長い日の終わり、前編
【シンイチ】
ベッドだ。それも、ふかふかの。
だがおかしい。僕たちの家にベッドなどない。
腹筋に力を入れ、体を持ち上げる。
知らない部屋だった。病院かとも思ったが、辺りに医療器具のような物は見当たらない。
僕は、いったい何をーー。
思い出す。コウジは!?
立ち上がり、もつれながらもドアに向かう。
痛みはないが、体がダルい。でもそんな事はどうだっていい。コウジはどうなったかだけが心配だ。
ドアノブに手を掛けたところで、嫌な考えが頭をよぎる。
反発して処分されてしまったのでは?既に研究材料となってしまったのでは?
頭を振り、考えを吹き飛ばす。
再度ドアノブに手を掛けたところで、ノブが回る。ドアは僕ごと、外側へ開かれる。
なんとか踏みとどまり前を見ると、ドアの先にコウジが立っていた。
一瞬驚いた顔を見せたものの、すぐに目を伏せ、起きたか、と告げる。
よかった。コウジは無事だった。
何も言えずに固まっていると、コウジが僕の向こうを指差しながら、入っていいかと尋ねてくる。
僕がああ、ともうんとも区別がつかない返事をしたところで、コウジが部屋に吸い込まれていった。
コウジについて行くかたちで、僕もドアを閉め、ベッドの方角へと進む。
この部屋はいったい何なのだろうか。
入口には靴箱が、すぐ横にはミニキッチンが構えていた。その奥にバスルームだろう、曇りガラスの扉が見える。
それだけで、ここが病院でない事は容易に理解できた。少なくとも僕が知っている病院にこの設備は備わっていない。それとも大病院の、それこそ政治家が入るようなスイートルームにはこのくらい当然に備わっているのだろうか。なんにせよ僕には関係のない話だが。
玄関から向かって真っ直ぐに歩き、直ぐにベッドにたどり着いた。どうやら部屋はベッドのある部屋一つだけのようだ。
真っ白な壁紙に、薄茶色のフローリング、ベッドは無機質な鉄パイプの骨組みになんの柄も見当たらない白いマットレスが組まれている。
ベッドのすぐ脇には木製のデスク。背もたれ付きの椅子がセットで置いてあった。椅子にはローラーが付いている。そういえば昔コウジがローラー付きの椅子を欲しがっていたな。椅子を買う余裕もなくて、近くの粗大ゴミを拾ってきたっけ。結局、コウジは最初の数週間だけしか使わなかったけど。
立ち尽くしたまま思い出を振り返っていると、コウジがその椅子を引き、座った。
僕もベッドに腰を下ろす。
「そのよ、ごめんな兄貴。今日は心配かけてばかりだ」
伏目がちだったのはそういうことか。コウジは謝るのが下手だ。照れてしまうのだとか。
そんなこと、謝るほどのことじゃない。家族を心配するのは当然の事だ。気にするなとだけ返しておく。
それよりも。
「ここはどこだ? 僕たちはいったいどうなった?」
コウジに問いかける。現状を早く理解したかった。
コウジは少し答え辛そうに言う。
「……ハブ横の学生寮だ。俺が気を失った兄貴をここまで運んできた。あの女曰くこれからの俺たちの部屋だそうだ」
「お前は、あの書類にサインをしたのか?」
「まだしてない。兄貴が起きる気配なかったから、また明日の午前中に話会いましょうだってよ。腹立ってしょうがねえ」
「そうか…でも、こうなった以上サインするしかないのかもな。店長はプライドの高い人だ、あれだけコケにされて僕たちを受け入れたりしないだろうし」
あれは僕たちのせいではないが、そんなの彼にとっては関係ないのだろうな。戻ったところで散々にけなされてお終いになるのが目に浮かぶようだ。
それに。
「夜ノ森さんの言うことがもし本当なら、近いうちに必ず情報管理省の人間が現れる。戻れたところで、今までの生活は送れない」
「あの女はここを出ない方が安全だって言ってたぜ。もう工場の事件の裏に気づいて動いていてもおかしくないってよ。もし家に何かを取りに行くなら、早い方がいいってな」
「そうか……」
夜ノ森さんの思惑通りに動くのは正直口惜しいが、もう逃げ場はない。巻き込まれるしかないのだ。
しばらくの間、無言が部屋に充満した。
取り払うように、コウジが立ち上がった。
僕も同じようにベッドから腰を離す。
「……とりあえず、帰ってみるか」
「……そうだな」
「信用ならねえあの女のことだ、全部嘘だったって事もありえるぜ? 家に帰ってみればなんともねえってなれば笑い話だな」
コウジが歯を見せる。
だがコウジ、目が笑えてないぞ。お前ももう分かってるんだろ?でも。
「そうだな」
同じように、笑ってみせた。
二人で玄関に向かい、外に出る。
腕時計を確認する。
時刻は午後9時。今日が全て夢であるように、誰にでもなく願った。




