第五章 20:戦士
ドァンク街中心部 ミストドァンク前
空高く頂点まで昇った太陽は、全てに光と温もりの祝福を与えてくれると獣人は考えているらしいが、今日はあまりにも暑すぎると、火照る体内からじわりと湿る汗がまとわりつく服を摘んではためかせるオルジアは、エミグランから依頼を受けた、避難民の誘導の陣頭指揮をとっていた。
街が戦火に覆われる。
間近に迫っている恐怖に、皮肉にもこれまで見たことない人が通りに所狭しとうごめいていた。
時折聞こえる怒声や叫び声に、獣人と人の大群をかきわけ柔軟に対応しながら、ノースカトリア方面に向かう人々の統制を取っていた。
午前は年寄りと女性と子供を馬車に誘導していたが、昼からは貴族会の雇った傭兵への対応も作業として増えて、ミストドァンクの獣人傭兵全員でも足りない状況が続いていた。
ピーク時よりも段々と目に見えて人は減っていたが、それでもまだ休日の人通りよりも多い。
憶測で、七割以上の住民は避難しているように見えた。
突然のエミグランの宣言に国民は驚いたが、異論を唱える者はほとんどいなかった。
獣人戦争の結末を書き換える。
どこからかそんな言葉を耳にしていた。
ドァンク以外の国では虐げられている獣人の立場を変える戦いだと、ほとんどの獣人がそのように捉えているらしく、オルジアもエミグランから聞かされているわけではないが、戦って副産物として得るものはまさに獣人の立場を変えることだろうと思っていた。
生きていくために、ヴァイガル国に対して否応に頭を下げ続けなければならなかった二百年の歴史を変えるチャンスでもある。
エミグランがヴァイガル国を追い出されたその日から、途切れることなく続いてきた束縛と制限を打ち破ることができる。
ドァンク国民のほとんどがエミグランを支持したからこそ、大きな混乱もなく避難できていると言っても過言ではない。
大きな混乱もなく避難を進められている理由は、ヴァイガル国の隣にあるドァンクが、ヴァイガル国から見捨てられたものの受け皿として機能してきた結果とも言える。
ヴァイガル国騎士団長を務めた経験のあるオルジアは、ドァンクがヴァイガル国に対して一抹の対抗心が誰にでもある事を肌身で感じていた。
そして、その一抹が総意を持ち、エミグランならヴァイガル国を倒してくれると信じている事も感じていた。
渦中にいるオルジアの心境は複雑だった。
聖書記をドァンクで誕生させる事は、全面戦争を意味する。これは守り切る戦いではない。エミグランの視野には、ヴァイガル国を手に入れる思惑が必ずある。
イロリナの最後の墓参りで決意した、昔のヴァイガル国と騎士団を取り戻す戦いになるかもしれないのに、今はたった一人だった。
一方向に歩み続ける人の流れに、思惑を乗せて流すようにぼんやりと見守っていると
「アニキィ!」
サイとキーヴィが人の群れから割って出てきた。
「すげぇ人だかりだぜぇ……南と西側の住宅地はもう希望者はみんな避難したぜ」
「そうか、ご苦労さん。もう少ししたら人もはけるだろう」
キーヴィが顔を赤く熱らせて尻餅をついた。
「人……多いぞぅ……おで、こんなに人がいるところは初めてだぁ……」
人の熱気にやられたキーヴィがついに地面に倒れ込んでオルジアは笑った。
「ははは、俺もだよ。こんなに住んでいたなんて知らなかった……ん? そういえばユーマはどうしたんだ?」
サイとキーヴィといえばユーマも揃っているはずとサイに尋ねると
「ああ……あいつは熱に弱いからな、こんな人だかりの中はただ立っているだけでもダメなんだ。その辺の川で寝っ転がって体冷やしてるんじゃねーかな」
なんとなくだが、川で寝転ぶユーマの姿は似合っていそうだなと微笑ましくなった。
人の流れがおさまりつつある中、オルジアは用事を一つこなさなくてはならなかった。
「すまんがここを頼むよ。厄介ごともないだろうからな」
とオルジアはサイ達に背を向け手を振って歩き出した。
「お? いいけどよ、アニキはどこに行くんだ?」
サイは歩き出していたオルジアを止める気はなかったが、オルジアは止まった。
「……俺の決意を取りに行ってくるよ」
そう言ってまた歩き出したオルジアに首を傾げたサイは「決意?」と反芻して人混みに消えていくオルジアの背を見送った。
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人通りが全くない抜け殻になっている通りで歩みを止めたオルジアが、まわりに人一人もいない一軒の家を見上げた。
中から金属を何度も叩く音が壁を貫いて聞こえてくる。
「やっぱり避難してないんだな」
扉の前には『なんでも加工します』と書かれた木製の看板が立て掛けられていた。
隣の倉庫のような建物の入り口の前には、金属やら木製のガラクタのようなものが山のように積み上げられていた。
中から聞こえてくる金属を叩く音がぴたりと止まると、倉庫の扉が激しく開かれた。
「だーれじゃ!」
「やぁ、ミムシュさん。俺ですよ」
加工屋ミムシュはオルジアの顔を顰めっ面で覗き込むと、すぐに緩んで
「おお! よおきたのぅ!」
とオルジアの腕を痛いくらいに何度か叩く。
「避難しなかったんですね」
「当たり前じゃ! わしも戦うつもりじゃ! ヴァイガル国の連中に目にものを見せてくれるわ!」
威勢のいいミムシュに少し笑った。
ヴァイガル国から火矢による攻撃で、一部の家屋が全焼してしまった事で、血の気の多いミムシュのような一部の住人は戦う意志を表明して避難せずに残っている。
「おお!そうじゃ! 頼まれていたやつができておるぞい!」
オルジアが決意と称したものはミムシュに預けていた。本当は来るべき時に備えておこうと考えて、金属の加工で腕の立つミムシュに相談していた。
ミムシュは倉庫の奥から一本の槍を持ってきた。
「重さは前よりも重くなったが、刃はワシが作っておったものに取り替えたぞい!」
オルジアは槍を受け取り、ミムシュから少し離れて振って感触を確かめた。
確かにミムシュが言うように重たくなっているが、槍はしなるような柔軟性があって、以前よりも振りやすく感じた。
「ヴァイガル国の鋼の感覚と違いますね」
「そうじゃろうそうじゃろう!」
「すごくしなるような感覚ですね」
「硬さならヴァイガル鉄が群を抜くが、亀裂も入りやすいんじゃ。槍を持ってきた時はすでにヒビがあったから、あのままだとお主が懸念していた通り何かの拍子に折れておったよ」
オルジアは先日の戦いの後、槍の手入れで見つけた槍先のヒビ割れをミムシュに相談して、昔ミムシュが作っていた槍先と交換してもらっていた。
「運が良かったのぉ!少し手を入れるだけで使えるものがあったからの!」
オルジアは本当に運が良かったと実感していた。これまで運には見放されていたと思っていた自分に辟易したことも何度もあった。戦いを前に、少しでも生き残る確率を上げるために、やれることはすべて終わらせておかなければならない。
「ええ。助かりました」
「じゃが、所詮は取り繕って作ったものじゃからの!前の槍先よりは持つじゃろうが、その槍に本当に見合った槍先を用意せねばならんぞい!」
「ええ。お知り合いにミムシュさんより腕の立つ刀工はいませんか?」
ミムシュは顎髭を撫でながら考えて
「……知り合いにはおらんが、ダイバ国なら腕の立つ刀工がおるかもしれんの。その槍先はダイバ国の刀工の技を見よう見まねで作ったものじゃ!」
見よう見まねにしては刃先も鋭く、試しに切ってみた背の高い雑草もなんの手応えもなく斬れてしまい、ミムシュの技術を再現する力もすごいものだと舌を巻く。
「わかりました。ダイバ国には知り合いはいませんがいずれ探しに尋ねて見ますよ」
「おお! もし完成したらワシにも見せてくれ!」
「ええ。必ず」
話は終わり、静寂が二人を包む。
密かに忍び寄る戦いを前に、オルジアは決意を握りしめる。
一度だけ本気で振り上げて、石突を地面に立てる。
「じゃあ、俺はもう行きますね」
オルジアの本気の刃風に驚いていたミムシュは
「う、うむ!ワシのことは心配いらんからお主も生き残るんじゃぞ!」
「ええ、もちろん」
オルジアの目つきはすでに戦いを見据えた戦士の目になっていた。




