譲りません!どんなことがあろうとも私が一番にユウト様のお力になりたいのです!」


 あまりの剣幕に、ローシアが後退りして、そ……そう。と相槌を打つ。


 ――それをアンタが思ってるなら……それが好きってことなんじゃないの? 本当にわが妹ながら呆れるくらい鈍感ね。――



 気持ちの言語化というのは難しい。簡単にできるものではなく言語というツールを使うことで、意味や意思を伝える事はできるが、想いを相手に完全に理解してもらう事はかなり困難を極める。


 お互いのことを知るために、まず言葉による意思の疎通が入り口だ。

想いはその次で、想いが先に伝わる事はほとんどない。

 想いを伝える方法は言葉だと困難を極める。

 言葉で簡単に想いを伝えられるのは自分しかいない。

 自分が二つに分裂すれば、もう一人の自分に話すことで伝えられるが、育ちも環境も違う他人が想いを完全に理解する事は難しい。僅かな差分でもすれ違いが生じるものだ。

人は友人や他人を知ったようにして行動することがほとんどで、それを知る人ほど他人というものを根本的な部分で信用できない。

 

 だが、思いやるという伝え方がある。

相手のことを思い、自分がどうあるべきかを行動に移す。行動を見せることで得られる確信は、言葉なんかよりも雄弁に相手に伝える。結果がどのようなものであっても……

 ユウトがエオガーデからレイナたちを救った時、結果がどのようなものであっても、レイナはユウトを今と同じ気持ちになっていただろう。例え本当に死んでいても。




 レイナが今ユウトに伝えたいことは、態度で示す事でユウトが大切であることを伝えたいと自然に結論を出した。

 レイナは、自分が感じた事や気持ちを、ユウトの行動で、自分の心を心地よく支配されてしまったように。自分も行動で見せる事でユウトに、同じ気持ちになってわかってもらいたいと思っていた。

 

 レイナが言語化できないのは、言葉に出来ない想いを伝えるために、本人はそう思ってないにしても結果的にゆっくり歩む道を選んだのだ。この伝え方が一番わかるし、心があったかくて、居心地がよい。そんな思いをユウトにも同じように感じてほしいから、同じ行動でわかってもらいたいと思っていた。

 せっかちなローシアからするともどかしい感じもするが


 ――ま、お似合いかもね。この二人は。――


 と結論づけた。そのほうがいじる機会も多く取れるしレイナの弱みを握ったと内心ほくそ笑んでいた。



「まーわかったワ。アンタの気持ちは。」


「本当ですか!」


「ええ、でもアンタ、うかうかしててあの変態巨乳女にユウトが取られたらどうすんのかしら?アイツ、ユウトにべったりくっついてるけど?」


 と早速いじる。

 

「え?」



「あの女、相当ユウトを気に入ってるんだワ。あれは恋愛マスターの私から見ても、相当の愛をくぐり抜けて来た手練れね!」


 もちろん、恋愛マスターなどと申しているが、ローシアは恋愛経験ゼロである。皆無だ。



「え?え?」



「あのスタイルの良さはアンタにも引けを取らないかしら。で、男を転がしてきた妖艶な雰囲気はアンタには無理なんだワ。さすがに」


「え?え?え?」



「アイツ、絶対に人の頼みとか、嫌だ!なんて言えない、全肯定する男だから、あの変態巨乳女に『ユウトちゃぁぁん好きよ』なんて言われると、『僕も好きだよ』なんて言いかねないワ。」


 寸劇を含めてレイナを煽るローシア。



「こーれうかうかしていると、あの女に取られちゃうんだワ……どう思う? レイナちゃん?」



 

レイナは歩みを止めて俯いていた。


 ――……ちょ、ちょっと煽り過ぎたかしら。――



 そっと近づいてレイナの顔を覗く。レイナが何かブツブツ言っているので耳をすませた。


「なぜあんな乳だけおんなにわたしのユウト様がとられないといけないのよわたしのユウト様なのにふざけないでよ私のほうがユウト様とながくいるんだからわたしのほうがたいせつにきまってるじゃないユウト様もそう言ってたんだからまえにすこし先手をとったからってちょうしにのらないでよころすわよ絶対にゆるさないわたしのユウト様なんだからちがづく人間はみな死ぬしかないのよそうよわたしはただしいぜったいに許さないんだからユウト様はわたしだけのものユウト様はわたしだけのものだれにもふれさせないわたしだけのものふれるやつは皆しぬ見たひともみんなしぬそうよわたしは正しい……」


「ヒッ……」



 レイナの手の中に風の球が五個できた。

ユウトへの想いが詠唱になったらしい。


 レイナは遠い目でローシアを見つめる。



「ユウト様に近づくおんなはいなくなればいい……」



「いや……ちょ、ちょ、ちょっと待って」


 レイナはユウトへの攻撃は絶対に許せない、今日のユーシンの攻撃はレイナにとって到底許せるものではなくストレスになっていた。そこにローシアの冗談を受け付ける余裕はなく。


「……わたしのユウト様に近づく人は許さない……」


 「ちょおおおおおおお!!!っっとおおおおおお!!!!」


 ローシアが全力で走り出すと、レイナも全力で追い始めた。


 ローシアは、もう二度とレイナをユウトを材料にして煽らないことを心に、硬く、硬く誓った。


 そして命懸けの追いかけごっこは、ユウトがたまたま部屋から出た時にレイナが見かけて、風の球を瞬時に消してユウトに抱きついてうまくガス抜きできて終わりを迎えた。


 

 

 

 

章間をお読みいただきありがとうございました。

本当は二章の最後にマージしたかったのですが、長くなりそうなので章間として少し追記して出しました。

(文量多くてすみません…)

この後は、少しクラヴィの事を書いた短編があるのですのですが、それを先に出すか三章を出すか考えます。

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