第五章 33:真意
シロが部屋から去った後すぐにローシアの足の自由は元に戻って、何度かその場で足踏みをして問題ないかを確認して困惑した顔でじっとドアの方を見つめているレイナを見た。
――アルトゥロにユウトを奪われるような事態になったら、魔女なき世界のためにユウトを殺すのか――
エミグランにそう問われた時も同じような顔をしていたな、とレイナの側に歩み寄って
「なーに難しい顔をしてんの、よ!!」
ペチン!とレイナの尻をわざと音が出るように平手で叩いた。
「ひあああああああ!」
突然の痛みにレイナの情けなく驚く声が響くと叩かれた部位を手で隠して「何をするのですか!」
と顔を赤くしてローシアを問う。
「ぽやっとしてんじゃないワよ。考えても仕方ないワ」
ローシアは側にあった椅子に飛び乗るようにして座って腕組みして眉を顰める。
「ねえ、覚えてる? エミグラン様に覚悟を問われた夜のことを……」
レイナはローシアの質問に頷いて「ええ、憶えてますわ」と答えた。
レイナも同じことを考えていたので、何が、と聞かなくてもわかっていた。そしてあの日の夜にもらった胸元に輝く双子花の宝石を愛おしそうに見つめた。
**************
――数日前 エミグラン邸
エミグランは姉妹に選択を迫った。
もしユウトが奪われるような事があれば大災の魔女カリューダの復活を意味する。
ユウトを奪われることはあってはならない。もし奪われるような事があれば、ユウトの魂の器であるカリューダの聖杯をアルトゥロが手にする機会を与えてしまうことになる。
魂の器である聖杯を具現化する技術を持つアルトゥロには、カリューダの肉体が手中にあり、知識と魂の器はユウトとシロが持っている。
一度ユウトがアルトゥロにさらわれた際には、何らかしらの理由で聖杯は抜き取る事ができなかったが、その後にエミグランが姉妹に次に同じ事があれば、聖杯を抜き取られる可能性を告げた意味は、『次は聖杯を抜き取られる』事を懸念してのことだ。
つまり、アルトゥロをよく知るエミグランは、次こそはユウトからカリューダの聖杯を抜き取り、カリューダの力を持つ人間、魔女がこの世界に生まれる事を意味する。
プラトリカの海で復元しているカリューダの肉体は、ヴァイガル城にいる王女で、別人の聖杯を使って生きている。
代が変わるごとに王女として何度も復元され、脈々と肉体はヴァイガル国王女として輪廻している。
肉体と聖杯があれば、その人の能力を完全に近い形で甦らせる事ができる事がカリューダの最後の秘術だ。
姉妹はなんとしてもカリューダの復活を阻止しなければならない。
今はユウト達が居るドァンクの代表、貴族会の代表であるエミグランがユウト達を匿う事でアルトゥロの影響を小さく抑えているが、仮定の話ではあるがアルトゥロにユウトを奪われる可能性を言及した意味を二人は重く受け止めていた。
もしかしたらエミグランの力をもってしてもアルトゥロを抑えきれないかもしれない。そう言っていることと同じだからだ。
イクス教神殿でエミグランとアルトゥロと対峙した後だからこそ、告げられる言葉の重みに現実味が増していた。
アルトゥロの思い通りに動く最強のマナの使い手が甦る。マナは森羅万象の奇跡を起こすエネルギーで、それを自在に操れるようになればアルトゥロの思い通りの世界になる事を意味する。
大災の魔女のいいつたえでは、災害級の奇跡がヴァイガル国に起こったとされていて、カリューダの力がどれほどのものだったかを言い伝えで示している。
過去に大災と呼ばれた惨劇がまた現代に蘇る事は、魔女なき世界を目指す姉妹にとって最悪の事態だ。
そうなる前に、ユウトを殺す。世界の平和のために。
いざという時にユウトを殺す決意はあるのかと問われてローシアは、覚悟はあると答えた。
エミグランとの話が終わった後、二人は部屋に戻った。部屋に戻るまで何か言いたそうにしていたレイナにローシアは「言いたい事があるなら早く言いなさいよ」と促すと、レイナは
「私は……できません……」
そう一言だけ言うと言葉は止まった。
大切な人を殺すなどと口にしたくないレイナは、次の言葉を噛み殺すように唇を噛むと、その心を推しはかるようにローシアは
「……そうね、アタシも同じよ。ユウトを殺す事なんてしたくないワ。アンタと同じよ」
と同調した。それでもレイナの表情は緩まなかった。
「……でも、このお屋敷に居続ける限り、ユウト様はエミグラン様からも狙われる事態になるかもしれません……」
「そうね……」
ミストドァンクで仕事をしているとはいえ、ユウトを守るためにエミグランの庇護に甘えているのが現状だ。
そして姉妹の悲願を達成するには、ユウトの死は最短の近道であることも理解していた。エミグランの話は暗にその方向を指し示し、姉妹にその認識があるかを確認した意味もあった。
ユウトを殺し、その肉体を完全に燃やし灰燼となれば灰が大地に還り、ユウトがもっていたマナは巡って森羅万象の基になる。
エミグランから指し示された最短の道に、レイナは黙って聞いていたが承服できるはずがなかった。
ゆえに、ローシアの覚悟があると言う発言は、一方では理解を示し、もう一方で許し難い思いもあった。
姉妹の悲願とユウトを天秤にかける事自体がレイナにとっては禁忌となるまでにユウトの存在は大きかった。
「私は……ユウト様を……亡き者にする事に反対です。何があっても……」
許す事はできないと続けたかったが、言葉にならず息を呑んだ。もし言ってしまえばローシアとの関係に完全に亀裂が入り、二度と修復できなくなるように思うと言葉が出なかった。
ローシアは鼻を鳴らしてからベッドに背中から飛び乗って横たわり、天井を見た。
「ねえ……アイツと出会った時のこと、憶えてるかしら?」
「ええ。もちろんですわ。私がユウト様の腕を治していた時に感じたマナはこれまで感じた事はなく、そしてこれからも出会う事があるのかと思うほどの恐怖を感じるほどのマナでしたから」
「そのクセにひょろっとしてマナも扱えなくて……子供みたいに何もできなくて……右も左も分からないわからないような……」
「お姉様、言い過ぎですわ」
「フン……何言ってんのよ? レイナがアイツの思い出した事を言葉にしているだけよ?」
レイナはジト目見てくるローシアの視線にハッとして顔を真っ赤にした。
姉妹は二人だけの特殊な絆があった。
近くにいればいるほど考える事がわかるし、遠くならば大体の位置がわかる。今は同じ部屋の中にいるので、ローシアはレイナの考える事は自然と思い出すような感覚で伝わりわかっていた。
その事をうっかり忘れていたレイナは、ローシアが言葉にした事は確かに最初にあった時のユウトへの感想で、恥ずくなって顔を赤くした。
「で、でも今は違いますわ!」
「大きな声出さないでよ。わかってるわよ」
ローシアは鬱陶しそうに言うと寝返りを打ってうつ伏せになって枕に両肘を置いて頬杖をついた。
「アタシ達はアイツに信じて欲しいって言った事も憶えているかしら?」
ヴァイガル国で初めて夜を迎えた時、クラヴィと初めて会った日の事だ。ユウトに姉妹を信じて欲しいと強く言った夜のことだとレイナはすぐにわかって頷いた。
「アイツに信じて欲しいと言ったときね、言い返せばアイツに自分自身が信じてもらえるようにならないといけないって思っていたのよ。まあ……今はアイツに頼ることの方が多い気もするけど」
レイナをエオガーデから救い、ユウト自身がさらわれた時も最終的にはユウトの力無くしてはあの結果は得られなかったし、なにより状況は悪くなってしまったとはいえ、黙示録と呼ばれた石碑の破壊はユウトの手によって達成できた。
二人にとってユウトは待ち望んだ人であったし、現れてからも危機的な状況を何度も覆してきた。
感謝していると面と向かって言える機会がなかったが、レイナはもちろんのこと、普段はそっけないローシアでさえユウトの存在は何物にも変えられない大切な存在だった。
「アイツは今の状況はともかく、念願は一応叶えてくれたただ一人の人間なのよ。エミグラン様がどう動こうとアタシ達がアイツを殺す事はできないワ。恥知らずの恩知らずになりたくないものね」
レイナはようやくつぐんでいた口元を緩めて頷く。そしてローシアは目の前で拳を固く握りしめた。
「アイツが狙われるのなら……アタシ達は全力で守る
……もし、アイツがさらわれるような事があれば……それはアタシ達の終わりの時よ……その覚悟はあるんだワ」
「お姉様……」
覚悟はある。その言葉の真意は、ユウトを守る事と、もし次にさらわれてカリューダの復活が成されるような事があれば、姉妹はその時にはこの世界にいない。ユウトを守るために命をかける事を宣言したことだとレイナは理解して笑顔が溢れた。ユウトをこの手で殺すようなことなどしない。そうわかっただけでレイナは嬉しくて仕方なかった。
大切な人を犠牲にしてまで叶える悲願に意味はない。ユウトが悲願を叶えてくれるのなら、ユウトと共に喜びを分かち合い語り合いたいと二人とも思っていた。
「アイツを巻き込んだのはアタシ達なんだし……それに、アイツは一人だとなーんにもできないんだから。面倒見てやってよ?レイナ」
「はいっ!」
**************
レイナの手の中でユウトから貰ったあなたの次に大切にしている双子花の宝石が美しい輝きが目に映ると、あの夜のことを全て思い出したレイナは決意を新たにして目的が定まった。
何があってもユウトを守り抜く。魔女の復活を阻止する事も、ユウトを守る事も姉妹にとっては同じ意味だった。
「たとえアイツがこの世界の人間でないとしても アイツがいなくなれば世界に平和が訪れるのだとしても……誰かの命で築かれる平和なんてただの仮初よ」
「はい!」
レイナは姉がユウトのことを考えて先の行動を決めてくれた事に感謝していた。
もし、まだドワーフの村にいた頃のローシアなら、まだ全く知らない他人であるユウトの命を犠牲にすることも僅かながらに可能性としてはあった。だがユウトがもつカリューダの聖杯で数々の奇跡を起こして姉妹を窮地から救ってくれたユウトへの感謝は自然とつもり、もう姉妹はユウトを家族同前のように思えていた。
姉妹の今は、ユウトと共にあって
どこまで続くかわからない未来も共にある。
燦然と輝く未来を夢見て実現するために、三人は進まなければならない。
例え進む道が永遠と続く茨の道であっても、宿命を断ち切るために。
いずれ痛々しい茨の全てが美しい花に咲き乱れ祝福してくれると信じて。
ユウトがこれから起こす奇跡を信じて……
「レイナ、本当はユウトを闘わせたくないけどアイツの事を信じて試合に挑むワ。アタシ達は今できる事を精一杯やるのよ。ワモ様から教わった事を、時間いっぱいまでね」
「はい! 絶対に勝ちます!」
「そうね。それが一番いいワ。それまではアイツに心配させないようにするの。心配させるような素振りも見せないこと。いい?」
「でも……ユウト様に秘密のままにしておくのは……」
「……そうね、全て……いえ、この件が終わってから話すんだワ。アルトゥロの事、そしてアタシ達の思いをね。アイツは『そんな事しなくても僕は大丈夫だよ!』とかいいそうだけど」
レイナはローシアがユウトの真似を挟んだが
あまり似ていないので少し笑ってしまった。
――また三人でこんな冗談が言えるようになれたらいいな
レイナはまだユウトの真似を続けていたローシアの話を朧げに聞きながらそう思った。




