第五章 58:木偶
エミグラン達がヴァイガル城前の大階段をのぼる最中も、兵士の抵抗はあった。
目は血走って焦点は合わない兵士達は、エミグラン目掛けて命知らずに飛びかかってきて、およそ正気とは思えなかった。
エミグラン様!と何度も注意させるために叫ぶアシュリーに、案ずるなと何度も返す。
襲いかかる兵士達にこれまでと同じように手を振るようにかざすと、手から発せられた青いマナの魔法が兵士を包み込み、胸の中心に光が集まった瞬間に兵士は内側から爆ぜた。
「……プラトリカの海で生み出された人形兵じゃ」
爆ぜた兵士は肉片骨片を撒き散らすわけではなく、すぐに橙色の液体になり飛び散っていた。
「プラトリカの海の色じゃ。懐かしいがヒトが爆ぜて海と化すのは固定化ができていない証左じゃ」
エミグランの容赦ない攻撃魔法は爆風を生み出し、その勢いで何度も飛沫をあびるアシュリーは、液体になる前の人間の姿を思い出して顔を歪めている。
「どれもこれも創りもあまいの。肉も骨もまともにできておらん。数合わせの兵士ばかりじゃな」
また数人の兵士が飛びかかってきたが、エミグランが両手をそれぞれに向けると青いマナの光が兵士の胸を貫き、また液体となった。
ギオンは自らの顔に飛び散った液体を指でなぞり、前を歩き、露払いのように兵士を目にも止まらぬ速さで魔法を畳み掛ける。
こんな愚かで馬鹿らしい木偶の始末は自らの手で行いたかった。そんな悔しさが滲む傍らでギオンの思いを、背中にそっと手を添えたアシュリーに伝わっていた。
「ギオン様……」
「わかっている。案ずるな、アシュリーよ」
アシュリーの添えられた手から、痛みを抑える鎮痛の術がずっと送り続けられていたことをわかっていたギオンは、自らに向けた怒りを噛み殺す。
「さてさて……まだまだ多いの……」
爆ぜても爆ぜてもまだ襲いかかるヴァイガル兵士を模した人形兵は、大階段に敷き詰められ、城から続々と押し出されるように溢れ始めて階段の形も全く見えないほどにまでになっていた。
「こうも多いと扇子よりも杖を持ってくるべきじゃったな。マナの消費が思った以上じゃ」
エミグランのぼやきをアシュリーは聞き逃さず、ギオンから離れてエミグランに駆け寄る。
「エミグラン様、申し訳ございません。ギオン様の傷もふざかりましたし……私が変わります!」
「動くな、アシュリー」
アシュリーの後方、死角を意図せず狙って襲いかかった人形兵にエミグランの手に集まっている青いマナが、アシュリーの左腕を掠め、後方から一瞬にして人形兵の頭を頭蓋ごと貫く。
「わしのことよりもお主たちの身の安全を考えよ。」
「し、しかし、私はエミグラン様の従者にございます!」
エミグランは軽く鼻で笑いながら両手を広げると、青いマナが数倍に膨れ上がった。
「わしはエミグラン。大魔女カリューダの弟子……」
膨れ上がったマナは表面をうねらせてまるで生きているかのように躍動し始めた。
「有象無象以下の木偶に遅れをとるなどあるわけなかろう?」
青いマナが強く輝き、放射する光の帯が一斉に広がった。
光はエミグランたちを避けて全ての人形兵の体を突き刺すと、中枢神経の代替となっている魔石に侵食し、組み込まれていた術式を改竄して身体を維持する式を意図的にかき消した。
人体魔石によって維持されていた体は、肉体の元となっていたプラトリカの海に還元され、血も肉も骨も溶けた。
「アルトゥロよ、お前の狙いはわかっているぞ……それにこの国などあの時から見切りをつけておるのだろう?」
大量の人形兵が待ち構えていた大階段の上から、半粘着質なプラトリカの海が流れてくると、エミグランは手のひらを空に向けていた手を返して人差し指をクンっとしっかり伸ばし円を描いくと、マナが後から辿るようにして円ができ、空間にぽっかりと黒い穴ができた。プラトリカの海は生み出した穴に渦を巻いて吸い込まれていく。
「フフフ、奪うなら奪えば良い。そうとでも言いたいのじゃろう……じゃが、見誤っておるのはお主……それに魔女様の血筋はすべてわしの下にあるのじゃから……」
一人ほくそ笑むエミグランは感じていた。イクス教神殿から徐々に増す懐かしいマナの高揚を。
「思い通りにはさせぬよ」
大階段に広がり流れ落ちるはずだったプラトリカの海は、エミグランの生み出した穴にすべて吸い取られると、人形兵の核とも言える魔石が大階段に降り注ぐ。
まるで突然大雨が降り出したように。
魔石の雨は、階段を叩きつける音がうるさくて耳を塞ごうとするまえに止んだ。
「やあやあ。神殿でお会いして以来だね? カリューダ様の愛弟子」
ねっとりとした口調は大階段の上から聞こえた。
先ほどまで人形兵がいた場所に、ヒョロリとした体躯、ギョロリと今にも飛び出そうな目、前髪の健闘虚しい紫のローブをまとった壮年。
「……アルトゥロか」
エミグランが見間違えるはずはなかった。しかしそこに立っていることが信じられなかった。
「おやおや……まさか私がこの国を離れるとでもお思いかね? いや、確かにそうかもしれない。そう思ってもなんら不思議ではないね。ええ。ええ。」
不敵に笑むアルトゥロは、片目を失ったギオンを見て
「情けない。戦争だというのに敗走直前、さらに敵の将の片目しか奪えないとは……私の手札の情けなさよ……」
アルトゥロの言葉にエミグランは後ろに右手を回して広げ、ギオン達を来ないように念の為に制す。この戦争で唯一敵と称したアルトゥロを前に早まることはないと念の為にだった。
アルトゥロが相手では明らかに分が悪い。エミグラン以外は皆そう思っていた。エミグランでさえも手を焼くアルトゥロに何かできるはずもないとわかっていた。
「全てを知る者はここにはおらんぞ。それはおぬしもよく知っていよう?」
「ええ、もちろん知ってますよ……同じ釜の飯を食った仲ですからね?貴女の考えることなど、手を取るように……ね? だかっ!だがしかし!私は手に入れました!!」
アルトゥロの馬鹿にしたような笑いがエミグランの背筋に寒気が走った。アルトゥロが欲しているものはユウトの聖杯に他ならない。
「手に入れた……じゃと?」
城を背に上から見下すアルトゥロとエミグランの会話は、アシュリーもギオン理解できなかった。
アルトゥロもエミグランも肝心の主語を話さないからだ。
二人にとって果たすべき目的は一つ。そのために必要なものは言わずともわかっていた。
エミグランはアルトゥロに生者の聖杯を手に入れる方法はないと考えていた。何百年も推論を重ねた結果の結論だった。
「全てを知る者を殺したのか?」
少し怒気を含めて薄ら笑うアルトゥロにズバリと聞きたい事をまっすぐに問い、アシュリー達は驚きどよめく。
「ユウト様が……殺された?」
アシュリーの言葉に獣人達がどよめく中、アルトゥロは目を細めてじっくりと見やり、いらつきを僅かに見せた同門のハーフエルフに口角はさらに上がる。
「いいですねぇ……その表情は。ええ。ええ。隠しきれませんねぇ……貴女の気持ちの揺らぎ……わかりますとも。ええ。ええ……まさか殺すはずがない。聖杯を手に入れることが目的なら攫った時にそうしているはずだと……殺さなかったのは何か別の目的があるはずだと!」
「相変わらず饒舌、そして遠回しで面倒臭いの。お主は……」
「人間は無駄を楽しく生きることで幸福を得られるものですよ。神殿でまみえた時はあまり語れませんでしたからねぇ……しかし無駄をも楽しむことは貴女からすると嫌いな性格のようで……」
アルトゥロの口角はさらに吊り上がり
「何よりです、嬉しいですよ。ええ。ええ」
と、両手で吊り上がる口角を揉むように頬を撫でた。
「お主はあの大災から姿を消した……じゃが事が起こるその前にカリューダ様の意思は二人で聞いたはずじゃ。あの日の結末がどう言うものであれ二人の胸に留めておくようにと……お主がこの国を支配してまで起こそうとしている事はカリューダ様の意思に沿ったものと思うか?」
「ええもちろんですよ。もちろん師匠の遺志は理解していますしあの日のことを忘れたことなど一度もありませんよ。それはドァンクを創った貴女も同じでは?」
「わしはカリューダ様の遺志で国を起こしたわけではない」
「モノはいいようですねぇ……ですがこうやって何百年も黙っていた貴女が目まぐるしく動いていますよねぇ……」
「お主が動き出したからの。止めるのはわししかおらんじゃろう」
アルトゥロは目尻も下げて満面の笑みで「それは光栄な褒め言葉ですねぇ」と満足そうに小さく何度も頷く。
「忌々しい人間如きに潰されたカリューダ様の最高傑作とも言える素晴らしい秘術。愚かな人間の頭では理解できなかったのが運の尽きですよ。世界を救うたった一つの方法でしたから……それを自らの手で無くしてしまったのですから。」
「お主はまだそのような事を言うておるのか!何のためにカリューダ様が命を捧げられたのか忘れたか!」
その場にいる全ての獣人が初めて目の当たりにするエミグランの怒号。
お側付きのアシュリーでさえ聞いたことのない発言に思わず息が止まった。しかしアルトゥロはその顔が見たかったと、「もちろん忘れてませんよ」と声高く返して心底嬉しそうに何度も深く頷く。
「そうそう、貴女は私にいつも怒っていましたね。修行に明け暮れた毎日から大災の後に別れる間際も……カリューダ様の言葉の意味をいつも履き違えていると。ですが本当にそうでしょうか?」
「お主の望む世界。わしは断固として拒否する」
「随分と嫌われたものですねぇ……きっと貴女ならわかってくれると信じていたのですが……」
「カリューダ様が遺された最後の言葉……ありのままの世界を残す事。これまでのお主の行動はカリューダ様の真意が見抜けてはおらん証左じゃ!」
「真意は人それぞれの受け止め方がありますしねぇ」
「違う!もっとわかりやすく捉えれば良いのじゃ!カリューダ様の聖杯をお主が手に入れられない事も、魔女様の痕跡がプラトリカの海で生み出した肉体しかないのも、全て間違った思想のお主には任せられないから……」
「黙れ!小娘!」
アルトゥロは小言を一蹴するように声を張るとエミグランは体を僅かに震わせ、黙った。
「愛弟子ともなると横柄な言葉で人を詰り、蔑むのも正しいとお思いのようで……」
「ち、違う!わ、わしは……」
アルトゥロは目を見開き、エミグランを刺すほど強く睨むと、エミグランは目に見えて震え出した。
「愛弟子よ。私を怒らせるとは……貴女も学ばないお方だ。いやと言うほど見せつけられた寵愛された弟子ならば、この私の言う道を止めてみるのですね。やれるのならば……ですが」
エミグランの異変に気がついたアシュリーとギオン達も否応なくアルトゥロが放つマナの異常性に気がつく。
「ギオン様!!アルトゥロから感じられるあのマナは」
「うむ……某も感じたことのないマナだ。最終儀式の時に神殿でエミグラン様と奴が相見えた時にも感じた事がない。それに……」
得体の知れない恐怖は、対峙している二人よりも後ろにいた全員に確実に影響していた。
ギオンは右手をアシュリーに見せると、寒くもないのにガタガタと震えていた。
「恐ろしく震えたことなど記憶にない。もう覚えていない……」
アシュリーは緊張のあまり自然と固唾を飲んでから自分の両手を見る。ギオンと同じように震えていて、汗でうっすらと滲んでいた。
「なんなのよ、あの男……こんな禍々しいマナなんて見たことも聞いたこともないわ……」
「アシュリー、少しずつ後ろに下がれ」
アシュリーは驚いた。
まさかエミグランを置いて逃げる気なのかと顔が紅潮してギオンを見上げた。
「そんな……無茶ですよ!あんな禍々しいマナを扱う相手なんですよ!」
「無茶は承知の上だ。だが、大災より今まで生きてきたあの二人の力とまともに耐えられるとするなら、某しかおらん。」
確かにその通りだとアシュリーは悔しそうに歯噛み、後ろにいる獣人兵を見た。
巨大化した腐ったモブルでさえも耐え切った屈強な猛者達が恐れ慄き、前に進む事も逃げる事もできずにうろたえていた。
皆、エミグランを放っておいて逃げ出す事が出来ずにいた。
「某に任せておけ」
ギオンの決意をアルトゥロの高笑いが劈く。
「愛弟子!私は常にカリューダ様と共にあるのだ!人間に書き換えられた歴史を修正するために、そしてカリューダ様の望む世界を実現するためになぁ!」
アルトゥロは右腕を横に伸ばし城の方に手を向けた。その方向にエミグランが視線を向けると、誰かが立っていた。
エミグランは少し目を細めて人物を確かめると目を見開く。
「……なん、じゃと?」
エミグランのこの反応が見たかったといわんばかりに狂ったように笑った。
「愛弟子、確かに私はカリューダ様の聖杯に拒否されました。おそらくは貴女の予想通り。聖杯を受け継ぐ小僧を殺そうが私に聖杯を受け継ぐ権利はないのです。実に悲しい事でした……しかし、私はこんな事もあろうかとあの日から積み重ねてきました。血の滲むような努力を……」
唖然としているエミグランを鼻で笑って、後ろを振り返り跪く。
謎の人物はゆっくりと階段を降りてきていた。この場にいる者全てが知っていた。
「王女……様? でも目が」
滅多に人前に現れないヴァイガル国王女だった。だが双眼の色が違っていた。
「皆さん!恐れ多いですよ!平伏しなさい!この国の王女……改め!」
赤眼を持つ王女。エミグランは一つ、二つと階段を後退りした。
「カリューダ様です。フフフフフハハハハハハハハハハ!!」
プラトリカの海で再生していたカリューダの肉体は、別人の聖杯で生命を与えられ保たれていた。
カリューダの聖杯はユウトが受け継いでいる。だが、エミグランの記憶にあるマナを帯びたカリューダの美しい赤眼が目の前に現れた。ユウトではなく、王女に。




