第五章 43:悪童
来賓席中央にはクズモが貴賓席に深く座り、右隣に同じような座り方でシエルマが、左隣にはホウリュが比較的浅く座って咳き込んでいた。
「ホウリュよ、今日はいつにも増して具合が悪いな」とクズモがホウリュを案じると「いえ、大丈夫です……ゴホッ!ゴホッ」と強く咳き込む。
「ガッハッハ! それよりももう始まりますぞ!」
シエルマがローシアとサリサが中央で向かい合っている姿を指差すとクズモは少し腰を上げて娘の姿を食い入るように見てからため息をついた。
「サリサはまた悪態をついて相手の機嫌を損ねているのだろうな、全く……誰に似たのやら」
クズモの懸念はサリサの強気で相手を小馬鹿にする癖だった。シエルマは大笑いしてクズモの懸念を跳ね飛ばす。
「ガッハッハ! 悪態をつくのは心が強い証拠ではないですか! 負けん気の強い良い子に育ちましたとも!」
「そうか?」と少しだけまんざらでもなさそうにするクズモに対してホウリュは恨めしそうに二人を見る。
「この試合、所詮はシナリオのできたもの……だったな、シエルマよ……ゴホッ!」
「ああん? それがどうかしたのか? 我がダイバ国が世界に打って出る絶好の機会ではないか。お前もヴァイガル国と手を結ぶことに肯定的だったではないか!絶好の機会を得てシナリオの一つや二つくらい用意して何が悪いのだ」
「……いや、なんでもない……国のためになるのならな……ゴホッ!ゴホッ」
ホウリュが背を丸めて咳き込むと、シエルマは不機嫌をあらわに舌打ちをしてまた背もたれに深く座り直した。
「シエルマ様」
シエルマの後方からマリアの婚約者であるナハトが
立っていた。
「おお!どうしたナハトよ」
「私はマリア様のお側にいますので」
「ガッハッハ!そうだな!そうだったな!すまんが頼むぞ!この剣舞館はお前の庭のようなものだからな!」
ナハトは剣舞館行われた様々な試合で何度も優勝したことのある国士であり、マリアの婚約者だ。
本人の希望でマリア達の護衛につきたいと申し出ていて、シエルマは二つ返事で了承していた。
「はい。それではこれで失礼します」
ナハトはクズモ達にも視線を向けて深く頭を下げてから去っていった。クズモは清々しい好印象しかないナハトに思わず感嘆のため息を漏らした。
「彼がマリアと結婚してくれればこの国も安泰だな、私はいつでも身を引けるよ」
クズモの突然の引退示唆にシエルマは「何をおっしゃいますか」と冗談めかして笑った。
「ゴホッ……ゴホッ……」
――くだらない茶番だな……――
ホウリュは二人の話を聞くことをやめて舞台で向き合う二人に集中した。
**************
「武器、魔石、魔法の使用は許可されております。反則行為は相手を絶命させる事。勝敗は負けを認めるか、場外に落とすか、相手を絶命させた時の反則負けです。命を奪った場合、その時点で全体の勝敗が決定します。」
審判は二人の顔を視線を行き来させて試合の説明をする。
「試合時間はあの水時計が全て落ちるまで。全て落ち切って決着がつかない場合は引き分けになります」
審判が指をさす先に、装飾された子供くらいの大きさの水時計と、操るために審判と同じ服装の老人が立っていた。
審判の説明にローシアは頷いたが、サリサはバカにしたように笑っていた。
「あんた、あの男のことを守っているんですってね」
サリサは顎でしゃくってユウトを指す。
「……」
「全てを知る者であり、嘘かホントか知らないけどカリューダの力を持って持っているなんて……あんたたちもしかしてこの国に自分たちがどうにかしてやろうと画策してきたのかしら?」
「それはないワ」
「へぇ― それで、伝説の通り祝福は訪れたのかしら? あんたたちが幸せそうには全く見えないけど」
「……どうかしらね?」
「そんなワケないわよね? なぜならこんな馬鹿げた試合に出て見せ物になるなんて……あたしは耐えられないし幸せだとは思えないわ」
サリサがローシアを嘲笑う。
審判は会話を止めずに後ろ歩きで二人から距離を取った。もうすぐ始まりそうだとローシアは思った。
「あんな弱そうな男を守るあんたたちが可哀想でならないわ。世界中から狙われるような男を守るなんて、普通じゃないわ。頭がおかしいのよあんたたちは」
なじるサリサと少し距離を取った。
「どうしたの?何も言えなくなった?」
「別に……答えるまでもないことだから何も言わないだけなんだワ」
ローシアの答えに眉を顰めてまったく答えとして納得していないサリサは鼻を鳴らした後に
「生意気な物言いもあんたたちの希望もすぐに終わらせてやるわ。覚悟することね」
吐き捨てるように言うとローシアは小首を傾げて「自信しかないのね」と小さく言ってサリサの見下す態度を少しだけ反抗した。
「ローシア! 油断しないでー!」
「お姉様ー!! 頑張ってー!!」
歓声の奥からユウト達の声が小さく聞こえた。振り返ると大きく両手を振っている二人がいて、少しだけ微笑んだ。
サリサは華やかな桃色を基調としたダイバ国の伝統的衣装だが、華やかさとは裏腹に吐き出す言葉は悪意に満ちていた。
余裕すら感じられるローシアの態度を快く思わないサリサは舌打ちし、「マリアお姉ちゃんの敵はあたしたちの敵よ。五体満足に国に帰れるなんて思わないことね」とローシアに聞こえないように、自分だけ聞こえるように言った。
――マリアお姉ちゃんはあたしたちのために何でもしてくれた……今度はあたしたちが恩を返す時なのよ!――
サリサは審判に目で合図すると、それを見た審判はすぐに「は、始めぇ!!」と試合開始を宣言した。
「ひゃはは!!」
先制はサリサ。獲物を捉える猫のように飛びかかった。一瞬だけ遅れをとったローシアはサリサとの間合いを一瞬で判断して、攻撃は間に合わないと腕をクロスさせて顔面への攻撃を防ごうとした。
「ひゃははははははは!あまいわよっ!」
ガードを掻い潜って、左脇腹に渾身のボディーブローが一発。
「……ぐっ!」
両手のガードが緩んでローシアの苦悶の表情をしっかりと確認してから眉間に向けて拳を握り込んで撃つ。
ローシアもサリサの顔を見ていて狙っている部分を視線で読み取り、間一髪で両掌で受け止めた。
勢いは殺せたが完全に止めることはできず、衝撃をいなせない手の甲が眉間にぶち当たる。
「ひゃはははははは!!どうしたのよぉ!」
後手に回ってしまったローシアのガードの隙間を狙って拳の乱撃が舞う。
あまりの乱撃の速さに観客の歓声がわきあがる。
「そうよ! わたしを見なさい!獣の国の女なんか敵じゃないわ!!」
ローシアに攻撃させないように乱撃が続く。避ける隙すら与えない攻撃の中、ローシアは視線を他に向けていた。
マリアたちがいる右手側に何人かの男性が座ってこちらをじっと見ていた。
――あれは……審判席かしら……身なりはここにいる審判と同じ格好ね――
もし、あの審判たちが物言いをつけることがあれば試合の流れも決着もダイバ国の都合のいいようにされてしまうかもしれない。
――絶対に誰が見てもアタシが勝ったと思わせるしかないワね――
「どこ見てんのよ!」
全く試合に集中していないローシアのこめかみに向かって踵で後ろ回し蹴りを放つ。
ローシアはすぐに膝を折り曲げてしゃがんでかわすと、背中を見せたサリサの足元をすくうように足払いを仕掛けた。
「チッ!」
サリサは間一髪脚を上げて避けて後ろに飛び退ける。
「まだまだぁぁ!!」
サリサの攻撃は止まらない。下がったかと思えばまた飛びかかった。
ローシアは両手の指先を揃えて左半身を前に出し、張り手をするように構えた。
ローシアはサリサの動きを捉えていた。サリサの右拳がローシアの左顔に狙いをつける。
――!!!!
サリサの左頬に突風が巻き起こった。
「――くっ!」
何かの魔法かとローシアへの攻撃の勢いを、ローシアから距離を取るためにわざとそらしてすれ違うように通り過ぎた。
「――何よ今の!」
サリサは振り返ると、そこには右拳を突き出したローシアの背中があった。
「――やっぱり一日じゃ極められないんだワ」
ローシアはそういうと拳を解いて手を広げてからサリサに向き直る。
「なによ……今のは」
見えなかった何かを尋ねるサリサの声は震えていた。サリサの想像の上をいくローシアの攻撃だったとは思いたくなかった。信じたくはなかったが、手を広げていたはずのローシアの構えが、避けた後に見たら拳を突き出していたのだから、衝撃を発生させた主はローシアしかいない。
――殴ってきたとしたら速いなんてもんじゃないわ……見えなかった――
今まで見たことがない速さだった。攻撃するそぶりすら見えず、顔を完全に破壊するほどの勢いで拳を突き出したのかと思うと恐怖に体が少しだけ震えた。
――でも、見えない速さなんて存在しない! 人間の速さには限界があるんだから!絶対に見えるんだから!――
震えを押し殺して、また手のひらを広げて左半身を前に構えるローシアと向き合う。
あの強烈な一撃は絶対に受けられない。あの何も感じられないまるで無力な構えから出てきた攻撃を喰らわないために一度見る必要があった。
どういった攻撃か、体制か、初動か、見極めれば当たるはずはない。
サリサの先制攻撃から少し膠着して向き合う中、舞台の外ではジュリアがため息をついた。
「相変わらず……サリサは相手を見下すクセがなければ勝負はついていたのに……」
「そうかもしれないわね。でも……あのローシアって子の表情……まだ余裕があるように見えないかしら?」
そう言われてジュリアはローシアの顔を見ると、確かに何か余裕すら感じられる表情だった。
じっとサリサの動きを見て、手のひらを向けて待ち構えるローシアは不気味だった。
「初手はとった……さあ、サリサはどんな勝利を見せてくれるか……楽しみましょうね」
優しく語りかけるマリアだったが、ジュリアは身震いした。
ローシアは間合いを詰めることはなくサリサと一定の距離を保ったまま向き合っていた。
――流石に無闇に飛び込んでこないワ……でも、何もせず時間を消費してくれるなら助かるワ。――
サリサはローシアの狙いはカウンターだと読んでいて、初手のように飛びかかる事が出来ずにいた。
――迂闊に飛び込んだら一撃でやられるわ……隙を見て踏み込まないと……――
お互いの思惑が一致して膠着している状態を観客がよしとするはずもなく、とくに戦っているローシアではなくユウトへの罵声が多く耳に刺さる。
「魔女の末裔は殺せ! 大災を許すな!!」
「生きて帰すなァ!!」
「サリサ様!やってくれェ!!」
魔女狩りさながらの罵声はローシアにも当然聞こえていた。
魔女は忌み嫌われる存在だ。大災から生きのびて今を生きる人間などいないと言うのに、大災を体験した者など皆無なのに、こうして人々に残り続ける怨恨は、もはや宗教的に伝わる負の連鎖ようにも思えた。
ローシアはユウトの方に目だけで視線を向ける。外野の罵声など気にも止めず、ローシアに向かって声を出していた。
――まったく……アンタはホントにお人好しが過ぎるのよね……――
それが、サリサが見た隙だった。
――今!――
サリサはすぐにローシアの右側面に飛ぶ。
側面から地面を蹴って眼帯の下の頬に向けて拳を握り込む。
――一発で意識を断つ! 全力よサリサ! 全力でッッ!!――
サリサの行動を一瞬だけ逃したローシアは、すぐに右側面に体を向けた。すでに拳を振り抜く体制になったサリサの口元が緩む。
「残念ね! これで終わりよ!!」
勝利を確信したサリサの拳は、ローシアの手のひらを掻い潜って、狙った頬に触れると一気に力を押し出すように突き出す。
まともに顔に受けたローシアは、貫かれた拳と同じ方向に無理やり向かされた。
「ぐ……ッッ……ハッ……」
サリサの手応えは充分。稽古でシエルマやワモでも決められなかった一撃が見事に狙い通りに決まり、ローシアは勢いよく吹き飛ばされて舞台の端まで転がってきった。
サリサは興奮が吹き出して快感を覚えた。
気持ちよかった。力で他人をねじ伏せる感覚で得られる興奮は、乗算的に増していく。
殺してしまうほどに殴りたい、今すぐに。
渾身の一撃が決まったサリサの戦闘本能を掻き立てた。
――最悪死なせても構わないってマリアお姉ちゃんが言ってたんだから、殺してもいいよね!――
「ヒャハハハハハハ!!! 死んじゃえ死んじゃえ!!」
サリサが嬉々として甲高く叫ぶと観客も一緒に湧き上がる。
誰も味方のいないような敵だらけの剣舞館に、敵である三人は見せ物。
ユウトも否応なしにわからされたが、それでもめげるユウトではなかった。
「ローシア!! 大丈夫?!」
歓声を引き裂いてこの声が届くなら喉が潰れたっていいと、ユウトはローシアただ一人に応援を送った。
ローシアは右の頬が抉り取られたような衝撃だったせいか、そっと手探りで頬がちゃんとあることを指先で確認した。
ジワジワする口の中のものを舞台に吐き捨てると赤く染まった。
「ヒャハハハハハハ!! これで終わりにしてあげる!!」
サリサが一気に間合いを詰めてきた。
ローシアはユウトをまた見た。殺意丸出しの歓声なんて気にも止めず、ひたすら自分に頑張れと声を出し続けるユウトに、本当にありがたいと思った。
だからこそ、決意できた。
ローシアは眼帯に指をかけて、額に向けて外した。
閉じていた右目を開く。
――!!!
飛びかかったサリサが立ち止まった。
ローシアが視界から完全に消えたからだった。
「な、なによ!どこに行ったのよ!」
そして突風がサリサを襲う。
あまりの風の強さに踏ん張って耐えたが
「ここよ」
後頭部から声がして避けるようにして振り返るとローシアが腕組みして立っていた。
「い、いつの間に!」
「アンタ、運がいいわ。アタシの右目を初めて見れて」
ローシアの右目は、黄色い炎がゆらゆらと纏うように輝いていた。ユウトは右腕が静電気を帯びたような感覚になった。
「あの目は……」
レイナがユウトの背中に腕を回した。
「ユウト様、危険ですから私にしっかりと掴まっていてください」
「レイナ、あのローシアの目……あれは」
「はい……ユウト様が深緑の右腕の時に現れる赤い目と同じものです。マーシィ様はマナを尋常ではない量を操る時、あのように目が黄色く輝くと口伝で伝えられています。ユウト様の赤い目もおそらくカリューダ様と同じ……」
「でもローシアは魔法は使えないって……」
「魔法ではありません。魔法は無から炎や水を生み出すような奇跡です。魔女様のような奇跡は私達には出せません……」
舞台では、腕組みしたローシアはサリサを見下している。
「何よその目は……その目はァァ!!」
サリサがローシアの右のつま先を踏まんと顔への攻撃を布石として同時に足を出した。
ローシアは頭を左横に傾けて避けた。これでサリサの狙いは上手く行った。傾けた反対側の右足のこうを踏んで身動きができなくなった瞬間にもう一度殴る。そうプランを立てた。
だが、踏まんとする瞬間にまたローシアは消えた。
「消えた?! どう言うことよ!!」
レイナはユウトの体をしっかり掴んだ。
「……掴まって!」
その後に衝撃がユウト達を襲う。
突然の風が呼吸も遮って吹き荒ぶ。
「うっ!ぐっ!」
突風はすぐに駆け抜けたが「まだです!」とレイナが身構えていた。
そしてまた体を押し出すように突風が駆け抜ける。ユウトが体勢を崩しそうになった時、レイナはユウトと共にしゃがんだ。
「はぁ……ハァ……レイナ、何の風なのあれ!」
レイナは肩で息をしながら答えた。ユウトはレイナが何か風の魔法でも使ったのかと思って尋ねた。
「お姉様が本気で戦っているのです」
「ど、どう言うことなの?」
「魔女の力……お姉様はマナを使って奇跡は起こせません……ですがその身体にマナをめぐらせることで、常人では到底マネできないほどの速度で動けます」
「じゃあ、ローシアは……マーシィ様の力を?」
レイナが頷くと、頭上でまた突風が駆け抜けた。
「ユウト様……ごめんなさい。私たちはユウト様に嘘をついていました……私達に魔女の力はあります。魔女狩りに遭遇しないようにこの力のことは秘密にしてきました。知っているのはワモ様とギムレットお爺様だけ……」
また突風が頭上を抜けていく。
抜けるたびに剣舞館の壁を叩くような破裂音が響く。
「ユウト様には私たちの全てをお話しします。ですからどうか今はローシアお姉様を応援してあげてください。お姉様にとってあの力を解放するのはすごく、すごく勇気のいる決断だったのです!」
レイナはユウトの両手を祈るように握った。固い決意の表れなのか、ユウトはレイナの手を硬く感じた。
「レイナ……」
「どうか……お願いします」
悲痛にも聞こえるレイナの願いはユウトの心に響かないわけがなかった。
「もちろんだよ! 村を出る時にギムレットさんとも約束したからね!二人を頼むって!」
「……ユウト様」
レイナは泣きたくなるほど嬉しかった。涙がじわりと滲んだが、泣いてたまるものかと堪えた。
これまで世界で姉しか信じられなかった。
このまま世間から離れて二人でずっと暮らしていくのだろうと思った日もあった。
ローシアは眼帯までして出自を隠し、運命を恨むこともあった。そんなローシアを常にそばで見てきたレイナは、眼帯を外したローシアの気持ちをユウトはくんでくれた。それが何より嬉しかった。
全てを知る者を見つけ出し、魔女なき世界を目指すと誓った日から、ようやくここまで辿り着いた。
ユウトの胸の中で泣きたい気持ちをグッと抑えて鼻を啜って「ありがとう……ございます」と絞り出した。
舞台では謎の突風が吹き荒ぶ中、サリサは嵐の中心にいた。
見た目には風が吹いているなどと思わない観客やマリアたちは何が起こっているのか全くわからなかった。
だが、サリサは息も出来ないほどの突風の中、立ってるだけで精一杯だった。
――これが……チビ女の力だって言うの!?――
ローシアは姿が見えない。だがサリサの耳にはローシアの足音が聞こえていた。
聞こえた方に向くとすでにそこに姿はなく、また別の方向で音がしたと思えば……を繰り返して完全にローシアを見失っていた。
「最初の威勢だけかしら?」
「ひゃぁ!!」
突然後ろから声をかけられて体がのけぞった。
すぐに体ごと振り返るとすぐにつま先に激痛が走った。
「――!!」
「これはさっきのお返し。アンタに足を踏まれる理由なんてなかったはずなんだワ」
ローシアは拳を握り込み指を鳴らすと
「おやすみ」
と言うとまた消えた、すると突風の追い風が背中を押してきたその時、舞台が動いているようにみえた。
だが舞台が動くはずがなくすぐに自分が動いていると理解した。
――あれ……なんで私は動いてるの……――
動いていなかったはずだった。だがすぐにわかった。鳩尾にえぐれるような痛みがくると背中に衝撃が抜けていく。
「っ……がはっ……!!」
意識が途切れる前に、ローシアが右拳を突き出して止まっていた。
――わ……たし、いつ……殴られた……の……――
サリサの意識は謎を残したまま、切れた。
サリサが観客席の壁まで吹き飛ばされると会場は静まり返った。何が起こったかわからなかった。ただ、サリサが吹き飛ばされる前にローシアが突然目の前に現れてそして消えるとサリサが吹き飛んだ。
そしてどよめきが巻き起こる。目の当たりにしたのは、魔女の末裔と名乗ったローシアは本当に魔女の力を持っているのだと確信するのに充分なものだった。
「ほら、審判。あの子場外に落ちたんだワ」
突風に何度も吹き飛ばされそうになったが、職務のためなんとか立って見ていた審判は、サリサが場外に落ちているのを確認して。
「し、勝者! ローシア・リンドホルム!」
と勝者を宣言した。
「ふう……久しぶりに使ったから加減がわからないんだワ」
右手を見ると親指を除く四本の指が赤く腫れ上がっていた。
指を見つめながらユウトたちの方を振り返ると、どよめく観客の声を押し除けてユウトの「ローシア!!」と呼ぶ声が聞こえた。
顔を上げて見ると、嬉々として飛び跳ねている二人の姿が見えた。
安堵と、飛び跳ねる様子がおかしくて笑顔になってしまったローシアは「なんて顔よ」とようやく気持ちが落ち着いた一言が出た。
二人の元に駆け寄るとユウトは
「すごいよ!ローシア!すごい力だったよ!」
と魔女の力なのにすごく嬉しそうに目を輝かせ、まるで少年のように喜んでいた。
「……でも、アンタには秘密にしてたんだワ。それは本当に……」
謝ろうとするローシアにユウトは
「いや!いいんだよ!魔女の末裔がどんな目に遭うかは僕も少なくとも知っている事だし……仕方ないよ」
と優しく言って遮った。
「そう……そう言ってくれるとありがたい……」
すると観客席から「魔女ー! サリサ様を痛めつけて楽しいか!」
と通る声でローシアに紙を丸めたゴミを投げつけてきた観客がいた。
ゴミがローシアの頭に当たると観客の何人かが笑った。
「ローシア!」
ユウトが心配して声をかけると、ローシアは手で遮った。
「大丈夫よ。痛くもなんともないから。それよりも見て」とローシアが指差す方を見ると、警備の兵が立っていた。
警備兵はローシアにゴミが投げつけられても何もせず、じっと見ているだけだった。
「こいつらは多分シューニッツ家かヴァイガル国の差金よ。どうせドァンクを陥れようとするための小賢しいやり方だワ」
「そ、そうなの?」
「どうせ、できる事ならちゃんと選挙の結果をヴァイガル国に選んで欲しいのよ。汚い事をせずにね」
「――そんな! だからってゴミを投げつけるなんてひどいじゃないか」
ユウトに、綺麗事ばかりでは国は守れないと言い返すのはやめ、ゴミを拾うと手でこねて小さくした。
「と、どうするのそれ……」
「ん? 捨ててもらうのよ。アンタ、少し下がって」
「お姉様……まさか……ユウト様!」
「うあああああ!」
と言うや否や人差し指の爪と親指の指腹に当てがい、デコピンして兵士に弾いた。
ローシアの指先から衝撃波が発生して周りにあったものを全て薙ぎ払うが如く吹き飛ばした。
そしてゴォォォォ!と言う地鳴りのような音が聞こえ、衣服が風に激しくはためいた。
「ってて……」
剣舞館の床に倒されたユウトは、上半身を起こした。
ローシアの後ろ姿が見えて、その先の警備兵はへたりこんで腰を抜かしたように座って唖然としていた。
「それ、捨てといてくれるかしら? 観客が投げてきたのよ」
ローシアが指差す先は警備兵の股下。剣舞館の床は何かが貫通して拳ほどの穴が空いていた。ローシアがデコピンして飛ばしたゴミが、あまりの速さに衝撃波を伴って床を破壊し、めり込んでいた。
思わずユウトが「ダメだよローシア!喧嘩売るような事をしたら!」と注意するがローシアは鼻を鳴らし
「フン……アタシ達に喧嘩売るのは構わないけど、アタシ達は正々堂々なんてさらさら考えていないんだワ。勝つ事だけよ。アタシ達の目的は。邪魔なものは全て排除するワ」と悪びれる様子もなく言い放つ。
舞台で戦った様子が間近で起こり、観客のどよめきはローシアが観客席を見るだけで静まり返った。
その後、サリサの怪我のため、試合は一時中断して少し早い予定だが休憩に入った。




