第五章 50:惨劇
第五章 50
ギオン達が獣人傭兵の中隊を引き連れてヴァイガル国城門に向かった。
遠くからヴァイガル国旗が風にたなびいていてそこに兵が集まっていた。
見たところ百人程度のヴァイガル国兵が城門前の橋の前で陣取っていたが、ユーマが気にしていたのは先に出たはずのサイ達で、姿は見当たらなかった。
ギオン達はヴァイガル国兵が見え、こちらに向かってきても準備して対応できるほどの距離で止まった。
「兄上はどこに……」
ユーマの気掛かりを聞いたギオンは鼻を鳴らした。
「どこかで暴れておるのかわからん。だが少なくともここにはいないのだ。おらぬものに期待はせん」
ギオンは冷たくユーマの質問をあしらうと、顎を上げ空を見上げた。今ここにオルジアがいないことが悔しくて奥歯が鳴るほどに噛み締めた。
オルジアがヴァイガル国を過去の騎士団が英雄だった時代に戻したいと語っていた事をまざまざと思い出す。
本来ならこの場に立つべき人間が負傷して参戦できない悔しさは、傭兵業を生業とするギオンには痛いほど気持ちがわかった。
――……だからこそ、最高の結果を届けるべきではないのか……我々に尽くしてくれたオルジア殿に――
ギオンは右手を目の前に掲げて見やる。
そして右手で拳を固く握りしめ振り下ろし、後ろに集まって、ギオンの言葉を今か今かと待っていた中隊に向き直った。
「よいか!我が国代表であらせられるエミグラン様より、ヴァイガル国を攻め落とす許可を得た!」
中隊全員がどよめく。だがこの反応を見たギオンは当然の反応だとわかっていて、気にも止めずに続けた。
「過去、獣人戦争の敗北により我々獣人は皆が知る通り、獣人の持つ能力を法の力で縛り付け、人間が上位、獣人は下位と定められ今を生きる我々は何の疑いもなく受け入れてきた。だが……今、その忌まわしき呪縛を破る時が来たのだ!」
ギオンの力のある声は中隊全員に響く。全員が沸々と高揚感が溢れ出し、どよめきは収まりはじめた。
今から戦う目的が獣人の自分たちが人間との立場を変える戦いだと知り、獣人達が心の底に沈めていた不満や怒りがエネルギーとなり、枷が外れたように溢れ始めていて、ギオンも感じていた。
「恨むべきは人間ではない。だが、我々が心の底から求める真の平等のために、一度剣を抜かねばならない!その覚悟はあるか!!」
全員がギオンに背中を押されるように「オォ!!」と反応するが、ギオンは満足しない。
「声が小さい!! そんな意気込みであの国が屈するものか!! 相手も必死の抵抗をするが勝利をもぎ取るためには各々が覚悟を決めねばならん!! お主達にその覚悟があるか!!」
ギオンは全員の心を燃え上がらせるためにあえて禁忌に触れるため、右手を高く掲げた。
「我々は、罪を犯せば右手を切り落とされる!これは獣人戦争に負けた我々の先代が苦渋の決断で受け入れた贖罪だ! だが、もういいだろう!もう充分だろう! お主達の同胞にもいるだろう!無実の罪で右手を斬られた者が! 話に聞いたこともあるだろう!その目で見たこともあるだろう!」
ヴァイガル国に、罪人と認められた獣人は必ず右手を切り落とされる。例え証拠不十分でも、ヴァイガル国が有罪と認めれば獣人は問答無用で右手を切り落とさなければならなかった。
ギオンの言う通りこの場にいる獣人のほとんどが右手を斬られた者も見た事があるし、中には身内や友人が無実の罪で右手を奪われた者やその話を聞いた者がいて、ギオンの話に心の奥に眠っている鬱積したヴァイガル国への怒りが膨らみ始めていた。
――なぜ俺たちがこんなに酷い贖罪をしなければならないんだ。
人間は右手を失うような贖罪はしないのに。
自分たちの力を人間のためだけに利用して用済みになれば右手を切り落とすことをちらつかせる人間どもめ。――
ほぼ全員が同じ思いと理由があった。アシュリーはサンズから憎しみを込められた矢の傷跡を服の上から撫でた。
「よいか!この戦いは右手を!命を捧げる覚悟がある者のみ戦う権利がある!覚悟がない者はここを去れ!某と共に我々の真の自由の為に!同胞達のために戦う確固たる決意がある者は今一度、大声をあげよ!」
「ウォォォォォォオオオオオオオオオオ!!!」
去る者は一人もなく、地面が震えるほどの雄叫びが巻き起こった。
中には怒りを抑えるために自分の鎧を拳で殴る者もいた。武器を高く掲げる者もいた。
ギオンはいきりたつ皆を見渡して狙った意思統一を成したと確信した。
「ギオン様!」
兵の一人が近寄って呼びかけ、ヴァイガル国兵の集まる方を指差した。
指す方向を見ると、ヴァイガル国旗を掲げた騎兵一人がこちらに向かって来ていた。
「わかった。」
そう答えて騎兵の方に向き直った。
騎兵がギオンの前に到着すると、馬上からギオンを指差した。
「其方がこの軍隊の代表か?」
馬から降りない騎兵は、偉そうに言い放つ。
「……いかにも。ドァンク共和国軍のギオンと申す」
「我がヴァイガル国の書状である。心して読まれよ」
馬上からギオンに向けて書状を差し出す騎兵に歩み寄るギオンは鼻を鳴らしてから歩み寄り、騎兵から書状を受け取って読み始めた。
ユーマは一連の騎兵とのやり取りに密かに憤りをおぼえた。
――馬上から見下している上にギオン殿が名乗ったにも関わらず名乗らぬとは……舐められたものだ……――
一連の所作はギオンが怒り馬上から引きずりおろして首を刎ねられても仕方ない振る舞いだった。
書状を広げたギオンは言葉にして読み始めた。
「理由なく我が国に攻め込む蛮族の輩に告ぐ。我が国の城門より入国する者は問答無用で右手を斬り落とす。」
短文を読み上げると丁寧に折り直して側にいた獣人兵に渡すと騎兵は持っていた槍の切先をギオンに向けた。
「ここはヴァイガル国の領土である。有事の今、ここでお前らが武器を持ち存在することがすでに違法だ。寛大な我が国の措置を受け入れて即刻去るが良い。無駄に右手をなくすこともあるまい」
「……なるほど。わかりもうした」
ギオンが騎兵の言葉を肯定したことに獣人兵もユーマも驚いた。だが、それは勘違いだったことがすぐにわかった。
ギオンは騎兵の持つ槍の刃元を持つと、片手で力任せに引き寄せると、馬上の騎兵は引き寄せられ馬から転落した。
馬は驚いて嘶きながら前足を上げ、馬の尻をギオンが叩くとヴァイガル国城門に向けて駆け出した。
「ぐっ……何をする……」
落ちた騎兵が這いつくばって呻くように言うとギオンは騎兵の鎧の首元を掴み、目線が合うように吊し上げた。
「どこまでも獣人を見下し、何が無礼かもわからぬお主に返す言葉はない。某が理解したのは人間の愚かさ……自国民に宣戦布告を告知し、敵を目の前にしてもこの期に及んで右手で脅迫すれば我々が臆すると思い込んでいる愚かさだ!」
騎兵は怒りで腹の底に響くようなギオンの声に、これまで接してきた人間に媚びる獣人とは違うことを恐怖に体が支配され震えた。
「某はこの戦いから引くつもりは毛頭ない。右手どころか命をさえこの戦いに捧げた。その覚悟を見抜けなかったお主が悪いのだ……お主も兵なら国に命を捧げたのであろう?」
ギオンの手と目に力がこもる。騎兵は事の重大さに気がつく。
「い、いやだ……嫌だ嫌だ! 死にたくない!!」
半泣きになりながら命乞いをするがギオンは許さなかった。
「この期に及んで命乞いとは見苦しい……見苦しいぞ!」
ギオンは騎兵を片手で高く持ち上げると、腰を前に曲げながら体全体を使いながら騎兵を持つ手首を返して泣き叫ぶ騎兵の脳天を地面に叩きつけるように投げ捨てた。ぐしゃり!と鈍い音の後、泣き叫ぶ声はすぐに小さくなって途絶え、見るに耐えない残骸が花火のように広がっていた。
ギオンがヴァイガル国の兵を殺した。ドァンクで最も強い獣人が、ヴァイガル国に刃向かった。
歴史を断ち切る。世界が変わる。そのスタートラインを見た獣人達は自然と割れんばかりの歓声が巻き起こると、ギオンは騎兵の亡骸の側に奪った槍を突き立てて、獣人達に向き直る。
「某に続け! 敵を駆逐せよ!因縁を断ち切る戦いに命を捧げよ!」
大きく息を吸い込み、遠吠えを始めると獣人達に活力がみなぎり始める。
ギオンの遠吠えは、目の前に広がる獣人の群れを狂戦士へと仕立て上げた。
ギオンが地面轟かすような雄叫びを上げてヴァイガル国城門に向けて駆け出すと続いて獣人兵も叫びながら駆け出した。
固まっている獣人が、まるで地滑りのように城門に迫り始めると、城壁の上から弓兵が上半身を現して弓を構えた。
「構え!!……てぇ!!」
獣人兵団に向けて弓を打つ命令を騎兵の中心に立つ人物が指示を出すと、城壁から放たれた矢が一斉に風を切りながら無数に降り注いできた。
「ここは私が!」
アシュリーはギオンの半歩ほど後ろにいて、城壁の不穏な動きを察知していて両手に炎を纏わせていた。
ギオンは何も言わないがアシュリーは肯定と受け取った。
「ハァッッ!!」
アシュリーは駆ける速度を早めてすぐに飛ぶと、両手の炎を降り注ぐ矢に向けて炎を放つ。
今日の炎は一味も二味も違う。ギオンの遠吠えはアシュリーの能力も底上げしており、実感があった。
実感通りに炎はアシュリーがこれまで出した事のない熱量の炎が空に舞い上がる。
――誰も傷を負わせない!ギオン様を守る!!――
願いは力となり、炎はギオン達を守るように円弧に、まるで巨大な屋根のように広がった。
雨のように降り注ぐ矢が、広がった屋根のように駆けるギオン達を守る炎に触れると、火花がはじけて一層光を放つ。
触れた矢は漏れなく矢尻以外の部位を燃やし尽くして乾き切った炭と矢尻が方向性を失ってそのまま地面にボトボトと音を立てて落ちた。
「よいぞ! アシュリー!」
「はい!ギオン様のおかげです!」
牽制の攻撃はたちどころに灰燼となり、もう目の前に迫った兵の並ぶ城門まで後少し。
慌てて「構え!」と言う声に合わせて重装兵の盾が隊を守るために並びはじめる。
ギオンは、縦で攻撃を一度受けてから反撃の体制をとるつもりなのだろうと思うと鼻で笑った。
一列に盾を構えた重装兵達は鼻で笑うギオンが全く止まらない姿に不安が増すばかりだった。
あの巨大が突っ込んできて止められるのか……
だが耐えるしかなかった。攻撃を凌ぎ、後ろで剣を持つ剣兵が盾を攻撃する獣人達を一人一人狙いをつけて重装兵の後ろに引き摺り込み、数人がかりで体を滅多刺しにして行動不能にするつもりだった。
時間も労力もかかるが獣人に戦闘意欲を失わせる残虐な方法を取ったが、効果を発揮するには重装兵が攻撃を耐えなければならない。
重装兵達は自然とギオンの攻撃を耐えるように盾を地面に置いて体を盾に当てて軸足を後ろに伸ばしてつっかえ棒のようにして構えた。
ギオンはさらに加速して重装兵に迫ると、右肩を前に出し、左手で右腕を持ち体当たりの体制になった。
「愚か者が! 人間の力で我々が止められるはずがなかろう!!」
ギオンは中央で盾を構えていた一人に体当たりをした。ぶつかった瞬間に地面を蹴り全体重と下半身の力を使って隊を穿つように。
想像以上の力の前に、生物など肉と骨でしかなかった。
盾がとんでもない速度と力でヴァイガル兵に押し返されるともはや事故でしかなく、重装兵から最後尾まで体当たりの力が貫いた。
ギオンは目の前に倒れ込み事切れた重装兵の盾を兵の腕ごと掴み、布でも扱うように振り回し始めた。
「退け退けィィィィ!!」
人間と盾を振り回すギオンの周りは、鎧と盾がぶつかり合う金属音と、振り回される兵のなのかはわからない肉と骨が潰れて砕ける音が否応にも耳朶に響く。
目の前の惨劇に呆気に取られてる間に、獣人中隊が一気に押し寄せて来た。
鬼気迫る怒りや憎悪が、ヴァイガル兵に怒涛のように迫り来る。ギオンは盾も人も形がわからなくなったものを放り投げて背中の大剣を握りしめてから吠えた。
ギオンの咆哮は、獣人兵に勇気と高揚感を与え、ヴァイガル兵に緊張と恐怖を植え付けた。
あんなに大人しかった獣人が、隠していた牙と爪、武器を振りかぶって確実に屠りに迫り来る。
――これが獣人戦争で我々の祖先が体験した恐怖か――
陣形を一人の獣人に最も簡単に打ち破られ、ヴァイガル兵が一様に感じた恐怖は、振り下ろされる大剣と獣人兵によって徐々にかき消されていく。
想定の甘さが生んだ城門前の惨劇は、何の反省も生かさない怠惰の結果でしかなかった。




