第五章 12:勝算
道場から飛び出すように出てきたローシアは、ワモを追いかけた。
ワモが向かった方向は、廊下を歩く音で大体わかっていたのでその方向へ走っていくとすぐに見つかった。
すでに道場生が集まり始めていたのか、ワモの前には全員ではないが道場生が集まっていた。
一様に怒りが滲み出る顰めっ面で、ワモを見ていた。ローシアは、道場生の怒りは、自分たちに向けられているとわかっていたので、柱の影に隠れて様子を伺った。
「ワモ様! 何故あの三人にこの道場の命運を託すようなことを認めたのですか!」
ローシアも同じことを疑問に思っていた。あの紙に書かれていた内容は、この国ではワモしか知らない話のはずだ。特にユウトが全てを知る者であると知る人物は限りなく少ないし、ワモに告げた時も道場生は走っていて誰も聞いていないはずだ。
つまり、ワモが仕掛けたと考えてもおかしくないし、それ以外に理由は見当たらなかった。
「なんじゃおどれら、わしのやることに異議があるんか?」
「あ、あります! あまりにもリスクの大きい試合ではないですか! ワモ様の役職を剥奪される上に道場まで……」
国防参謀の一人であるワモは、剣術の腕を買われて役職についた事は道場生は全員知っていた。
ダイバ兵の鍛錬は、ワモを含めた国防参謀の三人で行われていて、道場生にもダイバ兵がいた。
ワモの強さに憧れて入門した者も多い。
「理由を聞かないと……納得できません!」
「ワモ様! 我々ではダメなのですか!?」
「俺だってワモ様の弟子です!」
ワモに突きつけられる道場生の思いは、心に刺さっていた。全員の滾りを抑えるには、少し事実を話さねば無理だろうと思った。
「……今回の試合は、国の命運を握る試合じゃ。今クズモ様を含めてヴァイガル国への同盟を推進する方針になっておる」
ヴァイガル国との同盟と聞いて道場生たちはどよめく。どう考えても地理的にもドァンクがヴァイガル国の緩衝材のように間に入っている事でこれまでいざこざはなかったが、ドァンクは獣人の国だ。獣人と人間の身体能力の差は、絶対に縮まる事のない差があった。
もちろん軍事行動が発生した事も全員が知っていたし、結果、ヴァイガル国側が敗れてドァンクが優勢な立場である事も周知だ。故にヴァイガル国側と同盟を結ぶかもしれないと言われて、全員が疑問に思う。
「何故そうなったかはのっぴきならぬ理由があるんじゃ。いずれにせよ勝たねばならん試合じゃ。もしわしらが負けたら、下手すればドァンクを敵に回すことになるからのう」
ドァンクはエミグランがいる。それだけでも敵に回すことのリスクはかなり大きいと、その場にいた皆が思い至った。
「もしおどれらが試合に出たら全員がドァンク派に分類される。結果負けでもしたら、おどれらはこの国では反乱分子扱いになる――」
「そ、そんな……」
「あの三人には戦う理由がある。だから試合なんじゃ。もし三人が負けたら道場は無くなるが……そうならんようにせんとな!」
から元気にも見えたワモの笑顔は、道場生たちを苦しめた。何もできないのかと歯噛みする顔もローシアから見えた。
「ワモ様! ヴァイガル国の肩を持つ人物がいるという事なのでしょうか!」
ワモは鼻で笑う。
「それはおどれらには関係ない話じゃ。この道場とは違う次元の話じゃからのう」
道場生たちの頭上の空を遠い目で見て、少し前にやってきて話したホウリュのことを思い出した。
――杞憂であって欲しいが、シエルマはヴァイガル国の誰かに操られておるかもしれん……ゴホッ……ゴホッ――
今回の一件は、シエルマに担がれる形で試合を受けざるを得なくなったワモのせいでもあった。
昨日のシューニッツ邸での会議は、シエルマがヴァイガル国派、ワモがドァンク派の形になった事で全員が理解しやすくなったが、流れは思わぬ方向に進んだ。
シエルマが祭りの最終日に、試合を行なって今後の行く末を決めようではないかと言い出した。
そんな事で国の行く末を決められるものか!と抵抗したが、認めたのはクズモだった。
――いや、面白いではないか。どちらかに決められないのなら、お互いに納得がいくようにすればいい――
ワモはクズモから楽観的にも聞こえる提案に、顔には出さなかったが憤りと一つの疑問が浮かんだ。
――……クズモ様……すでにシエルマの術中にはまってしまわれたのか?――
シエルマの最近のヴァイガル国への歩み寄りは、何もしていなくても耳に入ってくるくらいに大っぴらに動いている。
クズモの三姉妹のうち、二人をヴァイガル国に使者として向かわせるように助言したのはシエルマだった。
シエルマの意見がまかり通る今の状況は、いずれ国を滅ぼすかもしれないと思ってはいたが、周りを固めてイエスマンの多い会議で本人に言えるはずもなかった。
冷静な議論ができない根回しが、こんな危機的状況でも優先されるのであれば、力でねじ伏せる必要があるとシエルマの前に立ちはだかったのが最後で引けぬ試合を組まれてしまったのが昨日のことだ。
――クズモ様とシエルマを説得できずにとめられなかったと言えるはずがねぇ……――
根回しの効いている昨日の会議は、終始シエルマの独壇場だった。
刀ではなく、弁舌で国は動く。
昨日はそう実感させられた日だった。
だがワモには勝算があった。
それはユウトの存在だった。
ユウトと道場生が手合わせして、攻撃が全く当たらない動きはワモの目指すところでもあった。
戦いや刀なんてない方がいいに決まっている。
しかし、そんな思いはワモの中だけの話で、目の前に広がる人山は、ワモの強さに憧れて入門してきた奴らばかりだ。
道場が閉鎖かもしれないとなると、試合を前に辞める人間も出てくるだろう。
そうなればワモの周りを切り崩そうと立ち回るシエルマの思うツボだ。
四面楚歌ではある。しかし光明がないわけでもない。
それがローシアたちの存在だ。今朝のローシアの稽古には力が入ったし、レイナの成長も感じられた。
二日後の試合を予想するため姉妹の成長を吟味してきたが、二人がこの十年間にどれだけ鍛錬してきたかも目を閉じても思い浮かぶ。
「なあに!勝てばええんじゃ!勝てば!」
クズモの親ヴァイガル国の方針も潰さなければならないし、二日後の試合で勝たなければ自分の進退も危うい。
ワモの断れない状況から出せる手札は三枚。ローシアとレイナ。そして切り札はユウトだ。あの深緑の力があれば……と出会って間もないユウトの力を肌で感じて。
ワモは視線を道場生たちに移して険しい顔に戻った。
「おどれら! いらん心配はいらんから、さっさと走って来いや!」
昨日と同じように走れと大声で怒鳴り、道場生たちは顔を見合わせてどよめいたが「いけぇ!オラァ!」とワモがはっぱをかけると、仕方なさそうに全員が渋々動き出す。
普段ならもう一つくらいはっぱをかけるが、今はそんな気分ではなかった。
言えるような立場でもないと自虐的になっていた。
――できることなら、わし一人で試合したいものじゃが……――
自分で蒔いた種は自分でけりをつけたいが、例え試合であっても大っぴらに別の国を代表して試合に出るなどできず、全てを言えない師匠に愛想をつかさず、走り出そうとしている弟子に託すわけにもいかない。
弟子たちは門をくぐり抜け、掛け声を合わせて走っていく。
「ローシア、聞いとったな?」
ワモの視線は門の方にあったが、呼ばれたローシアは歩み寄る。
「はい。」
「まあそういうことじゃ。稽古をつけることができるのは、あと二日でどこまで強くなれるかじゃ!」
そういうことではないでしょう!と叫びたかった。しかし、ワモが言えない何かを我慢しているように見えたローシアは問い詰めようとは微塵も思っていなかった。
三人には戦う理由があり、断る理由はない。むしろ戦ってダイバ国を対ヴァイガル国として味方に引き入れることができれば後顧の憂いはなくなるエミグランの狙いと、アルトゥロの野望を打ち砕く事に集中でき、ワモとの修行も大っぴらにできるローシア達の希望が叶う。
もし負けたら、エミグランの心配の種が増え、そしてローシアはワモと敵対することになる。
負けられないのだ。絶対に。
「祭りの最終日に、ドァンクかヴァイガル国のどちらの国に付くのか、国民の総意で決まる。最終日におどれらが勝てば結果にも大きく関係する、それは覚えておけ」
「ええ、望むところなんだワ。それでシューニッツ三姉妹は強いのかしら?」
「……ああ、何せダイバ国の三本刀シエルマ、ホウリュ、わしが鍛えとるからな! ハッハッハッハッ!」
笑い事ではないが、笑う事で場の空気を明るくしたかった。後からやってきて隠れて聞いているレイナとユウトの気持ちを明るくするために。
ローシアは必要なかった。戦う前に勝算なんて計算は性に合わない。対峙して強さを肌で感じて戦い、勝つ。実にわかりやすいではないかと口元を歪めてニヤリと笑ってから静かに力強くワモに返した。
「望むところよ」




