第四章 35:密かな覚悟
ユウト達は、エミグランと合流したあと、やってきたきた道を戻るように神殿前の大階段から悠々と馬車まで戻った。
衛兵達にエミグランを捕まえようという気概を見せた者は数人いたが、エミグランの睨みを目にして本当に動ける者はいなかった。
その前に
「この世に未練がなく、亡骸も残さず死にたい者は遠慮なく前に出よ」
の一言が至極効いていた事は間違いなかった。あっという間に衛兵に伝わり、瞬く間に全員が死を意識する。
エミグラン達は後で知る事になるが、ドァンクへの攻撃が失敗、その理由はカズチ山に住む大蛇のオロが現れた事が大きな理由で、もはやヴァイガル国の騎士団であっても太刀打ちできない事実のみが浮き彫りになり、衛兵に何もできるはずがなかった。
粋がって前に出ようものなら死が待つなら、エミグラン達が馬車に乗って去る事を黙って見守るしかなかった。
エミグランが現れた事で、それまで馬車の中で鍵をかけて震えて待っていた御者達は、エミグラン達の姿が見えると目に涙を浮かべて「おかえりなさいませ!」と口を揃えて迎え入れてくれた。
「すまなかったの。待たせてしまった。お主らも無事で良かったよ」
と、一介の御者にも労わる言葉をかけるエミグランの優しさに御者達はドァンクに住んで、エミグランのために働いて良かったと心から思えた。
そして、全員を乗せた馬車は、誰に邪魔されることもなくゆっくりと優雅に城門に辿り着くと、ヴァイガル国を後にした。
**************
馬車は一路エミグラン邸に向かった。
道中お互いに起こった事を語り合うなど、話は絶えなかった。
ギオンはユウトを見つけられずに迷っていた事を今でも後悔していた。
レイナとローシアは、ユウトと出会うまでのことは喋らず、二人ともミシェルのことを心配していた。
ユウトは、神殿地下の出来事からずっと考えていたことがあった。
「エミグラン様」
「どうした?」
エミグランに黒き人を模した者に掴まれたことの恐怖は拭えない。
だが、御者に見せた優しさもエミグランの本質的な部分なんだと思うと、ユウトはその一点だけでエミグランを信じることができたから、あの地下の出来事を話そうと思った。
「……あの地下でこの子を見つけた時の話をしたいです」
ユウトの膝の上で、心地良さそうに撫でられながら眠る小さな犬。
見た目は真っ白でふわふわで丸い可愛らしい犬だ。
「……良いのかね? その、何だ……」
言いにくそうに吃るエミグランに
「シロの事です!」
エミグランはその名前を聞くのは二度目だったが、大きくため息をついた。
「……お主、名前のセンスがないと言われた事はないのか……見たままの色を名前にするとは……しかもカリューダ様の知識と知恵が顕現されたものじゃぞ? こう、もっと教養を感じられるような……むぅ……」
しかし、この名前はカリューダの知識改め『シロ』自身が気に入っているのでエミグランとしては認めるしかなかった。
「この名前は、カリューダ様の知識だと周りの人がわからないようにするためで、シロも気に入っているんです。」
「もうよいもうよい……それで、ワシに話したい事とは?」
呆れたように話を区切ると、ユウトは真剣な面持ちで語り出した。
「神殿の地下には、台座の上に置かれた黙示録と呼ばれる石がありました。場所はヴァイガル国の王女が教えてくれたんです」
「王女か……相変わらず名前はないんじゃろうの?」
エミグランは当然、王女がカリューダの肉体であると知っていて眉をひそめた。
「ええ。そう言っていました。それで黙示録と呼ばれた石を深緑のマナの腕で殴ってみたら表面が割れて、右腕が吸い込まれてしまって……手探りでこのシロを掴んだんです。」
「ふむ。で、石は壊したのか?」
「……いいえ……割れただけで壊したとは言えないかもしれません……でもシロを取り出して真っ白い光に包まれた後は、黙示録から何も感じなくなってしまって。シロが言うには『それは私がいなくなったからさ。もうこの石は黙示録でも何でもないただの石さ』って言ってました。」
「ふむ……そのほかに何か言うておったか?……その……シ、シロは」
まだカリューダの知識をシロと呼ぶ事に抵抗のあるカリューダはどうしても吃る。
「……ただの石だとしても、黙示録の意義を考えれば壊せたとは言えないって……」
ユウトの膝で眠るシロは寝返りを打って腹を上に向けると、優しく腹を撫でる。
「なるほど……確かに物体として壊したのはカリューダ様の残した物体であって、本質は全て今この世界にあるの……それで……シロは何を話したのじゃ? お主らはもちろん聞いたのだろう?」
「エミグラン様ならわかるって言ってました。だから聞けって……プラトリカの海の継承ルールがわかるエミグラン様ならって……」
エミグランはシロの眠る可愛らしい姿に、少しだけ憎たらしく見えた。
――あまりにも無情な宣告をわしにさせるのですか……――
しかし、エミグランも分かっていた。プラトリカの海がアルトゥロに継承されている今、奪い返すにはエミグランだけでは成し得ないある理由があった。
ユウトに説明するには酷な話だが、シロがエミグランから話せと遠回しに言っていると理解した。
――言わねばなるまい……そう言われるのなら……――
意を決して、エミグランは説明を始める。
「プラトリカの海はカリューダ様が最後に生み出して、そして封印した秘術じゃ。この秘術の継承はカリューダ様とアルトゥロとこのわしの三人しかない。これは封印する前に、生み出した秘術を悪用されぬように、使用者を限定して継承する事で三人以外に扱えないようにしたのじゃよ」
ローシアが気になっていたことをエミグランに問う。
「なぜせっかく生み出した秘術を封印したのかしら?」
エミグランは首を横に振る。
「……それはわしにもわからん。もしかしたら悪用される事を恐れたのかもしれぬ。」
そしてシロを見つめて
「何故封印したのか……シロが答えないのであれば、わしの口から推測で物申すなどおこがましい話じゃ。」
全員がシロを見た。重たい話の最中、シロの寝息と馬車が揺れる音が大きく聞こえた。
「継承はカリューダ様を筆頭にアルトゥロ、わしの順で優先され、この三人以外は使用できぬ。」
レイナが質問のため手を上げる。
「シロちゃんがいる今はどうなるのでしょうか?」
「……おそらくアルトゥロが持ったままじゃろう……プラトリカの海は死者を甦らせる秘術じゃ。肉体を復元させて聖杯を捧げることで、故人の能力を持った別人を生み出せることができる。そこに知識が備われば、ほぼ同一人物を生み出せるかも知れぬ」
カリューダが甦ると聞いてローシアは「そんな……」と絶句し、レイナも同じように黙った。
「じゃが、聖杯は奴の手には無い。今の所はカリューダ様を甦らせることは奴にはできぬ」
カリューダを甦らせる方法があるとしても、まだ肉体も聖杯も一つにする事は不可能。
だが、アルトゥロは自身が編み出した秘術で少なくとも五百年は生きている。そして目的を果たすまで生き続ける気だと知っていたエミグランは、これから告げることの重みを誤魔化すように、車窓から外を見て続けた。
「アルトゥロがカリューダ様の次に優先される以上、奴が生き続ける限り優先権は降りてはこない。その状況で魔女なき世界を目指すなら……道はニつ」
ローシアとレイナは揃って固唾を飲む。
「カリューダ様を一時的に甦らせて……プラトリカの海の権利を奪うか……カリューダ様の聖杯を持つ者を殺すか……」
ユウトは心臓が飛び出るかと思うほど高鳴った。
それを見逃さず、エミグランはユウトを見やり、告げる。
「カリューダ様の聖杯を継ぐ者……全てを知る者のお主じゃな」
ローシアとレイナは時が止まったように固まった。
ユウトの力は全てを知る者が持つ力だと思っていた。だが、それは、二人が忌み憎んだカリューダの力だと初めて知らされた。ギオンは黙って腕組みをして聞いていたが、ユウトの素性がエミグランによって明らかになり、耳がピクリと動いた。
「そんな……ユウトが……?」
「……大災の魔女の……」
ユウトはエミグランによって素性を詳らかにされたことはそっちのけで、真実を明らかにする事を選んだ。隠しても仕方ないし、いずれは姉妹に告げなければならないと思っていたからだ。
「それって……僕を殺すってこと……ですよね……」
エミグランは頷いた。
ユウトは薄々気づいていた。王女にカリューダの聖杯を継ぐ者だと告げられた時に、黙示録を壊したとしても二人の目的は『魔女をこの世界から無くす事』なのだ。
カリューダの聖杯を継ぐ者が自分自身なら、聖杯が魂の器で、ユウトがこの世界にいる理由がカリューダの聖杯の力だとしたら、彼女たちの目的達成は【自分の死】なのだ。
神殿の地下で自らの死という結論に至った時は、心臓が苦しくなり、自分は異世界でもいらない人間と言われてしまうのかと思うと、耐えられずに泣き出しそうになった。
その経験があったから、この馬車の中では冷静になってエミグランに尋ねることができた。
我に返ったローシアがエミグランの襟首を掴んで引き寄せた。
「アンタ……何言ってるのか分かってんのかしら」
怒声を押し殺して凄んで迫るローシアは、エミグランとの実力差をわかっていながら、ユウトの命を奪う発言が許せなかった。しかしエミグランは嘘をつかない。
「……プラトリカの海がある以上、聖杯と肉体があればカリューダ様は甦る機会がある。ワシがアルトゥロならこう考える。『肉体と知識と聖杯で一番必要なのは奇跡を起こすマナ。肉体も知識も創ればいい』との。この三つの中で再現できないものは聖杯じゃ。」
「だからって!何故ユウトを殺す必要があるのよ!」
エミグランは力を込めて握っているローシアの手を最も簡単に払う。
「アルトゥロはすでに聖杯を取り出そうとしたはずじゃ。昏睡しておる時にの。しかし取り出せなかった、その理由はわからんが……取り出せない聖杯を無理やりに取り出す方法は一つ……聖杯を持つ対象を殺す事じゃ」
ローシアが青ざめた顔で「そんな……」と呟き肩を落とすと、馬車の中に重々しい空気がのしかかった。
エミグランは、聞かれたことの真実のみ述べる。
嘘をつかないと皆が知っているからこそ、連ねる言葉でまた重さが増す。
「聖杯があれば、また黙示録に変わるものが生み出される。体は作ればいい、知識は長い年月を積み重ねればいずれはカリューダ様の域に到達はできる。だが奇跡を生み出すマナを操れるのはカリューダ様の資質を持ったもののみ、つまり聖杯を持つものじゃ」
エミグランの言うことをユウトもローシアとレイナも理解できた。だが、姉妹は納得できるはずはなかった。
二人で決意した黙示録の破壊に、誰よりも協力してくれたユウトが、憎んだカリューダの力を継ぐものだとしても、殺すことができるはずがないし、死んでほしいと願うはずがなかった。
「もし、魔女の遺物を全て無くすことがお主らの目的なら、全てを知る者の命もその対象になる。アルトゥロが二度とカリューダ様の聖杯が取り出せないように原型を留めないほどにこなご……」
レイナはエミグランの話を切り裂くように、そして想像しただけで涙が止まらなくなり、悲痛な懇願を叩きつけるように問う。
「やめてください!何か……何か方法はないのでしょうか! ユウト様が……魔女の遺物だなんて……他に方法は……」
と言葉に詰まったが、エミグランはより残酷に答える。
「魔女なき世界を創るのなら、ない。」
ローシアは苛立ちを抑えきれずに、拳を椅子に叩きつけた。
激しい音がしたが、シロはスヤスヤと眠り続けていた。
しんと水を打ったように静まり返った車内に、馬車の車輪が土を抉る音と振動が大きく感じられた。
ユウトは静まり返った車内が自分の事でこの状態になったことが心苦しく、ここは自分が話し出さなければ……と、よく考えてから口を開く。
「……僕が死なずに聖杯を取り出す方法が全く無いわけではない……ですよね?エミグラン様、シロもいるしさ、可能性はゼロじゃないはずだよね?!」
エミグランはこの時、ユウトの優しさを垣間見た。可能性は限り無くゼロでも、この質問には【ない】と答えられるはずがなかった。
何故ならエミグランはカリューダの弟子であり、師匠を上回っているなどと微塵も思っていない。そして、今、ユウトの膝の上にはカリューダの知識が白い小さな動物の形で現れている。
――カリューダ様の知識があればあるいは……――
わずかな可能性がある限り、ゼロでは無い。
「無論じゃ。」
エミグランの言葉は、ローシアとレイナの顔を嬉々として輝かせるには充分で、レイナは手を叩いて喜んだ。
「絶対に私が見つけ出して見せますから!」
レイナの涙に濡れた笑顔を見て一安心したユウトは、「うん!僕もシロが起きたら聞いてみるよ!」と返すと、レイナは両手を握りしめて、何度も頷いた。
笑顔と活気が戻ってきた車内。中心にはユウトの笑顔があった。
この短期間で、エミグランのことを理解して、まるで利用されたような機転に舌を巻く思いがあったが、そうせざるを得ない雰囲気にしたのはエミグラン自身だった。
――まさか、こうなることを見越して話させたのでしょうか? カリューダ様……――
ユウトの膝で心地良さそうに眠るシロは一度寝返りを打つ。
ユウトの活躍の話題に花咲く車内は、うるさいほどだったがエミグランは気にも留めなかった。
ユウトの顔を見ると、楽しそうに姉妹と語り笑い合っているが、目の奥に見える仄暗さをエミグランは見逃さなかった。
エミグランだけは、ユウトの心の奥にある【覚悟】を密かに察した。




