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オダリスク・ハート  作者: 未央トサ
【序章】兄弟の【始まり】
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長い日の終わり、その裏

【ユイ】


「なぜ能力を使わなかったのですか?」


 率直な疑問だった。夜ノ森執行部長は答えない。ただ楽しそうな笑みを浮かべるだけだ。

 執行部長室には、兄弟はもういない。夜ノ森からキーを受け取った境孝司が境進一郎を学生寮に運んでいった後だ。ツユキも仕事があると言い部屋を後にした。夕陽もわずかとなっている。


 彼らに能力を使えば、抵抗もなく、このようなインターバルもなく、すんなりとこちら側に引き込めたはずだ。

 なぜ彼女はそれをしなかったのか。

 しかし、彼女は馬鹿ではない。

 なにかしら、考えがあるのだろう。おおよそ私の予想できないような何かがあって、あえて能力を使わなかったのだ。

 私にわかるのはそれだけだった。


 ほどなくして、夜ノ森執行部長が執行部長室の受話器を上げた。迷いなく打ち込み、ディスプレイに番号が表示される。

 この番号には見覚えがある。情報管理省情報調査課長への番号だ。課長の名は夜ノ森啓治、夜ノ森執行部長の兄に当たる人物だ。


「もしもし? そうよ、お願いがあるの。ええ。新しい執行部員を登録してちょうだい。名前はーー」


 全国の俗に言うハブ校は文科省ではなく、情報管理省の管轄だ。だから、新たな執行部員が加わる際は情報管理省に届け出をしなければならない。

 本来、正式に執行部員となるには届け出をしてから一週間程度かかる。その間に情報調査課が新たな部員の身辺調査を行うのだが、彼女だけは別だ。

 “基幹”支部の執行部長という地位と、彼女の兄が情報調査課の課長である事が、即日の登録を可能としている。あくまでグレーだが。


「ええ、わかっているわ。今年もめぼしい人材は優先的にそちらに回す。それでいいでしょう? ーーええ、では」


 がちゃりと受話器を置くと、ため息を吐いた。夜ノ森執行部長は、家族とやりとりをすると、いつもため息を吐く。夜ノ森執行部長いわく、夜ノ森家に家族愛のような生ぬるいものは無いそうだ。名門の宿命なのだろうか。そして、肉親と話した後の彼女は決まってこう言う。


「ねえユイ、少し一人にしてもらえるかしら」


「かしこまりました。いつ頃お伺いしましょうか」


 夜ノ森執行部長は座ったまま天井を見上げると、目の上に手の甲を重ね、そうね、一時間くらい。と告げた。


 それでは、と夜ノ森執行部長に礼をし、部屋を後にする。音がしないよう扉を閉める。

 一時間なら、ここで待っていてもいいか。

 壁にもたれ、目を閉じる。中の音は聞こえない。想像もつかない。




 しばらくして、横から扉の開く音がした。まだ一時間経っていないのだが、何か急用だろうか。現れた夜ノ森執行部長に尋ねる。


「少しだけ計画が早まったわ。行きましょう」


 彼女はそれだけ言うと、足早にエレベータへと向かった。慌てて後を追い、夜ノ森執行部長と同じくエレベータに乗り込む。エレベータの中でも、彼女は黙ったままだった。

 今に始まった事ではないが。


 彼女について外に出る。どこに行くのかと思えば、ハブ横前の商店街だ。喫茶店やレストラン、文房具店やゲームセンターなど、学生に喜ばれそうな店舗がずらりと並んでいる。

 その脇で、彼女は立ち止まった。私に振り向き口の前で指を立てる。彼女の向こうには例の兄弟がいた。


 襲われている。対峙しているのは二人の男性。背の高い方は知らないが、タバコを咥えた方の男はよく知っている。

 楠 丈雅(じょうが)。情報管理省情報調査課横浜デスク所属。実力では圧倒的上位に属するも出世を拒み、本部へ行かない変わり者だ。


「てめえ! 人ンチに火つけたのはてめえだろ! ぜってぇ許さねぇからな!」


 間も無くして境孝司の咆哮が響く。楠丈雅に組み付されていても、彼の威勢は衰えない。


 火……?境兄弟の家が燃えた……?


 一瞬、楠丈雅に戸惑いの表情が見えた。彼が火をつけたわけではないのだろう。


 隣にいる夜ノ森執行部長から、短い空気が二度吐きだされた。彼女はその目をギラギラと輝かせながら微笑んでいる。


ーーッ!

 脳裏に電撃が走った。これは、すべて夜ノ森執行部長、彼女の仕組んだシナリオだと理解する。


 彼女が能力をあえて使わなかったのは、こうなることを狙っての事だったのだ。

 病院でわざとあの陳腐な男、確か大橋大五郎をけしかけ貶めたのも、境兄弟に流れで朝までの猶予を、しかも学生寮まで与えたのも。

 もっと言えば、ツユキが先ほどから姿を見せないのもーー。

 すべて、彼女の仕組んだ罠だったのだ。


 夜ノ森は微笑みを崩すことなく私に告げる。

 どうやら、理解したみたいね。と。

 あなたの想像通りよ。と。


 戦慄する。彼女はーー。

 大橋大五郎が貶められても、その怒りは夜ノ森ではなく境兄弟に向けられる事も。

 彼が境兄弟に仕返しをするため、彼らの自宅前で待ち伏せする事も。

 アパートの前に何らかの可燃物を置きけしかければ、彼がどうするかも。

 自宅が燃えているのを見て、境兄弟がどう思うかも。

 調査対象者の自宅が燃えていて、情報調査課が強行手段に出ることも。

 すべて、すべて夜ノ森執行部長の計算通りということだ。

 ツユキがしばらく見当たらないのも、おそらく彼女に認識阻害を使わせ、境兄弟の自宅前に赴き裏工作をしたのだろう。彼女ならば、誰にも知られずそれができる。


「さあ、行きましょうか。新しい仲間を迎えに」


 目を怪しく輝かせながら、彼らの方へと足を進める。なんでここまでする必要があったのか、正直理解できない。彼女の背が離れてゆく。


 だがーー。

 私は誓ったのだ。彼女を崇め、彼女のためだけに生きると。ここで止まる訳にはいかないのだ。


 ゆっくりと、だがしっかりと夜ノ森の背を見つめ歩き出す。ほんの数分で、楠 丈雅らは姿を消した。


 境兄弟の表情には、もう夜ノ森を強く疑ったり、激しく反発する気持ちは見当たらない。

 この兄弟は、完全に彼女が掌握したと言っても過言ではないだろう。


 行きは私だけだったが、帰りは夜ノ森執行部長に続く者が三人になった。

 彼女の少し後ろに私、続いて少し離れて境兄弟が歩いている。





「これでも私、いいことをしてるんだから」



ーー彼女はそう言った。


 目を奥からギラギラと光らせ、歪んだ笑みを浮かべながら。






 夜風は、世間をより冷たくする。

 身震いをし、学生寮へと戻った。



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