第五章 17:散歩
ユウトはシロと共に過ごして一つ生活習慣が変わった。
それは、朝早くシロが起こしに来るので早起きになったことだ。
今日も新しい一日が始まることを告げるように、太陽が頭を見せるくらいで、宵闇がまだ太陽に溶ける事なく暗い時間にシロは目覚めた。
あくびをしながら両方の前足を伸ばして背伸びをし、体を震わせてからユウトのベッドに飛び乗った。
まだ、寝息を立てて夢の世界にいるユウトの寝顔を見て愛おしそうに頬を舐める。
「ん……んー……」
舐められた頬を夢の中から撫でて寝返りを打つと、ユウトはゆっくりと目覚めた。
「……あ……おはよ、シロ」
ユウトの顔に鼻先を近づけ、朝の挨拶をするようにかぐと、尻尾の動きに追従するようにお尻も動く。
「そっか……もう朝だから散歩だね、ちょっと待ってて」
シロが小さい体で大きく一度吠えると、扉の前に走っていってお座りしてユウトを見守る。
身支度を簡単に整えたユウトは
「よし、行こう」
と言うと、返事をするようにまた一度だけ吠えたシロと一緒に部屋を出た。
ダイバ国に来て二日目、まだ慣れていない朝の通りをシロと散歩する。
朝の瑞々しい空気を深く吸い込むと肺を中心に体の隅々にまで巡らせるように、さらに深呼吸をしてみる。
「ふぅ……空気が美味しいってわからなかったけど、こう言うこというんだろうな」
先々に小刻みなステップで前をいくシロは、大通りに先に出ると、朝早くから大通りに多くの人が集まって忙しなく祭の支度に勤しんでおり、シロは面食らって、警戒するように吠えていた。
シロの声に振り向いた人々は、突然の小さな来客に微笑む。
「す、すいません! シロが邪魔して!」
シロが吠えていたボディービルダーと見紛うほどの身体の中年男性は、体の大きさに負けないほど大声で笑う。
「いやぁいいんだよ! 朝早くから騒がしくしてごめんな!」
ユウトは目立つわけにはいかないと思い、シロを抱えると頭を下げて走り去った。
息が切れるほど走り、別の人通りのない通りで足を止めて、呼吸を整えて振り返った。
「追いかけてくる……わけない……よね」
『そんなことあるわけないじゃないか』
間髪入れずに返事をしたのはシロだった。
「シロ!」
『やぁ。この体にも随分と慣れてきたよ。マナのコントロールもできるようになってきてね。一日中は無理だけども』
シロはユウトの腕から飛び降りてから向き直ってユウトを見上げた。
『昨日は災難だったね。色々と』
「うん。うまくいかないね」
姉妹との関係が大きなところだと視線を落とした。
『……少し歩きながら話そう。邪魔者がいるからね』
「邪魔者?」
シロは、じっと見つめる先には何もない道路がまっすぐと続いていて気配はなかった。
それでもシロは見つめ続けると視線をユウトに戻して『いこうか』とあるきだした。
ユウトは辺りの様子を見ても何もないのに何を言うのだろうと不思議そうに首を傾げてシロを追いかけた。
『君と話すのも周りのことを考えながらでないとできないからね。変なことを言ったら聞き流しておくれよ』
何を言っているのかよくわからなかったが、「わかったよ」と返すと、シロはユウトに向き直って座った。
『君、昨日のあのワモとか言う男との稽古のこと、どう言うつもりだい? あれは皆が言うように死にたがっているようにしか見えなかったよ』
「……ごめん」
『私に謝らなくてもいいさ。しかしこの国はいささかきな臭い政治を行なっているようだね』
「きな臭い?」
『ああ。明後日に君たちは闘うのだろう? この国の代表の娘達と』
「うん。そうだね。そう聞いているよ」
シロはユウトの返事に呆れるようにため息をついた。
『普通に考えてどんなに腕が立つとしても、出して良い人間ではないだろう。そうは思わないかい?』
シロにそう言われて、確かにそうだと頷いた。
『なのに出てくると言うことに何も疑問を持っていないけども……いや、あのワモという男は何か気がついているかもしれないが……』
「ど、どういう意味?」
『君たちが勝っても負けてもドァンクに与することがないと私は予想するよ。きっとヴァイガル国が関与しているね』
――!!
『君たちが勝てば、三姉妹を痛めつけたけしからん奴らだと言われるだろうし、負ければヴァイガル国につく理由ができる。いずれにせよ国民を扇動すれば試合の結果がどうなってもドァンクにつかないようにする事はどうとでもできるということさ。それが三姉妹が出場する理由だろう』
「そんな……じゃあ僕たちは……!」
『……見せ物だよ。ダイバ国の政に利用されているだけかもしれないね』
ユウトは【見せ物】と言われて愕然とした。
何のためにローシアとレイナが必死で稽古をしているのか。
それも全て無駄な努力なのかと思うと、ユウトの脳裏から無理やり記憶が呼び起こされた。
フラッシュバックのように思い出される記憶は、大人達に裏切られて悲惨な学生生活。
いない人間とされ、大人の都合のいいように扱われた記憶は、胸の奥を締め付ける。
「だめだよ……帰ろう! 帰ろうってレイナ達に言おう!」
『それはやめた方がいいね。帰らないよ』
「な、なぜそんなことがわかるんだよ!」
『彼女達の宿命に立ち向かう決意を止められるなんて、きっと神様でも無理だね』
「じゃあ……じゃあどうすればいいんだよ?!」
シロは鼻を拭き取るように舌なめずりしてこたえた。
『私達で真相をつかもう。相手の尻尾を掴むんだよ』
「し、真相を?」
『うん。きっとヴァイガル国が関与しているはずだ。おそらくアルがね』
――!!
『祭の最終日の試合前までに、試合そのものが誰かの意図によって操られていると言う証拠を掴むんだ。形勢逆転するには根拠がいるからね』
「でもどうやって?!」
『簡単さ、君の友達に頼もうよ』
「友達って……レイナ達のこと?! それはだめだよ!!」
シロはユウトから少し右側に視線を外し
『いるんだろう? 出てきたまえよ』
と呼ぶように言うが、ユウトが見回しても誰もいなかった。
シロは気怠そうにため息をついてから
『出てこないなら私は君を二度とここまで近づけさせないけど、それでもいいのかい?』
シロの言葉に観念したように、姿を現したのはクラヴィ、そして手を繋いでいたタマモだった。
「さすがカリューダ様ね。私の存在に気がつくなんて」
余裕を見せていたが、タマモは繋いでいた手が震えているのを感じて緊張していた。
『犬は鼻が効くのでね……ということにしておこうか。それよりも話を聞いての通り君の力を貸して欲しい』
「いや……と言ったら?」
『いえるのかい?』
見透かすようにシロが言う。
断ればユウトの力にもなれず、シロを敵に回す。エミグランの師匠の知識の権化で、姿を消した自分が見えているのだ。
消える能力で汚れ仕事を生業としてきたクラヴィの肝を掴まれているのだ。
「……なるほど……わかったわ、でもアンタのためじゃない。ユウトちゃんのためよ」
『理由は何でも良いよ』
シロはユウトに向き直る。
『今晩、シューニッツ邸に忍び込むよ。人の秘密を覗くのは趣味ではないけど、君も行くよね?』
ずるいとユウトは思った。クラヴィがここにいることに驚いたが、シロは知っていて巻き込んだと思った。
『そんな顔はしないでくれたまえよ。時には誰かを利用して成し遂げなければならないことがあるのだよ。綺麗事ばかりで進められないことがあるのさ』
ユウトは、自分の考えている事を綺麗事と言われることが、心底嫌いだった。
シロまでそんな馬鹿にしたような事を言うのかと、自分が子供だと言われているようで素直に頷けなかった。
『君がいかなくても私は彼女にお願いすることになる。それでもいいならそうやって黙っているといいさ。決めるのは君だよ』
ますます答えづらくなった。今素直に「はい」と言えないが、クラヴィやタマモを巻き込んでしまった罪悪感があった。
悔しそうにするユウトにクラヴィが甘く優しく囁く
「いいのよ? ユウトちゃん、わたしの仕事は元々そう言うものだから。おつかい程度のことよ?」
だとしても、選択肢は一つしかなかった。
あとは自分の気持ち一つ。
悔しさや憤りを飲み込み、一度息を吐き出して、眉間に皺を寄せた顔を柔らかくしてから
「わかったよ。僕もいくよ」
そういうと、シロは深く頷いた。




