第五章 2:師匠
ヴァイガル国とドァンク共和国の関係は一夜にして激変した。
戒厳令まで発動して起こした軍事行動は失敗に終わったことで、両国の国民の関心は、次の軍事行動は行われるのか、だった。
注目を集める王族の動向などお構いなしにエミグランは被害にあった国民に、ヴァイガル国へ賠償請求を行うことを明言した。
聖書記が発端となった一連の騒動のシナリオの向く先は、全てヴァイガル国の次の一手にかかっていた。
エミグランはヴァイガル国の動向を注視しつつ、近隣諸国の懐柔を急ぐ。
…………
「……と言うことらしいワ。」
ダイバ国に貴族会の馬車で向かう車内で、ローシアは、向かい合って座っているギオンとアシュリーに執務室でエミグランと話した内容を語った。
ローシアの横にはレイナ、ユウトが座っていて、ユウトの膝の上にはシロが腹を上に向けて眠っていた。
ローシアが執務室の話をドァンク街に入る前から話し始めて、すでに通り過ぎたドァンク街は影も形もないほどに離れていた。
ギオンは顎を撫でながら唸ってローシアに質問した。
「確かに、聖書記の儀式を蔑ろにしてまでドァンクに攻め入ろうとするやり方は、少し強引すぎるようにも思える……そのあたりのことは何か仰られていたのだろうか?」
ローシアは首を横に振り「全然」と言って肩をすくめた。
疑問が深まり鼻息を鳴らすギオンに、アシュリーは思いの丈をギオンに向けて語る。
「……何か不自然にも思えますわ、これまでバランスを保っていたはずなのに……」
ギオンはアシュリーの言葉を遮るように語り出した
「いや、あえて何もなかったという方が正しいのかも知れぬな」
「あえて?」とアシュリーが聞き返すとギオンは深く頷く。
「うむ。元々穏当な間柄ではなかったのだのだろう。仮初の平和を取り繕っていただけと言うことだ。彼の国はドァンクを見下しているからな」
アシュリーはサンズになじられたことを思い出し、眉を顰めた。見下していることを身をもって知っていたからだ。
「今回の一件は、エミグラン様がヴァイガル国に訪問した事がきっかけになっている事には違いないだろう。おそらくはアグニス王との面会で何かあった……その結果、アグニス王はドァンクに攻め入る決断をした……聖書記の儀式に乗じてな」
アシュリーもギオンと同じように顎に手を当てて思考をめぐらせてギオンの後に続けた。
「エミグラン様が最大の障壁と考えて、ヴァイガル国におびき寄せて一気に街を叩くつもりだった……と言う事でしょうか……」
二人の予想にローシアは率直な感想を述べる。
「にしては被害はヴァイガル国の方が圧倒的に大きいんだワ。ギオンの言う事が正しいのなら、相手は平和ボケが過ぎるんだワ。敵の勢力を見誤るなんて戦う前から負けてるようなものよ」
ローシアの意見は至極真っ当だとギオン深く頷いた。
「彼の国の将軍は、騎士団最後の傑物と聞くが、今回の件で職を辞したと聞く……これではもしドァンクに攻められても対抗する術はないのではないか……」
アシュリーは、ここ最近の二国間の出来事を思うと胸が苦しくなった。
事の発端はユウトとエオガーデだとしても、次にきっかけとなる出来事は自分が引き起こしたからだ。
アシュリーは戦争を望んでいない。だが、エミグランのもとで働く以上、処遇はエミグランのみが決められるものだと考えていて、アシュリー自身が政争の具に扱われる事は仕方ないとしても、戦争が起きるきっかけにはなりたくなかった。
そんなアシュリーの心を読み取るかのように、ローシアは極めて冷静に語る。
「争いなんてどんなきっかけでも起こるものよ。些細な事だとしても、大きなうねりになれば誰にも止められないワ。言い換えれば、きっかけなんて何でも良いのよ。争う目的と力があれば子供が道で転んで怪我した事がきっかけの核になって、議論や噂が争う目的に合うほどに肉付けされれば戦争にだってなるワ」
戦争したい者が戦争を引き起こす。今回の場合は明らかにヴァイガル国が仕掛けてきたのだ。
そう考えると、エミグランから受け取った封書の中身もだいたい想像がつく。おそらく対ヴァイガル国の体制を作る云々の内容なのだろう。
「ユウト、アンタはどう思うのかしら?」
膝で眠るシロを撫でてばかりのユウトに話題を振ると、少し驚いたように反応してから
「僕は……わかんないかな……」
と、おどけた素振りを見せたが、隣にいたレイナは、ユウトが物憂げに膝で眠るシロの腹を撫でいた顔が、思い詰めているように見えて、優しい言葉をかけるのも躊躇うほど、賑やかな車内で孤立していた。
側にいると決意したレイナだからこそわかる微妙な違いは当たっていて、ユウトは一人疎外感を感じていた。
「ホント、アンタはいつもぽやっとしてるのね」
そんなユウトの変化に気が付かないローシアは、また鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
ローシアなりに、ユウトとレイナの間に割り込むようなことは避けようとして、つけ離すように話を区切ったつもりだった。
『覚悟は、あるワ』
ローシアのあの夜の決意がユウトの胸を裂くように痛めつけ、悩む。
――僕は……どうすればいいんだろう……――
シロの腹を撫でながら、穏やかに一人苦しむ。
**************
カズチ山の宿場を通り過ぎると、山間を縫うように馬車が進む。
ユウトはいつのまにか空気が重々しくなった車内に気がついて、レイナに問う。
「この先がダイバ国なんだよね?」
久しぶりに声をかけられたレイナは少し驚いたが
「は、はい! もう間もなく到着しますよ」
と、嬉しそうに答える。
いつのまにか起きていたシロは、ユウトの膝の上から降りようとせず、じっとユウトの顔を見つめていた。
相変わらずユウト以外が白い毛並みに触れようとすると犬歯を剥き出しにして唸るので、誰も触れようとはしなかったが、レイナはシロがユウトの変化に気がついているように思えてならなかった。
連なる山々を抜けると遠くに建物が集中して建っている場所が見えた。
「あれが……ダイバ国か……」
当然初めて見たユウトはどこか懐かしさを感じた。
馬車がダイバ国の関所の前で止まると、ユウトとシロ、レイナとローシアは馬車を降りた。
ローシアは車窓から見ているギオンとアシュリーに振り返って手を振ると、二人とも手を振りかえしてくれた。
ローシアは、仲睦まじそうに見える二人に聞こえないように
「まったく……デートに行くんじゃないのだから、そんな嬉しそうにしなくてもいいんだワ」
と口を尖らせて小さく呟いた後、馬車はU字に向き直してダイバ国を背に元来た道を戻って行った。
残された三人と一匹は、改めてダイバ国の関所に向き直る。
関所の周りは、向こうが見えるように木を組み合わせて壁を作っていて、ダイバ国の様子が伺えた。
多くの家屋は木造の四隅の柱に漆喰の壁でできていた。ユウトは日本の建築に似ているなと率直に思った。
来ている服装も、どこか和風の趣があるのは、右前に包む着物のようなものだからだろう。
だが、日本と決定的に違うのは、人間と獣人が入り混じっている。
貴族会用の馬車で降り立った三人と一匹を、物珍しそうに耳目を集める中、ローシアは気にも止めずに
「さあ、行くんだワ」
と関所に向かって歩き出した。
今回の訪問はエミグランの指示だ。関所を通る所定の手続きはすでに済ませていて、ローシアは手形と呼ばれる手のひらサイズの厚紙を取り出して、関所に立っている門番らしき体躯の大きな人間に近づいて見せた。
「許可証確認。どうぞ、お通りください」
大きな体を腰から少し曲げて礼する門番を一瞥して
「さあ、いくワよ」
と三人と一匹は、ダイバ国の関所を抜けて入国した。
江戸の街並みにしては近代的で、とはいえダイバ国の人たちの服装が近代的とは真逆の古風に見えて、ユウトはなにかテーマパークに来たような感覚になった。
「ダイバ国王であるシューニッツ家に向かうにはまだ時間があるワ。その前に行きたいところがあるのだけど、いいかしら?」
ローシアの提案にユウトは少し驚いた。エミグランの使者として入国したのだから、真っ先に向かうつもりだと思っていたからだ。
「いいけど……どこに行くの?」
「……アタシ達姉妹の恩人ね。」
「恩人?」
ユウトが聞き返すと、二人は眉を顰めた。
「アタシ達に目的を果たすために力をつけてくれた師匠ね。」
「師匠……」
ユウトが神妙に復唱するとレイナが口を開く。
「私達が使命を果たすために、刀や体術を教えていただいた恩師ですわ。久しぶりにお会いするので緊張しますわね……」
「恩人なんだね、会うのが楽しみだね」
ユウトは穏やかに微笑むと、レイナは少しでもユウトの気持ちが明るくなったような反応に嬉しさを隠しきれず、同じように笑顔になった。
だがシロは、ユウトの心の奥を慮るように口を開けずに小さく、くーんとないていた。




