第五章 47:黄金
「シロ、まずいって……どういう事なの?」
『さっきも言ったろう? あのマナの使い方は命を燃やしてるんだ。ずっと続けば命が燃え尽きる。つまりマナが尽きて死ぬんだよ』
相手の命を奪うと失格負けが確定する。
「でも、そうならないようにこのリングをしているって……!」
ユウトは手首につけた小さな魔石がついたリングをシロに見せた。
『……私が見たところ、その魔石には確かに命の兆候を調べる力はある。けれど他にも別の術式が組まれているのだよ』
「どういう事だよそれ!」
『……簡単にいうと、命の兆候を調べる他に何かの効果があるという事だよ。もしかしたら兆候を調べる仕組みを封じているのかもしれないし、他の効果なのかもしれない』
ローシアは徐々にいきりたつユウトを落ち着かせるため「落ち着きなさい」といって腕を引き、代わりにローシアがシロに尋ねた。
「その別の効果はなんなのよ!今から調べてわからないのかしら?」
『私の知らない術式だからね……解析にはこの私の知識でも少し時間がかかる。少なくとも試合が全て終わるまでに終わるものではないよ。そもそも彼女の腕についているリングが君たちと同じ効果を持つものなのか……それさえもわからないのだよ』
ユウトは「そんな……」と嘆いて舞台で闘う二人に視線を向けた。
「同じだったらあんな無謀な闘いはしないワ……」
ローシアは恨めしそうに闘う二人を睨む。
『彼女の意思なのか、それとも誰かの命令なのかわからないけど……命を差し出してこの試合を決着させるつもりだよ。最初の試合に負けた時にそうするつもりだったのか……少なくとも私が一番嫌いなやり方だ』
ローシアは冷静に状況を言葉にしたが、気が気ではなかった。
「ダイバ国側が例えレイナを無惨に殺したとしても、死んでないと言えば向こうの勝ちにできるってワケね……」
言葉にするとあまりにも受け入れられない結論になり、姉妹の絆で――負けを認めて!お願い――と語りかけるも、レイナは何も反応しなかった。
ローシアに落ち着くように諭されたユウトだったが、シロの推測に徐々に怒りが込み上げた。顔が紅潮し、全身が意図せずふるえるほど拳を握り締めた。
「試合なのに……戦争なんかじゃないのに……命をかける必要なんてないのに……」
ローシアもユウトと同じことを考えていた。だが、命を軽んじてまでも得たいものがあると考えると一つの答えが浮かぶ。
ユウトの存在、つまりカリューダの聖杯だ。
どうしてもユウトを舞台に上げるためにジュリアが命をかけているとしか思えなかった。
シロもそれをわかっているらしく、シロの視線はマリアを捉えていた。
遠くから見てもジュリアが命懸けの闘いを仕掛けているにも関わらず、ただ行く末を見守っているだけでジュリアの行動に慌てる様子もなかった。
『……全く、相変わらず悪趣味なやり方だ』
シロは尻尾を股の下に隠して目を細めた。
レイナはジュリアの猛攻を凌ぐのに精一杯だった。何度も棍棒を吹き飛ばし、その衝撃で腕の骨の至る所を折ったがすぐ患部に水蒸気が巻き起こって回復する。
鬼気迫るジュリアの猛攻と自らを鼓舞するような奇声が防戦一方になってしまっているレイナの心をも攻める。
「あああ……!ああああアアアアアアア嗚呼ァァァァ!!」
人の心と痛みを失った女狂戦士は、視線も定かではなくなって上目になり、白目が目立つ。
レイナを視線に捉えると
目の前の全てを破壊するためだけに棍棒を振り回す。
その様子は恐怖を覚えたが、敵ながら哀れにも見えた。
レイナは攻撃を次々と生み出す風の玉を操りいなしていたが
「!!――」
レイナの踵が舞台の端にかかった。
――いつの間にこんなところまで!――
もう下がることが出来ないレイナに棍棒が横薙ぎに飛んでくる。
後ろに気を取られていたレイナは僅かに反応が遅れたが、風の玉をすぐに生み出して棍棒の軌道に合わせる。
しかし僅かな油断で、風の玉の密度を棍棒を弾き返すことができるほどまで集めることが出来なかった。
直撃の間際まで風の力を集める。目の前に迫り来る棍棒に向けて風の玉の力を全開放させる。
目算通り、棍棒の勢いを僅かに緩めるだけで棍棒の直撃を腕をたたんで受ける。
「……っぐ!!」
ミシリ、と腕の奥から音がすると体の自由を全て棍棒が薙ぎ払う。
舞台の端を沿うように吹き飛ばされ、二回、三回、四回と転がった。
レイナが転がるたびに歓声が湧き上がると、応えるように狂戦士と化したジュリアがレイナに駆け寄る。
「アアアアアアアアア!!イイイァィィィィ!!」
猿叫のような叫び声はもはや人のそれではない。
レイナが顔を上げると、羽虫を叩き潰すかのように棍棒を肩から振り下ろそうとジュリアが迫る。
――ダメだった……足りなかった……目の力が出ない……――
レイナは、大声で危険を呼びかけるユウトに視線を向けると、今にも舞台に上ってきそうなユウトがとても優しく見えて嬉しく思った。
――全然役に立たなかった……ごめんなさい、ユウト様……
「レイナァァァァァァぁぁぁぁ!!」
ユウトがレイナに向けて届かない右腕を伸ばす。
今すぐに腕を掴んで側に引き寄せたい。レイナを守りたい。
そう願って右腕を伸ばしたユウトの目は紅く色を変え、右腕は深緑に染まっていた。
舞台に手をかけて登ろうとした時、ジュリアの棍棒は無常にもレイナの頭上から叩きつけられた。
「レイナ……」
「イイ……イイイイイイイイイイ!!!!」
ジュリアは天井を見上げて恍惚の声を漏らす。もう決まったはずだった。だがジュリアは棍棒に視線を戻すと怒り狂ったように、まるで忌み嫌う虫を形すら恨むが如く何度も棍棒を振り上げ同じ場所を叩き付けた。
その度に舞台が震えた。棍棒を叩きつける振動がユウト達にも伝わってくる。
「レイナ……」
「なんて……ことなの……」
ローシアが結果を見れるはずもなく、しゃがみ込み両手で顔を押さえていた。
『――!!』
シロが両耳を立てた。
――この気配……まさか……まさか君が!?――
ジュリアは気がついた。叩き潰しているはずの肉塊と骨を潰している感覚がなかった。
十全に叩き付けた場所を見たがどこにもレイナの姿は見当たらなかった。
「どこを見ているのかしら」
突然頭上から声が降ってきたジュリアは上を向くと、レイナが自分の頭の上に足を組んで座っていて
重さは全く感じなかった。
「随分と体が痛いわ……記憶も朧げだけど、貴女の仕業ね?」
するりと滑り落ちるようにジュリアの頭から降りたレイナは、ジュリアに背を向けたまま尻を何度か叩いて背伸びをした。
「レイナが生きてる……生きてるよ!ローシア!」
ローシアはユウトの言葉ですぐに立ち上がり、涙目を擦ってレイナの無事を見届けると、妹の名をボソリと呟いてポロポロと涙が溢れた。
シロは興奮のあまり尻尾を激しく振っていた。
『フフフ……まさか君とまた出逢えるとはね。久しぶりだね……マーシィ』
レイナの双眼は、ローシアの目の力よりも一段と美しく金色に輝いていた。
一番驚いたのはローシアで口をパクパクさせて言葉が出なかった。
『なるほど……焦るわけだ。無理をしてでも聖杯を手に入れようとする目的がわかったよ……』
シロはローシアと同じように口を開いたままのユウトを見上げた。
自分が何をしたのか、まだわかっていないユウトの唖然とした顔を見て鼻を鳴らして笑った。
レイナは金色の瞳をジュリアに向けると、ジュリアの全身を一度舐めるように見て「なるほど」と理解したように言う。
「随分と命知らずなことをするのね。まあいいわ。来なさい」
右手を前に出して下から手招きをすると、ジュリアはまた叫び出して棍棒を担ぎ飛びかかる。
「随分とわかりやすいのね、貴女」
レイナは飛びかかるジュリアの間合いに詰め寄り、振り下ろそうとする刹那、両肘に手を当てて軽く押した。
肘が伸び切る瞬間にほんの少しだけ逆向きに力を与えると、ジュリアの手に持った棍棒の重さも全てが反発する力となって肘に返った。
まず、両肘が砕けた。
「そんなに上半身に力を入れると腰より下、特に膝に意識が回らなくなるものよ」
腰から上半身にかけて力を込めていたジュリアの下半身が緩んだ隙に、レイナの踵が素早くジュリアの両膝を打ち抜き、砕いた。
「ガッ……!」
ジュリアが糸の切れた人形のように舞台に崩れ落ちた。
倒れ込みもがくジュリアの両肘と両膝が途端に水蒸気が立ち上る。
レイナはジュリアを見下ろして。
「どうやったら私に立ち向かえるか、少し考えなさいな。」
と言ってすぐに視線をユウト達に向けた。
そして走って駆け寄ってくると舞台の上から二人と一匹を屈んで視線を動かす。何かを見つけたようにユウトで視線を止めるとをみて自然と笑顔になった。
「なるほど君なのか……ん?君は……カリの聖杯を持っているね……んん?どう言うことなの?」
『やぁ、マーシィ。久しぶりだね』
「んんん? その声は……君がカリなの?」
シロを見つめて不思議そうに尋ねた。
『そうだよ。まさか君とまた話せる時が来るなんてね……思いもしなかったよ。それにしても相変わらずの身のこなしだね』
「フフフ。ありがとう。でもカリとお話しする時間もそう長くなさそうなのよね。すごく不安定な感じがするの……この体は私のものじゃないのよね?」
『そうだね。その体は君の子孫のものだ……そして今は君が死んでから五百年経っているんだよ』
レイナの姿をしたマーシィは目を丸くして指先で口元を隠して「まぁ」とおどけるように驚いて見せた。
「カリの事だから何が起こっても驚かないけど、ヘンテコな術でも使って知識だけ生き延びているってことなのかな?」
『私の魔術をヘンテコだとは心外だな。犬の姿になったのは別の要因だ……それに私の魔術は知識と知恵の結晶と呼んでくれたまえよ』
「フフッ……そうね。カリは私たちよりもずっと賢くって先のことを考えていたものね。それこそ私たちが知り得ない未来の事も。」
どよめく剣舞館。舞台の端で水蒸気が消えた。
ジュリアは壊された両肘と両膝を治して既に立ち上がっていた。
『君とのお話は興味深くまだまだ続けたいところだけれど、時間もない……その体の子の意識があるのならすべき事はマーシィにもわかっているはずだね?』
「ええ、もちろんよ……それに」
ローシアは美しい黄金の双眼に見惚れて、締め直していた眼帯を外して黄色の瞳を見せた。
マーシィはニコリと微笑み
「あなたも私の子孫なのね、こうして会うことができて嬉しいわ」
見た目はレイナに違いない。だが、言葉のぬくもりや節々に感じるレイナとの違い、そして疑いようもないほど金色に輝く双眼は、小さい頃から眠る前に寝かしつけるために聞かされていた魔女マーシィの伝記で読み聞かされた話と同じだった。
マーシィにジュリアが四肢を獲物をおう獣のように使い、もはや人の尊厳すら失った姿で迫っていた。
ローシアはジュリアに視線と指を向けて「来ます!マーシィ様!」と注意を促すとマーシィはニコリと微笑んだ。
「大丈夫よ、見てなさい」
マーシィは振り返って指を鳴らす。
マーシの周りにレイナが詠唱して生み出せる風の球を無数に生み出した。
その数、ゆうに五十を超えていた。
ジュリアは風の球が突然現れ、慌てて止まろうとした瞬間に、マーシィの指を鳴らした人差し指をジュリアに向けると、全ての風の球がジュリアを襲う。
「ガ……ううううううううう……アアアアアアアアア!!!」
ジュリアは無数に飛んでくる風の球を一つ一つ見極めながら避けた。棍棒を押し返すほどの風をまともに喰らえば舞台から落ちるだろうと判断した。
痛みも快感も苦しみも喜びもマナに支配されたジュリアの中に僅かに残る人間性が危険を感じて防衛本能に突き動かされた。
風の球は避けても追撃してくるため、ギリギリで避ける。逸れた風の球が舞台に触れるとはじけてその場所に突風が巻き起こる。足元ではじけた風の球が一瞬だけジュリアの体の自由を奪うほど強烈に吹き荒れてバランスを崩す。しかし
「ウアアアアウアアアアアアアア!!」
ジュリアは声ではなく騒音に近い雄叫びで自らを鼓舞してまだ迫り来る風の球を避ける。叩きつけるように襲ってくる球を身軽に避け続けた。
「あら、力だけかと思ったら速さも兼ね備えているのね」
マーシィは腕を組んでジュリアの様子を眺めていた。風の球は舞台にぶつかって突風になり、半数ほどが消滅すると、組んだ腕を解いた。
「避けて避けて一撃必殺……そんなマナの使い方で魔女に抗えると結論づけたのなら、貴女は私に触れることすらできない」
マーシィはまた指を鳴らした。
「ウ……ウウウウウウウ……ウウウウウウウ!!!」
マーシィの周りにまた風の球が生まれた。
うめきながら必死で避けるジュリアは、目の前で悠々と佇むマーシィを動きながら睨みつけるが、一歩も近づけない事態に怒りから焦り、そして永遠と避け続けなければならない恐怖が、内面に潜むジュリアを襲っていた。
「私、貴女にどうやったら私に立ち向かえるか考えなさいって言ったわね?」
ジュリアの心を見抜いたように言うと、マーシィが両手を上に広げた。
風の球はマーシィの頭上に一つになり始め、あっという間に集まった。
あまりにも巨大な風の球が出来上がり、ジュリアは残り少なくなった小さな風の球を避けながら後ろに下がった。
「答えは……戦わない事。言い方悪いけど尻尾を巻いて逃げることね」
マーシィは頭上の巨大な風の球を、ゆっくりとジュリアに向けて放った。
まるで巨大なシャボン玉のようにゆるりと、そして今にもはじけてしまいそうなほど歪んで山なりにジュリアの方に飛んでいく。
「だって、私は魔女だから……どんなに人間が頑張っても勝ち目はないの。」
マーシィは指を鳴らした。風の球の中で荒れ狂う風と、その境界線の薄い膜が破裂音と共に破れてジュリアの周りに途端に暴風が吹き荒れた。
風が荒れ狂う。真横に殴りつけるような風が巨大な球の膜から出きると、舞台の僅かな埃や小石を簡単に巻き上げた。
「見てくれている人たちには迷惑にならないようにしないとね」
またマーシィが指を鳴らすと、巻き上がる風は天井から吹き下ろして舞台にぶつかり、渦を巻き始めた。
埃や土やゴミを巻き込んで風は薄く灰色に見えて、観客も今舞台の上でとんでもない竜巻が出来ていることがわかった。
風の中心にはジュリアが踏ん張って、顔に永遠と吹く突風で息苦しく、腕で口元を庇いながら踏ん張っていた。
突風にというよりも壁がぶつかってきたような衝撃を受けたジュリアの体は、なんとか踏ん張ってはいるが、もう耐えきれるものではなかった。
風がジュリアの足の下に潜り込んで持ち上げるように右つま先がふわりと浮く。それを踏ん張って耐えると左つま先がお留守になって今度は左足がふわりと浮きそうになる。
両足をしっかりと地につけて、風はいずれおさまる。そう信じるしかなかった。
「バカね。どこ見てるのかしら」
風の中からマーシィが飛んできた。
そして、口元を隠していた両腕を突き飛ばすように飛び蹴りが決まると、ジュリアの重心が後ろに移動して、風はその隙を見逃さなかった。
ジュリアはあっという間に天井に放り投げられたように舞い上がった。
まるで木の葉のように、いとも簡単に。
「ウアアアアウアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
四肢をばたつかせるジュリアの健闘虚しく、風はジュリアに遠心力を与えて風から弾き飛ばした。
飛ばされたジュリアは、観客席の壁に叩きつけられ地鳴りのような衝撃音が剣舞館に響き渡った。
誰が見ても勝敗は明らかだった。
マーシィは胸元に手を当てた。
「……わかった? あなたはこうやって戦うのよ。大切な人を守りたいのなら、あなたがもつ力を恐れてはダメ」
心の中から返事が聞こえたような気がした。気のせいかもしれないが、レイナの体に宿ったマーシィは、レイナの記憶を共有していかに辛い運命を辿って来たかを知り、魔女の末裔に伝えなければならないことを残り少ない時間で伝えなければと言葉を選ぶ時間すら惜しみ、端的に語りかける。
「あなたには才能があるの。恐れてはダメよ……でも、ごめんなさいね……あなたの記憶も私には見えたの」
「レイナ……レイナァ!!」
ユウトが必死に舞台に上がって駆け寄ってくる様子をマーシィは優しい眼差しで見つめた。
ユウトの呼びかけに反応するように、レイナの意識が深層から呼び起こされると、マーシィの意識が表層から遠ざかり始めた。
「守るために……生きるのよ、何があっても……あの人と……ね」
金色の双眼は色を失いつつあった。マーシィは途端に体が重たくなりふらついた。
舞台に上がってきたユウトを追ってシロも駆けて来ていた。
マーシィは最後にシロに朧げな視線を向けた。
「……あとは……よろしくね……カリ……」
そしてレイナは舞台に吸い込まれるさように突っ伏して倒れこんだ。




