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僕と異世界姉妹が魔女の黙示録へ送る復讐譚  作者: ワタナベジュンイチ
第二章 :鼓動よ届け君へ
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第二章 6 :鈍感な乙女は機を逃す


――ヴァイガル国 城門前 夕刻間近


ヴァイガル国の街をぐるりと囲う城壁に長い影を作らせる傾きかけた太陽は、今日の役割を終えようとしている。

 一日の終わりに突如現れたドァンク共和国の貴族会専用馬車の到着は、城門前でただ立っているたるんだ衛兵たちを緊張させるのに充分だった。

ヴァイガル国へ貴族会が入国する。ドァンク共和国としておそらく建国されて正式には初めてかもしれない。

歴史的な瞬間でもあった。

民間の友好関係は存在するものの国同士は皆無であったことから衛兵だけが緊張している。


 アシュリーはヴァイガル国に来るのは初めてで、獣のように周りの様子を慎重に確認しながら馬車をゆっくりと進ませている。


 馬車の中ではローシアがアシュリーの警戒を肌身で感じており、余程のことがないと馬車を襲われる事はないかも。と少し安堵していた。


 ミシェルはレイナにべっとりと張り付くように、レイナの顔の横で寝息をたてている。


 レイナはイシュメルに尋ねた。


「イシュメル様。もうすぐ日が暮れますが……これから、すぐ儀式の場所に向かわれるのでしょうか?」


 前に座っていたイシュメルは、そのまま頷いて


「うむ。そのまま向かってくれ。王族も今は神殿におられるはずだ。」



 ユーシンはレイナの身体がミシェルに邪魔されて見れなくなってからは一度もこちらを向いていない。イシュメルの発言には蛇足するように意見を述べる。


「まあ、お互いに過去の火種を蒸し返すこともないでしょうしねぇ。」


 イシュメルはユーシンの方を向いて



「その言葉をお母様の前で言うなよ。」


 と戒める。


「はいはい……」


 ユーシンはどことなくエミグランを甘く見ている節があるようだ。エミグランの過去を知っていれば決してそのような態度は取れないはずなのだが。


 アシュリーは衛兵の近くで馬車を止めた。


「衛兵殿! 車上から失礼!聖書記選の儀式はどちらで行われておるのか、ご教示願いたい!」


 警戒している時は言葉も凛としているアシュリーは、最大限の敬意を持って衛兵に尋ねると、


「イクス教神殿前です。正面噴水の手前の道を右に曲がってそのまま道なりです。途中から馬車での運行は困難かも知れませんので、最寄りの衛兵にまた声をかけてください。」



「承知した!ありがとう!」


 テキパキとしたやりとりが胸をすく。

 ユーシンがあくびをしながら背伸びをして


 「さてさて……ようやくつきますね。父上。」


 というとイシュメルは深く頷く。


「うむ。」


 門をくぐり抜けると、もうすぐ夜だというのに昼間のように人が多い。聖書記候補が決まる事をお祭りと捉えているのか、夜店や屋台も煌々と周りを照らしながら賑やかな雰囲気を作り出している。


 衛兵が馬車での運行は困難と言っていた理由がよくわかった。噴水の方に向かうにつれて人の多さが目立つ。


 

 ゆっくりと噴水前まできたが、さらに人は多い。目に見えて馬車での運行は厳しいように思えた。


 アシュリーが車内のイシュメルに



「イシュメル様。これ以上の馬車での運行は厳しいかと……」


 と伝える。誰が見ても一目瞭然だ。


「そうだな、ここからは徒歩で参るか。」


「かしこまりました。」


 アシュリーは手綱を置き、馬車の側面に回るとドアを開けてオルジアは後部のドアを開ける。

 人か太陽が残したものかはわからないが熱気が車内に紛れ込むように入ってくる。


 四人と夢の中の子供一人。ヴァイガル国に足をつける。


「やはり、大きな街であるな。」


 周りの様子をじっくり眺めながらイシュメルが、貴族会トップの嫉妬なのか、恨めしそうに言う。確かにヴァイガル国はドァンクに比べて、人口や経済規模で比較すると劣ってしまうからだ。

 

 領地の面積では圧倒的にドァンク共和国が大きいが、ヴァイガル国は魔石輸出で右肩上がりの経済状況で、ドァンク共和国としては追いつけ追い越せと言わんばかりにいろんな策を講じてはいるものの、なかなか実にならない。

 

 時間をかけて追いつくしかないだろう、と決意を新たにする。


 そんな貴族会トップの決意なんか知るところではないオルジアが、ミシェルを抱きかかえているレイナに



「よし、抱えてるのも疲れたろう? 俺が変わる。」


と、提案した。

 

「わぁ!ありがとうございます。ちょうど手が痺れて……」


 いらん事するんじゃないワ!! 虫がよる!

と脳内で歯噛みしたのはローシア。


 よし!

と小さくガッツポーズをしたのはユーシンだ。


 レイナはそっとオルジアにミシェルが起きないように渡すと背伸びした。

 間髪入れずにユーシンがレイナの隣に。

腰に手を回さんと言わんばかりに近づいた。


「それでは先に参りましょうか……レイナさん。」


「えっ? でもみなさんと……」


「目的地は一緒なのですから、先に行って場所を確保いたしましょう。」


「えっ! でも……」


「さあさあ!早くいきましょう!」


 レイナはローシアから聞いていた


 ――ユーシンには気をつけろ――


 という言葉が脳裏をよぎったが、断り方が見当たらずユーシンの押しを断れず、二人で先に行ってしまった。

 

 ――あの男、わかりやすいワ――

 

 オルジアも同じ事を思ったらしく


「やっこさん、レイナがお気に入りのようだな。」


ミシェルを片腕でで抱き抱えるオルジアは呆れたようにに言う。


「傭兵ってのは、変な話だが雇い主からしたら使い捨てだからな。おたわむれでレイナを傷もんにされたら困るんじゃねーのか?」


 もっともらしいことを言うオルジアに、ローシアはすでにレイナに、ユーシンには気をつけろと注意していたので大丈夫だろうと思っていたので



「どうせ行き先は同じなのだから放っておけばいいワ。」


 とそっけなく言った。護衛としてイシュメルに集中できるというメリットもある。



「しかし、イシュメル公もほったらかしなのがなぁ……」


それはローシアも思っていた。


「まぁ言いたかないけど、放任主義かも知んないけど、もしかしたらあの子の『親』と言うことかしら。」



「……ローシア……それは本人に言うなよ。」


 ローシアは子の鏡は親だと言わんばかりに嘲笑してしまいそうになるが、相手は依頼主で大きな力を持つ貴族会のトップだ。冗談も声には出せない。

 とはいえ子は親の姿を見て育つと言う。あんな時期が真面目そうなイシュメルにもあったのかと思うと意外な感じはする。

 

 ガス抜きのように鼻で笑うとアシュリーがイシュメルと何か話した後、こちらを見て手招きをする。

 手招きに従うと、


「神殿前に向かう。ついて参れ。」


 と息子のことはお構いなしに言いはなつ。

 そのユーシンはレイナと二人でさっさと先に神殿の方に行ってしまったようだ。

 念のため聞いておくか、と仕方なくとぼけてローシアは


「ユーシン様は大丈夫でしょうか?」


 と問う。

 レイナがいるからそこまで心配はしていないが念のためだったが


「……放っておけ……あれも考えがあってのことだろう。」


 と、にべもなく返すイシュメル。

 

 ――考え……ねぇ……

 

鼻の下伸ばして女にうつつをぬかす息子に考えってどう言う教育なのかお伺いしたいところである。

 

「では参るぞ。」


 とはいえどの思惑にも関係なく、この国の運命が決まる聖書記選のフィナーレがもうすぐ訪れようとしている。



 *******


「あの……イシュメル様とはぐれてしまったようですけど……」


 先に広場に向かったレイナとユーシンは、神殿前に飾られた大鏡の近くに来ていたが、先に進みすぎたのか後ろを振り返ってもローシアはおろかイシュメルの姿さえ見えないほど人混みに紛れてしまっていた。


「まあまあ。そのうち見つかるでしょう。わたしを置いて国に帰るなんてことはないはずですから。」


 余裕のユーシンに、気の抜けた返事を返す。

 レイナはミシェルを寝かせている時は起こしてはいけないと、気を使っていたせいか全く考えもしなかったが、今は何故かユウトの事を思い出していた。


――ユウト様……お一人で寂しくされてないでしょうか…… いや、忘れてました……クラヴィ様がいらっしゃいましたね――

 

 クラヴィのことで思い出すのは、ミストでの出来事だ。

ミストで本気の一太刀を向ける前に行動を止められてしまったこと……今でもあれは夢ではなかったのかと思う。


 抜刀の速さには自信があったレイナは、あの日、刀を抜けなかったことに一人密かに打ちのめされていた。


 ――まだ強くならねば……全てを知る者……ユウト様をお守りするなんて言えない……全ては悲願のため……――


一人胸に手を当て、誓いを新たにしていると、ユーシンに声をかけられていることにハッと気がつく。


「レイナさん? 聞いてます?」


「……す! すいません!お話聞けてませんでした……」


 正直に頭を下げて謝ると、笑いながら許すユーシン。


「面白い人ですね。レイナさんは。」


 馬鹿にされたのかはわからなかったが、自分の失態に顔を赤らめる。


「ほ、本当にすみません!」


「いや、いいんですよ。それで、お伺いしたいのですが、ユウト……という子のことを。」



「ユウト様……ですか?」


 馬車の中で、大切な人。と言うふうに答えたが、ユーシンには納得がいかなかったようで。


 「仮にも様をつけて呼ばれている……御側付きにしては丁寧すぎる。わたしはどこかお忍びの王子かとお見受けしましたが……」


「いえいえ!そんなことはないです。王子とかそう言うお方ではありません。」


「へぇ……ならなおのこと御関係が気になりますね……」


 ユーシンの言葉がねっとりとユウトのことを掴んで離さないように聞いてくる。

 何か答えをはっきりと言わないと同じことを繰り返しそうな気がした。

 しかし関係と言われると、実際に真剣に考えたことがなかったので、レイナは人差し指を顎に当てて考えてみた。


――ある日突然現れた、私たち姉妹が待ち望んだ人。この世界ではない他の生まれ故郷がある人。

 私たちしか頼る人がいなくて、一人だと本当にいつ何か事件に巻き込まれていなくなるのではないかと思うほど弱々しくって、そして、私たちのことをすごく理解してくれようとしてくれてる人。

 わたしが失敗したと思っても、全然根拠なんてないのに、大丈夫って言ってくれる心の温かい人、

 大丈夫って言ってくれるその言葉が自然と信じる事ができるくらい……

 信じる事ができるくらい……


 次につながる言葉はなんだろう……


「レイナさん?」


「は、はいっ!」


 また話を聞いてなかったのか、返事が大きくなってしまった。ユーシンは心配そうにレイナを見ていた。


「大丈夫ですか? 気になることでも?」


「い……いえ。少し考え事をしてしまっていたので……はい。」


「そうですか……それなら良いのですが……」


空笑いでごまかすレイナだが、ユーシンにはっきりと言わなければならないことがあった。


「ユウト様との関係についてですが……やはり、大切な人です。わたしにとって、お姉さまにとって……とてもとても大切な方です。それでは答えになりませんか?」


 

 同じことの繰り返しになってユーシンには申し訳ないがレイナからすると、とても大きな存在だ。これまで大切な人はギムレットとビレーとローシアだ。

 その中に割って入るくらいにはユウトの存在は大きくなっていた。

 

 これまでレイナが大切に想う人の中に別の人が現れたことはなかった。ドワーフの村に住んでいて人間に会う機会が少なかったし、魔女の宿命で他人と触れ合うことを避けてきたと言うのもあるが、全てを知る者の存在とはまた違う、レイナの心にいつのまにかいた人だ。


 それを大切な人という、ありきたりかもしれないが、それ以外の言葉で表現することができなかった。


 ユーシンは、ふーんと素気なく返したが、納得はしたように


「わかりました。お話を聞かせていただいてありがとうございます?」


 と礼を述べた。


 広場よりも高い位置にある神殿を物珍しそうに目を輝かせて見るレイナの身体を、舐めるように見回すユーシン。


 ――必ずものにしてやる。こんな女に何もしないのは男としておかしい…… 雄としての本能は動物も獣人も人間も変わらないものなのだからね……――


 神殿前の大鏡の周りの松明に火が灯され、大鏡の姿がくっきりと見える。


「わぁ!本当に大きな鏡ですね!」


「うん……本当に大きいね……ああ……大きいとも……」


 ユーシンの目線は、レイナの胸部にしかなかった。


 ――さて……見惚れるのはこのくらいで、そろそろ動きますかね。――


「レイナさん……ああ……」


 ユーシンが急に倒れかかってきた。

すぐに気がついたレイナは倒れないようにユーシンに肩をかすように支える。


「ユーシン様?! どうなされました?」


 レイナの顔が焦りに変わる。


「……すみません……急に体調が……」


「えっ?!」


 「……はぁ……はぁ……」


 息も荒く目も虚になっている。

 ユーシンのおでこに手を当てるが、熱があるかどうかわからない。どうすれば良いのか思考をフル回転させていたが空回りしかしなかった。



「……どこかで横になれば良くなるはず……すみません持病がある事を伝え忘れてました……」


 持病なんてそんな話全くなかった。アクシデントに気が動転する。依頼主の息子に万が一のことがあれば……

姉がそばにいないことが悔やまれる。


「そんな……大丈夫ですか?!」


「え……ええ。しかし 薬を持ってきていない……早く横にならないと……」


 横になると言われても、これだけの人出で横になれる場所なんてない。あるはずがない。


「どこか横になれる場所はありませんか……」


 ユーシンは消え入りそうな声でレイナに問う。


「そうだ!今日はどちらのお宿に泊まられるのでしょうか?!」


「……予定はアシュリーが知ってますが……ゴホッゴホッ。」



「……!」


ユーシンは更に弱って体の力が抜けてしまい、レイナの肩にユーシンの重みがかかる。

 

「ああ……早く横になって……」


 力なく今にも消え入りそうな声でユーシンは目を閉じた。


 レイナは焦る。アシュリーを探すにしても人が多すぎる。それなら早く横になれる場所を確保することが先決……

寝れる場所……



 レイナは思い出した。


「ユーシン様!少し遠いのですがこの国には私たちの家があります。そこで横になれます!」



 ユーシンはなんとか顔を上げて弱々しく


「ああ……助かります。」


 と感謝を述べる。


「さあ!わたしが背負いますから、背中に!」


 周りの人も様子がおかしいユーシンを気づかってか、スペースを開けていて、容易にユーシンを背負うことが出来た。

 そして、走り出す。一路三人の家に。

人混みを肩で掻き分けるように、それでも周りの人たちに気を使うように、ごめんなさい!通してください!と声をかけながら。


 レイナの背中で頸に耳を当て、笑いを堪えるユーシン。



 ――クックックッ……わざとらし過ぎたが、鈍感な女にはこのくらいしないとわからんだろうからな……

 ああ、家に行くのか……何か間違いが起きたらいいなぁ……――



 背中であまりにも上手くいき過ぎて、笑いが堪えらるのに震えるにユーシンを


――こんなに震えていらっしゃる……なんて私は鈍感なんだろう……お姉様にまた叱られるわ……――



 と、お互いの思惑のゴールは違っても、これから行く目的地は同じだった。



 *******


 イクス教神殿前にイシュメル御一行が到着した。あまりの人の多さに辟易する。

 

「レイナ……どこに行ったのかしら……」


 人の流れが悪くて、おそらく先に行って前の方にいるレイナとユーシンのことが気になっていた。

 ローシアの身長では、レイナの頭を見つけることはできないので、代わりにオルジアが探してみたが。


「ここからはなんも見えねーな。」


おでこに手を当てて見回すがいない。アシュリーはあまりの人の多さに


「イシュメル様……やはりここは危険……」


 イシュメルはアシュリーが何を言わんとしていたかわかっていた。


「落ち着け。貴族会もこの国ではただの凡人。仕方ない事だ。」


「しかし!」


 イシュメルはそれ以上の発言は不要。と言わんばかりに片手でアシュリーを制する。

明言や文章化されていないが、ドァンクとヴァイガル国は敵対関係になる。力による現状変更をお互い考えてはいないが、なにか火種があれば事が起こる可能性はあった。

 

 聖書紀選に関しては、ドァンク共和国としては、これまで書面による弔文と祝意を表明するのみだったが、今回は赴くことが正式に発表されてからヴァイガル国としても困ったはずだ。そもそも想定外なのだから。

 

国賓として迎え入れるかの議論は儀式中に行われて、結論として一般の受け入れになった。その議論も一日で完了したと言われている。

 

アシュリーは貴族会を国賓扱いしないことに憤ったが、エミグランとイシュメルは一向に気にすることもなく本日の入国を迎えた。



「国賓扱いにならないのは、お母様とこの国の関係が起因していることは承知しておるだろう? そのお母様が今回の聖書記選には行けとおっしゃったのだ。私はそれに従う。」


「…………はい。」


 アシュリーは納得いっていないようだったが、イシュメルは毅然とした態度でアシュリーを戒めた。


「お母様が今回は行くべきと言うのであれば何か理由があるはず。我らはそれを見守るだけよ。」



 イシュメルは、エミグランから預かった魔石を取り出した。

『提唱者の魔石』

 ――これを私に託した理由は何か……なにかあるのだろうな。きっと――


 突如神殿の大鐘が鳴り響く。

 この大鐘は、イクス教の儀式が終わった時に鳴り響くことで有名だ。周りの人たちも鐘の音の意味をわかっているらしく、いよいよかと神殿の方に注目が集まる。

 神殿から王族が出てきて横一列に並んで仰々しく大鏡の前に並ぶ。

 王の横にはイクス教の神官だろう。王に勝るとも劣らない儀式用の正装で、白と黄金色を基調としたふっくらとして見えるローブを纏っている。


「あの女……」


 ローシアはユウトが馬車を飛び出そうとしたきっかけになった姫がならんでいるのが見えた。


 ――あの女……ユウトが反応した姫様ね……――


 あのときはこの国に来たことがないユウトの剣幕はただごとではなかった。なにか関係があるのか今のローシアには知る由もない。



 神官が備え付けの小さな鐘を鳴らすと、鏡が波打つように写すものを歪める。


 神官のそばにいた、若い付き人が声を張り上げる。


「神官様の代理として発言する!これより鏡に写る人物を聖書記候補とする!この儀式は!イクス様の導きによるもの故に!全国民の幸福のため!聖務を全うするように願う!」


「……相変わらず定型文だな。」


 吐き捨てるようにオルジアが言った言葉をローシアは聞き逃さなかった。


「アンタ、ホントに失礼なんだワ。」


付き人の発言の後、鏡は波が緩くなり、やがてその人物の輪郭の形を作る


 ざわつく観衆。誰なのかと期待ともいえない高揚感に包まれる。


 そして鏡はその動きが止まり、一人の人物を映し出した。


 その人物を見たローシアは開いた口が塞がらなくなった。オルジアもアシュリーも同じような顔をしていた。


「……うそ……でしょ……」


「マジかよ……」


「み……」





ミシェル?




 視線はオルジアの肩を枕にすやすや眠っているミシェルに集まった。

 ミシェルが聖書記候補?

 鏡に映るあの顔は誰もが見間違うことはあり得ない。ミシェルだ。



 ――聖書記様がここにおられるぞ!


 誰かがそう叫んだ。


「ダメだワ! オルジア!」


 こんな隙間もないほどの人の中で聖書記候補が居たら混乱することは簡単に想像がつく。イシュメルの身の危険が具現化してしまう。

 聖書記さま!と何重も聞こえる中、殺到されたらオルジアもミシェルも命すら危うい。



 ――なるほど……お母様。あなたの目的が今わかりました。


 人々が聖書記に選ばれた徳にあやかろうと、手を伸ばし始めた時だった。イシュメルの手の中で紫に耀く魔石が輝き始める。



「静まれ! ヴァイガル国の国民よ!」


 イシュメルの声は、提唱者の魔石の効果を発揮して、周りの人々の動きが止まった。提唱者の魔石など知るはずもないこの広場の全員がイシュメルに耳目を向けた。


「な……なんなのよ、何が……」


 身構えていたローシアは、何がどうなっているのか理解が追いつかない。

 何が起こっているのかわからないのは、今ここにいる全員だ。

 イシュメルは続けた。

 

 「私はドァンク共和国、貴族会 イシュメル・クラステルである! この度は、我が国より聖書記候補が現れた事を心から慶び、また身が引き締まる思いである! 我々は過去の凄惨を乗り越え!我が国とヴァイガル国が一つとなって手を取り合い!共に発展する事を願っている!」


 響き渡る声は提唱者の魔石の効果だ。

 大きいのではなく、通る声で、しんと静まり返った広場のほぼ全員に届く声となって響き渡る。


「法の番人である聖書記候補が、我が国から現れたのは、まさにイクス様のご啓示と言えるだろう!我々ドァンクは、謹んでこれを受け入れる!」


オルジアは、イシュメルの言っていることに驚きを隠せなかった。ヴァイガル国は、ドァンク共和国を建国したエミグランを追い出した国。そしてイクス教はヴァイガル国の国教だ。それがドァンクの人間にまで加護を与えて、あろうことがこの国の最大の権力とも言える法の統治者の候補者がドァンクから出てしまうと言う、前代未聞の出来事を受け入れられるはずがない。


 イシュメルの言っていることの耳障りはよく聞こえる。しかし実のところ、ドァンクがヴァイガル国の政治に関与できるということに他ならない。この国統治者連中からすると、到底受け入れられるものではないだろう。


 過去にドァンク共和国からの候補者は出たことがない。つまり、今この瞬間は歴史的な瞬間と言えるが、裏を返せば、過去に例を見ない混沌の始まりとも言える。

 イシュメルの発言は、ここにいる国民には仲違いになっている国との国交正常化が期待される空気感に包まれているが、これは王族にとって絶対に認めることが出来ない事態だろう。

 

オルジアはローシアの肩を指で叩いた。

 イシュメルの演説に心奪われていたローシアは我に返ってオルジアを睨む。

 それに構わずオルジアはミシェルをしっかりと抱き抱え直す。


「準備しとけよ……」


「何が!」



「これは……イシュメル公が何を考えてるかわからんが……言ってることは宣戦布告と同じだ……」


 ――過去に聖書記を巡って内戦が起きたこともある。――


 ローシアは思い出した。そして二国の関係を踏まえると最悪の事態が起ころうとしていることも理解できた。

 

 


「最後に!我らの聖書記に光あれ!」


 簡単な演説が終わると、イシュメルに向かって歓声と拍手が沸き起こる。まるでそこに英雄が立っているかのように……


 イシュメルは、やり切った感触があった。

 まるでドァンクから聖書記候補がでるなんて夢にも思わなかったが、こうなればミシェルは外交カードになる。


 政治的な意味合いが一気に増したミシェルの存在はドァンクにあると告げることで、王族も一考しなければならない。


 だが、イシュメルは、ヴァイガル国のやり方までは熟知はしていない。

 王族のそばについていた一部の大臣と見られる人間が、神殿の方に下がっていくのが見えた。


 

――チッ……側近がもう動いている……まずいな


 オルジアはミシェルをしっかりと抱き抱え直した。


 警戒すべき状況だが、民衆の視線の真ん中にはミシェルだ。

 候補者が近くにいることに歓喜している。


 アシュリーはオルジアの宣戦布告の懸念の声は聞こえていたようで。


「イシュメル様……急ぎましょう。」


 すぐにここを離れた方が良いと判断した。イシュメルは顔を紅くさせて汗もかいていたが、すぐに頷いた。

 オルジアも同意見だ。


「ローシア。後ろ頼むぞ。」


 アシュリー、イシュメル、ミシェルを抱えているオルジアの順番で広場から抜け出すため出口に向かっていた。

 だが二人がいない。

 マナから位置の特定はこれだけの人がいたら無理だ。おそらくレイナも同じ状況のはず。集中すればできるかもしれないがそんな余裕もない。

 

 「ちょっと待って、レイナとユーシンがいないんだワ?」


「馬鹿野郎!今気にしている場合じゃないだろ!」


怒鳴るように言うオルジアの言葉は正論だ。イシュメルとミシェルの安全確保が優先だ。これ以上反論することもできない。

 

 アシュリーが掻き分けるようにして道を開き、ついていくのが精一杯だ。やはり、この広場のどこかにいる二人を見つけるなんて至難の業だ。


「……ったく、あの子何してるんだか!」


「あの大鏡に写ったミシェルは見てるだろうし、イシュメル公の声も聞こえているはずだ。どんなバカでもわかるだろ。最悪な状況だってことは。」


 民衆が歓喜に満ち溢れ、聖書記様!と気が狂いそうなほど叫び、重なり、讃えている。

 

 これがイシュメルの持っていた魔石の力なのかはわからないが、まるで民衆の中から英雄が現れたかのような騒ぎだ。


 未曾有の混乱の中、突如現れた混乱の火種は、人の間を縫うようにして広場を後にするが、王族側近の動きは早く、衛兵が主に侵略戦争を想定した警備体制、完全入出国禁止になる厳戒態勢をレベル5までに引き上げて動き始めていた。




 ――神殿前広場から離れた一軒家


 ユーシンはレイナと二人で神殿前広場からかなり離れた場所にいる。

 ミストから借りた家で、三人が一度夜を越した家だ。休むくらいのことはできる。


 家の近くになると背中からユーシンを下ろして肩を貸し、家の中に入る。

 二階でレイナのベッドルームでユーシンを横にして家の周りに結界を貼って部屋に戻る。


 レイナはユーシンが横になっている間、同じ部屋で窓の外を見ていた。

 先程神殿前広場の邦楽から大きな歓声が聞こえた。


「もう聖書記候補様が決まったのでしょうか……」


 ベッドに横になるユーシンは


「……もうそのような時間ですね……申し訳ない、私の体がマシなら……」


 弱音を吐く。


「いえ、そのような事言われるものではありませんわ。体調が戻られましたら皆様と合流いたしましょう。」


 涙を浮かべそうな顔で、何度か頷くユーシンの布団をかけ直す。


 しかし、合流といっても、今五人がどこにいるのかわからない状況だ。

 ユーシンの体調は心配ではあるが、それと同じくらいに五人が今どうしているか気になる。

 

 ユーシンを一人にするのは警備上あまりよくはないが、念の為に張った結界がまだしばらく保つはず。

 姉のマナを探すにしても結界の中で難しいし、これだけ人が一箇所に集まっていては特定に時間がかかる。

 

 皆を探さなければ……

 横になって落ち着いているユーシンであれば、少し目を離しても大丈夫かもしれない。

 思い切って提案してみた。


「ユーシン様。私はイシュメル様達がどこにいるのかわかりかねます。今後のことも考えて今から少しの時間だけ皆様を探して参ります。」


「……そばにいてほしい。」


「えっ?」


 レイナの心臓が一度だけ高鳴る。

 これまで男性に言われたことのない言葉。

 魔女の末裔として、日に当たらない場所で人目を避けて生きてきたレイナにには、決して小さな言葉ではなかった。


「……私は父上に養子となりましたが……実の両親の顔も覚えていないのです。そして貴族会のトップに立つ父上は多忙の身……小さい時から、私は寂しいとは言えないのです……」


「……そう……ですか。」


「何を軟弱なことをと思われるかもしれません……ですが、ひとりにしないで欲しい……」


 ユーシンが弱々しく右手をレイナに向けて伸ばす。


「……笑ってくれてもいい……寂しいんだ……」


 レイナは子供の頃を思い出した。ドワーフの村で両親がいなくて、川縁で一人泣いていた時、迎えに来てくれたローシアは、優しく手を繋いでくれて一緒にいてくれた事。それがどれだけ心を癒してくれたか。

 今、他人とはいえ同じ状況が目の前に現れたのだ。


 レイナは、優しくユーシンの手を握り。


「わかりました。お側におります。」


 というと、少しだけ握り返したユーシンの目に涙がこぼれて、ありがとうと小さく震えながらいうと、レイナはユーシンの涙を指です軽く拭き取る。

 拭き取る指も反対の手で握り返すと、レイナは優しく微笑んだ。



 ――……やっぱチョロいな。この女は――

 

 

 



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