第五章 21:独房
エミグラン邸 実務室
ドァンク街では避難誘導が進んでいる中、エミグランは執務室でいつものように貴族会代表の執務に、バニ茶を嗜みながら勤しんでいた。
貴族会全体のまとまりは想定を超えていて、ドァンク共和国全体で対ヴァイガル国への対抗心が燃え上がっている報告がいくつもエミグランのもとに届いていた。
国内の足並みは揃いつつある。
「あとはダイバ国次第、か……」
ダイバ国のこれまでの動向を間者を使って、事細かに情報を得ていて、ダイバ国民の大半がヴァイガル国を支持している事もすでに知っていた。
書類に目を通して、サインをしてバニ茶を啜る。
ドアがノックされて、執務室に来るように命じていたリンが一礼してエミグランの前に立つ。
「エミグラン様、準備は整いました」
「ご苦労。では行こうか」
「……はい」
何か言いたそうにしていたリンを横目に執務室を出た。
エミグランの後ろを静かに歩くリンは問う。
「エミグラン様」
「何じゃ?」
「本気なのでしょうかと質問いたします」
主語を伏せた会話を試みるリンに微笑むエミグランは答えた。
「本気じゃよ。全てにおいて」
笑った理由は、ヴァイガル国と対峙することも気が触れたのかと言われかねないうえに、様々な手を打っているエミグランからしたら、常にそばにいるリンにさえ秘密にしている事が多く、何を指して質問しているのかわからない。リンはエミグランに気をつかって隠したつもりなのだろう。
だが未熟な会話の切り出し方に人間臭さを感じ、自然と笑いが込み上げたのだ。
――ヒトとは言い難いリンが、ヒトらしくなるとはの……
「心配しなくても良い。全て予定通りじゃ」
全てを委ねよと言わんばかりに凛として歩を進めるエミグランの後ろ姿に、リンは思考に紛れるノイズのような不安が取り除かれたように感じた。
エミグランは、とある部屋のとびらの前で歩みを止めた。
軽くノックをすると中から女の子の声で可愛らしい返事が聞こえた。
「ミシェル。入るよ」
「はぁい!」
ミシェルの部屋にエミグランが来ることは珍しい。普段はリンが呼びにきてエミグランの元に向かうことがほとんどで、部屋の中は、たくさんの可愛らしい色合いの飾りでいっぱいで、真ん中にミシェルが少し緊張した顔でエミグランを見ていた。
「怖くないよ。怒ったりしないからね」
エミグランが両手を広げると、ミシェルはすぐにいつもの笑顔に戻ってエミグランに駆け寄って抱きついた。
ミシェルが大好きなエミグランの香水の香りが鼻をくすぐると、上機嫌になってエミグランを見上げた。
「いいにおい。えへへへ」
「ミシェルが喜んでくれて、わしも嬉しいよ」
エミグランも嬉しいと聞いてミシェルは顔を紅潮させるほど喜んで、またエミグランの胸元に顔を埋めた。
リンは、ミシェルがもうすぐ聖書記になると思うと、今のように子供らしく甘えられるのも最後なのかもしれないと思っていた。
エミグランはミシェルの頭を撫でながら問う
「ミシェルや、もうすぐそなたは聖書記になる。お主の夢じゃったな?」
「……うん。みんなが楽しく優しい気持ちでいられるようにしたいの」
「ふふふ……そなたのお父様とお母様の夢……じゃったな?」
「うん!」
「うむ。わしにできぬことはないよ。もうすぐその夢も叶う」
「うん!」
エミグランはミシェルの肩をもってひざまずき、目線の高さを合わせた。
「よいか? そなたは本当はヴァイガル国の王族の末裔。わしが彼の国から追い出された時に同じく嵌められて追い出された【本当の】ヴァイガル国王族の末裔じゃ」
真剣な話だとミシェルも子供ながらにわかっていて、深く頷いた。
「……そなたは彼の国の頂点に立つ資格がある。そなたはこの大地の生命全ての希望の光じゃ。闇を消すには光しかない。全てを覆い尽くす光しかない」
「ひかり……」
「うむ。光があるところに影はある。じゃが、影もできぬくらいの光はミシェル、そなたのことじゃよ」
不思議そうな顔をして小首を傾げたミシェルが可愛くてエミグランは笑顔が自然と出た。
「いずれわかる。明日から少し大変な事が起こるが、乗り越えるのじゃ。わし達はお前の味方じゃからの。それを忘れるでないぞ?」
「うん!」
元気よく頷きながら返事をするミシェルをもう一度だけ撫でてから立ち上がり、名残惜しそうに扉まで見送るミシェルに手を振って、二人は部屋を後にした。
ミシェルの部屋を出て、エミグランはすぐに歩き出した。
「エミグラン様」
「……なんじゃ?」
「ミシェルの事、私は何も知りませんでした」
「フフフ……そうじゃろうな。誰にも言うておらんからな」
「ヴァイガル国の王族の末裔、だったのですね」
「……もう隠す必要もあるまい。その通りじゃ。わしが彼の国を追い出された同じ時に追い出された王族がおった。わしはその当時、ドァンクの建国を急いでおったから時間が経ってしまい、転々としておった上に偽名を使っていたらしく、探すのには一苦労だったが」
「ミシェルのお父様とお母様は今は何をされているのでしょうか、と質問します」
「……死んだよ。魔女狩りでの」
「――!!」
「今考えればヴァイガル国の差金だったのかも知れぬ。ノースカトリア近くに住む老夫婦が、魔女狩りから逃げていたミシェルを保護しての……」
「老夫婦……随分と危険な状況だったと推測いたします」
「……老夫婦なら心配はいらんよ。ドァンクから去っていく獣人の面倒を見る、周りから見たら奇特なヒトでの。魔女狩りの連中も獣人を味方につける老夫婦と知ってか知らずか、保護してからは何もなかったそうじゃ」
リンは胸を撫で下ろして、ミシェルを守った老夫婦の勇気に心から感謝した。
「わしも王族の末裔を捜索していて、運良く見つけた矢先のことだったからの。五百年もの間、血を繋げてきてくれたことに感謝したよ。そしてわし自ら出向いてミシェルを老夫婦から預かった。あの時はアシュリーが共についてきたからリンは知らなくて当然じゃな」
「何故、王族の末裔とわかったのでしょうか、と質問いたします」
「……マナじゃよ。生命それぞれが持つマナの輝き。今ではマナばぁさんとわししか見る事ができないマナの輝きじゃ。ミシェルの生命の源に凛々と輝くマナは、わしが彼の国にいた時に感じていたヴァイガル家のマナよ」
「ヴァイガル家?」
「……彼の国は始祖イクスと、ヴァイガル家によって建国された国よ。その当時のことを知るものはほとんどいないが、ヴァイガル家はに生まれたヒトは統治者としての素質をマナに秘めておる。そう言う宿命なのかも知れぬ。ミシェルにはその統治者たるマナの輝きがある。それはヴァイガル家の血を引く者のれっきとした証明じゃ」
「ミシェルが統治者……」
エミグランは含み笑った。
「ミシェルの夢を聞いた時、小さいヒトながらに聡明だと思ったよ。幼子の拙い言葉ではあったが、皆が笑顔で暮らせる世界にしたいと、確かにそう言ったのだ。わしは思わず平伏すところだったよ。魔女狩りに合いながら、命の危険を目の当たりにして、両親を殺されて、それでも平和を望む幼子にの」
リンには両親はいない。置き換えて考えるならエミグランが親になるが、もし殺されたとして同じ事を言えるだろうかと考えた。
答えは出なかった。
「ミシェルは統治者として相応しい。わしはミシェルを聖書記に、そして彼の国の統治者としてミシェルを送り出すと、そう決めたのだ。つまりは、ヴァイガル国を取り戻す……ヴァイガル家が望んだ国にするために……御信託はミシェルを選んだ。そこから運命は動き始めたのじゃよ」
御信託とは、聖書記候補者の選定の事で、ミシェルが選ばれたその日からエミグランはヴァイガル国を取り戻すために動いていたのだ。
「あの日ミシェルが選ばれるかは賭けではあったがの。じゃが今は亡き始祖イクスの慧眼にミシェルが引っかからないわけがないと思うておったが、賭けに勝ってミシェルが選ばれて、彼の国の国民のみならず、世界に聖書記候補がミシェルであると植え付ける事ができた……」
「あとは、彼の国を取り戻す……」
エミグランは頷いた。
「……わし達がミシェル・ヴァイガルを、本来居るべき位置に送り出すのじゃよ」
エミグランの目的を知り、気になる事があった。アルトゥロの事だ。
「アルトゥロは、どうするつもりなのでしょうか……と質問いたします」
今となっては忌まわしき名前を聞いて、深く息を吐き出したエミグランは
「アルトゥロの目的はまだわからぬが、カリューダ様の復活を望んでいることには間違いない。そのために彼の国を利用しておる。奴の野望はわしが止める。」
と釘を刺すようにいうと、リンは承知しました。と答えた。
「……一筋縄ではいかぬだろう……こちらとしても使えるものは何でも使わねばの」
と、歩みを止めた。
リンは話を聞く方に意識を向けていて、今屋敷のどこに居るかわからなかったが、エミグランの前に重々しく鎮座している金属製の扉で、【独房室】と呼ばれる外からでしか開け閉めができない部屋の扉の前にいることがわかった。
この部屋には一人住人がいる。
扉の奥からは、人の気配を感じ取り、威嚇するように鎖が蠢くような音が聞こえてきた。




