第五章 49:好転
ダイバ国剣舞館で試合が始まる少し前、ドァンク共和国とヴァイガル国を結ぶ街道の中間地点では、ドァンク共和国の傭兵が集結していた。
オルジアはゴブリン掃討戦で重傷を負い、エミグランが集めたヒール部隊の治療で回復に向かいつつあったが、まだ歩くのもままならない状態で戦線から離脱していた。
ヴァイガル国との前線はギオンが指揮をとっていて、ドァンクよりも遅れて自国の城壁近くに前線を張った。
すでに街道は全て通行止めになっており一般人の姿は皆無で、あとは両国共に号令のみ待つ状況となっていた。
ヴァイガル国の前線が小さく見えるドァンクの仮拠点で仁王立ちして相手の様子を見ていたギオンに獣人傭兵が駆け寄ってきた。
「ギオン様!」
「どうした?」
「エミグラン様より書状です!」
獣人傭兵から手渡された二通の書状を開いて目を通した。
全て読み終わる前にギオンが呼び出していたサイ、キーヴィ、ユーマがやってきた。
「ギオンのアニキ、どうしたんだ? そんな神妙に手紙を見つめてよぉ」
サイが気軽に尋ねるとギオンは書状を読み終えたうちの一枚をサイに渡した。
「俺、字が読めねえんだ。ユーマ読んでくれよ」
ユーマが書状を受け取って一度咳払いをして読み上げた。
「我が王国の懸命なる国民諸氏に告ぐ。国王とイクス教の神託のもと、我らが尊敬してやまない聖書記を奪い去ったドァンク共和国に対して戦いを宣する――」
「たたかいをせんするぅ? なんだそりゃ」
サイが顎に指を当てて不思議そうにユーマに尋ねた。
「これはヴァイガル国の宣戦布告の書状です。内容からヴァイガル国民に宛てられた書状かと……」
ユーマは神妙な面持ちで答えると、サイとキーヴィは驚いて飛び上がった。
「じゃ、じゃあよ、今ヴァイガル国と戦争してるってことかよ!!オルジアのアニキもいねぇってのによ!!」
「……ええ。いつ攻められてもおかしくないでしょう……ですが落ち着いてください。書状には続きがあります」
ユーマが落ち着くように言うもサイは予想どおりにいてもたってもいられず、椅子にたてかけてあった六尺棒をふんだくるように手に取ると
「こうしちゃいられねぇ! オレぁ先に行くぞ!!」
と言って一人ヴァイガル国の方へ走り出して行った。
「アニチィ!待ってくれよぉ!」
キーヴィも遅れて重い体を揺らしながらサイを追いかけて走って行く様子を、おそらくサイは落ち着いていられず駆け出して行くだろうと思ってその通りになった。
ユーマはギオンに向き直って尋ねた。
「戦争目的は敵ながら理解はできますが、ヴァイガル国民の避難はほぼなかったのでは?」
ギオンは一度唸ってから頷いた。
「左様。ほぼというか、皆無ではある」
「……国民は総意で納得し、我らと戦うつもりなのでしょうか……」
ギオンは顎を撫でながら、「そんな事はあり得ぬだろう」と否定した。人間よりも獣人の方が身体能力や五感にも秀でている。これは誰もが知る周知の事実だ。命をかけて戦えば人間側に大きな被害を与えることは間違いない。
獣人戦争は人間の知恵と魔石によって敗北し、人間こそがこの大地に住む頂点の生物であると認めなければ、獣人は絶滅していたかもしれない。
だが、その当時の記録を紐解けば、獣人はあと一歩のところで敗北を喫してしまった。ギリギリの戦いであり、獣人の社会的地位が人間よりも下である現在の状況をかけてまで獣人と争う理由などないはずだった。
色々と腑に落ちないユーマはまた書状に目線を落として声に出さず読み始めた。
宣戦布告の一文以外は、聖書記の歴史、法曹で聖書記が担った役割を書き連ねられていた。
「イクス教神殿でヴァイガル国が行ったことを思い出すと、綺麗事にしか見えぬな」
ユーマが書状を読む目線を見て、ギオンは鼻を鳴らしながら吐き捨てるように言った。ユーマもその通りだと思った。
「重要なのは二枚目だ。」
「二枚目……」
「エミグラン様からのものだ。心して黙読せよ」
ユーマはまだ続きがあった一枚目をめくって二枚目をざっと見ると、流暢な文章がびっしりと書かれており、最後にエミグラン・クラステルエミグランのサインが書かれており身が引き締まった。
ギオンに言われた通り黙読で読みすすめた。
――彼の国は聖書記を取り戻すためという理由でドァンク共和国は攻め入る事を宣言した。
これはわしの予想通りの展開であり、事が起きる前に我が国民を非難させる事ができたのは、オルジアをはじめとする傭兵達のおかげだと深く理解している。本当にありがとう。
最前線に立つお主達には、わしが考えている此度の軍事行動の目的がある事を伝えておこうと思う。
まず一つに聖書記をドァンクに誕生させる。これは彼の国がドァンクに向けて戦いを仕掛ける目的になる。わしは数百年ぶりに彼の国に入国して確信したのだが、彼の国は聖書記を襲名させる正しい儀式を行ってはいない。今は形だけの儀式が行われているだけで、聖書記の力は失われておる。――
「聖書記の力が……」
思わぬ告発にユーマは固唾を飲む。これまでの常識であった聖書記の存在をエミグランが否定した重さはギオンの無愛想に見える表情からも容易に読み取れるほど深刻さを物語っていた。
――そこで奴らは聖書記が誕生する刹那、本物の力を持つ聖書記を奪いに来るはずだ。その戦力を削ぐため、お主達には陽動の意味を込めて国境に前線を作ってもらった。しかし、わしがお主達に求める役割の本筋は陽動ではない。お主達には機会があれば彼の国に攻め入って欲しい――
「なんと……!」
獣人が、ヴァイガル国に対して防衛ではなく攻撃する。これは誰もが獣人戦争を思い浮かべてしまうし、ユーマも同じように思い浮かべて驚きが言葉となり口から意図せず漏れた。
――わしは『獣人殺し』の異名を持つにも関わらず、多くの獣人に支持を得て今のドァンクがある。大切なわしを愛してくれる住民達のために成し遂げたい目的がもう一つの軍事行動の目的となる。
獣人戦争から続く悪しき慣習を無に帰すために必ず彼の国と事を構える必要があった。戦争の勝敗で作られた立場を覆すには戦争しかなく、その機会を得たと言ってよい。今がその好機だ。
わしが最大の懸念、彼の国が有する脅威としていたアルトゥロは、ダイバ国にいる全てを知る者の持つ聖杯に気を取られている。アルトゥロの居場所が掴めないが、おそらく奴の興味は全てを知る者のみ。こんな機会はおそらくもうないだろう。
わしは恐れ多くも全てを知る者も陽動として今ダイバ国にいる状態を狙って作り出した。
戦争の結果で決定されたヒトや国の立場は未来永劫変わらない。獣人戦争と言う馬鹿馬鹿しい名前の由来すら知らない者がほとんどだ。
わしは何百年と続いたヒト支配のこの大地に真の平等を生み出すため、彼の国を滅ぼし、ヒトと獣人が真に共存する国を生み出す。そのためにはお主達の力が必要だ。アルトゥロがダイバ国に気を取られている今、その好機と認識せよ。――
ヴァイガル国を攻め滅ぼす。ユーマはあまりに壮大なエミグランの意向に油汗が滲み出た。
国を崩す。
口に出して話すことなど出来るはずもなく、黙読せよと言ったギオンの真意がようやくわかった。
全てを読み終えたユーマは、書状を丁寧に元通りに折って渡すと、ギオンは少し笑みを見せた。
「ダイバ国にユウト殿を向かわせた理由は、今の状況を生み出すためのもの。と言うことらしいが、フフフ……随分と思い切った事をされる……」
ギオンは書状を懐に収めると、大きな鼻息を鳴らして両手で頬を叩く。
「フウウウウゥゥ……血が沸る……熱くなっておるわ」
「ギオン殿……書状の通りに動かれるおつもりか?」
主語のない会話は、万が一の情報漏洩を防ぐためで、ギオンもユーマの意図はくんでいた。
「無論……それが我が国の代表が望まれるのなら、某は従う事が理というもの……今の状況を逆手に取り獣人の状況を覆すには通らねばならない道だ」
重い言葉に命を賭す覚悟を感じたユーマは気押され、見えぬ圧に半歩下がった。
ギオンはユーマに鋭い視線を向けて続けた。
「お主もそう思うだろう?」
ギオンの視線は、ユーマの奥に向けられていた。
視線の先に立っていたのは、覚悟を決めた顔つきでギオンを一点に見つめていたアシュリーだった。
「はい。」
「エミグラン様の護衛は良いのか?」
「リンがおりますので問題ありませんし、なによりエミグラン様がここ行くよう命じられましたので」
「なるほど……しかしその顔つきは某たちよりもより多くのことを聞いてきた顔つきであるな」
確かに、とアシュリーのこれまで見た事がないほどの神妙な顔つきを見てユーマはそう思った。おそらくエミグランから何か聞かされてからこちらにきたのだろうと推測できるほどに。
アシュリーの顔つきは緩む事なくギオンをただ見つめていた。意中で一つの言葉を待っていた。
ギオンもアシュリーの思いは痛いほどわかっていた。
「よいのだな?」
ギオンはアシュリーに覚悟を問う。
アシュリーは間髪入れずに頷いた。
「……ならば言うことはない。参るぞ」
ユーマは二人の間に言葉を差し込む事が出来なかった。二人の覚悟を揺らがせる事など出来るはずがないと感じ取っていたし、何よりユーマが歴史が動く瞬間に自らが関わる事など考えもしなかったからだ。
――時の流れを誰も止める事が出来ないように、流れていくしかない……これはエミグラン様が言うように好機なのだから――
獣人が真の平等を得るために、三人はそれぞれ武器を手に取り、ヴァイガル国に向かった。




