第五章 54:純黒
※グロ注意
アシュリーは目の前が真っ暗になり絶望のどん底に落とされた。
ギオンは顔を上げたが左目を手で隠していたが、手の隙間から血がとめどなく流れ落ちていた。
「どうや?負け犬わんちゃん♩自分の愚かさを知れたかいな?」
鉤爪に刺さったギオンの目を弄ぶように爪で弾くと目玉は宙を舞い、素早く鉤爪で微塵に切り刻んだ。
片膝を付き、片目でシャクナリを睨みつけるギオンは犬歯を剥き出しにして怒りを露わにする。
「片目を奪ったところで、某の心が折れたと思うておるなら大間違いだ!」
ギオンは空に向かって細く長く吠えた。
――命あるものは退け ここは某に全て任せよ――
同志以外にはわからないギオンの撤退宣言は、モブルの猛攻を凌いでいるサイ、ユーマ、キーヴィにも当然届いた。
「どう言うことだよぉ! ギオンンン!!」
憤りながら大木のようなモブルの腕を避けるサイは、シャクナリと向き合うギオンに向けて悪態をつくように叫んだが、モブルの猛攻に手も足も出ない状況でまともにギオンの話を聞く余裕などあるはずがなかった。
シャクナリの事もきっとギオンがなんとかしてくれる。獣人最強のギオンが負けるはずがないと信じていたから。
獣人の住みやすい国を、世界を作る。ただその願いを叶えるために。
純粋に真っ直ぐにギオンのことを信じていた。
ユーマがモブルの猛攻の隙間を縫うようにしてサイに近づくと「兄上。ギオン殿の命令です。従うべきかと」と言ってすぐに離れた。
真上から大きな腕が振り下ろされようとしていたが、キーヴィがサイを抱えてその場を離れる。
「お、オイ!キーヴィ!何やってんだ!」
キーヴィがサイをしっかりと抱えて離そうとせず「ギオンの言うことを聞けよぉお前らぁ!」
と言って来た道をドテドテと走り出した。
「こるぁ!キーヴィ!てめえ!」
「だめだぁ! ギオンの言う通り撤退だぁ!」
何度も本気のゲンコツを脳天に喰らうキーヴィは意見を曲げなかった。
「てめぇ!何言ってやがる!俺たちはなんのためにここまでやってきたと思ってんだ!」
「あにちぃは見てねぇかも知れねぇけど!あの女はギオンの目を一つ抉ったんだぞぅ! とんでもねぇ強さだぁ!」
「ギオンの……目を!?」
サイは信じられなかった。牙が折れそうなほど噛み締めて
「嘘をいうなァ!このクソデブがァ!離せよ!その女の力を確かめてきてやらぁ!」
「ためだぁ!命かけておでたちを逃がそうとしてるんだぁ!いくらあにちぃの言うことでもきけねぇんだぁ!」
サイはたとえ一人になってもギオンのもとに駆け付けたかった。両腕でキーヴィの拘束から抜け出そうとしても、絶対に離さないと指が痛いほどサイの体に食い込んでいる。
「離せ! 離せ離せ離せ!」
「だめだぁ! ギオンの命令だぁ!」
「ギオンー!!!」
獣人が、誰にも害されることなく穏やかに過ごせる日を夢見た戦士。
その名を叫ぶサイは、初めて、他人のために泣いた。
シャクナリは腐ったモブルから離れていく様子に首を鳴らして傾げた。
「あら、撤退なん? ここまで来て……後お城だけなのにな?もったいな」
「だまれぇぇ!人間がぁ!」
シャクナリの頭上から飛びかかったのはアシュリー。
両手に炎を纏わせながら飛び蹴りを顔に目掛けて放つ。
「あら、あんたは逃げんかったん?」
飛び蹴りをスレスレでかわす。アシュリーはすれ違い様に炎を纏わせた手でシャクナリの首を狙う。
「それも見えてんで?」
伸ばし切った腕の関節を手刀で弾くと
ゴリっ!という鈍い音が腕から肩にかけて響く。
「ぐあっ!!」
「ええ音したなぁ?」
肘関節を手刀で外したことで着地できず、転がって仰向けになったアシュリーの喉元に鉤爪で狙う。
「もう終いにしよか?」
「アシュリー!!」
シャクナリの狙いがわかったギオンの悲痛な叫びに、思わずほくそ笑む。
喉を突き破って絶望に落ちるギオンの表情を見たい。おそらくは愛し合ってる二人を生死の壁で隔ててみたい。
――どんな顔になるんかなぁ……――
舌なめずりしながらイメージ通りの軌道に寸分違わず手を伸ばす。
喉を貫くとイメージしたシャクナリの体は、自分の腕にかかる負担も、アシュリーが貫いて血が流れ込む気道から溺れるような音を出すところまでイメージできていた。
だが、イメージはすぐに消えてなくなった。夢から目覚めたように。
――あれぇ? なんやなんや? 何でイメージが無くなるんや?――
喉に突きつけるはずの鉤爪の中指と人差し指の間から、懐かしい香りがした。
――あら、この香り……どこかで……――
どこか懐かしく、心地よい香りだった。
――これは……白檀の……――
突如、禍々しい殺気がシャクナリを包み込む。
このままだとあまりの気配の圧に身動きが取れなくなると本能が早鐘を鳴らすように告げると、考える前に後ろに飛んだ。
顎に伝う冷や汗を拭い、いつのまにかカラカラに乾いた喉を少しでも潤わせるために唾を飲み込む。
「……っ! なんでや! なんでここにおるんや!」
アシュリーの前に立っていた儀式用の装いで白檀扇子を広げて下顔から香りを楽しむように扇ぐ。
「――わしがここにいる事がそんなに不思議かの?」
エミグランは冷笑を見せるとギオンとアシュリーの様子を確認するため歩み寄る。
アシュリーは右腕を押さえていて、力無くぶら下がっており、ギオンは右目から血が流れないように押さえていた。
「アシュリーは治るが……ギオンは……」
「……抉られました。」
「そうか……」
「ですが、まだ片目はあります。見えぬわけではございません。」
目を抉られても闘争心の衰えないギオンは、エミグランの背中からシャクナリが飛びかからないように目で牽制していた。
「わしは良い戦士に恵まれた。体も命も削ってわしに尽くすその心。そなたの名誉も負傷も、未来永劫この胸に刻んでおこう。」
これほど嬉しい言葉はなかった。
生まれてから誰かのために戦う機会などなかったギオンはオルジアと出会い、傭兵になり、そして今こうしてエミグランに最大の褒め言葉をかけられた。
――そうだ……無駄死になどなるはずがない……獣人達、エミグラン様のために命を尽くす事が無駄になるはずがないのだ!――
もしこの戦いで命を失ったとしても、サイ達が想いを引き継いでくれる。自分の命なくとも同じ志で同じ方向に迷う事なく向かってくれるのだと確信した。
「某は失ったものばかりではなかったか……」
「得るものもある。そなたの目となる者もおるだろう?」
エミグランは痛みに堪えられず膝をつき顔を歪めながら見ているアシュリーに歩み寄った。
「すまない……知っておるようにわしは癒す魔法が苦手での……」
「い、いえ……大丈夫ですエミグラン様。自分で……治しますから……お心遣い感謝いたします」
右腕を押さえる手に白く淡い光がうっすらと見えた。
「そうか……ではその場で治療しておくようにの」
「はい。エミグラン様」
改めてシャクナリに向き直ったエミグランだが、シャクナリは釈然としていないようで眉を寄せてエミグランを指差す。
「なんであんたがここにおるんや! 最後の儀式で館におるんとちゃうんか!」
「それはお主らが勝手にそう思っただけ。わしはもとよりイクス教神殿で行う予定じゃった……そなたらが勝手に勘違いしたのだろう? 兵をドァンクに向けさせて……お陰で街の警備はガラガラで助かったがの」
儀式の調査は予測されていたエミグランの館周辺で、プラトリカの海で再生させた複数人のサンズが行っていたが、エミグランに見つかってしまい、散り散りに逃げて無事帰ってきたのは、右腕を失った一体だけだった。
アルトゥロは、サンズの右腕の傷口からエミグランの『黒き人を模した者』の内の一人が与えたものだろうと推測し、館の警備が厳しくなっていることから、儀式はエミグランの館内で行われると思われていた。
「相変わらず詰めが甘い男じゃな。お陰で儀式も大詰めじゃ」
――まんまと出し抜かれたんやな。――
シャクナリは扇ぐ白檀扇子からチラチラと見える口角の上がったエミグランの表情が目障りだった。
「なら、せめてあんたの体の一部くらいは持っていかんと……アルトゥロはんに面目が立たんなぁ」
と言うなりシャクナリの鉤爪はエミグランの耳を狙った。
起こりのないシャクナリの初動はエミグランの視線を外すには充分で、目が合うまでにすでに鉤爪は耳のそばまで迫っていた。
――はははは!いける!あのエミグランでさえもうちの動きは追いかけられへん!――
二人は交錯した。
「エミグラン様!」
アシュリーが思わず呼ぶが何も返事はなかった。
「いやあああああああああああああああああああああああ!!」
突如、シャクナリが右耳を手で押さえながらのたうち回る。
エミグランがシャクナリの方を見て振り返ると
「エ……エミグラン様」
アシュリーは名前を呼んだあと絶句した。
エミグランの口元には楕円の肌色の何かがあり、白肌に浮いて見えた。
「うちの……うちの耳ガァ……」
エミグランは咥えていた楕円の肌色のものを吐き捨てた。
「なんと……あれは耳か……」
ギオンは起こったことをようやく理解した。すれ違う刹那、エミグランはシャクナリの耳を噛みちぎったのだ。
懐から純白のハンカチを取り出して口を拭うと、怯えるシャクナリにゆっくりと歩み寄る。
「人の部下の目を抉っておいて……ただで済むとは思うまいね?」
冷徹かつ獲物を狙う肉食獣のように瞳孔が開き切ったエミグランの視線に震えるシャクナリ。
他社の外面から受容する情報で最適な攻撃、防御の最適解を何通りもイメージでき、その通りに寸分違わず動かせると言う天性の才能を持つシャクナリの体にダメージを与えられる者など、これまで誰もいなかった。
今初めて他者から受けた攻撃が耳を噛みちぎられるという極めて原始的なやり方に、シャクナリはそれこそ肉食獣に襲われているような錯覚を起こした。
――何が……何が起こったのか冷静に判断せぇ……なんで噛みちぎるところが見えんかったんや?――
冷静に思考を巡らせて結論を出すには時間が必要だった。
利用できるものはなんでも利用しなければとモブルを見て指差す。
「モ、モブル! あんたの敵はこっちや! この女を叩き潰してしまえ!」
逃げ惑う獣人兵やヴァイガル兵を大きな体で追いかけようとしていたモブルは、ゆっくりと振り返りエミグランを見下ろす。
口を大きく開けて大気が震えるほどの叫び声を上げた。
「ほう……狂戦士の祝福……いや、少し術式を変えておるようじゃの。どうせアルトゥロの仕業じゃろ」
エミグランは胸元まで手を上げ、広げた手のひらを半円をなぞるように動かすと手のひらに赤い光が浮かび上がった。
「ゴォォォア……あ、あ、」
叫ぶモブルの頭頂部から足の先まで赤い小さな光が浮かび上がる。蛍のようにふわふわと点滅しながらモブルから徐々に離れていく。
「魔石技術を創り上げたわしに、こんな子供騙しが通用するとでも?」
と言うと、エミグランの目が純黒に染まった。
同時にエミグランの足元の影から、無数の真っ黒な触手がモブルに向かっていく。
触手の先端が二つに分かれて開くと、人間の歯が並んでいた。それは口だけある触手でモブルを獲物と見定めて噛み付いた。
勢いよく無数の触手がモブルの頭、頬、目、耳、首、胸、腹、鼠蹊部、腿、脹脛に噛みつく。
まずは腹に噛み付いた触手は腹を掘りすめる。
内臓が柔らかいのだろう。腹に突き刺さった触手はどんどんとモブルの体内に進んでいくと、モブルは断末魔の叫びを響かせながらのたうち回るが、触手をもがいて引きちぎろうとしても伸びてしまう。
硬い肉を喰む触手に遅れて頭頂部の触手が頭蓋を噛み砕き、舌なめずりして脳を喰む。
モブルの目が触手の前歯に変わり、奥に引っ込むと空洞になった。すぐにもう一つの目も同じように歯に置き換わったかと思うと空洞になった。
「今日も腹が減っておるんじゃの……」
脚が喰われ、食す勢いが余った腹内のいくつかの触手が腹や胸を突き破り、余った肉を食う。
モブルから一つの触手がエミグランに顔を寄せ、何かを吐き出した。エミグランは一瞥して「魔石か」という。
「人体魔石の実験……人間の巨大化、腐敗しているところから失敗作じゃろう……」
骨まで食べ尽くした黒き触手は、エミグランの足元の影に巻き戻すように戻っていった。
「う、うそやろ……なんなんやその魔法は……」
「魔法ではない。わしを愛した者達の姿じゃ……魔法を使うまでもない……さて」
純黒の双眼は怯えるシャクナリを捉える。
「わしの戦士を弄んだお主にはどのような罰が良いかの?」




