第五章 57:親指
第五章 57
「ヴァイガル国を襲う賊が口上など偉そうに!」
「騎士の習わしのようなもんだ。お前さんも知ってるだろう?」
オルジアの口から出た騎士という単語に強烈な嫌悪感を抱いたイロリナは
「うるさい!死ねっ!」
と忌々しい減らず口を一刻も早く閉ざすため、双剣を握り直しからオルジアの跨る馬の後ろ足に袈裟斬りを狙う。
オルジアは馬に命じることもなく視線で追うと、馬が後ろ脚を上げて難なくかわした。
「なにっ?!」
手綱をしごいて馬が前脚を下す。
「人馬一体……俺は馬を自由に操れるんだよ」
オルジアは押し出すように告げると、十文字槍でイロリナの脇腹を目にも留まらぬ速さで振り上げて斬りあげた。
「……」
「うぐっ……」
イロリナの動きが止まった、しかし
「な、なぜ……だ……何故斬らんのだ!」
槍先の刃でイロリナを斬らず、十文字の刃より少し下の柄で脇腹を殴りつけていた。またしても刃を体に触れさせることなく立ちはだかるオルジアは、馬を翻してイロリナを見下ろし何も言わなかった。そしてサイ達に目を向けて顎で逃げろと合図を送った。
「くそっ……逃さんぞお前ら!」
合図に気づいたイロリナが、脇腹の痛みに堪えながら双剣を持ち直したが、立ちはだかるのは馬の背に乗るオルジア。
「悪いが仲間達はここから逃げさせてもらう……もう終わりだ、諦めろ」
「貴様……何様のつもりだ!」
イロリナが痛みを堪えて双剣を握り直して右手の剣先をオルジアに向けた。
「叶えたい事があるなら力で示せ! ここは戦場だ! 他軍の将を斬れぬお前に指図される覚えはない!」
――叶えたい事があるなら力で示せ、か。その言葉をまた聞けたのは、与えられた立場からの言葉なのか、それとも『君』だからなのか……――
オルジアは獣人傭兵達を一度見やり、槍を構え直し馬の首を軽く叩いて、頼むぞ。と声をかけた。
奥歯が痛かったがもう一度噛み締め、手綱を一度扱いてから馬の首を叩くように弾いた。
パチンと乾いた音がしてから馬の腹を蹴る。
馬が駆け出すと、まず槍を振り下ろしてイロリナの双剣を狙って叩く。
先ほどの一撃で動きが鈍っていたイロリナは、剣で受け流す、が、オルジアの一撃は駆ける馬上からの振り下ろしという条件を加味しても重い。
「ぐぅっっ!! くそ!」
通り過ぎたはずのオルジアは、すでに馬の腹を何度も蹴りながら馬をイロリナに向け直していた。
「なんなの……あの馬の操り方は!」
イロリナは人馬一体と言ったオルジアの言葉を痛感した。
馬に乗り槍を使えば利き腕の反対側が不利になるはずが、その隙を馬が絶対に見せないと先を読んで動いていると思えるほどに速かった。
馬術というレベルは優に超えていて、馬がオルジアと一心同体という方が正しく思えた。
「うおおおおおおおおおおおおおおお!!」
槍を掲げて突っ込んでくるオルジアの雄叫びに馬も興奮気味に首を上げ下げして、少しでも前へ速く背上の主を届けんと言わんばかりに。期待に応えようと懸命に駆ける。
「舐めるなぁぁ!賊がぁぁぁ!!」
刃風軽やかに重々しく振り下ろされる槍の一閃を寸前で飛んでかわし、オルジアの右腕に双剣を振り下ろす。
手応えはあったが、手に痺れと耳を劈く金属音が鳴り響く。
「チッ……鎧か……」
確かに右腕を守る鉄甲に弾かれたが、上から左手で押さえていた。
「怪我……か?」
イロリナはすぐにオルジアがゴブリンの大群に襲われた事を思い出した。
「フ、フフフフフ……ハハハハハハ! そうだ!貴様は怪我を負っているのだったな! 私は見ていたぞ!貴様がゴブリンの群れに襲われているところを!」
聞こえるように大声でしたり顔のイロリナに、馬上のオルジアは思わず舌打ちした。
「見られたくないところを見られてしまったんだな……だが、関係ない」
視線を逃げる獣人傭兵に向ける。あと少し、もう一、二度イロリナの猛攻を凌げば城門の外に出れるだろうと見込んだ。
「……それまで頼むぞ」
馬の首を二度叩くと拒否するように首を横に振る馬に思わず吹き出した。
「心配するな、俺も帰るさ……」
イロリナを見やり「あいつと……決着つけてからな」と言うなり覚悟を決め、右腕の痛みを打ち消すように力を込めて槍を握り直す。
獣人傭兵達を背に、オルジアが真横に槍を伸ばす。ここからは通さないという意思表示にも見えた。
イロリナが猿叫と一緒にオルジア頭上から飛び込むと槍弾く。強さからこの一撃は狙いではなくブラフだと分かった瞬間に、剣が足元の鎧を狙っていた。
馬はイロリナの狙いをわかっており、横に飛んで避けようとしたが、浅く、わずかに掠めると鎧が外れかかった。
「くっ……」
馬と人を繋ぐ手綱と鎧。どちらかが不安定ならまともに乗ることさえも危うい。さらに怪我を負っているオルジアにとって体の支えとなる鎧がしっかりと踏めないと怪我の負担にもなる。
――さすがだな、イロリナ……――
必殺の顔で、必死の覚悟で襲いかかるイロリナ。
いつもそんな顔で戦っていたのか、最後の時もシャクナリにその顔で懸命に戦っていたのか。と郷愁が沸き、記憶が蘇る。
――大丈夫よオルジア。私は負けない……騎士団を守るため……ヤーレウ将軍のためにも。そして何より騎士団を愛してやまないあなたのためにも。……でも少しわがままかもしれないけど――少しくらいはその愛情をこっちにも向けて欲しいな――
「死ねっ!死ねぇ!!」
悪態を織り交ぜて、すべての怒りを向けられたオルジアは、まるで自分の足のように動いてくれる馬と共に、イロリナの猛攻を槍で受け流す。
――シャクナリに勝つ事、それしか残っていないのならやるしかないじゃない。でもこれはあなたやヤーレウ将軍のためだけじゃない。私も、私自身も叶えたい夢のため……騎士団を守るために力で示すのよ――
オルジアはイロリナの猛攻を受け流しながら、過去に剣術を教えてくれた過去を思い出していた。
――右で斜めに袈裟斬り、続いて左で切り上げ……当たらなくても切り上げた力を利用してもう一度右回転で勢いをつけて攻撃に……ここで弾かれると仕切り直しになる……だったかな――
オルジアは自分が下手な剣術をイロリナから習っていたことを、得意げに教えていた彼女の忘れられない屈託のない澄んだ笑顔と共に思い出す。
イロリナは連続攻撃をかわされて、逆に勢いをつけた右からの撫で斬りを放つ。だがオルジアは知っていたかのように一番強く弾くと二、三歩下がった。
「くそっ! まだまだよ!」
――得意の連続斬りがダメなら足を封じるため足元を狙うか頭上から勝負を仕掛ける……だったな――
イロリナは飛んでオルジアの頭部を双剣で叩きつけるように狙った。
――私たちは何があっても騎士団の誓いの通り……この国を、国民を守るため……命をかけて戦うのよ……――
「死ねぇ!!」
――何があっても二人で……ね?――
オルジアは、もういない過去のイロリナを振り切るために叫んだ。
目の前に居るのは、ただの敵だ。
「ウォォォォォォォオオオオオオ!!」
大気が震え、大地に響き渡るほどに叫んだ。
声が枯れる、喉が痛むなどどうでも良かった。思い出のイロリナと目の前で殺意むき出しの表情でただ屠るために双剣を振るうイロリナの違いで、乱れる心を落ち着かせるために叫ばなければ自我を保っていられなかった。
十文字槍は叫びに呼応するように振り上げられると、馬も息を合わせて、まずイロリナの双剣を軽々とかわした。
空を切った双剣がオルジアにすれ違うと同時に十文字槍が振り上げられた。しかしイロリナは地に落ちる体を捻ってかろうじてかわした。
槍を振り上げた腕に赤い糸が垂れるように血がつたい、血の匂いを感じたイロリナは思わずにやけた
「そうだよなぁ!貴様のキズは完全に塞がってないよなぁ!」
手数で押す。オルジアの頭部を狙う前にそう決めていたイロリナは、キズが開いたオルジアへここぞとばかりに乱舞のように双剣の連続攻撃を仕掛ける。
槍を左手に持ち替える暇すら与えない二本の剣は、時に速く、時に強くオルジアと馬を狙い斬りつけるが、槍先と石突で弾く。だが、二本対一本の戦いは数が示す通りに有利不利が分かれる。オルジアは次第にイロリナの手数に追いつかなくなり始めていた。防戦一方のオルジアの様子を具に観察していたイロリナは「どうしたどうしたどうした!」と煽り、斬りつける。
いなし一方のオルジアは押される一方だった。
イロリナの剣を槍で弾くたびに開いた傷口がメリメリと音を立てて広がるのが伝わってきていた。
このままでは右腕が使い物にならなくなる。頭にそうよぎったが、殿の将として引くわけにはいかなかった。
――アイツらの背中を守るのは俺だ……ここで……ひけんよ!――
「ウオアアアアアア!!」
痛みを声で誤魔化すように雄叫びをあげて槍を大きく振るう。しかしイロリナはバックステップで避けた。空を切る槍を振るった後に鮮血が散った。
「クックックッ……残念だなぁ!」
右腕はもう限界だった。苦悶の表情で城門の方を見やるとまだ獣人部隊との距離は充分とはいえなかった。
「フフフ、後ろの奴らが気になるか?」
イロリナはオルジアの考えている事を見透かしたように問う。
「心配するな。お前を討ち取った後はアイツらもすぐに後を追わせるからな。」
「……くそっ」
地面に吸い寄せられるように上がらない右腕から槍が落ちた。
鞍上のオルジアが心配な馬は嘶き落ち着きが消え去りソワソワと四肢を足踏みさせ始めた。
形勢逆転。
先ほどまでの余裕だったオルジアの様子が明らかに変わり、半ば勝利を確信したイロリナは笑みが溢れておさまらない。
右手左手と双剣を順に握り直し、両方の切先をオルジアに向け飛びかかる。
命を削ぐ。猿叫と振りかぶる姿に確固たる信念さえ感じられた。
馬は手綱から伝わるオルジアの生気が消えつつある事を感じたが、自らの意思でオルジアにイロリナを近づけないように大きく避ける。
「ハハハハハハッ! もうただの乗馬だな!」
ただ乗っているだけで、馬を御する事もおぼつかないオルジアは、左手で手綱を叩いて鎧で横っ腹を蹴る。
――せめて、アイツらが城門をくぐるまでは――
「何だその乗馬は!私の方がまだ上手いぞ!キャハハハハハハ!!」
下品に笑うイロリナは馬を悠々と追いかけた。
留まりたいオルジアと逃げ出したい馬。意思が完全に分たれ、素人の乗馬と言われても仕方ないほどだった。
斬りかかるイロリナを大きくかわすが、イロリナの反転は速く、徐々に間合いが詰められていた。
「キャハハハハハハ!何が人馬一体だ!」
全くごもっともだとオルジアは歯噛みしてイロリナの猛攻をかわすために左手で懸命に手綱を叩き扱き続ける。
その姿にイロリナは嫌悪感が乗数が増えるように肥大し、舌打ちして「ちょこまか逃げ回るのもこれで終わりだよ!」と体中のマナを双剣に集めた。
「アイツ……使う気だな……」
イロリナが過去に騎士団長の選抜に大きく貢献した大技、マナを双剣に集めて広範囲に叩きつけ、相手にマナによる衝撃を与え行動不能にする騎士団でもイロリナしか使えない大技。イロリナのマナはその時の相手への感情によって形がいくつも変わる。
「斬罪ィィィィ!!」
イロリナが名付けた技の名前を叫ぶとともに双剣が激しく輝き出し、そのままオルジア達に向けて勢いよく振り下ろした。
馬があまりの殺気に嘶き、反対方向に我を忘れて駆け出すとオルジアは鎧を外し飛んだ。
「俺だけで充分だ……」
禍々しいマナは、その姿をまるで大きな剣に姿を変えて馬を降りたオルジアに振り下ろされる。
オルジアは地面に立つと、斬罪の剣に両腕を交差させて受け止めるように構えた。
だが、受け止めて無事でいられる自信などあるはずもなかった。
目を閉じ、衝撃に備えた。
だが、何も起こらなかった。
ゆっくりと瞼を開けると、茶色い体毛の背中が目の前にあり、斬罪の剣を両腕で止めていた。
「うぐぐぐぐぐぐ!」
「き、キーヴィ!なぜここに!」
「ぜったい……ぜったいに死なせないぞぉ!」
キーヴィが固くなった体毛を縦にしめ必死に斬罪の剣を止めていた。
「くっ!豚が邪魔を!こうなればもろとも逝ってしまえぇ!」
「さ、させねえぞぅ!ぐうおおおおおおおおお!!」
押し込む斬罪の剣を横に押しやった。
「お、オルジアの……アニキ……」
ユーマに背負われたサイが横にいた。変わらず両肩は負傷していて、当て布は真っ赤にしまっていて、オルジアは痛々しく傷から目を背けた。
「ユーマ!サイ!なぜ逃げなかったんだ!」
「へ、へへへへ……アンタはいつも責任だけ背負って一人でいっちまうもんな……」
「兄上が貴方に伝えたいことがあるからと……それに、あなたを見捨てるなら置いていけというので……」
ユーマは舌を伸ばして落ちていた十文字槍を引き寄せてオルジアに差し出したので、左手で受け取った。
舌を口に全て収めたユーマは戦況を説明し始める。
「城に向かった先発隊の一員によるとエミグラン様は敵の主力部隊の戦力を削ぎ入城されるとの事……城が落ちれば戦いは間も無く終わります。ならば戦況は優勢。もう敵方の敗走まで間も無く……ならば我々三人も貴方とともに戦います。誰一人として死んではならないのです。」
「へ、へへへっ……もう少しなんだろ?アンタの希望がかなうのがよ……」
オルジアは血の気を失いつつあるサイの顔は見れなかった。
「それに、こ、この女はアンタの……知り合いだろ?一緒に連れて帰ろうぜ……」
「サイ……」
「できねぇことはねぇよ……アンタは……お、俺たちの希望なんだ……夢見させてくれたんだ……あ、アンタなら……で、できる……うぐっ!」
サイが苦悶しながら右腕をあげる。
「やめろ!サイ!傷口が開くぞ!」
「へ、へへへへ……こ、これ……やってみたかったんだ……」
サイはオルジアの目の前に右手をあげると、震えながら拳を握ってから親指を立てた。
「サイ……」
「これを見るとよ……なんか、で、できそうなきが、するだろ?」
サムズアップ。
これまで幾度となく『がんばれ』とサイ達に向けてきた仕草が、オルジアの心を熱くさせて音を立てて動き始めた。




