第五章 7 :親書
――シューニッツ家 正門前
ワモの道場前で見た立派な黒光りするほどに手入れされ、まるで有名なお寺の門構えのような立派な門だったが、シューニッツ家の門はそれを一回り大きく、細部に渡って彫刻を施していた。
立派な門を見学に来た観光客か、付近の住人かはわからないが、ローシア達と同じように門を見上げる者もいれば、門から出入りする一般の人達も散見された。シューニッツ家は観光名所として利用されているらしく、他の多くの見学者たちと同じように三人も見たこともない大きな門を息を呑んで見上げていると
「金持ちの道楽なんだワ」
と、少し嫌気がさしたように嫌味を漏らしたのはローシアをいつものようにレイナがなだめる。
二人の後ろにいたユウトは、眠っているシロを抱えて二人の様子を少し笑顔で見守っていた。
世界を混沌に陥れたとされるカリューダの知識と記憶をもつシロ。
ユウトの疑問を解決してくれるかもしれない唯一の存在が、馬車の中で眠っていた時と同じように、腕の中でスヤスヤと眠っていた。
馬車の中の時と違うのは、シロの中にあるカリューダの知識が今何を考えているかを知ったことだ。
ローシアにもレイナにも誰にも相談できない孤独を和らげるシロの存在が、見た目以上に愛おしく感じていた。
そんなユウトの事を一番に考えているレイナは、ユウトの張り詰めた緊張感が、少し前よりも和らいだと見て取れてはいた。
レイナは門の前で、悪趣味に見えるらしい立派な門に負けないようになのか仁王立ちしているその後ろでユウトを心配そうに見つめた。
「さあ!行くワ!」
ローシアは二人に声を張って門に指差すと、レイナは驚かされたように体がビクッと反応した後、「は、はい! 参りましょう」とローシアが歩き出すと共にレイナもついて歩き出す。
ユウトは何も言わずに二人の後を同じ速さで歩き出した。
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シューニッツ家はエミグランの屋敷の敷地面積よりもかなり広く、門から続いている敷地を囲う外壁がエミグランの庭園よりも明らかに広く、見てすぐに広いと分かるほどだった。
門の近くにいた胴回りと膝から足の甲を、鉄製のガードで覆っているダイバ国の兵らしき人達にローシアが声をかけると、一瞬驚いたようだったが、すぐに取り直し、丁寧に腰を折って礼をすると案内してくれるとのことで兵を先頭に歩き始めた。
ユウトはどこか和を感じる趣に、ほんの少し心が締め付けられたが、少しだけ首を振った。
大きな平屋の建物がシューニッツ邸だと紹介されて中に入ると、中にいた10時らしき壮年に案内を引き継がれて、屋敷の奥へ向かった。
屋敷の中造りは、柱や天井が木製で壁の部分だけが漆喰で塗られていた。エミグラン邸に比べると質素で静かな邸内で、歩く足音が大きく聞こえるほどだった。
質素でありながらも、どこからか甘やかな香が漂っていて屋敷に高貴な印象を感じさせていた。
ほとんど真っ直ぐに歩くと、目的の部屋の前に到着したらしく、両開きの扉の前で執事が振り返ると「この奥にいらっしゃいます」と言ってから、静かに扉を開いた。
通された部屋の中で待ち構えていたのは、数人の兵と、一人の壮年だった。
白髪混じりの肩までつきそうな髪を後ろにまとめて束ね、右前の着物に似た上着に足の動きが見えないほどの袴姿で、上着と袴の境目の腰に濃い紫色の細い帯を締めていた。
ユウトにはまるで合気道の先生のような出立に見えていた。
「やあやあ。エミグラン公の使者の方々。到着していたことは知っていたよ。ようこそダイバ国へいらっしゃった」
壮年はにこやかに両手を広げて三人に近寄ると、ローシアとレイナは片膝をついて頭を下げた。
そんな挨拶方法を全く聞いていなかったユウトは遅れて真似をして片膝をついた。
「いやいや、そのような堅苦しい挨拶は結構。頭を上げて欲しい」
優しい声で姉妹に語りかけると言われた通りに頭を上げた。
「私がダイバ国の長、クズモ・シューニッツだ。」
ローシアはもう一度頭を下げてから
「ドァンク共和国の使者としてお出迎えいただき感謝いたしますわ、クズモ様」
「とんでもない。ドァンク共和国とは同盟こそ結んではいないが、友好的な関係を築ける事ができ、寛大なエミグラン公には感謝しているよ。」
「ありがとうございます。クズモ様のお言葉、エミグラン様にお伝えいたします」
ローシアは部屋に入る前に手に持っていた親書を、両手でクズモの前に差し出した。
「早速ですが、エミグラン様からの新書でございます。」
ユウトはローシアの言葉遣いがこんなにも変わるものかと、心の中で改めて感心していた。
「エミグラン公の新書……私の代では初めての事だ。」
クズモはローシアから親書を受け取り、蝋封を指で吟味するようになぞってから、懐から出した小刀で切るように剥がすと、中から折り畳まれた紙を取り出した。
「鬼が出るか蛇が出るか……怖いね」
冗談のつもりでクズモは言ったのだが、その言葉にわずかに体がピクリと動いたのはローシアとレイナでユウトは見逃さなかった。
――二人とも……驚いた?――
二人の反応は後ろにいたユウトだけが気がついた。クズモは気にも止めずにエミグラン直筆の親書に目を通し始めた。
ローシアは、親書の内容について、想像ではドァンクがヴァイガル国に不当に攻め入られた事を伝えて、対ヴァイガル国の動きを活発化させるものだろうと予想していた。
神殿地下の出来事を、黙示録の破壊が成功したとは捉えていないエミグランの目的は、カリューダを復活させようとする動きを封じる事だ。
――大災の名を拝してなおも全知全能たる全てを知る者を待つ。この大地と異なる世界より現れる全てを知る者こそ世界救済のかの汝。顕現される日より世界が歓喜と祝福で溢れる――
カリューダの黙示録の記述とされる一文は、ずっとローシアの脳内にこびりついて忘れることなんてなかった。
ユウトによって壊された黙示録は、本でも手紙でも紙でもない石碑だった違和感は今でも拭えていない。
何故なら、ローシア達を運命付けた記述を目の当たりにしていないからだ。
あの一文はどこからきたのか、本当に魔女カリューダの残した言葉なのか、先祖の魔女マーシィは、カリューダの遺物の精査で何か見落としているのではないか、何故あの石碑にカリューダの知識が残っていたのか……
疑問は燻り続ける事で思考はさらに深くまで掘り下げ、ユウトが現れる事を何故予見できたのだろうか、ともっと根本的な疑問まで辿り着いてしまった。
実際に黙示録と呼ばれるものを壊して得たものは、シロの存在のみで、解決したとは言い難い。
それどころか魔女カリューダが甦るかもしれないという想像だにしていない危機的な状況だった。
これまでに起こったことが、本当に自分たちが望んでいたことなのか、少しでも前に進むことができたのか……
それさえもわからないまま、今ダイバ国にいる。
悩んでも仕方ないと、やるべきことは一つなんだと全ての疑問を振り切って。
――魔女なき世界……果てしなく遠いんだワ……――
エミグランも魔女なき世界は同じ目的であるとは言うが、もしカリューダが甦ったら、カリューダを殺す事に葛藤し、最悪、カリューダを甦らせる事ができる唯一の人物アルトゥロに降るのではないかとも考えていた。
親書の内容次第では、ドァンクに戻らずに三人で逃げることも視野に含めていた。
――全ては……魔女なき世界のため……アタシ達が成し遂げるために……――
ユウトさえ守れば絶対にカリューダは甦らない。
アルトゥロがユウトの聖杯を奪いに来る前に、決着をつける事。ローシアとレイナが、神殿地下の出来事の後に話し合ってそう決めていた。
思案に耽るローシアを現実に戻したのは、親書を読み終えたクズモの唸り声だった。
「どうかなさいましたか?」
親書の内容を知らないローシアは、クズモの反応を見て何が書いてあるか察するつもりだったが、唸った後は苦虫を噛み潰したような険しい顔になっていた。
「にわかには……信じがたい内容ではある……だが……」
クズモは少し後ろにいた従者に親書を渡すと、読み上げるように命じた。
従者は戸惑いながらも返事をして、クズモから頭を下げて両手で受け取り、咳払いをして読み始めた。
「クズモ・シューニッツ殿 まず、突然の親書にも関わらず快く受け取っていただき感謝申し上げる。すでにいくつかの出来事はご存知かと考えているが、ヴァイガル国の隣国として、クズモ殿に現在の状況と今後の事について説明を以下に示す。
ヴァイガル国の聖書記が不在となり、イクス教の御信託で我が共和国から初となる聖書記候補者が誕生した。ヴァイガル国との関係は周知の通りではあるが、近隣諸国に大きな影響を与える聖書記を無闇矢鱈に政争の具として扱う事は世界に混乱を招くものとして、聖書記の誕生に協力する事を明言し、協力していた。」
ローシアは『ものはいいようね』と小さく鼻で笑う
「だが、実際に起こった事を列挙すると
前貴族会代表イシュメルと養子ユーシンを殺害」
室内にどよめきが起こり、読み上げる従者は止まった。イシュメルが亡くなった事は室内にいる全員が知っていたが、原因はダイバ国まで情報はなかった。
どよめきが収まった頃を見計らって、また続きを読み始める。
「ヴァイガル国は否定したが、手口から彼の国の者が関与していると確信している。イシュメルの殺害により、代表に就ける人物がおらず、引退した身ではあったが私が代表に復帰した。
そして、聖書記の最終儀式である先日に発生した予告なき軍事行動に至る。
軍事行動は共和国内にも及び、住民の家屋を燃やされ、矢に毒を仕込む等、何の罪もない住民に一方的に行われた。幸いにも被害は最小限にとどめることができた。
もしクズモ殿がおられる御国で同じ状況が発生したらどう考えるだろうか?
国民を守られる同じ立場であれば、私の思うことは理解いただけると思う。すでに遺憾を通り越している。
私はこれ以上の争いを極力避けるため、一つの結論に至った……それは……」
読み上げる従者は目で文章の先を追い、「えっ?」と漏らす。
クズモは厳しい顔のまま頷いて読むように促す。
「……あ、争いの元は、全てヴァイガル国にある。何の要求もなく、ただドァンクに被害を加えるヴァイガル国に正義はない。よって、これ以上ヴァイガル国の望みに答える必要はない。これまでの状況をもって、ドァンク共和国および貴族会は決断し、ヴァイガル国と敵対する事を明言する。そして、ドァンク共和国は、聖書記候補者を……ドァンク共和国の聖書記として誕生させる!」
聖書記がドァンクで誕生する。
今日一番の驚きの声が上がったが、使者の三人が一番驚いて唖然としていた。




