第5章:46 狂気
ジュリアに余裕はなかった。笑みを浮かべて相手に情報を探らせないようにしていたが、相手は手の中に恐怖も渦巻く風の球が出来上がっていて、唸る音は生唾を飲み込むほど恐怖だった。
――あれはまともに喰らえば意識ごと吹き飛ばされそうね……――
相手の戦闘能力はわかっていて、扱う力や能力で先手を取れるように試合を組まれていた。
レイナは風の魔法と刀を用いて中近距離の戦いを得意としている情報を得ていて、三姉妹ではジュリアが適任だとシエルマ国防参謀が二番手のレイナの相手に推した。
風など巨大な岩石の前に意味がないように、力で棍棒を扱うジュリアならレイナの相手として不足はなく、むしろ有利であるだろうとの見立てだった。
シエルマは試合前にジュリアにアドバイスをしていた。
――魔法は詠唱をさせなければ発動はしません。試合開始までに詠唱を済ませていれば一度はいなす必要がありますが、いなしさえすればあとは詠唱させる間もなく場外に落とすなりすれば良いのです!ガッハッハ!――
手持ちの武器は壊した。あとはあの魔法だけだと棍棒を振り回し始めた。
吹き荒ぶ風をものともせず、棍棒はジュリアを中心にして円を描く。
「我が一撃を喰らいなさい!」
棍棒の遠心力を利用し、全身の力を使ってレイナを狙う。先ほどとは比べ物にならない速度で棍棒がレイナに迫る。
レイナは乾坤一擲の一撃を狙っていた。
奥歯を噛み締めて、風の球を二回り小さく圧縮すると、迫りがくる棍棒に向けて放つ。
圧縮の束縛が解放されて、棍棒に向けて風の力が放たれると、突風が棍棒に襲い掛かる。
景色が歪んで見える程の風は棍棒を押し返す。ジュリアの腕に風で押し返される負荷が一気にかかる。
遠心力で勢いをつけた棍棒が止まりかかった。
「負けて……たまるもんですかぁぁ!!」
手首を返して棍棒を振り抜けば魔法は掻き消すことができると信じて耐え、押し返す。肩から筋繊維が潰れるような音が伝わる。
レイナもジュリアも負けられない戦いを背負い、死力をぶつける覚悟があるため、無事に終わろうなんて考えていなかった。
――この身が砕かれても……勝利を!――
鍔迫り合いのように競り合いでわずかに力が弱まったのはレイナだった。
風の球が持つエネルギーを永遠と使い続ける事はできない。
棍棒から伝わる拒む風の力が弱まったことをすぐに感じ取ったジュリアは
「残念!もう終わりね!!」
覇気を声に乗せて棍棒をレイナに押し込むように力をこめる。
「……くっ!」
風のエネルギーが、棍棒とジュリアの腕力に負けてかき消され、空気が弾けた。
風によって遮られていた棍棒が解き放たれて、勢いよくレイナを打ち飛ばす勢いで振り抜かれた。
レイナは瞬時に後方に飛んで間一髪避けた。木剣を簡単に壊されたレイナの武器は魔法しかなく、地面に着地する前から詠唱を始める。
「もう魔法は使わせないわ!」
レイナの詠唱を阻害するように、棍棒を振り回してレイナを狙い続けた。
巨大な棍棒は的確にレイナを狙って追いかけるように追撃が飛んでくる。
――詠唱が……できないっ!――
集中して詠唱することを阻害するようにジュリアは執拗にレイナを狙い続けた。レイナはなんとか避けて後退する。
ユウトが懸命に舞台を何度も叩いてレイナを応援する後ろでシロはローシアの頭の上に乗ってお座りしていた。
『まずいね……』
「……確かにまずいワ。レイナの立ち位置がどんどん削られている。詠唱する暇も与えるつもりもないワ」
『もし私が君の妹と戦うことになれば同じことを考える。武器を奪い、魔法を使わせなければただの人だよ』
「くそっ……レイナも目の力が使えたなら……あんな筋肉女なんて……」
『君の妹も使えるのかい?マーシィの力を』
シロが頭の上から落ちないように気を遣いながら頷いた。
「魔法ならアタシなんかよりレイナの方が格段に上なんだワ……でも……」
『魔女狩りの件だね……』
またローシアは小さく頷く。
「ドワーフの村で一度使って以来、今までまともに使ってこなかったんだワ……レイナが一番魔女の力を憎んでいたから……」
『……全く耳が痛い話だよ。私の没後はよほどひどい世界だったのだね』
「でも、そんなのはもう関係ない。アタシはもう覚悟を決めた。魔女の末裔であることを隠さない。あとはアンタ……アンタの心一つなのよ……」
ローシアは祈るように手を組んで口元に寄せた。
レイナは後退りして踵の力が抜けた。
後ろに視線を向けるといつのまにか舞台の角の際まで追い詰められていた。
――いつのまに……――
レイナの動きを棍棒を振り回しながらコントロールして、角に立たせたジュリアは笑顔になった。
「さあ、追い詰めたわ。もうこれで最後ね……何か言いたい事はあるかしら?」
「……」
「あの男の子……お姉様と当たることになるけど……可哀想に……あなたが勝てば終わりだったのにね、残念ね?」
レイナはユウトに視線を向けると、必死に応援して何かを叫んでいた。
きっと今の状況でも応援してくれている。追い詰められても勝つことを疑わずに声援を送ってくれてるのだろうとすぐにわかった。しかしあと棍棒を一度か二度振り回せば場外に押し出されるのに、まだ勝利を信じているのだろうと思うと自分が情けなく、しかしそれでも勇気が湧いてきた。
レイナはジュリアと会話して少しでも時間を稼ぐ事にした。決着がつかなければ打開策はある。あとは少しの勇気だけが必要だった。
「……あなたはこの国を代表する立場だから、私たちのような下賎な人間のことはわからないでしょう……」
「あら? ようやく喋る気になったのね?」と相槌を返すが詠唱が始まればすぐに棍棒を振る準備はできていて抜かりはなかった。
「私は……諦めない……」
ユウトがボロボロになっても勝ち目なんてなくても勇気を振り絞って戦った事を知っていた。命が狙われる立場であっても、助けるために勇気だけしかなくても。
まだ諦めずにずっと応援してくれているユウトに顔向けできないような情けない姿など見せたくはなかった。
首から下げていた双子花の宝石を手で覆った。
――ユウト様……私に……勇気を少しだけ分けてください……――
呼吸を整えて、深く吐き出す。
「――風よ」
剣舞館の空気が途端に澄んだ。
舞台外にいたマリアがレイナの様子を見て「何をしている!早く決着をつけなさい!」と大声でジュリアを咎めた。
マリアに怒鳴られたジュリアは、何かが起こるのだとすぐに察知して棍棒を勢いよくレイナに振り抜く。
「レイナ!!」
ユウトの叫ぶ声は、鈍い音共に舞い上がったレイナに届いたが、意識は途絶えて聞こえていなかった。
「――勝った!」
手応えは充分。芯をとらえた一撃がようやく見舞えたジュリアは心臓が高鳴った。
宙に舞い、場外に落とすには十分だと目算していた。
「レイナぁぁーーー!!」
――魔女なんて……いなくなればいい……この世から全て無くなってしまえばいい……でもそれは私たちを全て否定する事……もし魔女がいなくなるなら私の命を賭けてもいい……そう思ってた……でも――
――死ねない……死にたくない……私はユウト様と生きたい……共に二人で生きていきたい……魔女なき世界を生きていたい! せめて……せめてユウト様だけは……!!――
レイナはキィーンと耳鳴りのような音で目覚めて目を開けた。
空中に飛ばされていた。頭から落ちていてもうすぐ落下して地面に叩きつけられるとわかると手を地面に向けた。
すると、レイナの落下はぴたりと止まった。場外の床にあとほんの少し。全く落ちる気配はなかった。
間近で見ていたジュリアは「な……なんてこと……」と驚きと悔しさを吐露した。
空中で片腕で逆立ちするように止まると、剣舞館がガタガタと音を立てて震え出した。
その正体は風だった。風が剣舞館に向けて吹き荒れてまるで嵐の中にいるようにガタガタと震えていた。
あまりの震え方に観客が響めき始めたと同時に、剣舞館の全ての扉や窓が大きな音を立てて開かれて風が剣舞館の中に荒れ狂うように入ってきた。
『……これは……まさにマーシィの魔力の顕現だね』
風で頭から落ちそうなところをローシアに抱きかかえられて目を細めた。
「でも……でも目が……目が変わっていない!」
ローシアが指差すレイナを見ると、うっすらと開かれた目の色は変わっていなかった。
『ふむ……これは興味深い……これは彼女の才能なのか……』
「あんなに巨大な力を目の力なしで扱うなんて……アタシでもできないのに……」
『それはそうだろうね……まぁその話は一旦置いておこう……彼はどうしているのかね?』
ローシアはあまりの風の強さに立つことすらままならず伏せてから見回すと、舞台にしがみついて風を腕で遮りながらレイナを応援しているユウトを見つけた。
シロを抱えて体の自由が効かないほどの風のうねりを耐えて近寄ると、首根っこ掴んで舞台よりも低く頭をしゃがませた。
「バカ! あんな力の前に無防備に立ってるんじゃないワ!」
「で、でも!レイナを応援しないと! 一人で戦ってるんだ!応援しないと!レイナ一人になってしまうよ!」
シロはこんな時でも自分のことなどそっちのけで他人を応援するユウトに呆れてため息をついた。
『仕方ないねまったく……』
シロはユウトのポケットに顔を突っ込み、何かを咥えて取り出してユウトの手に置いた。
『君の身の安全のために忍ばせておいたエミの屋敷で使う結界の魔石さ。元は私が編み出したものだから間違えて持ってきていないぞ? これを使いなさい』
「あ、ありがとうシロ!……でも、これどうやって使うの?」
「ああああもうめんどくさいワね!! 貸しなさいよ!」
ローシアはユウトから魔石をぶんどって握り込む。魔石が手の中で光り始めて淡い黄色い光が二人と一匹を包んだ。風の唸る音は聞こえるが、風はおさまっていた。
『物理的な攻撃を想定した結界の魔石だからね。音は聞こえるけど風は遮れる』
「ホントだ……すごいよシロ!ありがとう!!」
顔を両手で挟まれてわしゃわしゃとかき混ぜられるように撫でられると『き、君!やめたまえよ……あっ……君!』と次第にうっとりした顔になって尻尾を振り出した。
ローシアはそのやりとりをしらけた目で見守って
「やっぱ色んな意味で見た目通りなんだワ……それよりもっ!! アンタ!レイナの応援は!?」
ローシアに頬をつねられて無理やり視線をレイナに向けさせた。
逆立ちの姿勢で空中に止まる奇跡を目の当たりにして、剣舞館の全ての人が唖然とし、どよめく。
人が空を飛ぶなんてあり得ない。ダイバ国のほぼ全員が奇跡を目撃していた。そして、ほとんどの観客に一つの結論が出る。
――やはり魔女なのだ。この女は――
誰もが信じざるを得ない光景だった。まだローシアが見せた音速の動きはタネも仕掛けもあるという方が腑に落ち、宙に浮くレイナの姿は奇跡的で異様だった。
レイナは地面に向けた手を返すとくるりと時計の針のように回転して頭を上に向けるとふわふわと浮いていた。
マリアは眉を顰め「マーシィ様の力か……」と呟いた。
レイナはジュリアに向けて指差すと風が集まりジュリアだけに突風が吹く。
そして両腕を広げて空中歩行を始めた。ゆっくりと、場外に落ちずに、風の道を歩いてジュリアのもとへ真っ直ぐに。
ジュリアには異様な光景にしか見えなかった。手応えはあったし意識も飛んだはずだった。体のダメージも相当なものだろうと思えるほどに手応えはあった。
「くっ……そおおおおおお!!」
レイナを舞台に戻さないようにもう一度振りかぶって横薙ぎに棍棒が迫る。
レイナは立ち止まってから手のひらを上に向けて棍棒が迫り来る方向に向けた。
そして、ふっと息を手のひらに吹く。
――!!
途端にジュリアの手首の返りが急に跳ね返えされる。棍棒の重さが何倍にもなって弾き返された。
「――嘘……」
試合前にシエルマから聞いた話だと、魔法の力は巨大になればなるほど詠唱に時間がかかるらしく、口元の動きを見て何も詠唱はさせていないはずだった。少なくとも先ほどの風の球を生み出すほどの時間は与えていない。
しかし、先ほどの風の玉とは比べ物にならないほどの風の力が棍棒に加わった。まだ大地を力一杯殴る方がマシだと思えるほどだった。
「風は――拒否する」
レイナはさらに手のひらへふぅと口を窄めて息を当てると、また棍棒に突風が直撃した。
「――ぐっ!!」
先ほどの一撃で痛めた手首に追い打ちをかけるように突風が棍棒を押しやった。
ふっと吹いただけで棍棒を押しやるほどの風を生み出し、宙で留まるレイナを見上げると、無慈悲な目で見下ろしていた。
「何よ……その目は……見下すなんて身の程を知りなさいよ!」
ジュリアは風で棍棒を吹き飛ばす相手に今までの力で立ち向かえるはずがなく、少しの時間だけでもレイナの力を上回らなければならない。
――マリアお姉様の前で敗北は許されない……なら、嫌いだの言ってる場合じゃないわ!――
手首の痛みを押さえながら苦悶の表情を浮かべているとレイナはまた宙を歩いて舞台に届くところまでがやってくると、ふわりと飛んで舞台に戻り、ジュリアに語りかけた。
「あなたを風で突き飛ばして場外に落とすことはすぐにできます。だけど勢い余って大変な事になるかもしれない。できれば負けを認めていただけませんか?」
ジュリアは耳を疑った。
「負けを認めろですって?」と聞き返すとレイナは小さく頷いた。
舞台外で見守っているマリアの前で認められるはずがなかった。
それは、姉への期待に応えるためではなく、負けた後のことを考えたら……だった。
追い詰められて四面楚歌。ジュリアは不思議と笑えた。笑いながら、三姉妹の思い出がいくつも溢れるようによみがえって、今は見ることがなくなった優しい母のように慕ったマリアの温もりが伝わる笑顔が浮かび上がった。
――マリアお姉様……ジュリアは必ず勝利をもぎ取ります……――
ジュリアは体のマナを完全燃焼させる方法を知っていた。
感覚として掴んでいたもので誰かに説明したり教えたりすることはできないもので、三姉妹ではジュリアだけ行える自己強化の技術だった。
しかし、ワモ、シエルマ、ホウリュの剣豪たちは口を揃えて使用を禁じていた。
何故ならマナを完全燃焼させる自己強化は寿命の前借りに他ならないと見抜いていたからだった。
本当に命をかけてたたかう時に使う。そう厳命されていまがまさにその時だった。
ジュリアは体内をめぐるマナの流れを意識的に加速させる。イメージとも瞑想中とも言えないあやふやな体感の世界から音が遠のき、脳内で聞こえる何かが潰され液体が絞り出されるような音が響くとそれは始まる。
過呼吸で胸を押さえて苦しそうに跪く。レイナはジュリアの体内で目まぐるしく動くマナを感じ取っていた。
――まるで命を燃やしているよう……危険ね――
ジュリアは両手で頭を抱え込み「うあああああああ……ぁぁぁぁぁ……」と体が炎に燃えるような灼熱を帯びて、体の水分が目に見えて蒸発していた。
無限に刺すような痛みがジュリアを襲う。レイナはあまりに苦しむジュリアを一思いに場外に飛ばそうと両手の人差し指と中指を重ねて四角を作り、そこに息を吹きかける。
息は恐ろしいまでの突風となり、視覚の枠の先に見えるジュリアを襲った。
「ううううううううううああああああああああ!!」
ジュリアは棍棒を突風に向けて振り下ろすが風に弾かれた。
「あああああああ――らあああああああああ!!!」
しかし弾かれた棍棒はすぐに止まってまた振り下ろされた。弾かれた衝撃をものともしない。
衝撃を逃す事など全く考えず棍棒で突風を受け切った。力と力のぶつかり合いはどこかに力が大きくかかり、大きな力が勝つが、全てジュリアの棍棒を持つ手から腕に伝わっていた。
もしかしたら骨が砕けるかもしれない、そんな恐怖は皆無で棍棒で防ぐ。
実際にジュリアの手首は砕けた。棍棒を地面にぶら下がるように持っていたが、痛みに悶えることはなく鬼の形相でレイナを睨みつけていた。
それどころか砕けたはずの手首から焼石に水を吹きかけたように濃く白い水蒸気が舞い上がると、ジュリアの手首は砕ける前の状態に戻っていた。
シロは狂戦士のようになってしまったジュリアを見上げてため息をついた。
『怒りを引き金としてマナを自分の能力以上に活性化させてしまったね……自己回復速度はマナの活性化によって何倍、何十倍にもなっている……確実なダメージは体を切断する事。骨が砕けたくらいではずっと回復し続けるし、彼女もそれがわかっているから壊される事に恐怖がないね』
ユウトは「そんなこと出来るんだ……」とシロに返すと、頷いてまたため息をついた。
『あれは私から言わせてもらうと命を燃やしている状態なんだよ。一人一人が持つ聖杯の許容量を遥かに超えている。人が魔女に憧れた成れの果てのようなものさ。耐えきれなくなって体が壊れてしまうよ』
ローシアもジュリアの行っていることが常軌を逸しているとわかっていても何も変わらずただ二人の戦いを見据えて鼻を鳴らした。
「レイナも似たようなものだけど……勝負はもうつくワ。思いっきり吹き飛ばせばいいのよ。相手は空を飛べないんだから」
『そうだね……いやはや……お互いに負けられないから出せる力を全てだしたのだろうね……でも』
ユウトが二人をじっと見つめるシロに「でも?」と続きを尋ねた。
『まずいね……非常にまずいよこれは』




