第二章 10 :出来るか出来ないかじゃないんだ
ミストでは、ローシアの容態が急変していた。
「おい!セトさん!ヒール出来る連中はまだか!」
怒鳴り散らすようにオルジアが言うとセトも怒鳴る。
「もうすぐさね! あたしに言ってもしょうがないだろう!」
すでに今日三度目の吐血をしたローシアは、青ざめて意識がなかった。
アシュリーが懸命にヒールをするが、容態は一向に良くならず、むしろ悪化しているように見えた。
「クソ!クソっ!」
アシュリー傷が特定できなく、流れる血液を止めるほどの回復が出来ていないことはわかっていた。だが、一人ではどうすることもできずにいた。
「外は衛兵だらけ……わしに出来ることは……」
イシュメルもローシアの容態に何かできないか。金ならある。だが、今は金で何も出来ない状況に歯噛みする。ヒールのできるアシュリーに任せるしかなかった。
外は雨が降り続けている。屋根を叩く雨の音が部屋の中を支配する中、セトの部屋の扉がノックされた。
「来たさね!」
待ち望んだヒールのできる傭兵がきたと全員の顔が明るくなりドアの方を見た。
「開いてるさね!入りな!」
ドアが開かれ入ってきた。雨に濡れたらしく、足音が水っぽかった。姿を見せたその人物はオルジアも全く頭になかった。オルジアは目を丸くしてその人物の名前を口にした。
「……ユウト」
ユウトは 雨で水滴が垂れるほどではないが、しっとりと濡れた姿だ。
「すみません……エミグランさんに言われてきちゃいました……」
ユウトの後ろから、体を震わせて水を飛ばすタマモがいた。
「ううう……雨が降るなんて聞いてないぞ! 気持ちよくにいちゃんと空を飛んでいたのに…」
驚くオルジアは、城門が閉まっているのにどうやってここまで来たのかを尋ねるよりも、ローシアの助けになれないかをユウトに尋ねた。
「お前さんヒールできるか?」
「え? 出来ませんけど…… どうしたんですか?」
オルジアに歩み寄るとベッドに横たわる人物と辺りに付着した血の量に唖然とした、それがローシアのものだと気がつく。
「え…………ろ、ローシア?」
ユウトは想像だにしていなかった。
ベッドに吐き出した血が大量に付着して、青白い顔で深い眠りについているようなローシアが見えると、ユウトはそばに駆け寄る。
「絶対安静です! あまりローシア様に触らぬように。」
アシュリーに止められたが、ローシアの右手を握った。
何の反応もない。
「……なんで……ローシアが……」
「お前さんには説明しておいた方がいいな……」
オルジアは、ユウトに説明した。
聖書記選の事、ミシェルが候補に選ばれた事、狂犬エオガーデに狙われた事。全て知る限りを話した。
「何で……ローシアが……」
あんなに強かった、大森林で助けてくれたローシアがこんなになるなんて考えもしなかった。涙で視界が歪む。
そして、レイナこの部屋にがいないことに気がついた。
レイナならローシアのそばにいるはずなのにいない。
「……レイナは? レイナがなぜいないの?」
レイナの名前を口にすると、アシュリーは目に見えて怪訝な顔をした。オルジアがある程度伏せて話した方がいいだろうと判断して答えた。
「アイツは……わからん……」
「わからないってどう言う事だよ! まさか……狂犬に?」
「それは分からん、だが今はいない。」
ユウトは立ち上がって、オルジアに向けて怒鳴った。
自分よりも長く姉妹と一緒にいるのはオルジアだ。わからないという言葉に憤りしかない。
「何でいないんだよ! たった一人のお姉さんなのに! どこに行ったんだよ! 知ってるんだろ!」
ユウトの怒りに答えれる回答は誰も持ち合わせているはずもない。レイナは何も話さなかったのだから。オルジアはユウトの質問に答えれるはずもなく黙することしかできなかった。
だが、アシュリーは違った。
「あんな不浄な女は、ここにいなくて正解です。」
ユウトがアシュリーに向き直る。
「なんだよ……不浄って……」
アシュリーは痺れを切らしてユウトに迫る。
「あの人は!ユーシン様と二人でどこかに行って……こんな大事な時に遊び呆けて! 所詮貴族会の財産目当ての卑しい女なんです! ローシア様が戦っている間、二人で……」
それ以上は言葉にしなかった。穢らわしい言葉は口にしたくないと言わんばかりだ。
「あんな方! この部屋に入れなくて正解です!」
そんな理由でユウトが納得するはずがなかった。ここにいる誰よりも、二人のことを理解している人間はユウトしかいない。
レイナがこの状態のローシアを見て、部屋に入らなかったっていう選択肢はない。有り得ない。
つまりここにいる大人が、アシュリーの言う事を理由にして入らせなかったのだとわかると、ユウトの体の芯に怒りの炎が灯る。
「……じゃあ、それだけの理由で、こんな苦しんでいるローシアから引き離したんだ……」
「そうです! ローシア様がそう言いました!」
――知ったような口を聞くなよ……そうやっていつも大人はごまかすんだ……――
「……ローシアはそんなこと言わない……絶対に言わない。大切な妹だって言ってたんだ……」
オルジアが見かねてユウトの肩に手をかける。
「ユウト、お前さん……」
ユウトは肩に乗った手を払った。
「触らないでよ……アンタたちみたいな大人に触られたくないよ……」
「……ユウト……」
「レイナにも、なにか理由があったはずなんだ……それさえも聞いてないんでしょ……誰か知ってるの?」
誰も答えられるはずがなかった。言わなかったのだから。
逆にいえば聴こうともしてなかった。その理由は、結局のところ一つしかないと勝手に思い込んでいた。
レイナの話を聞いたのか、と言われると言葉に詰まり、誰もユウトに返す言葉がなかった。
「……もし、レイナがみんなが思うような事をして、それが理由で会わせないってなんなのさ。アンタたちはこんなに瀕死な姉に妹を会わせないほど偉いのかよ……」
「ユウト……もうやめろ。ローシアが……」
ユウトの顔が怒りで険しく燃え上がるように赤くなり涙を流してオルジアを噛みちぎらんばかりの剣幕で捲し立てる。
「ローシアがなんだよ! こんなに瀕死で喋れないことを盾にして!そうやって有耶無耶にするのがアンタたちのやり方かよ!」
ユウトの怒りはもっともだ。反論すらできない。だが、最優先すべきはローシアの事だ。それはユウトも同じはずだ、とオルジアは落ち着かせるようにユウトに言い聞かせる。
「ユウト……お前さんの気持ちはわかった。すまなかった。俺がいてこんな事になったことは謝る。だが今一番大切なのは、ローシアを死なせないことだ。違うか?」
涙を拭いながら、呼吸の荒いユウトは、オルジアの言う事は悔しいけどもっともだと小さく頷いて、ローシアに向き直り手を握った。
「ごめん……もっと早く来ればよかった……何もできないけど……でもローシアには恩返しまだ出来てないんだ……お願いだから……お願いだから死なないで……」
祈るようにローシアの手を握り込む。
目を閉じて、ローシアが元気に悪態ついてた頃を思い出す。
あの時のローシアに……
――戻ってほしい……ーー
神に祈るように、ローシアの手を握り込んで指を組んだ。
瀕死のローシアを見て、彼女との出会いを思い出す。エドガー大森林で出会った時、仁王立ちして立っていた事、ドワーフと腕相撲してたくさん勝ってた事、ミストで登録されてから家に戻る時、この手を繋いで行った事。紫ローブの奴らに取り囲まれた時、アンタは必ず守るって言ってくれた事。
走馬灯のように思い出す。
――ダメだ……絶対に死んじゃダメだ……僕はまだ何も返せてない……死んだら返すことができないんだ……――
目をぎゅっと閉じて、ローシアの思い出と死なないでほしいと懇願する想いが胸の奥で入り混じる。
――死なないで……お願いだから……――
突然声が聞こえた。その声に反応して目を開いた。
この声はどこかで聞いた事がある。周りを見渡しても部屋の中の誰もその声に気がついていない。
ユウトにだけ聞こえているその声は、女性の声で
――大丈夫よ――
と確かにそう言った。
「……ユウト!お前さん!」
オルジアがユウトを呼ぶ。ローシアの手が暖かいのかと思っていたら、右手を包むように深緑の光があった。
「えっ……」
ユウトの右手は深緑の光が包んでいた。
驚く事はなかった。何故ならこの光には覚えがある。紫ローブの連中に追われて気絶した時に見た夢で胸を刺された時に出てきた光だった。
「……な、なんてマナの量なの。常人が扱えるマナの量じゃない……」
アシュリーは貧弱で弱そうに見えたユウトがこんなにマナをすぐに集められることに驚きしかなかった。
ユウトの脳裏にまた声が聞こえた。
――さあ、行きましょうーー
え?
――あなたが望む方へ……ーー
誰?
声は消えてしまった。この声はあの時の夢の女の子の声だと思ったが、その声は多分もう聞こえないという不思議な確信があった。この手の深緑の光を与えるために聞こえたのだと思ったからだ。
そしてユウトは、右手に集まったマナで大森林のことを思い出した。レイナがユウトを治してくれたヒールの事を。
同じような力が今右手にあるのかもしれない。
あの時レイナから感じた暖かさが今この右手にあるから。
ユウトは右手をローシアの腹部に当てる。わずかに呼吸で動いているローシアの生きている波を感じた。
深緑の光はユウトの手から広がっていき、ローシアの体を包むにつれて激しく発光を始めた。
何が起こっているかわからない全員は、あまりの光量に目を細めたり遮る。
「ユウト……お前さん何者なんだ……こんな……」
オルジアの声はユウトに届かず、光は破裂するように拡散して消えた。
「……今のは何さね?」
光が消えると全員が視線をローシアに戻した。戻す。
「……ローシア?」
オルジアはローシアの顔色が元に戻っている事に気がついた。
そして、ローシアがゆっくり目を開ける。
「……ユウ……ト?」
顔色が戻り、まるで本当に眠りから覚めたかのようにローシアが目覚めた。
ローシアが一目で峠を越えたとわかったセトが堪えきれずに泣き出した。
「……アンタ……いい仲間いるじゃないのさ。」
1番泣いたのはユウトだった。滂沱の涙を流しながら。
「ローシアぁ……よかった……本当によかった……」
「き……気色わるいんだワ……」
なぜか自分が起きただけでこんなに感動されるとは思ってなく、ローシアの視線は泳ぐ。
だが、ローシアには今すぐ聞きたい事があった。
「アンタ、そういえばなんでここにいるのよ。」
そもそも、ユウトはエミグランの指示で屋敷に残っていた。エミグランの指示でここまで来たにしても、聖書記選は確かに終わったが、来るタイミングとしては聖書記選最中よりも悪い。
ユウトは泣きながら思い出したように
「ああ……エミグランさんから預かってきたものがあるんだ。僕に持って行けって言われてタマモと一緒に。」
持ってきていた魔石を見せるとローシアは一瞥して話しを変えた。
「……あの変態巨乳はどうしたのかしら、アンタにべったりだったのに。」
変態巨乳はどう考えてもクラヴィの事だろう。いつの間にそんなあだ名がついたのか分からないが……
「クラヴィはエミグランさんと調べることがあるからって連れて行かれたよ。僕から引き剥がすの大変だったけど……はははは。」
ローシアはだいたい想像はついた。
そしてユウトが見せてくれた魔石を見て、エミグランはこの状況を狙ってユウトを入国させることも織り込んでいたのだとわかった。
ーーあの女……必ず問い詰めてやるんだから……ーー
「……なるほど。彼の国には置いておけんとか言いながら都合がいいのね。」
オルジアが割り込む。ローシアの事をユウト以外で一番心配してきたのはオルジアだ。
「ローシア、お前さん大丈夫なのか? 腹の傷は?」
「腹の傷? …… そういえば痛くもなんともないワ。なんなのかしら。」
ローシアの回復ぶりを見てイシュメルが弾けるように笑い出した。
「ユウト殿のヒールのお陰じゃな! あんな大量のマナを扱えるとは。さすが歴史の深いミストの傭兵ですな。はははははは!」
セトもそうでしょうそうでしょうと、うまい具合にのる。
さすがミストを女手一つで切り盛りするだけのことはある。都合のいい時はきちんと波に乗れる人はらしい。
ローシアは部屋にいる皆に語りかける。まだ何も終わっていない。それはローシアが一番わかっていた。この部屋にレイナがいない理由を察していた。
「悪いんだけど、ユウトと話したいことがあるから少し席を外してほしいんだワ。アタシはもう大丈夫だから。」
ローシアの声の張りから、全員が完全に危機は脱しているとわかった。
「……さて、私たちは部屋を出るさね。」
セトが気を利かせて切り出す。
イシュメルもオルジアも頷いて、黙って出て行った。アシュリーは不満そうな顔をしていたが、ツカツカとユウトの前に歩み出ると。
「ユウト様、わたしが勝手に妹君を部屋に入らせなかったことは謝ります。でも、わたしの判断は間違っていなかったと思います…………すみません。失礼いたします。」
何故か泣き出しそうな声でアシュリーはそう言って部屋を出ていった。
「アンタ……女を泣かせたんだワ。」
「ええっ! ……言いすぎたかな……」
申し訳なさそうに後頭部をかきながらドアの方を見るユウト。
「……まあそれはいいんだワ。話聞く限りじゃアンタが、助けてくれたのね。」
ローシアは紫ローブの連中に襲われたことを思い出した。
言葉では説明できない人知を超えた力で……
「そうなんだよ!なんかわかんないけど右手に光が集まってさ、緑の。それで頭の中に声が……」
――やっぱり……――
ローシアはあの時の奇跡がまたここで起きたのだと察した。オルジア達に見られてしまったことはもうどうしようもない。
だからこそ無茶かもしれないが、今解決できるのはユウトしかいない。そう思った。
ローシアは俯いてユウトの手を握る。
「ちょ……ローシア?」
ローシアの手が震えていた。
「ローシア?」
鼻を啜る音です泣いている事に気がついた。
「……お願い。レイナを助けて……」
レイナと言う言葉を聞いて、ユウトが我にかえる。
「レイナはどこにいるの!何をしてるの!」
「レイナは、今きっとミシェルを追っている。でも、狂犬って呼ばれる騎士団長にも追われてる……」
「追われている……」
最悪の事態にユウトは血の気が引いた。ローシアをここまで追い詰める騎士団長にレイナが立ち向かってるとしたら。先程のローシアの青白い顔で目を閉じていた事を思い出した。
「捕まればきっと嬲り殺される……あの団長はとてつもなく強いワ……レイナが……殺されるかもしれない……」
「レイナが……殺される……」
想像もしたくなかった、しかしローシアが泣いてまでお願いする理由がわからなかった。
「……ユウト、あの時、紫ローブの奴らに襲われた時のこと、覚えてるかしら?」
「う……うん。」
ローシアはその時にあったことをユウトに説明した。
ユウトが倒されて気を失った時、胸から緑色の腕が生えて、ローブの奴らを皆殺しのようにして、そして消し去った事。
ユウトは信じられなかった。まさかそんな力が自分にあるのかと右手を見つめて。
「……僕が……そんなことを?」
その時ユウトは気を失っていたので何も覚えていない。
「……都合がいいってわかってる。無茶なこと言ってるのは百も承知……でも……たった一人の妹なの……だから、助けてほしい……お願いだから……あの時の力で……」
ユウトの手に涙が落ちる。ローシアが泣きながらお願いしている。
「アンタしか……ユウトにしか頼めないの! お願いだから!」
悲痛な声が部屋に響く。
こんな事、放っておけるわけないじゃないか……とユウトは自分に言い聞かせた。ローシアが嘘を言うことなんてありえない。泣くくらいにレイナの事が心配なんだ。
もしローシアの深緑の腕の話が本当のことだとしたら、さっきみたいに、誰も聞こえない女の子の声が聞こえてなんとかなるかもしれない。
ユウトは我ながら無謀だと思っていた。本当に出てくるのかもわからないし、使い方も全く記憶にないのに、レイナを助けたいという一心で無謀を乗り越えてしまった。
ローシアの手を握り返してユウトは
「任せておいて……なんとかするよ!」
――何も勝算もない。
でも期待されてるんだ。やるしかないじゃないか。
怖いとか痛そうとか言ってる場合じゃない。
やるんだ!――
震える脚を殴って。立ち上がる。
あの時の力が出せるかなんてわからないし試したこともない。でも、頼られてる。二人に少しでも恩返しできる。やるしかないじゃないか!
絶対にレイナを殺させたりしない!
「じゃあ、行ってくるよ。レイナとミシェルと一緒に帰ってくるからね!」
というと走ってセトの部屋を出た。
ローシアはユウトを見送って罪悪感を感じていた。
――アタシ達が守るなんて言っておきながらこの体たらく……本当に情けないワ――
だが、ユウトはそんなこと気にもしない。
無茶苦茶なお願いなのに、震える脚を無理やりいうことをきかせて。
ドアから出ると、先程部屋にいた人達がいた。
ユウトはイシュメルにポケットからエミグランから預かってきた魔石を取り出してイシュメルの手に置いた。
「これは……」
「エミグランさんから預かってきました。渡せばわかるって言ってましたけど……」
「渡せばわかる? はて。この魔石は……」
ユウトはイシュメルの言葉を置き去りにして、カウンターで、誰も持っていない猫じゃらしで遊ばれていたタマモの尻尾を引っ張って外に出る。
雨は小雨になっていて、地面がぬかるむくらいには降ったようだった。
「いてててて!なにすんだよ!尻尾って一応痛いんだぞ!」
「ごめんタマモ!もういっかい化けて! レイナを探しに行く!」
「ったく!そうならそうと早く言ってくれよ!!」
タマモは懐から出した魔石を握り込むと、うねうねと形を変えて、ユウトの身長くらいある自らの毛色のままの白いフクロウに化けた。
そして飛び立ち、空に舞うとユウトの後方から急降下して低空飛行で爪を前に出してユウトの両肩を掴んで空に飛び立った。
「……やっぱ飛ぶ瞬間は怖いね……最初の上がる時はタマひゅんだねこれ。」
「タマひゅんって……なんだ?」
「……ごめん。気にしなくていいです。」
「ああ!ずるいぞ!タマってついてるから僕のことを何か言ってるんだろ!なんか悪口だろ!言えよ!」
適当に誤魔化しながら、空の旅を始めた。
すみません。あまりにも長くなりすぎたので分割して2話だします。




