第五章 37:霹靂
エミグラン邸襲撃の一報は、昼過ぎにヴァイガル国との境である見渡しの良い平野に簡易的な拠点と防壁の建設の指揮を取っていたオルジアとギオンの元にも届いた。
仮設で日除のテントの下でイスに座って手紙を読むオルジアの向かいにはタマモが口をへの字にして泣き出しそうな顔のままオルジアが手紙を読み終わるのを待っていた。
オルジアの後ろにはギオンが立っていて、オルジアの後ろから手紙を目を細めて読んでいた。
「サンズがアルトゥロのプラトリカの海で甦っていたのか……」
ギオンはサンズの名前を聞き、アシュリーが酷い仕打ちにあった話を思い出し、体温が上がるのを感じ、鼻を鳴らした後
「……忌々しきはアルトゥロ……命をなんだと思っているのか……」
と、非人道的なやり方だと腹立たしさを自分の手を重々しい音が聞こえるほどに殴って紛らわせた。
手紙にはサンズがプラトリカの海と聖杯の力で蘇っている事。少なくとも数名がいて、エオガーデと同じように量産されている事が書かれていた。
エミグラン邸の警備に関しては
『足を無垢な赤子でも狂い泣き叫ぶほど無惨な方法で亡き者にしたので、しばらくは来ないだろう』
と書かれており、オルジアはどんな殺され方をしたのかそちらの方に興味をもった。
「エミグラン様からの伝言は持ってきた手紙だけなんだ……口で伝えると誰が聞いているかわからないし、読んだらその手紙は燃やして欲しいと言っていたんだ」
すでに戦中の情報戦よろしく、証拠になるものは残さないつもりで動いていることがタマモの話からうかがえた。
「そうか、わかった」
手紙を元の通り簡単に折り直して後ろに差し出すと、ギオンは大きな手で受け取ってから懐におさめた。
まだ周りをなん度も見渡してへの字の口を緩めないタマモは、手紙を渡す直前は顔が青ざめていた。
ここは安全が確保された場所だと言うのにまだ警戒しているタマモは怯えたままだった。
「エミグラン様が心配だなぁ……もう帰りたいんだ!」
と言って帰るために勢いよく席を立ったが、オルジアは
「まだおまえさんは帰らない方がいいな」
と、制した。明らかに動揺が隠せないタマモにそういうと、ギオンも「同感ですな」と同意した。
「え、な、なんで?」
「おまえさん、何か見たんだろう?」
「ななななななな、何かってなんなんなんだよ!」
『なん』が一つ多いほど図星を突かれて混乱しているタマモの様子から、少し落ち着かせてから帰らせた方が良いだろうと考えてオルジアは、「外に出て新鮮な空気を吸おう」とタマモの頭を一度撫でてから軽く押した。
オルジアと共に日除のテントから日差しが降り注ぐ外に出ると、タマモは駆け足で前を走りだす。
「おまえさん。エミグラン様が戦ったのを見たんだろう?」
オルジアは予測ではあったがタマモの動揺の元を尋ねると、体をびくんと毛を逆立てて走るのを止めた。
「……う、うん。み、みたんだ」
図星だった。
「怖かったのか?」
「……うん」
タマモは立ち止まって両手を祈るように組み合わせた。後からやってきたオルジアはタマモの組んだ両手が震えていたのを見てから空を見上げて「今日はいい天気だな」と言ってその場に座った。
腰に携えていた小さな布袋から紙と煙草葉を取り出して慣れた手つきで巻き、咥えてから魔石を取り出して火をつけ、肺の深くまで紫煙をめぐらせ、空に向けて雲に向けてゆっくり細く吐き出した。そして
「……怖かっただろうなぁ。俺でもエミグラン様が本気になったらタマモみたいにふるえちまうかもしれないな」
気の利いた言葉じゃないな、と言った後に小さく舌打ちをしたが
「おっちゃんもきっと震え上がるんだ……」
と、主人を立てるタマモに鼻を鳴らして笑う。
「エミグラン様が追い払ったんだってな。賊……いや、サンズか、元騎士団長の」
タマモがオルジアの質問に頷くと、頭上のミミを完全に伏せて、陽気の中でも寒そうに両腕を擦り、俯いた。
「……怖かったんだ……エミグラン様の黒い人……真っ黒に瞳が染まった時に出てくる黒い人を見たんだ……」
「黒き人を模した者か……もはや伝説とも言えるエミグラン様のみ扱える力だな」
またタマモは頷いた。
「僕、外にいたんだ。賊がいないか見回りしてたんだ」
エミグランの命令とは思えず「……危険なことをしたんだな」と眉を顰めるとタマモは焦って言い訳をする。
「で、でも!気配は消したんだ!僕は、館のみんなの役に立ちたかったんだ……でも、賊が隠れててさ……偶然見つかって捕まったんだ」
オルジアは思わず驚いて「なに? 本当か?」と返す。手紙にはタマモのことは書かれていなかったからだ。
「本当なんだ! あの神殿の前でアシュリーを襲ってた奴なんだ!そいつが四人いたんだ!」
アシュリーが襲われた事件はオルジアも知っていた。
「サンズも、か……騎士団は完全に壊されちまったな」
「その後に、エミグラン様の黒い人が……まるで……魔物みたいな触手でさ……怖かったんだ……」
エミグランの手紙には、複数名のサンズがいたと言う旨の内容が書いてあった。サンズはヤーレウ元将軍の鍛え上げられた剣の一閃で声を上げる間もなく首を刎ね飛ばされた。
死んだはずの人間が甦るとすれば、プラトリカの海しかない。
オルジアは、サンズの遺体はアルトゥロによって回収され、傀儡としてエミグランの館を襲ったのだとすぐにわかった。
さらに、エミグランの黒き人を模した者でおそらくなぶり殺しだのだろうとも予想できた。
――エオガーデとサンズは、プラトリカの海の力で甦ってアルトゥロの支配下……行方がわからないリオスとツナバ……そして、イロリナとたたかったシャクナリ。
ヴァイガル国の象徴といえる騎士団がアルトゥロという一人の男に短期間で飲み込まれていく……――
考えるだけで熱を帯びた怒りが胸の奥から溢れてきたが、煙草の煙を強く吸い込んで誤魔化した。
「おっちゃん……?」
「ん?」
「エミグラン様のあの黒い人を見たことある?」
「いや、ないな。そもそもエミグラン様は過去にヴァイガル国を出てドァンク共和国を建国してから今まで滅多に表舞台には出てこられなかったんだ。噂や言い伝えでしか聞いたことはないな」
「そっかぁ……そうだよね……」
「タマモは初めて見たのか?」
そういうと、タマモは顔を背けて頷いた。
「黒き人の触手でさ、一人を素早い動きで捕まえてさ……めちゃめちゃにしちゃったんだ……」
「めちゃめちゃ?」
「……うん……その……こ、怖かったんだ……きっと僕が何の力もないのに外を見回りしてたことを怒っていたんだ……」
何が怖かったのかはわからないが、無垢な赤子が泣き叫ぶほどの恐怖なのだから見ただけで恐れ慄くことがその場で起きたのだろう。オルジアは何が起こったのかは聞かなかった。
「タマモに怒っていたのかねぇ……黒き人がそんなに怖かったのか?」
タマモは二度うなずいた。
「怖かったんだ……僕、あんなに怒ってるエミグラン様は見たことがなかったんだ……戦争になるって言ってたけど、始まる前からあんな事が起こるなんて思ってもなかったんだ」
「争いなんてそんなもんだ。最初は小さな言い争いや喧嘩みたいなものが始まりで、時が流れ、互いの主張や思惑が積み重なってやがて大きなうねりになって多くの人を巻き込んでいく……自分こそが正義だと信じ込んでな」
「そうなのか……でもエミグラン様は正しいはずなんだ」
少し口を尖らせて反抗的な意見を小さく言うタマモにおもわず鼻で笑った。
「正義か、正しいかの前にな、戦争の理由に俺たちは本当は関係ないんだ」
「関係ない……?」
オルジアの突き放したような言葉の意味を知りたくて向き直ると、紫煙がタマモの鼻先を掠める。
「戦争は国を動かせる人達が国益を理由に決める事で俺たちには関係ない理由なんだ。ドァンクに住む人達は平和に暮らせればそれでいいと思っている。ヴァイガル国に住む人もきっと同じ思いだろうな。聖書記がどちらの国にいようが平和に暮らせる事を第一に望むものだ」
タマモはオルジアの言う国民と同じ気持ちだったので自然と頷いた。じっと見つめてくるタマモの頭上の耳は、いつの間にか前を向いていた。
「エミグラン様が矢で命を狙われる前にサンズ達が屋敷の外で見回りをしていたタマモが邪魔で捕らえた。エミグラン様はそれが許せなかったんだろうな。何もしていない罪もないタマモが捕えられているところを見てな」
「僕が……」
「サンズが大の獣人嫌いであることはアシュリーの一件で知っていたからこそ、タマモの命が危ないと考えられて、二度と勝手な事ができないように見せしめに一人をなぶり殺したのだろう。その思いが奴らに届いたかはわからないがな」
「僕の……ためにってこと?」
「ああ。タマモの事をよく知っているエミグラン様は全て察していたんだろう。外にいた理由もな」
「そうなのか……」
「エミグラン様ともなると、賊を瞬きしている間に屠る事など造作もない事だろう。わざわざなぶり殺しにする理由はそうとしか考えられんよ」
タマモもその通りだと思った。
今までエミグランの命を狙う賊が全くいないわけではなかった。それらはリンやアシュリーによって処理されていたが、影では無惨に殺されたサンズのような事が行われていたわけで、エミグランの周りの安全や平和はだれかが守っていた。
今はエミグラン邸からドァンク全体に対象が広がった事で、リンやアシュリーだけではなく、オルジアやエミグランも守らなければならないものを守るために動き始めている。
エミグランの怒りは、タマモを捉えたことが発端であると知り、嬉しい反面、悔しさも芽生えた。
芽生えた悔しさを見抜くように、オルジアは続けた。
「だからと言ってタマモが何も役に立たないわけじゃない。お前さんにしかできない、お前さんだけにしか成し遂げられない事があるんだ」
「僕だけにしか成し遂げられないこと……」
「ああ。俺はお前さんのように別の誰かに化ける事はどんなに努力してもできる事じゃない。だから俺とは違う何かを成し遂げる事ができるはずなんだ。お前さんにしか出来ない何かがな」
オルジアは徐に一つ獣人が集まっているところを指差した。そこは仮設の調理場で、大きな鍋の周りで十数人がそれぞれの持ち場で料理を作っていた。
「あいつらは戦闘ではなく俺たちにうまい飯を作ってくれている。中にはドァンクの料理人が来ているらしい。俺たちにも何か手伝わせて欲しいって、な」
また別の獣人が集まっているところに指差すと、先には防衛設備を作成、設置しているグループがいた。
「あそこは傭兵もいるんだが大工や工員もいる。戦えないがせめてドァンクのために役にたちたいって設備を知恵を絞って短期間で出来るものを片っ端から作ってくれているぞ」
タマモは目を輝かせながら周りを見渡すと、ところどころでグループが出来ていて、何かの作業に取り組んでいる事に気がついた。
オルジアは煙草を地面になすりつけて揉み消し、片膝に手を置き体重をかけて立ち上がった。
「俺はあいつらを守る事が成すべきことだ。一見ど派手なことだから目立つかもしれんが、あいつらがいなけりゃ俺も戦えない。見えないところで頑張ってくれてる奴らがいるから、俺達が全力で戦えるんだ」
尻尾をリズミカルに振り、両手で拳を握って頷くタマモの隣に歩み寄り、頭の上に手を置いた。
「この戦争でもお前さんにしか出来ないことがあるはずだ。エミグラン様が忍び込んできたサンズを問答無用で殺す理由になるくらいにお前さんが大切なんだ」
「うん……うん!」
「普段の生活では見えないところで誰かに支えられている。見えないからわかりにくいかもしれないが気づいていないだけだ。本当は目を凝らしてみればすぐに見えるのに、あまりにも慣れすぎて見えていないことだってあるんだ……わかるか?」
「うん! わかるんだ! みんなドァンクを守るために自分が出来ることを一生懸命やってるんだ!」
「そうだな。タマモの力は今じゃない。もっと別の所で発揮できるはずだ。エミグラン様もそう考えていると思うぞ」
「うん!」
ようやくいつものタマモに戻ったと安心した矢先に「オルジア様ー!」と後ろから声が聞こえてきた。
振り返るとミストドァンクの傭兵だった。走って二人に向かって来ていた。
タマモと顔を見合わせてから傭兵に駆け寄る。
「どうした!」
傭兵は息を切らせながら後ろを指さし
「て、敵襲です!!ギオン様は先に向かわれました!!」
と大声で告げると、オルジアは霹靂の如く
「場所はどこだ!!」と問い、戦士の顔つきに変わった。




