第五章 59:終に
第五章59
「愛弟子!見間違うことはないでしょうね!カリューダ様を!フフフフハハハハハハハハハ!!」
階段をゆっくりと踏み場を確かめるように降りてきたヴァイガル国王女改めカリューダは、ユウトが深緑の腕を出した時に見せる紅い双眼で、エミグラン達を見下ろしていた。
「何故じゃ……全てを知る者から聖杯は取り出せぬはず……お主には生きた者から聖杯を取り出す能力がなかったはずじゃ……」
エミグランは吐き出すようにそう言うと、目に見えて項垂れた。間違いなく記憶の中に残っているカリューダそのものだったのだ。
「あれが……大魔女カリューダなの……?」
対峙する二人以外は見た事もない人物に、エミグランがあれほど項垂れていることが彼女こそカリューダだと信じさせるに値する根拠だった。
「だが……大魔女らしき力は無いように思える。あの紅い目は確かにユウト様と同じようなものだと思うけど……」
「うむ。確かに恐ろしいマナはアルトゥロからしか感じられん」
アシュリー達からするとカリューダと呼ばれたヴァイガル国の姫は、目の赤い特筆して何も脅威がない人間のように見えていた。しかしエミグランは絶望に落とされたかのように膝から崩れ落ちてしまいそうだった。
「愛弟子!お前はいいなぁ!カリューダ様に愛されてなぁ!!魔女様達に愛されて!!」
「ち、違う!ワシは……私はそんな大それた存在では……」
「黙りなさい!!」
アルトゥロの一喝で目に見えて怯えたように体をビクッとさせたエミグランは、泣きそうな顔で「違うのじゃ……」とまたアシュリー達に聞こえない程度に小さく呟く。
「愛弟子として正道を歩く貴女に対してこの私と言ったら……こんな木偶しか生み出せない哀れな哀れなひ弱な人間……ああ!なんと言う事だ……」
アルトゥロはくさい芝居じみた動きで顔に手をやり、悲劇の主人公よろしく力が抜けて膝から崩れ落ちそうな素振りをみせる。
あたかも今のエミグランの真似をしているように見えた。
アシュリーはこの時、この二人は性格で相慣れない関係だとわかったが、それよりも驚いたのはエミグランの様子だ。まるでアルトゥロの手の上で転がされていると言っても過言ではないように思えた。ギオンも表情こそ見せなかったが、頭の中ではアシュリーと同じ結論に至っていた。
「ハハハハハハハハハハ!貴女にはお礼を言わなければなりませんね!あの小僧と二人で話す機会をくれてありがとう。貴女が師匠の聖杯を取り出せないと高を括ってくれたお陰です。ええ!ええ!」
「高を括るもなにも……お主には出来ないはずじゃ!!」
「確かに!ですが私は選ばれた人間。全生命体の進化を望むこの私自身が停滞したまま何もしないと?師匠の聖杯を手に入れるためなら、この身が朽ちて魂を売り飛ばすことさえ厭わないのですよ!」
エミグランは目を見開いた。
「ま、まさかお主……」
「フフフフフハハハハハハハハハハ!!気がつきましたか!相変わらず感が鈍いですねぇ!!」
してやったりと言わんばかりにアルトゥロは高らかに笑いながら紅い目の姫に向き直り、不気味なマナが足元から煙のように湧き出る。
「あの小僧に聖杯を受け継がせたのも全て想定内のことです!!」
不気味なマナはアルトゥロと姫を怪しく包み込み始める。
「祭壇も、神器も、聖杯も揃いました。あとは仕上げを御覧じるまで……まあ聖杯の方は放っておいても私の元に来るでしょうね。ええ。ええ。」
怪しく包み込むマナが、地面から天を突く勢いで吹き上がった。
「この国と城は愛弟子に差し上げますよ!いつまでも過去に縛り付けられた愚かなハーフエルフにぴったりのガラクタだ!!ハハハハハハハハハハ!!」
「ま、まて!アル!!」
エミグランが手を伸ばして呼び止めたが、怪しいマナがぴたりと止むとそこには誰もいなかった。
――またしても、上手を取られた――
エミグランは膝から崩れ落ちると、伸ばした手を振るわせながら握りしめて階段を一度強く叩いた。
「また……止められなかった……」
「エミグラン様!」
アシュリーとギオンが走ってそばに来ていた。
「……すまんの。取り乱してしまった。」
すでにいつものエミグランに戻っていたようでアシュリーは胸を撫で下ろす。しかし目は物語っていた。これほどエミグランの悲しそうな目を見たことがなかった。
「エミグラン様……」
「……また、してやられたの。まあお主達はわからぬ話ではあるが……しかし……」
エミグランは立膝をついて心配そうに見下ろすギオンの失った目の瞼を見る。そして一度深く呼吸して、早くなった鼓動を抑えるように胸元に手を当てて立ち上がると、目を強く閉じてから開き、ギオンを見据える。
「まずは城内に入り残党を探す。おそらくは誰もおらんじゃろう。街を抑えて城を取れば彼の国の終焉と言っても良いじゃろう……早急に確認を進めて、終わりしだい勝鬨を上げよ!」
「ハッ!」
「ワシは神殿に向かう。アシュリーはギオンと共に行くが良い」
「エミグラン様……お一人で行かれるのですか?」
「……うむ。案ずるな。ワシよりもギオンの事をたのむぞ?」
アシュリーは少し悩んでから「わかりました」と返した。
団体は大階段を軽やかに駆け上がり始め、一人残されたエミグランは神殿に視線を向けて空を見上げた。
「そろそろ聖書記様の誕生じゃな」
神殿の上空だけ、まるでミシェルの儀式の行く末を見守るように周りの雲を押し除けてぽっかりと穴があいたように澄んだ空が見えていた。
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ミシェルは手を組み膝をついて儀式を行なっているさなか、見守りながら微笑むエミグランと、半歩後ろで無表情で見守っているリンがいた。
「ねぇ、リン」
「はい。なんでしょうか?」
「いつまでエミグラン様の姿のままでいなきゃいけないんだろう……」
神殿にいるエミグランの正体は、エミグランの姿に化けていたタマモだった。ミシェルの儀式をエミグランの姿になって見守るという命令を受けていた。
「ミシェルを安心させるために儀式が終わるまで、とエミグラン様が回答しています」
「うん、でもさ、儀式っていつ終わるんだろう……エミグラン様はいつ終わるか教えてくれなかったんだ。リンは何か聞いていない?」
リンは目を閉じて無表情のまま首を横に振った。
「そっかぁ……早く終わって欲しいんだ」
「……ですが、儀式もそろそろ終わりだと予測します。マナの動きが……」
ずっと静かに祈っていたミシェルが手を解いた刹那、リンの周りにエミグランが描いていた魔法陣が輝き出した。
マナが神殿の壁をすり抜けて集まり、設備を揺らし振るわせながら竜巻を作るかのようにミシェルに集まり始めた。
「な、なんだよこれー!!」
「マナがとてつもない勢いでミシェルに……規格外、想定外です!」
儀式の部屋を覆い尽くすほどのマナの渦の中、リンもタマモも立つことすらままならない中、ミシェルはゆっくりと立ち上がり目を開くとタマモが変化に気がつく。
「め、目の色が青いんだ!」
「大魔女クライヌリッシュ・イランドの末裔、その特徴はマナに愛された特徴である清らかな青い瞳。聖書記の儀式はただのきっかけ……ミシェルに内在されている力を遺憾なく発揮するための通過点とエミグラン様は回答いたしました」
リンが突然タマモの知らない話を語り出した。
「ど、どう言うことなんだ?!なんの話をしてるんだ?!」
「エミグラン様から聞いた話です。聖書記は代々国の法を文字さえ読めない人間や獣人でさえも周知させるため、マナに力を借りて大衆に周知させる力が必要……そのためにマナを操る力を高める必要があり、儀式はそのために行われると」
「つまり、どういうことなんだ?!」
「エミグラン様の目的は、アルトゥロと同じ……魔女様を現世に甦らせること、と回答します」
タマモは目を丸くさせ驚きを隠せなかった。
「なんで……なんで甦らせるんだよ!!意味わかんないよ!!大災で魔女は忌み嫌われて……ミシェルが世界中から嫌われちゃうんだよ?!」
「はい。私もエミグラン様にその事を質問いたしました」
「質問したの?!エミグラン様はなんて?!」
「ミシェルが聖書記となった暁にはエミグラン様が守る……だそうです」
タマモは地団駄踏んで「そう言う事じゃないんだ!」とわめく。
実のところリンもエミグランに質問をした際に似たような事を思った。しかしなんと質問すればよいかわからなくなった。
エミグランは嘘をつかないし、質問をすればなんでも話してくれる。しかし核心をついた質問をしないと核心に迫る回答は出てこない。リンなりに考えた答えは
「魔女様を甦らせることが、この世界を幸せに導く方法なのだと推測いたします。全てを知る者であるユウト様が顕現されて、エミグラン様は決意なさったのだと思います」
「でもミシェルは?!」
タマモはミシェルと大の仲良しで二人共に大切な友人だと思っていた。タマモは血のつながりはもちろんないが、家族同然とも思っていた。
「ミシェルはここに来るまで強い決意を持っていました。最終儀式が近づくにつれてクズることもなくなりました。私達が思う懸念などは誰よりもミシェルが一人で悩んだはずです。推測ですがエミグラン様はミシェルに起こりうる未来の事を話していると回答します」
確かに、とタマモはエミグランの性格を踏まえてそう思った。エミグランは常に真実しか話さない。ミシェルを聖書記にする事を決めて本人に話した時に、魔女の末裔である事がどのような迫害を受けるか、屋敷の中でろくに外に出ることもなく、一人遊びで寂しそうにしていたミシェルをよく知っているタマモは、青い目のミシェルをしっかりと見つめた。
あの時一人遊びばかりで寂しくて泣き出しそうなミシェルではなかった。
まるでミシェルには見えている遠く未来の景色を見据えているような目だった。
マナの渦はやや弱まって落ち着くとミシェルはリンを見た。
リンは頷いてそばに置いてあった年季の入った革表紙の本を携えてリンに歩み寄った。
「ミシェル……様」
「いつもの通りミシェルでいいよ、リン」
少しだけ考えたリンは続ける。
「ミシェル。これは聖書記の名簿です。初代から歴代の聖書記の名前が記されています。この名簿に認められてあなたの名前が記されれば聖書記となれます」
リンは前聖書記の名前がペンと墨で記されたページを開くと空白部分を指差した。
「ここに手を置いてあなたの名前を告げてください。そしてあなたの決意を告げてください」
ミシェルは前製初期の名前が記されたとなりの空白部分に手を置いた。
魔女の末裔として生まれながらに孤独だったミシェルは、エミグランに守られて生きてきた。孤独に苛まれて泣きそうな時も、外に出て魔女の末裔と知られたら命はないと我慢してきた。これが運命だと受け入れていたからだ。
そこにユウトと二人の姉妹が現れた。
ユウトはカリューダの聖杯を受け継ぐ者、姉妹はマーシィの末裔だった。
三人は運命を受け入れて立ち向かっていた。
ユウトは身の危険がありながら、魔女の力さえもまともに使えないのに命懸けで助けてくれた。
ミシェルはその時から決めていた。力なんてなくても、守ると決めたら命を守るかけてでも守ってくれたユウトのように。
――わたしも、だれかをまもれる人になりたいの!!――
「私の名前は……ミシェル・イランド! クライヌリッシュ・イランドの末裔! 私は……大切な人たちを守れるような、世界が優しさで包まれるような法を作れる……そんな聖書記になります!!」
名簿のページが少し揺れると、渦巻くマナが名簿に一気に吸収された。
リンの手の中にある名簿のページが震え出すと、前聖書記の墨で書かれた名前が虫が食うように消えていく。
「なに……これ?」
ミシェルが不思議そうに文字が消えていく様を目の当たりにしていると、リンは答えた。
「偽物は名簿が認めません。元々、これまでこの名簿を目覚めさせるほどの候補者がいなかったのです。墨で書かれた偽物の聖書記を名簿が許すはずがありません」
「すごいんだ!どんどん消えていくんだ!」
三人は虫食いにどんどん名前が消えていく様子を眺めていた。
そしてある名前を境にピタリと止まってそのそばに「ミシェル・イランド」と記されると、名簿は自然に閉じられた。
「終わった……の?」
ミシェルが不思議そうにリンを見上げると、頷いてから
「ええ。終わりました、と回答しますが……」
名簿の表紙に描かれていた羽ペンが浮き上がり実物となった。リンは真っ白な羽ペンを優しく手に取り、膝をついてミシェルと視線を合わせる。
「これはミシェルのものです」
「わたしの?」
タマモが「見せて!」とリンの周りを興味津々に目を輝かせながら尻尾を振っていたのを無視してリンは頷いて続けた。
「これであなたが思う世界を描くのです」
「わたしの、思う世界?」
「ええ。ペンはあなたの願う世界を描いてくれます。」
そういうと、ペンをアシュリーの手に置いた。
「私の思う世界……」
責任重大だった。聖書記の責任はエミグランから聞かされていたが、いざその立場に立つと何を思い願えば良いのかわからなかった。
魔女の因縁? 戦争終結? 無病息災?
何を一番に願うか、ミシェルには明確な答えはなかった。だが、朧げな願望はあった。
ペンを優しく握り、また目を閉じて天井で見えない空を眺めるように少し上を向く。
「私は聖書記として初めて願う事は……私たちの国、ドァンクに住む人たちを正当なる理由がなく傷つける事は許さない。絶対に!」
ミシェルが願いを口にするとペンはミシェルの目の如く青く輝き出した。
ミシェルの足元から青いマナが泡のように溢れ出てくると、ミシェルの体を通り頭上から勢いよく噴水のように天井に向けて飛び出していく。
「聖書記の願いは法。エミグラン様……ミシェルが成し遂げました、と回答いたします」
リンの回答までも乗せるように、マナに込められた願いは空まで届き、雲を貫く。
太陽で輝くダイアモンドダストのようにキラキラと変わっていく願いは神殿上空を中心として放射状に広がっていく。
「人々の希望の源とは無垢なる願い。願いは祈りとなり声となり広がる……」
リンは誰から聞いたのかもわからない言葉を発して自然と口元に手を当てた。
感動しきりのタマモが「きれいー!きれいなんだー!」と嬉しそうにミシェルの周りを跳ねるように走っていた。
その様子を見ていたミシェルは嬉しそうに、そして少しだけ照れくさそうに笑った。
この日、数百年ぶりに本物の聖書記が。
そして初めてドァンク共和国で誕生した。




