第五章 3:硬い手
『ワモ流剣術道場』と門の上に荒削りに造られた木製の看板が掲げられた道場の前で三人と一匹は立ち止まった。
「ここだワ」
ローシアとレイナの顔は緊張なのか少し引き攣っているような様子に、ユウトは心配そうに二人を見たが、心配を察したローシアは
「さ、入るんだワ」
とユウトの気持ちを振り切るように門をくぐった。
「ワム様にお会いするのは久しぶりですわ」
ユウトは当然知らないので
「そうなんだ。どんな人なの?」
と聞いてみると、レイナは顎に指を当てて考えて
「とても、強い方です。」
ユウトには想像しうる回答が返ってきてうすら笑う。
「それはそうだよね。だって二人の師匠なんでしょ?」
「はい。でもそれ以外に形容できません。たったお一人で生み出した体術と剣術で、並ぶものなしと言われるほどの実力者。その強さは多くの剣士を生み出したダイバ国でも三本の指に入ると言われております」
「……すごい人なんだね」
先に道場に向かっているローシアの後を追い、二人は歩き出した。
「それに、すごく……厳しい方なのです。私たちも稽古をつけていただいてる最中によく叱られました。その時の怖さがお姉様も覚えておられるようで、私も門の前に立つとすこし緊張してしまいました」
「でもさ、怖くても師匠なんだよね? 流石に久しぶりに会うんだから喜んでくれるんじゃないかな」
レイナは視線を落として「だといいのですが……」と絞り出すように誰にいうでもなく呟くと
「馬鹿たれがぁ!!」
と耳をつんざくような罵声が聞こえたかと思うと、声のした方向からローシアが吹き飛ばされてユウト達のところに転がってきたが、受け身をとって立ち上がる。
「お姉様!」
ローシアに駆け寄ったレイナに小さくつぶやいた。
「やっぱりワモ師匠は一筋縄ではいかないワ。覚悟なさい。」
ローシアの視線の先には、数十名の白い道着に紺の袴のような出たちの道場生と見られる軍団の真ん中に、同じような格好で腕組みして踏ん反り返っている艶やかな黒髪を後ろに束ねたユウトと同い年くらいの男の子が立っていた。
その男の子こそ、ローシアとレイナの師匠であるワモだった。
「おうローシアよ、ワレのその顔を見たらわかるわぁ……負けたな? このワシの弟子にも関わらず……負けたんじゃろうが!」
見た目はすごくカッコ良いユウトより少し年上の少年に見えるのだが、喋り口調と見た目がまったく合っていない。
ローシアはまっすぐに立ち、ワモを見据える
「ええ。負けたワ。ここ最近に、それも何度もね」
「なに?」
鋭い目つきでユウトを睨むとローシアはユウトの太ももを軽くこづいた。ローシアに耳を傾けると
「あれがワモ師匠よ。この道場の開祖なの。悪いけどアンタをダシにさせてもらうワ。」
と小さく言うローシアに怪訝な顔をして何をするのかわからないユウトは
「僕をダシって……」
と聞き返す前に
「何をクズクズ話しとるんならワレェこら!」
いきりたつワモにユウトも背筋がピンと張った。
ローシアは少し口元を緩めて、咄嗟ではあるが効果的なワモを説得するシナリオを語り始めた。
「ワモ師匠、世界は広いワ。強い奴なんてそこらじゅうにいるワ。」
「フン、当たり前よ。言わんでもわかるわ、そんなことは」
「ここにいるユウトにさえ敵わなかったんだワ」
「……なんだと?」
ワモがギロリとユウトを睨む。
「ヒッ……ロ、ローシア……ちょっと……」
ユウトが睨みに怯みそうなところにローシアはたたみかける
「きっとここの道場生でも敵わないんだワ。私の見立てだと瞬きしている間に終わるワ!」
ローシアは自信満々にワモに指差して堂々と宣言した。
「ロ、ローシア!だめだよ僕じゃ何もできないって! ご、ごめんなさい、僕はそんな……」
慌てふためくユウトはワモを見ると明らかにローシアの戯言を受け入れたらしく衝撃を受けて後ずさっていた。
「ば……バカな……そんなことが」
道場生も全員漏れなくローシアの言葉を信じ込んだようで、ワモとともにユウトを危険物を見るような目で見ていた。ユウトは
「なんで受け入れてるんだ……」
とツッコミを入れるようにぼやいた。
**************
「いいか、この水時計がすべて落ちるまでの時間だ。それまでにこの五十名の道場生をすべてしばいてみろ」
道場に通された三人と一匹は、広い道場に感動するまもなく、ワモに指さされたユウトに向けて宣戦布告を告げられた。
ユウトは恨めしそうに後ろでにこやかに手を振るローシアを見てため息をついた。
――でも、やるしかないんだよな……――
五十人に囲まれたユウトは、心を落ち着かせるように一度深呼吸をして、周りを見渡した。
囲む道場生はユウトよりも少し年上と見られる男しかいない。ローシアの言葉を完全に魔に受けているのが、全ての道場生はユウトの一挙手一投足を見逃さないとじっと見て伺っていた。
「どうした! ワレ達はこの俺の修行に耐えた奴らだろうが! 死ぬ気でいけ!!」
ワモの怒声に少しどよめいたのは、死ぬ気での部分だろう。死にたくねぇよ……という弱音が小声で聞こえてきた。
――死ぬ気でって……そんなこと簡単にできないけどなぁ……――
ユウトも心の中でごちると、周りから胃を結した数人が猿叫をあげながら三人がユウトに飛びかかる。
――!!
体が反応するように、右腕がすぐに深緑に包まれ、ワモが目を見開いた
「あの腕は!!」
ユウトは襲いかかってきた道場生達の動きを深緑の右腕の感覚で見切る。戦いの意識の多くが右腕だけに集中しているような感覚で、あらかじめ攻撃がくる方向と大きさと速さが分かればユウトの身体能力でも簡単に避けられる。
とある道場生の拳の一撃はユウトの顔を狙って、鍛錬された動きで突き出されると、首だけを使って間一髪のところで避けると、別の道場生が、ユウトの腰に抱きついて倒そうと体当たりを試みるが、子供がじゃれつくのを避けるように腰を先に動かして避ける。
足払いには静かに狙われた足を上げて避けた。
何十人もの無数のランダムな攻撃は、たった一人のユウトに向けられたが、ユウトは側から見ると恐ろしいほどの最小限の動きで避け続ける。
まるで未来が見えているかのような動きだ。
ワモは率直にそう思った。なぜなら、たとえ体術の師範であり、自分の弟子である道場生達に何十人も相手をするとなると、今のユウトの動きが自分にもできるかと問われたら、わからないか、もしくは出来ないと答えるだろう。
それほどまでにワモから見たユウトの動きは人智を超えており、言うなれば神の領域にも感じられた。
次々と襲い掛かる道場生の攻撃は、ユウトに掠りそうにも見えなかった。ギリギリなのに不思議と余裕のある回避で、危なっかしい感じはするのだが当たりそうにも見えない。踊るように見える動きにローシアは胸を撫で下ろすように安堵して
「やっぱ無理よね。アタシ達でもどうなるか見当もつかないのに」
と見立て通りになっている事に顔が綻ぶ。だがレイナは頬を膨らませて、ユウトに危険な事をさせている姉に少し怒っていた。
ワモは初めて見るユウトの新緑の腕に思わず固唾を飲んだ。
そして、姉妹とユウトがなぜ共にこの道場にやってきたのか理解した。だが、弟子である道場生達の腰のひけたような立ち回りに、段々と苛立ちがつのる。
ワモは苛立ちを溜め込むことなんて出来ないので、ワナワナと震えた後
「おどれらぁ!! 何しとんなら!!」
ワモの渾身の怒声が道場を張り裂けんばかりに響き渡った。
「そ……そんなこと言われてもぉ……」
「なぜかこいつに触れることすら出来ないんですよ……」
ワモからするとこれほど情けない言い訳があったものかと情けなくなり、額に手を当てて首を振った。
何十人の弟子がたった一人に触れることすらできないという事実は、戦って負けるよりも残酷だと思ったからだ。
言い換えれば、何十人が相手でもユウトを倒す術がない事を意味している。
とは言え、弟子達が手を抜いているとは全く思っていないワモは、壁にかけてあった木刀を乱暴に取り上げて、「どけぇ!おどれら!!」と、まだ光明が全く見えない追いかけごっこをしているように見える道場生の間を割って入った。
業を煮やして割り込んだワモの顔は、至極冷静で、その様子に気がついた道場生の一人はワモのの名前を反射的に呼んだが、ワモの視線はユウトに釘付けで声に反応すらしなかった。
「ユウト……とか言うたな?」
新緑の右腕を持つユウトに尋ねると
「え? は、はい。アキツキユウトです」
と、改めて自己紹介するように答えた。
「ワレがどれほどのもんか、見定めたるわ……」
ワモは持ってきた木刀を左の腰に当てて、右脚をユウトに向けて腰を落とす。その様子を見てユウトには思い当たるところがあった。
――まるで居合い斬りだ……――
右手は柄に軽く乗せるようにしていて、ワモはじっとユウトを見据える。
道場生は二人を中心にして一気に離れた。
ローシアとレイナは、ワモの周りの空気が、蜃気楼のように歪んで見えていた。
「お姉様……ワモ様が……」
「ええ、本気ね。」
レイナはユウトの身を案じてユウトに駆け寄ろうとしたが、ローシアが腕を握って止めた。
「ダメよ。もう止められない。間に入ったらレイナがやられるワ」
「そんな……」
ローシアの顔も神妙な面持ちになっていたが
「信じるしかないワ、ユウトを。アタシ達の悲願であるユウトの力をワモ様に見せつければ、三人に稽古をつけてもらえるはずなんだワ」
ローシアがワモのもとに訪れた本当の目的は、ユウトも含めて改めて三人の修行を見てもらう事だった。
ワモの剣術と体術は習っていて損にはならない。ユウトはこれまで新緑の右腕に頼っているが、そこにワモの体術が加わると今以上に強くなれると考えていた。
だがワモは偏屈者である事を知っていたローシアは、見ず知らずのヒョロいユウトに稽古をつけるなんて天地がひっくり返っても無いだろうと思っていた。
稽古をつけてもらうには、ユウトが逸材である事。全てを知る者であり、稽古をつけるに値する者である事を証明しなければならない。
わざわざ、遠回しにワモに喧嘩を売るような事をしたのは、ユウトとレイナのことを思っての事だった。
――ユウト……アンタの力ならワモ様の攻撃をなんとかできるはず……お願い……――
祈るように見つめる先には、対峙したワモとユウトの二人が向き合っていた。
ワモはユウトの力を想定以上に定め直していた。
何十人もの攻撃がまったく当たる気配すらない体捌きでありながら、全く呼吸が乱れていない。
姉妹の悲願である全てを知る者を見つけるという目的は、ユウトと出会ったことで果たされたのだろうと理解していた。
――もし、こいつが二人の探していた全てを知る者っちゅーやつなら、持ち前の力で何かしてくるかもしれん……だが――
ユウトは左手で後頭部をかきながら愛想笑いをしていた。
――なんちゅう情けない男なんじゃ! へらへら笑いやがって……こんな間抜けな男がホンモノとは思えんが……本気で一太刀……打つ!――
ワモは力を抜いた。
大地の力を足裏に感じて、一度大きく深呼吸して筋肉に頼らないように全身の力が自分の骨に従うように。
体に力を入れなくても、速さと重さは生み出せる
「……ワモ、さん……もうやめましょうよ。争うことなんてないと思うんです」
甘ったれた事をいうユウトがにこやかになった瞬間、ユウトが目を細めた隙を見逃さなかった。
ワモは肩甲骨を広げるように背中を丸めると口を窄めて息を吐き出し、両方の肩甲骨を背骨中心に引き寄せるようにして木刀をユウトに向けて振り抜いた。
レイナは思わず顔を背けて目を閉じた。ワモが手加減するなんて考えられなかったからだ。
ユウトからもらった双子花のペンダントを握り込んでユウトの無事を祈った。
……
…………
「……ぐっ!」
ワモの放った剣撃は、ユウトの鼻先で止まっていた。唸ったのは、渾身の剣撃が掠りもしなかったワモはだった。
――当たらなかった……だと!――
手加減などしなかった、目測も間違ってはいない。目線でユウトの足元を見ると、道場の床の木目を見て、先ほどとは立っている位置が変わっていたことをはっきりと確信した。
――こいつ……虚を突く攻撃が当たらんのか!!――
虚を突く攻撃は人間の意識の外から襲ってくる。だから避けることが出来ないのだが、ユウトは避けた。
ワモはこれまで虚を突く攻撃を簡単に避けるという神技を持った人間など見たことがなかった。
力を抜き、ユウトの視線に映る情報を少なくするために最小限の動きで木刀の動きを悟らせないように打ったが、ギリギリで避けている事実を突きつけられ、結論は出た。
――なるほど……二人が見つけた男は本物ということか――
ワモは微笑んだ。笑いが堪えられなかった。
ローシアと、ようやく目を開けてユウトの無事を誰よりも喜ぶレイナを見据える。
「お前らの見つけてきた男は本物じゃ! よぉ見つけてきたのぉ!」
ローシアは指で鼻の下をこすりながら「当然なんだワ」と誇らしげにいうと、ワモは大きな声をあげて笑った。
そして、ユウトに向き直ると右手を差し出した。
「ワモ・ミナグシじゃ! よろしくのぉ!」
ワモは屈託のない笑顔を添えていうと、ユウトはワモの手を握って握手した。
道場生達も含めたワモの手荒い試練は終わったと思いユウトはやっと心から安堵した。
握り返したワモは手は硬く、力強かった。
ユウトは握手しながら上下に振るワモの嬉しそうな笑顔を見て、本当に修行を重ねてきた強い人なのだと実感した。




